I'm one with the Force and the Force is with me. I'm one with the Force and the Force is with me...
去年の今頃、EP7を観た私はSNSやネットを検索し、SWに関する書き込みを探っていた。ファンシーなイラスト、現代的オタク解釈による考察…それはとても楽しい時間である。周囲にファンがおらず、長らく孤独にSWナードを続けてきた自分にとっては、様々な人の意見をリアルタイムで知る事が出来る現代は、実に心強く面白い時代になった。
だが、『Rogue One』が公開されて一週間。既に2度の作品鑑賞を終えた私は、初日にTwitterで感想ツイートを検索した以外、殆どネットのチェックを行っていない。これはどういう事か。
つまり、今回の作品は誰かの解釈や創作に補完してもらう必要の無い、実に充実した作品だったからではないか、と思ったのである。昨年のあの時期は、誰かに補ってもらわなければ隙間を埋める事が出来なかった。つまり、自分にとってEP7はそういう作品だったという事だ。
EP7初回鑑賞後、私は常にSWファンとして葛藤していた。自分は『Fanboys』『The People vs. George Lucas』に出てきたような、偏屈で心の狭いファンとは違う。過去のノスタルジーだけに浸る事無く、新たな世界も受け入れられる人間だ、と。
そう必死に言い聞かせながら、何とも歯切れの悪い感想を書いた。
プリクウェル(EP1~3)をろくに理解しようともせずに批判する守旧派ファンの心無い言葉に、嫌な気持ちになったのは一度や二度ではない。だから、自分はそうではない人間であろうと努めていた。大きな違和感を覚えながらも、EP7を必死に好きになろうとしていたのだ。でなければ、4回も劇場鑑賞はしていない。
そんな私の心を大きく揺るがしたのが、3Dアニメ『反乱者たち』の出来の素晴らしさ。
その流れは、今回の『Rogue One』が期待通りの出来だった事で決定的となってしまった。
やはり、自分はEP7を好きになれない。努力はしたが、前述のスピンオフ2作を観た後ではどうしても見劣りしてしまう。違和感だけが更に強くなる。
勿論、作品自体を否定するつもりはないし、評価を下すのはEP8とEP9公開後に行うべきだという事はわかっている。だが、現時点でEP7だけをお気に入り作品として挙げる事は、残念ながら私には無理だ。未だに映像ソフトを買っていないという事実が、何よりも如実にそれを表している。
(今年は自分のやりたい事への出費が多かった事、DVDからBDへの移行が済んでいない事、といった理由もあるのだが)
実はEP7は、鑑賞前にネットでネタバレに遭遇してしまっていた。すぐにページを閉じたので一つのセンテンスしか目にしなかったが、実はそこが最も重要なポイントだった…という悲しい経験がある。
よって、今回の『Rogue One』は公開初日の朝一番の上映に臨んだ。同じ過ちは、繰り返してはならない。結果として、それだけの準備をしただけの意義はあった作品であった。
以下、ネタバレしか含まない断片的な感想。
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Bye
多くのスーパースターが鬼籍に入った2016年。
こんな画像が作られるくらい、後世に影響を間違いなく残すであろう人物が次々にこの世を去っていきました。
そして、間近で何度も躍動する姿を観たあのケンペスまで、まさかの事故で…。
ブラジル1部リーグ所属シャペコエンセ 墜落事故に関するすべての方へhttps://t.co/fMJWDB4gLb#jefunited #ForçaChape pic.twitter.com/zZqgsYLrAL
— ジェフユナイテッド市原・千葉(公式) (@jef_united) 2016年11月30日
ボウイもプリンスもジョージ・マーティンもケニー・ベイカーも悲しさはありましたが、様々な意味でこの事故はショックでした。こんな形で彼に別れを言わなくてはならないとは。本人も無念だったでしょうし、何よりジェフのサポーターなら多かれ少なかれ衝撃はあったはずです。
その訃報の一週間後、今度はこんなニュースが。
闘病中だという事は風の噂で知っていましたが、彼までこの世を去ってしまうとは。彼が率いていたL⇔Rのブレイク期を知っていた者としては、少なからぬ動揺と寂しさがあります。
私はL⇔Rの熱心なファンだったというわけではありません。持っているのはシングル数枚とアルバム2枚のみ。しかし、前述通り「Hello It's Me」を経て「Knockin' on Your Door」で彼らがスターダムにのし上がっていく様をリアルタイムで知っています。当時の友人からアルバムを借りた時も、マッカートニーやウィルソン色を強く感じさせながらも日本的な歌メロに上手く落とし込んでいく才能は只者では無い、と一聴しただけでわかりました。
あの頃、Mr.Childrenやスピッツといったブリティッシュの香りが強いバンドが多くブレイクしており、学校の体育の時間に「君、あの手のバンドの区別付く?何か似たような人が多くてわからない」とクラスメイトに話しかけられたのを昨日の事のように思い出します。
確かその問いには適当に相槌を打った記憶がありましたが、内心では「どこが区別つかねーんだよ、ちょっと聞いただけでも全然違うだろうが…」と思っていました。ちょうど、絶頂期にあった小室哲哉の量産ヒット曲とは別の流れで、普遍的なバンド・サウンドが再びヒットチャートに復権していた時期でもありました。
「Knockin' on Your Door」のミリオンセラーの後、彼らL⇔Rが繰り出したシングルは「Bye」。この時期、自身の進路だけでなく多くの悩みを抱えていた私は、模試を受けに行った千葉市の某予備校近くのコンビニ内にて、ニューシングルとして流れて来たこの曲を耳にしました。
この頃、人の多い場所に出るのがとても億劫で、ちょっと不安になるくらいの精神状態でした。模試の昼休みで食事を買うためにコンビニに立ち寄ったのですが、どこか自分がそこにいるようでいないような、フワフワした気持ちでこの曲を聞いた事がやけに記憶に残っています。
大ヒット曲だった前作から大幅に売り上げを落とした、という情報を知ったのはかなり後の事ですが、「Knockin' on Your Door」よりも更にビートリーなサウンドに非常に親近感を覚え、自分にとってはお気に入りの曲です。アンバランスな精神状態の時に記憶に刷り込まれたせいか、とても自分にはラブリーに感じられます。
しかしこうして振り返ってみて、改めてここまで鮮明に覚えている事に自分でも驚いています。前述の模試で「ハーグ密使事件」を「パグ密使事件」と間違えて書いた事すら思い出してしまいました。それだけ多感な時代だったのでしょうし、その時期によく耳にした黒沢氏の音楽の事に親しみを覚えるのは、ある意味で当然なのでしょう。
熱心なファンの方には話半分で読み流して頂きたいのですが、黒沢健一氏には以前から少しだけ親近感を覚えている事があります。それは、spiritual sounds時代の音源を聞いたり、仲良くなってセッションしたりした複数の方から、私の歌唱法や声が氏に似ていると言われたという事。
書くまでも無いことですが、私のようなちっぽけな人間が才能溢れる黒沢氏の歌声と比較されるなど、どう考えても烏滸がましい事だというのは自分自身理解しています。しかし、彼の音域と私のそれは近いものがあり、L⇔Rのナンバーをカラオケで歌っていても非常に心地よかったのは事実。そう言ってもらえて自信になった、という程ではありませんでしたが、何となく自分の歌の方向性が見えたのもまた確かな事でした。
訃報を知った時、彼がカヴァーしたあの曲を聴きたくなりました。
ジョージの和製トリビュートアルバム、ビートルズ時代やソロ初期の曲が並ぶ中で黒沢兄が選んだのは「Ding Dong, Ding Dong」。あのチョイスはさすがだと思った。
— ミカ・ラウド (@MicaLaud) 2014年9月26日
本当に、「さすが」と言いたくなるような絶妙な視点とセンスを持ったミュージシャンでした。ご冥福をお祈り申し上げます。
愛の六弦展覧会 Vol.3
先日、10年ぶりに記事のナンバリングを「Vol.2」に更新したかと思えば、更にVol.3まで一気に書いてしまう暴挙。
といっても、前回は2本もらったうちの1本を紹介しただけなので、当然もう片方も書く事になるのは避けられない。記事の水増しとも言うが。
これだけ長い間止まっていたマイギター紹介記事が一気に追加されたわけだが、無論このまま軌道に乗るはずもなく、恐らくはこのまま打ち止めとなる。誰かから譲り受けたりする事が無い限りは。
もう1本はレスポール(タイプ)だった。
当然ながら、ギブソンではない。
ヘッドが汚れたままで申し訳ないが、国産レスポールといったらここ、グレコのものである。コピーモデルとはいえ、多くのミュージシャンに愛された名器を数々生み出したメーカーだ。
近年のギブソンのスチューデントラインはエピフォンだが、それとは違う堂々たる「MADE IN JAPAN」の刻印。
レスポール・タイプのギターは所有していなかったので、こちらは私が引き取る事にした。重いし高い、そういった理由で自分とは縁が遠いと思っていたレスポールだったが、こうして思わぬ機会で今回所有する事となったわけだ。
写真ではわかり辛いが、トグルスイッチが折れているのが困った点である。正直この程度の修理なら自分で出来るが、楽器店ではあまり見かけないパーツだったりするのでちょっと困った。恐らく修理を依頼したら、余裕で1万は超えるだろう。それはさすがに勘弁願いたい。
グレコは、海外楽器代理店業でお馴染みの神田商会が立ち上げたブランドである。それこそこのタイトルの記事を最初に書いた10年前、神田商会の方とも取引で頻繁に顔を合わせていた。もう今では私の存在などとっくの昔に忘れられているだろうし、かく言う私もその方の名前を覚えていない(顔は記憶に残っているが)。何とも不思議な感慨を覚える。
そういえば、SpiSunの我が相棒ジョニー馬論が最初に買ったギターは、エピフォン製のレスポールだった。The Beatlesの映像を観ていて辛抱堪らず購入したのだと記憶しているが、彼の愛するレノン要素があまり無いだけにこのギターのチョイスは少し不思議であった。
彼はキーボーディストながら、自らの曲でこのレスポールを1回だけ録音に使用。BlurやOasisにインスパイアされたと思しきリフを、「Revolution」におけるジョンの如く歪ませきった音で弾いたのだ。一時期は、練習スタジオにも持参していたほど入れ込んでいた。私が最後に見たときはペグなりスイッチなりが壊れていたように記憶しているが、その後あのギターがどのような扱いを受けたのか少し気になっている。
PARCO Sky
パルコ千葉店が、今月いっぱいで閉店。
千葉パルコももうすぐ閉店。今までありがとうございました。最後に覗いてみたいけど、残念ながら無理そう。
— ミカ・ラウド (@MicaLaud) 2016年11月27日
個人的には、パルコよりもセントラルプラザの方が馴染み深かったが。それでも、パルコはかつて通院(と書いていいのかどうかわからないが)時にかなりの頻度で寄っていた。楽器を始めてからは、この2つにロックインが加わる。そういった小中学生時の思い出の地が、全て姿を消す事になったわけだ。
— ミカ・ラウド (@MicaLaud) 2016年11月27日
ツイートした通り、かなり昔から頻繁に訪れていたわりには、これといって語るような思い出がありません。それは、以前千葉市の思い出を語った記事でもパルコに触れていない事からもわかります。
とはいえ、自分にとっては“そこにあって当たり前”だった場所。それがなくなるのはとても寂しい事です。
千葉パルコは、むしろここ10年くらいの思い出の方が濃く残っています。ジェフの試合の帰りに寄る事が殆どで、そうなると当然ながら敗戦の後で疲れ切っている事の方が圧倒的に多くなる。そんな中で館内を見て回るのだから、いつも心が重かった印象があります。しかしこれはパルコには何の責任も無く、あくまで私自身の問題ですが。
近年ジェフの試合絡み以外で寄ったのは、震災直後に親族の葬儀で房総半島に向かう際、時間潰しのために寄った時が数少ない機会でした。いつ余震があるかわからない中、神経を尖らせながらタワーレコードを訪れたのです。
関係ありませんが、秋葉原・新宿・池袋の店舗に次ぐくらい千葉パルコのタワレコは訪れる機会が多かったように思います。去年何か新譜を買った記憶がありますが、それが最後の買い物となりました。
ここの島村楽器も当然ながらよく利用していたのですが、結局大きな買い物はせず仕舞でした。
今思い出したけど、初めてギター(ストラト)を買ったのはパルコじゃなくセンプラの島村楽器だった。閉店セール中だったけど、どれだけ安くなっていたかは覚えていない。そのギター自体もかなり前に手元を離れているので。https://t.co/upxfkmKCnP
— ミカ・ラウド (@MicaLaud) 2016年11月27日
千葉市の島村楽器で始めてのギターを入手した顛末は、既にこのブログでも書いています。
文中に「(現在でも営業中の)」という一節があるのが、何やら切ない。パルコの島村楽器での買い物で覚えているのは、SWのストームトルーパー柄のギターストラップくらい。なかなか良い一品だが、長さの調節があまり出来ず、殆ど使わずに眠ったままである。
パルコや三越の閉店とも絡めて、千葉市の空洞化がニュースになっている模様。
地元だけでなく千葉市でさえも、徐々に街が衰え人が姿を消していく。自分があの頃のままであってほしいと願おうが、現実がその声を聞いてくれるわけではない。諸行無常、ただ受け入れて生きていくのみです。今までありがとう、パルコ千葉店。
愛の六弦展覧会 Vol.2
太古の記憶。
「Vol.1」と題しておきながらその後一切このタイトルで記事を書いていなかったので、10年越しに次の記事を書いてみる。
しかし10年か…そんなに時間が経っているとはとても思えないな…。
先日、親が友人からギターを2本もらってきた。当初は固辞したらしいが、「このままだと捨てるだけだから」と言い渡されたらしく、根負けして引き取ってきたとか。
私に「両方とも持って行ってくれ」と言っていたのだが、もう我が部屋にはギターを置くスペースは無い。近しい人なら、私がギターを減らそうと試みていた事を知っているだろう。せっかく1本を人に譲渡したのに、この期に及んで2本も増やすわけにはいかないのだ。
2本のうちの片方は、あまり聞いた事の無いブランドだった。
尖ったカッタウェイが印象的で、HSHというPU配置もレイト80's~アーリー90'sな香り。
ヘッドをよく見ると、「KAWAI」「SCHALLER」という見慣れたメーカー名が。このヘッドロゴの通り、河合楽器がシャーラーと協力して販売していたギターブランドらしい。
検索してみると、これは1990年のRockoonカタログに載っているRA-65というモデルだとか(有志の方に感謝)。この時期の多PUモデルによくあったコイルタップ機能も搭載しているようだ。値段(6万円台)を考えるとスチューデント・モデルの範疇だろうが、この価格で本当にシャーラーのパーツを使っているかどうかはわからない。一応、カタログによればネックはシャーラー製らしいが。
1990年といえば、私は秋頃から年末にかけて希望楽器をシンセサイザー(当然ながら小室哲哉のYAMAHA EOS B-200)からギターに変更しだした頃。千葉の島村楽器にカタログがあれば絶対に見ているはずなのだが、本当に今の今までこのブランドの事は知らなかった。それだけYAMAHA信仰が強かったのか、それとも田舎のガキの目にも留まるようなプロモーションを河合楽器が出来ていなかったのか…。
いずれにせよ、ギター関連雑誌でもこのRockoonが取り上げられていた記憶がない。あれだけ熱心に読み込んでいたのだから、いくら何でも私の記憶力や注意力だけに原因を求めるのは少々無理がある気がする。例えば、もうちょっと有名なギタリストなりベーシストなりのシグネーチャモデルを製作していれば知名度も違ったのだろうが。
全然関係ないけど、仙波清彦在籍時のT-Square(当時はThe Square)のアルバムにも『Rockoon』というタイトルがありましたね。T-Squareについてもそのうち語ろうかな…正直、当時聴いていた他の音楽に比べると、現在は殆ど思い入れがないのだけれど…。
閑話休題。このギター、そこの家の娘さんが元々弾いていたものらしい。状態が非常に良いので、殆ど弾かずに放置されていたと思われる。女子が使用するギターらしくショートスケールなので、「短いし、なかなか弾きやすいんじゃない?家でパッと手に取って弾くには良いと思うよ」と楽器屋時代以来のスキルを発動。このギターに関しては実家に置いておく事に成功した。
一週間に八日来い
既に結構時間が経ってますが、観て来ましたよ。
船橋ららぽーとで1回、渋谷Bunkamura(アンコール放映)で1回、と計2回観てます。それぞれに若者から女子、中高年男性、はたまた海外の方と様々な客層が来場していて(ジョージの『Living in the Material World』の時と同様に)、そういった人々と一緒に観ているという事実だけでもなかなか楽しい出来事でした。
狂騒のツアーリング・イヤーズ。基本的には多くのビートルマニアなら知っている事実を検証してくという流れですが、当然ながら新たな映像、そして『Anthology』などと違ってビートル関係者以外の証言も挟む事で、当時の社会背景や少年少女達が抱いていた想い、そしていかにThe Beatlesが時代に果敢に切り込んでいったか。そして世界を動かそうとしたか。若々しいFab4の雄姿と相まって、60年代前半から中盤を活き活きとしたタッチで切り取っているというのが一番の感想です。
シガニー・ウィーバーの乙女な発言、ウーピー・ゴールドバーグの変わりつつある時代に対する高揚感、エルヴィス・コステロのリアルな音楽ファンとしての率直な言葉の数々。実に効果的な挟み方だったと思います。
映画そのものの内容も勿論見所だらけですが、今回の最大の意義は「The Beatlesのライヴバンドとしての魅力」をありのままに引き出した点でしょう。ハードなハンブルク時代を乗り越えたが故の演奏能力、今まで言葉では語られていましたが、それはこの映画で誰もが実感できるのではないでしょうか。当時のステージ上の劣悪な音響に対するリンゴの新たな発言も、彼らの実力を裏付ける一因となっています。
そして最新技術でリストアされ、美しくなった映像。リマスターやリミックスで観客のジェットノイズに埋もれない鮮明な音。冒頭の「She Loves You」の美麗な映像と音、あのビートルズ・ライヴ疑似体験っぷりは凄かったです。あれは映画館のスクリーンと音響で観たからこそでしょう。個人的に、60年代にタイムスリップした…という感慨でなく、「Fab4があの当時の姿で2016年にやってきて、グラストンベリーなりサマーソニックなりで演奏したらこんな感じなのではないか」という感慨を持って観ていました。本当に、ここのシーンだけでも映画館で観るべき。
殆ど休みなくツアーで世界各国をめぐり、僅かな時間でレコーディングをする。そのタフさもしっかり取り上げられていました。そしてひとつの到達点となるシェイ・スタジアムでの歴史的公演。そこから徐々に不穏な空気が流れ始め、彼らを取り巻く状況が狂気を孕んでいく。この辺の逸話は、わざわざここに書くまでも無いでしょう。しかし、最終公演だったキャンドル・スティック・パークでのライヴ終了後のエピソードは初めて聞いた話で、それはジョンやジョージが怒るのも無理はないだろう…という酷い扱い。
殆どのビートルマニアは、いわゆる“ツアーリング・イヤーズ”がどのようにして終焉したかを知っており、ハッピーエンドにならない事は重々承知しているはず。だが、ツアー終了後に口髭をたくわえて現れた4人の姿に、新たなストーリーの始まりを感じる人も多いでしょう。ルーフトップ・セッションで終わる点も含め、4人が疲れ果てたまま映画が終わらなかったのはとても良い点だったと思います。
結果として、我々はFab4がそれぞれの個性をThe Beatlesの枠に収め切れず、喧嘩別れのような形で解散した事を知っている。それでも、過酷なツアーの日々を乗り切る事が出来たのは、4人の固い結束、そして何よりも学生時代からの仲の良い友人だったという事実が何よりも大きかった。それを改めて実感。
個人的には、ライヴの音の迫力。この映画はそれに尽きます。これは映画館で観たからこその感想でしょう。ちなみに、本編終了後にこれまた最新リマスターのシェイ・スタジアム公演記録映像を観る事も出来るので、出来る限り億劫がらずに映画館で観るべきだと思われます。一応、この映像は映画館のみの上映という事なので…DVD/BD特典映像なり、他の機会でのリリースなりでソフト化されそうなので、あんまり私はこの言葉を信用していませんが。
今回初めて観た映像の中で一番感動したのは、アンフィールドでKopのリヴァプール・サポーター達が「She Loves You」を大合唱するシーン。その凄まじい大音響に痺れました。当たり前ですが、この時代の客席は男しかいませんね。しかし若き野郎共だけでなく、年配の男性も一緒になって歌っているのが印象的。やはり、地元が世界に誇るヒーローのヒット曲だからという事なのでしょうか。フットボール(この場合サッカーと書くより圧倒的にこっちの方が正しい)と音楽、その両方ともがリヴァプールを象徴するファクターであり、世界に誇るべきもの。そんなリヴァプールっ子達の想いが伝わってくるようです。
リヴァプール・サポーターというと、Gerry & The Pacemakers「You'll Never Walk Alone」を選手入場時に歌う事が定番になっていますが、またThe Beatlesの曲も歌ってほしいもの。
今まで“ビートルズ”と“スポーツ”の関係性というものが殆ど我が国では語られた事がなく、たまに言及されるのも「ジョージのF1愛」「ポールがエヴァートン・サポーターのトランペットを吹く男に魅了された」「『Walls and Bridges』のジャケで幼少時のジョンが描いたサッカー選手」程度のものでしたが、フットボールというものが我が国でも徐々に市民権を得始めている昨今、このKopのシーンも年配ビートルマニアにとっても少しはリアリティを持って受け入れられるようになったのではないかと、勝手ながら思った次第。
楽しい映画でした。映画館で観られて良かったです。
わたしが選ぶ名曲ベスト10 2016返
たまにやります。理由は私がやりたいと思ったから。
1位 Circus
"The Gift"
2位 But I'm Different Now
3位 Smithers-Jones
4位 Going Underground
5位 Private Hell
6位 Town Called Malice 悪意という名の街
7位 Beat Surrender
8位 In the City
9位 The Eton Rifles
10位 Absolute Beginners
また物議を醸しそうな選曲だなぁ…でも本当に「Circus」が好きなのである。あまりにも好きすぎて、SpiSunの次回作のタイトルとして本決まりしていたくらい(明らかに気乗りしていない相棒のジョニー馬論を説得した)。それにしても、シングルばかりであまり面白みがない。
あくまでポップ好きの相棒をおちょくっていた私だが、何だかんだ言っても一番The Style Council寄りの『The Gift』が一番好きだ。バラエティに富んでいるのがその理由。『Sound Affects』がその次。実験色を増していった後期が自分としては好みなのかも。
1位 Rat Race
2位 Concrete Jungle
3位 Hey, Little Rich Girl
4位 International Jet Set
5位 Friday Night, Saturday Morning
6位 I Can't Stand it
7位 Gangsters
8位 Do Nothing
9位 Why?
10位 Too Much Too Young
ロディ・ラディエーション作品が怒涛のトップ3独占。実質的にはアルバムを2枚しか出していないので選曲は偏らざるを得ないが、それでもシングルのみのリリースなども含めるとバリエーション豊か。あくまで中心メンバーはジェリー・ダマーズなのは間違いないが、テリー・ホール(「Friday Night, Saturday Morning」)やリンヴァル・ゴールディング(「Do Nothing」「Why?」)も数は少ないが良い曲を書いている。改めて、本当に魅力的なバンドだと思う。
もはや聖典と化した感のある名盤1stが人気だが、スカをベースに様々なチャレンジをし始め、メンバーも積極的にソングライティングに加わり始めた2ndの方が俄然面白くなってきていた。このままバンドが続いていたら、どのような進化を遂げていたのだろうか。妄想する事しか出来ないのが残念である。
The Good-Bye
1位 浪漫幻夢 Romantic Game
"#6 Dream"
2位 Love Again
3位 Out of the Time
4位 浮気なロンリー・ガール
5位 僕らの祈り
6位 Growing Up Days '87
7位 悲しきRadio Girl
8位 Good Lovin'
9位 Lonely Night
10位 I'm Sorry
1位は確かにモロにELOへのオマージュだが(主に「Twilight」+「Xanadu」)、それでも良いものは良い。何度聴いても夢見心地になるメロディ、歌声、歌詞。素晴らしいポップスとはこういう曲の事を指すのだ。我ながらひねりがないなぁと思うが、この曲以外の1位は考えられない。ちなみに10曲中8曲(ただし1曲はバージョン違い)が能地裕子&本秀康両氏選曲の2枚組ベストに収録されており、改めて2人のコンピレーション作りが的確だった事を実感。
昨年、ツイッターの「#私を構成する9枚」ハッシュタグにThe Good-Byeのベストを入れたが、彼らから学んだのは「先人へのリスペクトと愛を素直に表明しよう、そして楽しみながら良い曲を作ろう」という点であり、ナイアガラの流れから大いに影響を受けた。彼らのそういった姿勢が、この10曲に凝縮されていると思う。
1位 Confession 告白
"Gorilla"
2位 Fool on the Planet 青く揺れる惑星に立って
3位 Here, There & Everywhere 冬の神話
4位 Maria Club 百億の夜とクレオパトラの孤独
5位 Cube
6位 Pale Shelter
7位 Message
8位 Girl
9位 Children of the New Century
10位 Electric Prophet 電気じかけの預言者
何だか地味な選曲だな…持っている全アルバムから特に好きな曲をひたすら挙げて、少しずつ削っていったらこの10曲が残った。マニアックなのを選んでやろう、音楽的に高度なのを入れてやろう…といったスケベ心がない分、最もプリミティブな選曲といえる。だが、やはりその日の気分で変わる部分が大きいので、あんまりあてにならないような気もする。
TMはやはり小室哲哉の生み出したユニットだが、再結成後の活動において、時を重ねるごとに木根氏の存在が大きくなっているのは誰も否定出来ない所だろう。氏が書いた「Cube」は小室氏が絶賛した通り、継続的に活動していた時代のものに匹敵する名曲である。しかしこうやって見てみると、The Beatlesから頂いたと思しき曲名が多いな。3曲もある。
TMは自分にとって原点であり、それは未来永劫揺らぐ事はない。The Beatlesと共に自分が音楽を愛するきっかけとなったミュージシャンであり、非常に大切な存在である。だがThe Beatlesと違うのは、成人後に全曲を聴き直したり、ディープに研究したりという機会がごく最近まで無かった点だ。あくまで思春期に寄り添った思い出が大きく、今回の選曲もそういった補正が影響しているのは隠しようが無い。今こうして振り返ってみると、TMNが“終了”した1994年、自分の中の少年時代が本当の意味で終わったのだと思えてならない。まさに『Childhood's End』である。逆に言うと、そこから精神的に何の成長もしていないのだが…。
「基本的にインターネットによる通販のみの販売」という形態を採った、再結成後最初の作品『Major Turn-Round』だが、小室氏のあまりにも早い着目のせいでリリース当時はあまり良いイメージが持てなかった。だが改めて聴き直してみると、全作品中でも屈指の完成度を誇るアルバムであると実感する。ソング・ライティングの面でも小室・木根両氏が拮抗し、前者はプログレ、後者はブリティッシュ・ロックやAORという自身のルーツを下敷きにのびのびと制作しているさまが伝わってくる。TMらしいデジタル音は控えめな“趣味のアルバム”といった趣だが、だからこそ冴えわたる曲の完成度、そしてソロで経験を積んで抜群の安定感と表現力を身に着けた宇都宮氏の歌声が見事に互いを高め合っている。3曲を選曲するのも当然の結果だ。
(注:2017年に全アルバムを揃えたため、この項のみ2022年に更新)