(Revenge of the) United Minds

Talkin' 'bout Music, Football(JEF United Chiba) and More.

単なる正月日記

 明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。

 

 元日、いつものコースをいつものように友人であるyuz氏と。

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 神社には昨年末に完成したばかりの鳥居や、参道を照らす電球が設置されるという変化が。

 

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 豚汁(見た目は煮物)をご馳走になった御寺。お守りやお札を買った人にガラポンを回すチャンスがあるという商売っ気丸出しのプロモーションを受けたので、お守りを買いありがたく浄財を捧げた。

 当たったのは5等とはいえ、商品は今治タオルという豪華さ。賞品を間違えられていた可能性もある。

 

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 これだけでは終わらず、先日偶然訪れたお寺も訪問。この街に初めて建立されたお寺で、様々な宗派を変遷しながら現在は日蓮宗に落ち着いているとか。開祖とされるのは、なんとあの鑑真らしい。こんな由緒あるお寺が、賽銭箱も人の気配もなかったというのは何とも奇妙であり寂しい。

 山門も立派だし、金剛力士像も迫力がある。交通アクセスが非常に悪く、我々のような物好きでなければ偶然辿り着くという事も考え難いくらいの奥地にあるが、何とも口惜しくもったいない。もっと参拝客がいてもいいはずだ。

 

 後日、時間があったので散歩。目的地へ向かうために、かつて訪れたこの自然公園を経由した。

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 11年前(!)に訪れた際の記事では夏にもかかわらず暗い写真だったが、今回は快晴だった事もあり明るい色の画像を載せる事が出来た。冬なので虫や爬虫類出没の心配もない。この鉄塔に(我が故郷では殆ど見かけない)鷲がやってくるという話は今でも印象に残っており、実家に帰るとついついその事に想いを馳せてしまう。

 

 昨年を悔やんでも先には進まない。しばし反省し、出来る限りの改善を心に留めながら、ただただ今を歩いていくだけである。立ち止まるつもりはない。

Akasaka Lights

 前回の記事において、紀尾井坂の大久保利通遭難の地や、大久保利通展の記事を書いていない事に少なからず驚きました。特に前者は携帯電話で撮った写真の記憶が鮮明に残っているので、てっきり旧ブログで記事にしたものとばかり思っていたのです。

 訪れたのはかなり前のような記憶がありますが、携帯電話のカメラを使ったという事は学生時代にまで遡る必要はなさそうです。何故ブログに書かなかったのか、全くもって謎です。

 折りしも2018年NHK大河ドラマ西郷どん』最終回間近。事前情報によれば紀尾井坂の変もどうやら取り上げられるという事だったので(実際にはワンシーンのみでしたが)、その前に大久保終焉の地を訪れ、ブログ記事にしておきたいという気持ちが強くなりました。

micalaud.hatenablog.com

 昨年末も歴史散策に付き合ってくれた友人が東京を去り、新天地に移るという事なので、壮行会も兼ねて今年も同行して頂いた次第。

 

 以下、続きから。

 

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Soft-Hearted Narashino (Part.2)

 暦も師走半ば、いよいよ『西郷どん』も残すところ1回。西南戦争もほぼ大勢は決し、日本史上最後の内乱も残り僅か。次回は進退窮まる西郷が鹿児島へと退却し、城山の戦いにて幕が引かれる事となるだろう。

 個人的には維新後から西南戦争までをじっくり観たかったのだが、暗い話にしかならないので駆け足になってしまうのは仕方ないのかもしれない。

 それでも、実質2回しか描かれない西南戦争の分量はいくらなんでも少なすぎるとは思っているが、ネットの某所(大河ドラマとも日本史とも一切関係がない場所)での分析が面白かった。曰く、「史実がどうあれ“西郷どん格好良い”という見方は崩せない、何故ならこの脚本が描きたい最大のポイントがそこであるから。よって、自然と西郷が格好良く描けない西南戦争は短くなってしまう」と。なるほど、特に『龍馬伝』以降顕著な「主人公を必要以上に万能の存在にし、美化する」という大河ドラマの流れを考えれば、この描き方にも納得がいく。

 勿論、私のような人間にはそこが非常に不満のある点ではある。私が卒論絡みで(長すぎる“余話”に苦戦しながら)読破した『翔ぶが如く』(司馬遼太郎著)においてメインに据えられていたのが征韓論争から西南戦争の流れであり、個人的に思い入れも強い。今回ようやく映像として観られる事を、個人的に楽しみにしていたのだ。

 一応、大久保の最期の瞬間(紀尾井坂の変)は取り上げてくれるらしい。既にかなり前に紀尾井坂は訪れているし、数年前に歴博での大久保利通展も訪れているので、その記事へのリンクを張ろうと思ったのだが、どうやらどちらも記事を書いていなかったようだ。

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 これはとんだ失態だった。紀尾井坂はまた改めて訪れたいと思う。

 


 さて、そんな今年の大河ドラマ西郷どん』、「紀行」コーナーで取り上げられた千葉県のスポットは3箇所(アクセスなどのテロップが表示されたのは2箇所)で、そのうちの2箇所を訪れた事は既に書いた。

micalaud.hatenablog.com

 残るはあと1箇所、前回の来訪からちょうど1週間後にすぐさま訪れた。お陰で、『西郷どん』最終回前にすべての決着を付けることが出来たわけだ。

 

 以下、続きから。

 

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単なる七月日記

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 古い友人2名と、珍しく合計3名で参加。極々短い時間で、かなりバタバタしたまま時間が過ぎていってしまったのが心残りですが、花火だけは一応見られました。

 どの屋台も混雑しており、人が多く出ていた印象です。我々の世代、その子供世代がこの街に定着し始めているのでしょうか。時代は巡ります。

Soft-Hearted Narashino (Part.1)

 今年の大河ドラマ西郷どん』も、残り1ヶ月を切った。恐らく今週から西南戦争が勃発し、維新の元勲の人生もクライマックスへと向かうであろう。
 近年の大河の例に漏れず、演出やストーリーが見え見えすぎるというか、デフォルメしすぎて漫画的な面が目に付くのは確かだが、一番好きな時代なのだから興味が湧かないはずがない。毎回楽しんで観ている。

 

 さて、そんな今年の大河ドラマだが、作品に関係する地を毎回紹介する「紀行」コーナーにて、千葉県の史跡が紹介された回があった。詳しいロケーションがテロップとして表示されたのは2箇所だが、画面では合計3箇所が取り上げられたのである。
 幕末~明治期に限った事ではないが、なかなか日本史のメインストリームに登場しない我が郷土・千葉。せっかくなので訪れてみようと思い立ち、先日それを実行した。

 

 今回移動手段として利用したのは、滅多に利用する機会のない新京成線。小中学校の一時期に通院で、上京後の一時期に実家から東京に戻る際の無意味な時間潰しのため、という理由で利用していた路線だが、専ら京成津田沼~新津田沼の1駅しか利用していなかったため、本格的に乗るのは今回が初めてである。

 

 以下、続きから。

 

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High Line, Hard Days

 2018年のジェフユナイテッド市原・千葉の戦いが終わりました。毎年似たような記事しか書けないのが遺憾であるとしか言いようがないのですが、今年は14位と過去最低順位を更新。一度たりとも昇格をイメージ出来ないまま、苦しみと共に迎えた終戦でした。

 夏からの猛チャージ、僅かな望みを繋いでの連勝、そして昇格PO出場。矢田、為田といったシーズン途中からの補強も見事に噛み合い、躍動感溢れるサッカーを見せてくれた昨年のジェフ。
 POでシーズン2連勝だった名古屋にここ一番で敗れたとはいえ、「To be continued...」とエンドカードに表示されるような、更なる物語の続きを予感させる2017年の終わり。多くのジェフサポが「来年こそは」の想いを強くしたはずでしょうし、今季の補強が上手くいったのも、新加入の選手達が昨年のサッカーに魅力を感じたからではないかと思われます。

 

 私も勿論、昨年終盤の戦いぶりには共感していましたし、楽しみな気持ちで今季開幕を迎えたのですが、反面「そんなにトントン拍子に上手くいくはずがない」という強い不安を抱えていました。それは、J2降格後の戦いを繰り返し見ていれば、いやが上にも捨てきれない感情で、そう思っていたのは恐らく私だけではないでしょう。

 

 しかし、2018年のジェフは、その不安が的中したというよりも、さらに予想を下回る成績だったと言うのが正直な感想です。まさか、ここまで勝利が遠いとは。PO出場圏内すらままならない戦いぶりで、これほどの選手達を有しながら敗戦を重ねる現状には、毎週末非常に精神をすり減らされました。
 当然ながら、エスナイデル監督に批判は集中。守備構築に具体的な打開策を欠き、場当たり的に見える選手の入れ替えで結果を残そうとする姿勢。更に効果的とは言い難かった中断期間の補強(昨年とは対照的)など、フロントにも責を求める声も多数上がりました。

 

 最終節、最早恒例行事となった社長スピーチをかき消すブーイングを聞きながら、様々な想いが私の胸中に去来しました。

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 エスナイデル監督は、確かに戦術面で無策であるのは事実。どこが相手でもハイライン・ハイプレスで、特に守備面で柔軟な対応は見られません。微調整していたのは、恐らく選手主導のものでしょう。
 昨シーズン序盤に、興味本位で我がクラブの試合をチェックしていた(何しろトンデモ戦術なので)サッカー系アルファツイッタラー達も、「もはや見るべき所はない」と結論付けており、その手のツイートをいくつも見かけたものでした。そういった論調に反発を感じていた反面、少なくとも今年のサッカーに関してはそう言われても仕方がないという諦念もありました。昨年は終盤の大攻勢があったお陰で、前述のような厳しい指摘に関して有耶無耶になってしまった感もあります。
 ここでエスナイデル監督を代えるのは簡単で、実際にそうなっても私はそれを受け入れるでしょう。多くのサポーターも、それを望んでいると思われます。

 

 しかし、例えば守備を確実に固める戦術を採り、カウンター戦術を売りにして万が一昇格出来たとしても、個人的にはその先のビジョンが見えません。実際に、J2で堅牢なディフェンスを前面に押し出していたクラブは、殆どが昇格後はJ1の攻撃に耐えきれず崩壊。1年で降格の憂き目に遭うか、なかなか定着出来ずに昇降格を繰り返す例を多く知っています。
 目の前の結果を出し、昇格をいち早く手にするには、やはり守備の強化。それは間違いない。しかし、J2降格後はそういった目先の結果を追い、毎年似たような結果を繰り返してきたわけで、根本的なクラブのフィロソフィーの確立をそろそろ試みてもいいのではないか、と思います。つまり、一貫した強化方針、柱となる戦術が必要なのではないかと。
 この先、秀でた監督や選手に巡り会える僥倖があったとしても、彼らが離れた途端にクラブが弱体化したのでは話にならない。まさに、イヴィツァ・オシムを失った後のジェフがそれに当たります。

 

 そう思ったのは、鹿島のACL優勝でした。もはや比較するのも烏滸がましいのは重々承知していますが、クラブ創設から苦しい時期も一貫した鹿島のサッカー哲学で乗り切り、常に代表クラスの選手を排出する名門となっている。CWCでのレアル・マドリー相手の善戦でもそう感じましたが、今回のACL制覇で再びそう思いました。

 

 “ジェフのサッカー”とは何か。非常に希薄なものに感じられ、それはJ2降格後に顕著です。J開幕初期の東欧選手中心の補強、オシム期の”走るサッカー”、それくらいしかイメージ出来ません。
 勿論、エスナイデル監督のハイライン・ハイプレスが、今後のジェフの哲学たりうるか、とは断言出来ません。むしろ、現状を鑑みれば、その可能性は低いようにも感じます。しかし、ここで彼と道を分かって新たな方向性を探るのがベストかどうか。残念ながら、それに答えを出せるほど私はサッカー識者ではありません。

 

常々、私は一刻も早い昇格を目指すべきだ、と降格当初に繰り返し主張してきました。それは貴重なスポンサー各社が下部カテゴリーに長年甘んじているような状況に満足しているわけではないからで、財政的な規模の縮小を恐れてのこうした発言でした。
 そんな中でスポンサーが増え続けている(最終節試合後の社長スピーチでも言及)のは驚異的で、その点において現在のフロントは素晴らしい仕事ぶりだと思います(私がブーイングに与する気になれない最大の理由)。この状況が続くうちに、何とか昇格したいと思っているのもまた事実なのですが…。

 

 とりとめもなくない文章になってしまいましたが、それだけ様々な感情が渦巻いた今季最終戦でした。

 現状に私はイエスともノーとも言えませんが、一つ確かなのは今後も変わらずこのジェフユナイテッド市原・千葉を見守っていくであろうという事です。

See Your Bookshelf (Part.1)

 今までも折に触れ行ってきた古文書発掘企画。今後は更新ネタに困った際のため、定期的に行ってみたいと思う。ちなみにタイトルはジョージの「See Yourself」のもじりなのだが、説明しなければ誰にも気付いてもらえないだろう。

 

 日本史に興味を持ったのは小学校の授業で取り上げられるよりずっと前、小学2年の時だという事は覚えているが、そのきっかけが何だったのかは最早判然としない。だが、始まりの一冊だけははっきりと覚えているし、物の入れ替わりの激しい我が実家でもそれは奇跡的に現存している。

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『日本の偉人 まんが伝記辞典』(学研)

 80'sキッズのマストアイテム、学研発行の学習まんがシリーズだ。この一冊が、私を日本史の世界へと誘った出発点となった。今年の大河ドラマの主人公が、かなりの大きさで自己主張している上、昨今では常に別格の扱いでスポットライトを浴び続ける土佐出身の脱藩浪士がいないのも今となっては珍しい。

 

 長い年月の経過、そして繰り返し繰り返し読んだ事によるダメージが、確かに本全体に色濃く刻まれている。

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 補修テープを貼り、タイトルまで書いてくれた親に感謝。

 

 ちなみに私にとっての日本史関連本2冊目が、以前紹介した年号暗記本だ。

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 漫画から考えるとなかなかの飛躍だが、自分の中ではどちらも面白い読み物という点は共通しており、全く違和感はなかった。

 閑話休題。数年後、この漫画の世界史編も買ってもらい、そちらも愛読していたはずなのだが、何故か手元にはもう存在しない。引っ越しの際に紛失してしまったのだと思われるが、今更ながら再読してみたいと思っている。

 

  さて内容だが、「歴史に残る人びと」「文化を広めた人びと」の2項に別れており、大まかに政治・軍事で功績を挙げた人々と、学問・芸術で功績を残した人々でページを二分している。

 人物のチョイスも良い。真の意味で、現在の歴史に直結する人材が紹介されている。歴史ドラマ等の創作物は勿論、教科書でも扱いが何故か軽い偉人ばかり。

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 光明皇后本阿弥光悦、玉川兄弟、関孝和本居宣長間宮林蔵高峰譲吉白瀬矗岡倉天心などの名前を憶える事が出来たのは、この漫画のお陰である(と同時に、これ以降詳しく調べる事もしていないのだが…)。現在の本だったら、近藤勇や武智半平太、直江兼続などにページを取られているかもしれない、というのは穿った見方だろうか。

  やはり最初に読んだ歴史本だけあって、受けた影響はあまりにも大きい。

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  木戸の最期の瞬間、と聞いて真っ先にイメージするのは、未だにこのコマである。いつぞや歴博での木戸孝允展を訪れた際も、勿論この絵が頭の中に浮かんでいた。

 

 かつてこの記事で、思い入れ過剰な文章を書いたのは、まさにこの写真と全く同じ姿を見る事が出来たからだ。

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 しかし、小学校2年生の時に何度も繰り返し読んだ『日本の偉人まんが伝記辞典』に載っていたその墓を、遂に自分自身の目で見る事が出来たのだ。

 沈鬱に佇む墓塔を写した、薄暗い写真。“源頼朝”の頁の最後に載っていた写真だ。忘れようもない。

 時を超え、自分の歴史好きとしてのルーツに立ち返ったようなある種の達成感を感じて、しばし感慨に耽った。

 こうやって見てみると、白黒ながら写真はそれなりに明るく、「沈鬱な墓塔」という表現は大袈裟だ。訪問当日に受けた印象が記憶にバイアスをかけてしまったのだろう。

 そういえば、伝承や創作めいた説を多く取り上げているのもこの本の特徴で、弟の義経のページの最後はチンギスハン説を基にしたイラストで〆られていた。これが許されたのも、今より大らかな時代だったからなのだろうか。

 

  そういった意味では、間違いなく、の本では書けない文言。

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  この人物のWikipediaを見てみると、同じくこの漫画で取り上げられている高峰譲吉とNYで会った事があるらしい。

 

 この作家を題材に卒論を執筆する事になろうとは、当然この本を読んでいる時に想像出来るはずもなく。

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  私もこの女子と同じように、「大人になったら、鴎外の作品を読んでみ」たわけだ。今この鴎外のページを読み返してみると、やけに淡々とした内容でいまいち話をまとめ切れていないのが気になる。ネタ切れだったのだろうか。

 余談だが、この作者先生は早稲田大学出身らしく、大隈重信のページでは冒頭と最終コマに自身を登場させ、「バカ田大学校歌」を歌う主人公たちを「そんな歌詞で歌ったら大隈先生が悲しむぞ!」と叱り飛ばしたりと、強い思い入れを露にしている。

 

 やはり幼少時に繰り返し繰り返し読み込んだ本の記憶は消えず、その後の人生の指標に少なからず関わりを及ぼしていると実感する。