(Revenge of the) United Minds

Talkin' 'bout Music, Football(JEF United Chiba) and More.

Only a Eastern Song

 以前の職場の近くにとある料理のチェーン店があり、基本的に仕事中の食事は外食に依存していた私は、乏しいローテーションの中でこの店もよく利用していた。
 退職後もこの店を年に数回は訪れたりするのだが、私が通っていた時代とは大きな違いが存在する。それは、常に有線のビートルズ・チャンネルがBGMとして流れている事だ。
 たまに訪れる程度の客なので、この点はどちらかといえばビートルマニアとして歓迎すべき事項である。The Beatlesが食事のBGMに向いているかどうかはともかく、これだけ慣れ親しんだ音楽なのだから嫌な気持ちになるわけがない。
 だが、私はどうしても従業員の立場でものを考えてしまう傾向にある。それは自分自身の経験上やむを得ない事で、例えば自分が仕事中に絶えずThe Beatlesが流れていたら、きっと嫌になってしまうだろうからだ。
 ただでさえ同じ音楽を繰り返し聞かされたら嫌気が差すのに、それが大事なThe Beatlesの曲なのだ。日々のストレスを前にして、大切な音楽とそれにまつわる思い出が、手垢にまみれて汚されていくように感じてしまうだろう。The Beatlesを聴くのに、嫌気が差してしまう事は火を見るよりも明らかである。
 きっと、この店で働いている従業員はThe Beatlesを嫌っているに違いない。もしくは、完全に日常のひとつとして脳にインプットしないよう、音楽として認識せず完全にスルーするように馴れてしまっているに違いない。いずれにせよ、自分がその立場だったら苦悩してしまうだろう。自分は味わいたくない経験だ。

 

 何故仕事中のBGMにここまでこだわっているかというと、自分自身にそのような経験があるからである。彼の地での私の勤務中は仕事柄常にハイクオリティな音質のアルバムがいくつものモニタースピーカーから流れている状態であり、特にヘヴィ・オンエアされていたのはSteely Danであった。それはほぼ一日中止まる事なく、勤務中の私の聴覚を支配していた。
 ここでの労働は過酷で、毎日が緊張の連続であった。毎日毎日、勤務が終わる度に「何とか今日をやり過ごしたな。でも明日はどんな無理難題が襲ってくるのだろうか」と考えるような気の抜けない職場であり、それは主に私の知識不足に起因するものであった。
 もちろん、日々様々な事を学んでいったが、音響の世界はあまりにも奥が深く、基礎の基礎から学ぶにはあまりにも時間が足りなかった。技術は常に更新されるものであり、はっきりいって自分のキャパシティからすれば一から知識を習得しようとしても、焼け石に水である。

 だが、何故か私はここを長く任せられる事になったのであった。これ自体が謎であるが、どうも上司は私の上っ面の対応の良さで何とか乗り切れると思っていたらしい。事実それでかろうじて毎日をしのいでいたのは確かだが、当然私には多大なるストレスが圧し掛かっていた。数年前の入院も、結局はこの時に無理を重ねた事が原因であるのは明らかである。
 だから、そんな時期に毎日耳に入っていたSteely Dan(とDonald Fagen)を、10年近く経過した今でも冷静に聴くことが出来ない。当然ながら世界最高峰のクオリティを持った音楽であるのは重々承知しているが(だからこそ我が職場でも流れていたわけだし)、やはりあのストレス過多の日々が脳裏に蘇り、とても平静な気分ではいられなくなってしまう。これはフラッシュバックのようなものかもしれない。
 Eric Claptonのベストもよく流れていた気がするが、こちらは特に問題なく聴く事が出来る。やはり、Steely Danの流れていた回数は圧倒的に多かったのだろう。仮に、ここでThe Beatlesが毎日絶え間なく流れていたとすると…恐ろしくて想像できない。冒頭の料理店で思わず考えてしまったのは、このような経験があった事に理由があるのだ。

 

 ただし、仕事にBGMがあっても良いと思えるシチュエーションも非常に僅かながら存在する。例えば、練習スタジオに勤務していた時は、自分の好きなCDを持ち込んで職場のPCにリッピングし、それをDJ感覚でフロアに流していた。主に当時私が買ったばかりのCDをいち早く聴くという意味で選盤していたと思う。
 覚えているのはMadness, Keane, Franz Ferdinand, Maroon 5, Squeeze, Emile Simon,  Tracey Ullman, 高橋幸宏, Sadistic Mikaela Band, Moonriders, ゴスペラッツ, etc...あたりだっただろうか。近所にあったタワーレコードで買うなり取り込んで聴いていた気がする。

 だが、当然ながらこの辺の音楽を今聴くことに何の抵抗もない。繰り返し同じものばかり聴いていたわけではない上に、何よりも仕事自体が非常に楽しく、ストレスフリーだった事が最大の理由だろう。
 専門的な事を訊かれるでもなく、たまに作業をする以外は基本的に座っていられるし、電話対応もクレームや脅しめいたものは当然ながらほとんど存在しない。はっきりいって楽な仕事である。
 土地的にプロアマ問わず様々なミュージシャンが利用する場所だった事もあり、そういう人たちと話をするのは何より楽しかった。そんなバンドマン達に「今流れてるこの曲何ですか?」と訊かれる事も稀にあり、そういう時は妙に誇らしく、快感すら覚えたものだ。

 

 だが、こんな経験自体が異例である事は言うまでもない。基本的に仕事というものはストレスしか生まないものだと認識しているので、出来ればBGMなどなく無音であるのが望ましい。
 どうしても流すのならば、スーパーで流れているような少し前のヒット曲の気の抜けたインスト、もしくは最新ヒットだけを流す有線、どちらかに限る。両方とも既に過去のアルバイトで経験済みであり、特に現在への悪影響は確認出来ない。それはどちらも聞き流す事が出来るからで、やはり思い入れのある音楽を仕事中に流してはいけないのだ。

The Beatles Super Live

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 夏が終わっていきます。寂しい日々です。

 今日は気温も低く、一日中曇り空。更に、私の地元を含む近隣市町村に被害をもたらした先日の台風を上回る勢力の新たな台風が迫り来る不安。そんな中、今月の私はひたすら余裕が無く、好きな季節を満喫したとは言い難い状況。そんな後ろ向きな感情が積み重なり、今年の夏の終わりは余計に寂寥感が大幅にアップ。

 

 そんな中ですが、あのアルバムのリリースが着々と近付いています。

ライヴ・アット・ザ・ハリウッド・ボウル

ライヴ・アット・ザ・ハリウッド・ボウル

 

  ビートルズ唯一の公式ライヴ・アルバムが、満を持して遂にCD化。2009年のオリジナル・アルバムのリマスター時と同様、9月9日発売。この日にこだわる理由って何なんでしょうか?ジョンのラッキーナンバーと関係あるのかな?

 

 実は、この再発のニュースはAmazonのおすすめに入っていた事で気付いた程度で、詳しい経緯を全く知りませんでした。狂騒の世界ツアーのドキュメンタリー映画ロン・ハワード監督で公開される事は知っていましたが、どうやらそれに合わせてのリリースのようです。映画が再発のためのエクスキューズというか、ともかく良いきっかけになったのかな。

 いずれにせよ、ずっと未CD化だった公式アルバム最後の砦ともいえる作品のリイシュー。非常に楽しみな事は確かです。BBCでのライヴ音源がVol.2まで出たのに比べ、これ程までに遅れた理由はやはり観客の発する凄まじいノイズでしょうか。サー・マーティンのプロデュースによって一度は公式な形で発表されているわけですから、そういった問題はブートレグ等に比べればかなりクリアされているはずだとは思いますが。

 私はこのアルバムリリース時には生まれておらず、一時期アナログを掘り起こしていた頃にも店頭で巡り合った事はありませんでした(それほど意識して探していなかったという事もあるけど)。かつての同僚で先輩(Cloud9氏)に断片的に聴かせてもらった事はあったかもしれませんが、作品として向き合うのは正真正銘今回が初めてという事になります。凄く新鮮で、ニュー・アルバムを手にするかのような気持ちです。

 肝心のジョージの曲がカヴァーの「Roll Over Beethoven」だけなので、そこに不満を感じてアナログ盤を探していなかったのかも知れませんが、何と今回の再発での追加4曲の中に「Everybody's Trying To Be My Baby」が含まれているとの事(これもカヴァーだけど)。楽しみが増しました。

 

 活動中に発表したベストの『Oldies』は名ジャケットながら特にリリースの意義が見出せないので、公式アルバムとしてはこれで全て無事にリイシュー出来た事になるのでしょうか。そうなると、未だソフト化していない『Let it Be』が果たして今後どうなるのか。こちらのハードルはかなり高そうですが、果たして。

Dislocation

 先日、夜遅くに上野の某所を訪れた際、いつものように散歩でもして時間を潰そうかという事になった。

 駅から程近いその場所へと歩いたところ、入り口にスマートフォンを凝視するサラリーマンが数人立っている。意に介するでもなく進んでいくと、暗闇の中に突然人の塊が現れた。全く予期せぬ人混み、それは「突然」と表現するしかないくらい前触れ無く存在していた。

 進めば進むほど人の波は勢いを増していく。灯りも不十分で、激しい通り雨が上がったばかりの足元はぬかるんでいる中、その人々は一斉にスマートフォンを凝視したまま、何かに導かれるように足早に何かを目指し始めた。

 まさかこんなに多くの人がこの暗がりに潜んでいたとは知らなかった我々は、その静かに猛る群集に巻き込まれぬよう神経を尖らせつつ、ただただ困惑するしかなかった。

 そう、人々はあの位置情報ソーシャルゲームのプレーヤーであったのである。

 

 あの位置情報ゲームが、一夜にして日本の風景を変えた気がした7月の終わり。ツイッターのトレンドは丸一日以上独占され、私の周囲でもプレイし始める人が多数。あの狂騒の日々に比べれば、8月に入って少し沈静化してきた印象だったのだが、そんな中で向き合う事となったあの光景。件のゲームのブームの凄まじさを、初めて実感した出来事であった。

 予め記しておくが、楽しんでいる方々を腐す意図は全く無い。これだけは断言しておきたい。だが、今回目撃したあの光景は、プレイしていない人間からすれば少し恐怖を感じたのは事実だ。単純に、多くの人々が足元や周囲を見ずに移動するのは、危険な事だと思うのだが…。

 

 元々、このゲームの元となったコンシューマーゲームに関しては、若い世代の友人達と話をする時にどうしても隔たりを感じるトピックであった。自分はこのゲームのプレーヤー世代ではないが(勿論、プレイしていた人間はいた。例えば我がバンドの元ヴォーカリスト等)、私より若い男性なら当然幼少時に触れた事がある共通事項であるらしい。

 そういった年代と話す時に常々このゲームに対する認識でギャップを感じており、そういった話題になると私は黙ってしまう他無かった。その時は「当然知っているであろう基礎知識すらわからないオジサン」と化してしまい、何とも気まずい思いをしていたのだ。

 問題は、今回の位置情報ゲームを私と同年代、もしくはそれ以上の世代が夢中になってプレイしている事だ。これは、自分にとってはかなりの驚きだった。

 例えば、登場するモンスターの名前を出すなり、その特性を言うなりと、そういったリアルタイムの世代ではなくとも今プレイしている人は、若い世代ともこれで一気に距離を縮められるかもしれない。だが、私は更に全方位から取り残されていく事になる。若干、焦りのようなものを感じたりもしているのだ。

 

 と、ここまで書いてきて思ったが、音楽に目覚めた小6以降は自分の好きなものしか追いかけない嗜好の人間になってしまったので、元々同年代やそれに近い年齢の人々とも殆ど話が合わないのであった(ジャンプを読まない、ドラクエ・FF・任天堂関連などの人気ゲームをやらない、流行っているTV番組を観ない、etc...)。今更ジタバタするような問題でもなかったので、これからも話題に取り残される事を特に気に病むこと無く生きていこうと思う。

 プレーヤーの皆様も、周囲に迷惑をかける事無くゲームを満喫して頂きたい。ゲームの方式自体は私自身も非常に魅力的に感じているし、新たな可能性を秘めていると思うのは偽りの無い本心である。それでも、暗がりでスマートフォンを見ながらダッシュするのは危ないと思うよ、やっぱり。

成田の寺は一つじゃない

 ツイッターで呟いたこのお寺、派手で知名度や参拝客数(初詣客は明治神宮に次ぐ全国2位)なお隣と対照的な、たおやかでひっそりとした佇まいに惹かれ、一人訪れてみた。

 

山門に続く路地、左手奥にはお隣の寺の平和大塔が。

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 これでもかと言わんばかりに自己主張しているが、勿論目的はそこではない。

 

 蝉が大合唱する中、山門に到着。

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 チラッと見える本堂が良い景色。

 

 夏の日差しに映える境内。

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 参拝客は自分のみ。

 

 山門の裏に、何故か本尊である阿弥陀如来坐像の説明看板が立てかけられていた。

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 成田市指定文化財の文字。看板が自立出来ないためにおざなりな扱いなのだろうか。

 

 これが本尊か…と思ったが、当然違う。永代供養塔だろう。

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 まだ造りが新しい。最近建てられたものだろうか。

 

 客殿と思われる建物。

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 後ろの木々の緑が濃い。

 

 短い滞在だったが、帰り際にもう一度山門を振り返る。

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 暑くて長い時間の滞在は無理だったが、わざわざ寄った甲斐はあった。

 

 このお寺の関係者と思しき女性が、車の中から参拝客である私を気にしていた。タブレットを終始抱えていたため、現在一大ブームの位置情報ソーシャルゲームのプレーヤーだと思われたかもしれない。

 隣のお寺とはあまりにも対照的な静けさ。何やら空海最澄の後世の人気や露出度を物語るようで、それが逆に強く心を捉える。永代供養塔の上には墓地があり、そこに繋がる細い階段もあったのだが、今回は足を踏み入れることなく帰途に着いた。

 この薬王寺についても一切学ぶ事なく、時間が空いた事によって訪れただけだったので、色々と準備をしてまた参拝してみたいと思っている。

On Account of Your Love

 いつも通り、取り留めの無い話を。

 

 今では、オンライン上での買い物が当たり前となり、大型ショッピングサイトの存在で地域の商店(特に書店)が次々に店仕舞いに追い込まれるなど、様々な弊害も起こっている時代。

 自分が初めてネット通販で買った品物を、きちんと覚えている人はどれくらいいるのでしょうか。自分の場合ははっきりと記憶に残っています。HMVにて、Teenage Fanclubの『Bandwagonesque』を注文したのが、今に続く浪費人生の始まりでありました。2002年、確かJR総武線総武本線の上り電車中にて操作した事まで脳裏に蘇ります。当時そこまで身構えて注文した記憶は無いのですが、最初の経験という事で緊張していたのでしょうか。

 同年代ではネット導入が遅れに遅れた私。スマートフォンも存在しない時代だったので、フィーチャーフォンを駆使して以後も注文を続けました。いやはや、よく元値であそこまで律儀にCDを買い続けたものだ…本当にお金が無い中、毎月欠かさずHMVを利用していました。今でもサイトでトータルの利用額を確認出来ますが、何度見てもなかなか恐ろしい金額になっています。

 

 多少話題は逸れますが、当時のHMV携帯サイトは検索での文字入力に非常に厳しく、英語タイトルは単語の頭文字を大文字、それ以外を小文字にしてきっちり半角スペースを空けないと絶対にヒットしませんでした。

 例えば、「allthingsmustpass」「ALLTHINGSMUSTPASS」では絶対にダメ。「all things must pass」「ALL THINGS MUST PASS」でも余裕でアウト。ちゃんと「All Things Must Pass」と打たないと辿り着く事は出来ません。しかもその点は一切明記されていた記憶がないので、トライ&エラーでこの検索方法を発見しました。これが刷り込まれて癖になってしまった事が、間違いなく現在の私の英語表記に影響を与えています。

 

 閑話休題。何度もこのブログに書いているビートルズ再発見期、躍起になってビートルズやメンバーのソロをかき集めましたが、店頭に置いていない事が多く、特にジョージのものは殆ど廃盤だったので、注文の際に店員さんに訊いて落胆を繰り返すというのがほぼ日常と化していました。ネット通販ならばある程度データベース化されている上に、「在庫に無いのならば仕方ない」ときっぱり諦める事が出来たので、自分にとっては非常に便利なメディアでした。

 当時、ありとあらゆるジャンルのCDを手に入れるため、様々なサイトでアカウントを作りました。現在でも利用しているAmazonタワーレコードのものもこの時期に作成しました。それ以外にも今では覚えていない、もしくは覚えていても完全にサインインの方法を忘れているサイトが多数で、今でも心のどこかに小骨のように引っかかっています。もっとも、忘れているようなサイトは一度も利用した事がない所しかないのですが…。

 

 インターネット導入後も様々なサイトでアカウントを製作しましたが、使用PCの変遷によりサインイン方法を忘れているものも増加。そして、今まさにその問題に直面しているところ。日常的に利用していたとあるサービスを多忙故に閲覧を怠っていたところ、サインインする事が出来なくなってしまいました。ここ数ヶ月、雑事が多くなかなか覗く気分になれなかった事が悲劇を呼んでしまったのです。

 今、自分が持っているメールアカウントを全て調べなおしてみましたが、手掛かりなし。かなり困っています。

 

 そういえば、初めてフリーのメールアカウントを作ったのもちょうど10年前です。当時の先輩(Cloud9氏)に勧められて作ったのですが、この年月の過ぎ方は特に早いようでやはり10年分の重みがある事、改めて再確認しました。自分の不義理や様々な理由から疎遠になった方々との過去のやり取りなどを見直すと、複雑な思いが胸に去来します。

 我がバンドのギタリストとのやり取りもそれにあたるでしょうか。SpiSunの(結果として)ラスト作では彼に2曲歌詞を書いてもらいましたが、今回読み返して少し驚いたのはもう1曲デモを彼に渡していたらしい事です。完全に忘れていましたし、どんな曲だったのか思い出せません。彼の手元にはデモテープが存在するのでしょうが、今となってはそれを確かめる事も出来ません。

 どうやら、かつてのバンドメンバー5名で歌う事を念頭に置いた曲だったようです。ますますもってわかりません。結局彼には歌詞だけ書かせて、録音しなかったということになってしまいました。まさかこの後SpiSunが活動を停止してしまうとは思いませんでしたし、メンバーの現状を考えればもう二度とこの企画が実現する事はないでしょうが…やはり、やるべき時にやっておかないと、後悔するだけというのが悲しいですね。

 

 取り留めのない話になりましたが、アカウントから色々と思う事があったという日記でした。ちなみに、最初の通販で買ったCDも、今回の記事タイトルになっているアルバムも現在では手元にありません。

20 + 10

 よくよく考えてみれば、今年はSpiSun(spiritual sounds)結成から20周年、最初のブログ(旧United Minds)開設から10周年のメモリアルイヤーなのであった。

 ただ年月を重ねただけで、特に意味は無かろう。確かにごもっともではあるが、あくまで私個人としては色々と考えを巡らさずにはいられないのである。こうして数字を見ると、あまりにも長い時間が経過してしまったと震えるしかない。

 

 何度か書いた記憶があるので繰り返しになってしまって申し訳ないが、ジョニー馬論という人物と私で構成されていたspiritual soundsは、完全に馬論の主導で結成された。
 充実した高校生活(少なくとも私にはそう見えた)の中で作り続けていた打ち込み楽曲に歌詞と歌を乗せる事を彼は求めていたようで、そこで都合良く使えそうな人材として私が選ばれた。といっても高校時代にほぼ付き合いが断たれており(他の多くの友人もそうだったが)、当時はお互いに高校生活から解放され始めた時期。ちょうど久々に連絡を取り合って再会を果たした頃であり、彼にとっては私でない他の人物でも全く問題はなかったはずだ。何せ、当時は志向していた音楽性が全く違ったのだから。

 もっとハウス・ミュージックに造詣が深く、音程が取れる程度には歌えて作詞の真似事も出来、馬論の実家近所に住み連絡が取りやすい人間がいたら、彼はそちらを選んでいたに違いない。

 だが、私にとってはそうではなかった。クリエイティヴさとはほど遠い高校生活を送り、いくつかのバンド計画も高校2年の春で全て頓挫してしまった私にとって、スピサンはようやく出会えた貴重な音楽活動の場であり、唯一縋るべき蜘蛛の糸であった。
 今まで仲間と行ってきた音楽活動では常にリードする立場にあった私だが、スピサンに関しては全くの逆だった。特にハウスに興味はなかったし、もっとギターが活きる曲をやりたかったのは事実だが、こちらがワガママを言える立場にはなかった。ともかく、何があろうとこの活動の舞台を守りたい。少なくとも結成当時はそういう考えを持っていた。
 当時私が出した提案と言えば、「歌詞は夏に関したものにしたい」という事だけである。勿論、これはTUBEのファンであった事、そして何より生来の夏好きという気質に起因している。こうして20年前、夏ハウスミュージックという音楽性を掲げてspiritual soundsはスタートを切ったわけだ。

 

 20年と10年。あれから長い時間が経過した。かつてのバンド仲間や友人の殆どが東京を引き揚げ、地元でそれぞれのプライベートな生活を送っている。皆、年齢相応に守るべきものを見つけ、それぞれの人生を歩んでいるのだ。
 翻って私は、あの頃と何も変わらない精神年齢、生活環境で今日も人生を浪費している。だが、当然ながら私とて時間に抗えるわけではない。自身の肉体が、何より周囲が常に変化し時を重ね、あの頃と同じままでいる事は非常に難しくなっている。
 それでも人間として成長がないからなのか、まだまだやりたい事が山のようにあるのであった。時間は待ってくれない、やりたい事はやれるうちにやる。この事に気付いたのは、実はこの新しいUnited Mindsを開設してから…というより、SpiSunが解散してからの事だったりする。気付くのが遅すぎたが、気付かずに人生を終えるよりはマシだったと思うしかない。

 

 何だか10年後にも全く進歩のない、同じような事をどこかに書いていそうだが、それが私という人間だったのだろう。もう覚悟を決めるしかない。