(Revenge of the) United Minds

Talkin' 'bout Music, Football(JEF United Chiba) and More.

Japanese way of football (?)

 ロシア大会が良い内容だった、と思うのには、当然我らが日本代表のまさかの大健闘も要因として含まれる。2010年ワールドカップを例に出すまでもなく、激しい批判に晒された土壇場の状況で予想を覆す、これが武士(もののふ)の魂というものなのだろうか。

micalaud.hatenablog.com

 このような記事を大会前に書いて不満を表明した私だが、いやはや素直に感服した。ガンバ大阪時代に散々見せられた西野監督の剛胆な采配、そして無類の勝負強さ。懐かしさすら感じ、その能力を世界トップレベルの場で発揮している事がとても頼もしかった。
 勿論、トップレベルの舞台で物怖じせず”自分達のサッカー”を貫ききった選手達にも、ただただ脱帽である。

 

 前回の記事で「高速化し、インテンシティが求められる」と書いたばかりだが、日本はそこに逆行するようにボールを保持し、パスやドリブルで崩すサッカーを貫徹した。そのイノセントさ、ピュアさにはある意味感動すら覚える。Beautiful Dreamerである、とでも世界のサッカーメディアには評されてされているのだろうか。
 しかし、世界の流れに逆行する、夢物語のような理想のサッカーで、どっこいしっかり強豪国に通用してしまったのもまた、今回の日本代表。これが田嶋JFA会長が連呼するジャパンズ・ウェイなのだろうか? ある意味で将来の日本サッカーにヒントが見えた大会だったのかもしれない。
 もっとも、今回のサッカーは香川・乾・原口・柴崎・大迫の誰を欠いても成立しなかったのも事実で、対戦国に徹底的に研究された場合やゲームがプラン通り運ばなかった場合に第2、第3のオプションは存在するのか。その点に関しては甚だ疑問が残り(既にベルギー戦でその課題は浮き彫りになっている)、安易にこの成功体験に浸るのは危険であると考える。

 サンフレッチェ広島で結果を出し、今回のコーチ陣に加わった森保一氏が新監督に就任し、新たな船出を決めた日本代表。
 田嶋会長は徹底的に日本人指導者に拘っているようだが、あまり視野狭窄にならず外部の血も程良くブレンドしてほしいと思う次第。例えば、アドバイザーにベンゲルを呼ぶという報道があったが、悪くないアイデアだと思う。もしくは、コーチ陣に海外から適任者を呼ぶのも一つの手だ。

 

 今大会は巷にサッカーの話題が溢れていた事を実感として持っている。それは日本敗退後もあまり変わらず、とても驚いた。
 かつてJ開幕時、サッカーに一切興味のない友人達に一人でリトバルスキーや釜本の話をして煙たがられた事や、上京時に周囲に見せ付けるようにサッカーマガジンを読むも、一人空しさを感じていた事。そんな記憶を思い起こすと、隔世の感とはこの事だ。

 やはり、日本が結果を残したり、南米国相手の初勝利(前回大会のリベンジも含む)、セネガルのシセ監督が話題を呼んだり、ポーランド戦のパス回しが議論の種となったり、優勝候補のベルギーをあと一歩まで追いつめたりと、毎試合非常に話題に富んでいた事が要因として考えられる。

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 だが何よりの原因は、弱小国と自国民にも認識されていた日本代表が、自分達でボールを回し、過度に守りを固める事なく試合をコントロールした。何よりそんな戦いぶりがある程度成果を挙げ、視聴者の共感や驚きを呼んだ事によるものではないだろうか。

 眠い目をこすりながら息を潜めて観た1995年のインターコンチネンタルカップで、アルゼンチンやナイジェリアに成す術なく粉砕される。初出場の1998年フランスワールドカップでは勝ち点すら挙げられなかった。
 そういった体験をサッカー観戦歴が浅い時代から散々見せ付けられてきた私としても、今大会の結果は大きな驚きだった。日本代表が、世界の強豪を相手に引く事無く、“当たり前のように”攻めてゴールを奪っている。この感覚、往時からすれば考えられない。親善試合ならまだしも、ワールドカップでそんな試合運びをしているのである。本来はこんな事で喜んでいてはいけないのだが、年季が入ってきたファンからすれば、どうしてもそういう感覚が抜けないのだ。

 大迫のようなポストプレーをこなせるFWは初めて観たし、試合ごと、いや時間ごとに着実に成長していく柴崎の頼もしさときたら、感動すら覚えた。

 

 もっともっと、日本人にとってこの競技が身近になる事。それを切に願う。今大会の健闘は、その第一歩になるかもしれない。

 

 代表とはあまり関係のない話だが、我らがジェフユナイテッド千葉は次回のカタール大会までにJ1昇格を果たせているのだろうか? The answer, my friend, is blowin' in the wind...

Back in the R.F.

 2018年ワールドカップが終わりました。勝者こそ候補の一角であったフランスだったものの、世界中のサッカーファンの予想を覆し続ける、サプライズの連続となった大会でした。

 

 トーナメントの山がはっきりと強豪国・中堅国に分かれた印象でしたが、それでもイングランド久々の躍進、そして何よりクロアチアの決勝進出は予想出来ませんでした。
 これぞブリティッシュ・ウェイ! と言わんばかりの質実剛健イングランドのサッカー。がっちり守ってセットプレーやストライカーのハリー・ケインに託すその潔さ。時代のトレンドに応じてある程度ベースが共通してくる世界レベルのサッカー界ですが、自国のフットボールを堅持しつつ正統に進化させた、そんな印象があります。
 そしてクロアチア。3試合連続の延長戦(PK戦2試合含む)を走り抜いたタフネスとよく統率されたサッカーは、観る者の胸を打ちました。さすがに勢いは続かず、決勝では力尽きましたが、今大会のフレッシュな印象を象徴する存在、それがクロアチアだったと想います。

 

 ベルギー代表の高速カウンター、というキャッチーなフレーズが代表されるように、クラブではない代表の舞台でも戦術的にオーガナイズされたチームが多く、よりハイレベルになったように思いました。
 プレッシャーの激しい地帯でいかにボールを繋ぎ、ゴールを狙うのか。自然と攻撃は高速化し、インテンシティが求められるようになる。アーティストというより陸上競技のアスリートのような身体能力を持った選手達が、当然のように正確で華麗なプレーをする。
 そういった今大会の流れを分かりやすく示したのが、準決勝のフランスvsベルギーだったように感じます。あのフランスでさえ、ゴールを奪ったらがっちり守りに入る。カウンターで日本とブラジルを沈めたベルギーが、フランスの堅牢な砦を突き破るために可能な限りの速いプレーを続ける。
 あまりにもハイスピード、ハイレベルで、準々決勝より上のレベルはまたクラスが一段違う印象を受け、この舞台で戦うのは並大抵のレベルでは厳しいなと実感しました。

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 個人的にそういった今大会のレベルの高いサッカーを先導していたと思うのがモドリッチラキティッチアザール、デブルイネといった選手達。彼ら4人を最も印象深いプレーヤーとして選びたいと思います。

 

 1994年USA大会を少しだけ垣間見て、以降は数試合ではありますが継続して観戦してきたワールドカップ。それなりに私も観戦歴を重ねてきましたが、今大会が最もエキサイティングで面白い大会でした。
 それはサッカー自体のレベルの高さや革新性もさる事ながら、大きな注目点として挙げたいのが今大会から導入されたVAR(ビデオ・アシスタント・レフェリー)です。
 世界最高峰のレベルを誇る祭典とはいえども、毎回そこに水を差していたのが不可解な誤審。人間がジャッジするからミスは付き物とはいえ、やはり許容し難いものも多数あったのは事実で、いつもどこかに消化しきれない思いを抱えていました。
 それが、完璧ではないとはいえ(VARを行うのも主審の裁量のため)大幅に誤審を減らす事が出来た今大会。シミュレーションや微妙なゴールライン上の判定、微妙なオフサイドの駆け引きなど、主審の目を欺いて正当なプレイを偽装するのは難しくなりました。その槍玉に挙げられてしまったネイマールは、ちょっとだけ気の毒でもありますが。
 やはり、サッカー大国へのジャッジは比較的甘くなりがちで、そのチームの格に忖度とまでは言わないまでも、主審も多少腰が引ける事があったのではないかと推測します。それが、VARによって劇的に解決に向かっていくと思われ、それは歓迎すべき事態である事は間違いありません。国際的にはまだまだ実績が足りない我が日本も、いずれその恩恵に預かる時は必ず来ると思われます。
 流れが止まってフットボール的ではない、という指摘もありますが、いずれにせよ微妙な判定には選手の抗議で試合がストップするのは不可避。それなら白黒はっきり付けた方が明らかに得策であり、個人的にはVARによる試合中断にストレスは感じませんでした。

 

 もはや歯止めの利かない商業主義、FIFAの腐敗など問題点は山積みですが、それでもワールドカップという世界屈指のお祭りは格別なものがあり、次回以降もこんなに喜びを感じられるならば、言う事はありません。
 とはいえ、次回は黒い噂が囁かれる選考を経て決定したカタール。初の冬季開催が予定されているようですが、果たしてこのFIFAの判断は吉と出るか凶と出るか。予選の試合内容だけでなく、大会の開催自体にも波乱がありそうな本大会までの流れには注目していきたいと思います。

I have a good feeling about this!

 昨年12月にEP8が公開されてから約5ヶ月という短いスパンで、USAにてSWサーガのスピンオフ映画が公開された。それが『ハン・ソロ』(『Solo: A Star Wars Story』)である。

 約1ヶ月遅れで日本公開を迎えたわけだが、本国では興行成績が振るわないというニュースがその間に入ってきていた。人がどう思おうと、自分が観て判断したものがその作品の評価になる。私はその手の評判を気に留めなかったが、いかんせんEP8によって負った深い心の傷が癒えるには至っておらず、そういう意味ではSWに対する疲れのようなものがあったのは事実。 しばらく、このサーガについて考える事を煩わしく感じる事が多かったのだ。 

 

 だが、作品自体に不安は持っていなかった。『ローグワン』を例に出すまでもなく、原作の世界観を元にしたスピンオフならば、概ね楽しめるものに仕上がっているだろう。そういう意味では、今まで以上に肩肘張らず、気楽に日本公開の封切り当日に鑑賞してきた。

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 以下は、ネタバレしか含まない個人的な感想である。

 

 

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Lucas Order

 GWにフクアリにてジェフの試合を観戦した際、友人から本を贈ってもらいました。ありがとうございます。 

ジョージ・ルーカス 究極コレクション

ジョージ・ルーカス 究極コレクション

 

  ページ数も文章量もかなりボリュームがあり、実は未だに熟読したとは言えない状態なのですが、非常に興味深い内容でした。

 

 個人的に、スターウォーズ研究本はこの2冊以上のものはないと思っています。

スター・ウォーズ完全基礎講座

スター・ウォーズ完全基礎講座

 
スター・ウォーズ完全基礎講座 エピソード1篇(ファントム・メナス)

スター・ウォーズ完全基礎講座 エピソード1篇(ファントム・メナス)

 

  神話、民俗学建築学、美術、ポップカルチャー…様々な観点から『Star Wars』の源流を探り、ルーカスの脳内を解析しつくした研究本。確かにスターウォーズ本編のオタク的知識はあまり身に付きませんが、この一大銀河サーガを読み解くための最適なガイドブックだと思います。エピソード2・3編が出版されていないのが本当に残念。

 レポートを書くために篭った大学の図書館で、資料探しの最中に息抜きのつもりで読み始めたら止まらなくなってしまった事を思い出します。

 

 今回頂いた『ジョージ・ルーカス 究極コレクション』は、こういったスターウォーズに特化した内容ではなく、あくまでルーカス作品を時系列順に振り返るクロニクル的な内容。

 スターウォーズ関連だけでなく、ルーカス作品の本もいくつか読んではいますが、これほど圧倒的かつ充実した内容のものは今まで読んだ事がなく、もう少しじっくり時間をかけて目を通さなければならないと思っています。

 これも大学時代に買った本でしたが、かなり残念な内容でした。 

『スター・ウォーズ』とジョージ・ルーカス―総特集 (KAWADE夢ムック)

『スター・ウォーズ』とジョージ・ルーカス―総特集 (KAWADE夢ムック)

 

  主体になっているのがルーカス批判であるせいか(そうとしか読み取れない)、回りくどい文章で結局ルーカスの制作姿勢やマーチャンダイジングを攻撃するライターが多く、作品一つ一つと向き合っていない印象が露骨に目に付きました。今は部屋の奥底に眠ったまま、読み返す事もありません。

 

 閑話休題。『究極コレクション』に話を戻すと、『THX1138』から『Indiana Jones and the Kingdom of the Crystal Skull』(『インディ・ジョーンズ4』)まで、丁寧に各作品を紹介しています。

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 当時の制作時の逸話や、時代状況の解説、または作品ごとの詳細なデータなど(『American Graffiti』ではBGMとなったシングルレコードを全曲写真入りでリストアップ)、過不足ないジャストな内容。

 

 個人的に一番面白いと思ったのは、元ネタとまでは言わないまでも、各作品の源流となった映画を紹介し、読者に更なるルーツ研究を促しているところ。

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 The Beatles, YMO, 大滝詠一…音楽では敬愛するミュージシャン達のインタビュー記事などを元に時代を遡って研究してみる、という事を多く行ってきた私ですが、こと門外漢である映画ではそういった経験はなく(黒澤明作品を観たくらい)、とても貴重なサブテキストとなりそうです。

 

 ルーカス作品中、最も酷評されている『Howerd the Duck』も、今回ようやく全容が明らかになりました。

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 私はこれと『THX1138』『Labyrinth』を観ていないのですが、80年代らしいテイストが濃厚で、これはこれで面白そうなのではないか…(DVDを買うほどでもないけど)という印象は変わりません。

 

 もう一度こういった失敗作(とされている映画)にスポットを当て直す、というコンセプトだったのでしょうか。

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 『Howerd the Duck』の作品解説は裁判形式で問題点を指摘し、

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Star Wars Episode 1: The Phantom Menace』は、ライトサイドとダークサイドが作品を語り合う形式となっています。とはいえ、どちらも作品を擁護する事はなく、結局辛辣な結論に至っているのですが…。

 

 約10年間の沈黙から、自ら率いる特殊映像集団ILMの技術進歩を確認し(『Jurassic Park』によるもの)、『Star Wars Episode 1: The Phantom Menace』にて第一線に戻ってきたルーカス。だが、スターウォーズ新3部作が受けた(SWオタク達からによる)批判には、大いに心を痛めていた模様。

 『Star Wars Episode 3: Revenge of the Sith』で評価を持ち直したものの、決定的になったのは『インディ4』の悪評や『Star Wars』BD化の際の改変に対するオタク達の猛烈な怒り。こういったインターネット上でのファン達からの罵詈雑言をまともに受け止めてしまった事が、結果的に彼の引退を早め、ディズニーへのルーカスフィルム売却を決断させてしまったようです。

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 確かに面倒なオタクが世界中に数多存在する『Star Wars』ですが、あくまで自分の作品として確固たるポリシーの元に数々の改変を行い、作品を創ってきたと思っていただけに、そこまでファンの評判を気にしていたとは意外でした。ファン達の怒りが、ルーカス自身が想定していたより遥かに激しいものだったのかもしれません。

 「そなたの激しい怒りが、彼女を殺したようだ…」とは機械化した直後のヴェイダーに皇帝がかける言葉ですが、何ともファンとルーカスの後の関係を暗示しているようでもある、というのはこじ付けが過ぎるでしょうか? しかし、あのやりたい放題の『Star Wars Episode 8: The Last Jedi』が存在する現在の状況を考えれば、余計にその思いが強くなります。

 私はプリクウェル(新3部作)も『インディ4』も大好きなので、こういった穏健派ファンの意見も聞いてほしかったと思うのですが、やはり声が大きい人達が目立つのは時代や国境を問わないようです。90年代に入ってからの章は、作品が好きであるが故にじっくりと浸りたいのにも関わらず、そういった世間の評価とのギャップに苦しむルーカスと舌鋒鋭く彼の作品を叩くメディアの様子が露になっていて、なかなか読み進めるのが辛かったです。

 

 最後に、ルーカスフィルム売却に関する話や、ルーカスの手を離れたSWの“覚醒”を語っているページもありますが、さほど量も多くなく、あまり興味も無いので読み飛ばしています。

 

 この本をもらった時、真っ先に気付いた事がありました。

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 出版社名に見覚えがあると思ったのですが…

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 幼少時、両親が購読してくれた絵本の多くを出版していた会社だったのです。

 私の感受性を育んだ絵本の数々。そういった幼い頃の思い出が、今ジョージ・ルーカスと共に一つの線になる。

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 「『Star Wars』は現代の神話で、御伽噺である」とは定説のようによく言われる事ですが、それが実感となって繋がった気がします。私本人しか共感してもらえない感情だとは思いますが、自分の中では偶然とは思えない一致でした。

Read about the things that happen throughout the Chiba

 先日、母の実家にて箪笥の整理と掃除を手伝った。

 主に来客用の布団を仕舞っている所なのだが、我が母が自発的に作業を始めたところ、箪笥の仕切り部分に緩衝材として敷いてある新聞やチラシが出て来た。日付を見ると、何と1979年の1月3日である。この家は1~2度大幅なリフォームが行われているのだが、その時も手付かずのままであったという事だ。

 1979年というと、日本サッカーにとっての“黄金世代”はこの年に生まれた選手を指すのだが、まだ1月のために小野伸二稲本潤一高原直泰も生まれていない。わざわざこのような例を出すまでもないが、ともかく遥か昔の話であるという事だ。

 物持ちが良い、という事は何かを保管出来るスペースをふんだんに持っている、ある意味で恵まれた人だと思っている。私は多くの思い出の品を事あるごとに処分してきた(というより、させられた)ので、いくら時代をダイレクトに記した貴重な資料とはいえ、さすがにこれらを個人的に保管しようと思うほど物好きでもない。よって、素早く写真に収め、データとして持っておく事にした。

 

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 上記ツイートのチラシの裏面(まさにチラ裏)。昔は社員旅行(慰安旅行)が魅力的な勤務条件のうちの一つだったのだろうか。今の若者だと逆の印象を受けるであろう。私も若者ではないが御免蒙りたいタイプ。

 若干勤務開始時間は早いが、17:30に終わるのはなかなか魅力的…ちなみに「早いもの勝ちお早目にどうぞ」というのは社員募集の事ではなく、正月の買い物客への抽選くじの事。昔はお正月に農機具を買ったりしたのだろうか。

 

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 千葉日報テレビ欄から。王氏が再婚したというニュースが流れたばかりだったので、思わず写真を撮った。現代のサッカーにアダプトすれば中村俊輔小野伸二槙野智章あたりで正月に対談番組をやるようなものだろうか。普通にその手の番組なら毎年放送していそうだ。

 

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 ツイートの全体図。この年に行われる衆院選の勢力図をイラスト化したものだと思われる(文章は読んでいない)。現外務大臣の父の姿も。

 

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 外房中心に、一時は県内にチェーン店を多く出していたスーパーのチラシ。これは茂原市内の3店舗の広告だった。盛り沢山の正月の開催イベントなどに、往時の活気を感じて切なくなる。現在では倒産、全ての店舗が閉店しているはず。検索しても詳しい情報が出てこないので、ネット時代になってからのこの店は殆ど話題になっていなかったと思われる。

 このチラシで気になったのは『ジャッカー電撃隊』。戦隊シリーズ2作目らしいが、後追いでチェックした世代の私は全く知らない。今回調べてみて、初めて戦隊シリーズにナンバリングされている事を知った。実家近辺の理容店に『秘密戦隊ゴレンジャー』のムックが置いてあったし、『バトルフィーバーJ』は「戦隊シリーズ第1作」とケイブンシャ大百科か何かに書いてあった記憶があるので(このページにその辺りの事情が記してある)この2作は幼少時から知ってはいたが、『ジャッカー電撃隊』だけは本当に全く知らなかった。

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 Wikipediaの作品ページによればシリアスでハードな展開が子供達に受けず、視聴率低迷の末に打ち切りになってしまった戦隊シリーズで最も短命の作品らしい。後世からの印象だと、見た目が『ゴレンジャー』に似すぎている気もするのだが…。

 この作品の放送は1977年内で終わっているようで、3作目『バトルフィーバーJ』のスタートはこのチラシが配られた1ヶ月後の1979年2月となっている。つまり、1978年は戦隊シリーズが放映されていなかったようだが、1年のブランクがあっても当時の茂原近辺の子供達はこのヒーローの事を覚えていたのだろうか? 子供にとって1年間というのはかなり長い空白期間だと思うのだが。

 

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 テレビ欄。テレビ東京が「東京12チャンネル」である事や、当時の某家電量販店の隆盛を物語る県内の店舗数に目が行くが、注目は9:30からのテレビ朝日『翔べ! モスクワへ ~オリンピックスペシャル~』。翌年に開催される1980年のモスクワ五輪の特集が既に1年以上前から組まれていたわけだが、その後の歴史は多くの人が知る通り。ソ連アフガニスタン侵攻は、この年の12月に起きている。

 この番組に出演した選手達も、当然ながらこの番組放映時点では翌年に迫る五輪に向け胸を高鳴らせていたはずだろう。政治とスポーツは切り離されるべきだが、なかなか現実はそうはいかない。悲しい事である。

 

 ちなみに、これらの新聞やチラシは写真を撮った数分後には全て処分された。40年近く箪笥と布団を守ってくれてありがとう。

大音量のFIFAアンセムをBGMに代表マグマ戦士が入場

 かつての日本サッカー協会JFA)は、私にとってはツッコミ所満載の、ダメ組織の象徴でした。多くのサッカーファンも、私と同じように考える人が多いと思われます。

 ファルカン監督の短期間での解任、加茂監督就任後の人選、ネルシーニョ氏の「腐ったミカン」発言に至る混乱、アトランタ五輪で結果を残した西野監督への冷遇、結果を出し続けていたトルシエ監督への度重なる解任の画策、それまでの路線を無視したジーコ監督の就任(及びドイツ大会での惨敗)、その4年後のオシム監督のJクラブからの徴用、路線の継続なき代表監督の人選、アンダーカテゴリーの監督を若手指導者のテストの場にする…等々、今浮かんだだけでもファンの反発を受けるような判断は枚挙に暇がありません。

 

 それが、2010年ワールドカップでは戦前の予想を裏切るまさかのグループステージ突破、及び翌年のなでしこジャパン世界一という歴史に残る快挙を果たしたあたりから、多数のスポンサー獲得を背景に様々なプロジェクトを実行。
 サッカー人気の隆盛を確かなものとし、4年前のブラジル大会での惨敗を含めて考えても、JFAは安定した組織運営をしていると考えられており、批判も大きな流れにはなりませんでした。

 

 しかし、先月の衝撃的な一報から、この評価も一転する事となります。

www.nikkei.com

wezz-y.com

news.allabout.co.jp

 政情の不安定な国などでは大会直前に監督が交代する事も稀ではなく、いつもそのようなニュースを他人事のように見ていましたが、まさか自分が属する国がそのような事態を迎えるとは思えず、久々にJFAに対して冷たい怒りが沸き上がってきました。

 ハリルホジッチ監督に対する選手の造反、スポンサーからの特定選手の起用要請など、とても健全とは思えない理由が噂レベルで囁かれています。これらがどこまで真実かはわかりませんし、今後明かされるかどうかも不透明ですが(ハリルホジッチ氏の訴訟に真相の究明を期待したい)、確かなのは非常に愚かな選択をしたという事です。

 

 ハリルホジッチ監督は、確かに親善試合では不可解な選手起用や試合運びが目立ち、疑問を呈する機会が多くありました。しかし、少なくとも私はそれを本大会に向けての壮大な実験場としての試合の有効活用であり、あくまで過程でしかないと思っていました。
 氏のそれまでの評判を伝え聞くに、本番までにじっくり時間をかけてチームを熟成するタイプの指揮官であったという事。それを何より証明するのが、アジア最終予選の最大の山場であったオーストラリア戦での大胆な若手選手の起用、及び相手の戦術に対処した戦い方の選択でしょう。
 あの試合はそれまでの主力の多くをベンチに置き、自身が抜擢した選手の活躍でそれまで苦戦してきた相手に完勝するという、画期的な試合内容と結果でした(オーストラリアが何故かポゼッションサッカーに愚直に拘り続けたという幸運もあったが)。ああいった本番と定めた試合においての臨み方こそ、ハリルホジッチ監督の真骨頂だったのではないでしょうか。

 直前で氏を解任するという事は、この数年間(アギーレ氏の就任期間を除く)を雲散させ、無意味な期間を作ってしまうという事を意味しています。
 少なくとも、ハリルホジッチ監督のサッカーを遂行し、本大会でどのような結果を残せたか?」という問いに対し、回答を得る事のないまま未来へと進んでいく事になってしまうのです。

 

 先日、後任の西野監督テストマッチに臨むメンバーを発表。概ねこの中からロシア大会に挑む選手が選出されるのではないかと思われますが、その顔ぶれを見る限り、4年前のコピーのような、何の進展も感じられないサッカーを行うとしか思えません。

www.soccer-king.jp

 ブラジルの地で、既に一つの答えは出ています。
 本田圭佑香川真司を中心にしたポゼッションサッカー、いわゆる“自分たちのサッカー”は世界で結果を残す事が出来るのか?」という問いには、「全く通用せず、何もかも足りない。将来的にはわからないが、現時点ではあまりにも時期尚早」という回答を多くのファンが受け取ったはず。
 それでもあのサッカーを繰り返す事の意味は? 既に答えは出ているのに、同じ事を繰り返す意図が私には理解しかねます。代表チームを、自分達が気持ち良く過ごすためだけに利用しないでほしい。

 

 後任の西野監督は、Jリーグをよく知るファンにはお馴染みですが、柔軟性に欠けるきらいがあり、自らの意にそぐわない者を徹底的に冷遇します。ガンバ時代、彼に出番を奪われ、移籍を余儀なくされた選手は多数でした。
 アトランタ五輪のナイジェリア戦で、中田英寿に意見された事に怒りを露わにし、次のハンガリー戦でスタメンから外した事でもわかるように、造反される事も嫌っている印象。

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 強化委員長だったため、火中の栗を拾わされる羽目になった西野氏。既に後任には(ジェフサポにはお馴染みの)関塚隆氏が就いており、大会の結果如何にかかわらず協会を去るのは決定的でしょう。
 だからこそ、西野氏に一縷の望みを抱いている事があります。それは、協会の直接的な影響の及びにくいロシアの地で、デュエルやカウンターを重視したハリルホジッチ戦術を受け継ぐ事。
 仮に長谷部や本田といった選手の造反でハリルホジッチ氏が解任されたのならば、往時の西野氏は絶対にそういった事を許さないはず。長くJリーグで指揮を執り、実績を積み重ねてきた彼の監督としての意地と矜持が、協会からの傀儡政権のような現状を許さないのではないか…私はそう考えています。あくまで希望的観測でしかありませんが。

 

 JFAの今回の判断は、2010年の「直前で方向転換した事が上手くいってしまった」という成功体験に拠るものだという事は明らか。ならば、西野氏もテストマッチまでは“自分達のサッカー”を容認し、大会に入った途端豹変するような“方向転換”を期待したいところです。勿論、その可能性は極めて低いでしょうが。

 

 

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Now River vs New River

 

 日本史ファンの多くは、戦国ファンと幕末ファンに分けられる事が多い。私は勿論後者なのだが、当然歴史ファンになったばかりの小学生低学年の頃は戦国時代の歴史にも熱狂していた。ちょうど、この本を買ってもらった直後くらいの事だ。

blog.goo.ne.jp 幼少時の辛い視力矯正訓練の最中、必死に頭の中で自由なストーリーを組み立てて気を紛らわせていた私は、主に「織田軍が豊臣軍と連合し、SF的マシンを駆使して徳川軍と宇宙にて天下分け目の合戦をする」という荒唐無稽な物語をいつも想像していた。

 

 こんな妄想で現実逃避をするほど、織田信長豊臣秀吉という武将に憧れを抱いていたあの頃。それは今でも変わらず、「好きな戦国武将は?」と問われれば迷わずこの2人の名を挙げる。
 一応私がそれなりに日本史を愛好している人間だという前提で質問者はこういった問いを投げかけてくるので、恐らく肩透かしを食らわせている事になっていると思うのだが、結局この2人に徳川家康を加えた大きな流れにしか興味がなく、未だに戦国時代に関しては知らない事だらけである。

 

 そんな不勉強な私なので、昨年の『おんな城主 直虎』を観るまで、今川家の事を省みる事などなかった。
 織田信長の名を全国に轟かせ、天下布武への第一歩となった戦国時代有数のアップセット「桶狭間の合戦」。その劇的なストーリーの敗者に目を向ける事がないのは、仕方がない面もある。
 しかし済し崩し的に滅んだとばかり思っていた(それこそ武田家のように)今川家は、どっこいしぶとく生き残っていた。その主役となったのが今川義元の嫡男、氏真。
 武家としての無駄なプライドを捨て、無様に見えつつも強かに立ち回り、文化人・趣味人として一生を全う。その上で今川家をしっかりと残す事にも成功。
 当時の価値観からすればどう思われたかは大体想像がついてしまうが、後世から見るとこれもまた一家の当主としての大仕事を成し遂げた大人物、と見る事も出来るのではないだろうか。

 

 大河ドラマにて俄然興味を持った氏真だが、まさにその放送中、偶然訪れた場所がその彼が晩年を過ごした地であり、江戸時代以降の知行地となった場所。
 これも何かの巡り合わせだと考え、今年に入ってから改めて訪れる事にした。

 

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 夕方の早い段階で閉門してしまうこのお寺は、それだけで(義元・氏真親子が憧れ続けた)京都のそれを想起させる。
 義元はここに眠っていないようだが、氏真以降の当主の墓地はこの観泉寺にあるそう。通りから一本入った道で車通りが少ないせいか、お寺の前がアイドリング状態のタクシーの溜まり場になっているのは少々残念に思えるが…。
 その名を地名にも残す今川家。その歴史の希有な複雑さを思うと大変興味深く、もう少しじっくりと調べてみたくもある。

 

 

【追記】この記事は3月にアップ(訪れたのは2月)したものであるが、4月に再訪。その日は天候も良く陽射しも強かったため、写真をこの時撮影したものに全て差し替え、再構成した。