(Revenge of the) United Minds

Talkin' 'bout Music, Football(JEF United Chiba) and More.

You really have it bad for the Falcon, don't you?

 1月末に、ようやく『Solo』のMovieNEXを購入しました。

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 既に映画の感想は書いてしまっているので、特にこれ以上付け加える事もないのですが、意外にも観る度に新たな魅力が発見出来るスルメ映画だと感じます。
 劇場鑑賞時は少々混乱していたクリムゾン・ドーン、パイク・シンジケート、クラウド=ライダーズといった組織名が頭の中で整理され(エンフィス・ネストが人名でなく組織名だと思っていた)、各アウトロー達の抗争が楽しめるギャング・ムービーとしての面白さ。重力井戸など古典的なSFの香り漂う正統派スペースオペラとしてのワクワク感。ハンやチューイ、ランドの"その後”に通じる交流や台詞回しの妙…など、エンターテインメント映画としてじっくり楽しめる。

 

 購入直後に体調不良等に見舞われたせいで、そんなに何度も繰り返し観た訳ではありませんが、今のところは吹替版の鑑賞オンリーです。
 それは勿論、劇場では字幕版しか観られなかった事が理由として大きいのですが、やはり自分がTV放送で洋画の吹替版を観て育った世代であり、愛着を感じているというのは否定出来ません。若々しく新たなキャスト達はどの人物も違和感はなく、個人的には不満が無いです。
 そんな中で唯一旧作と共通したキャストなのが、ある意味でこの映画最大のサプライズだったモール。あの渋く低い声が、『クローン・ウォーズ』や『反乱者たち』で暗躍し、しぶとく生き残った元・暗黒卿その人だと強く実感させ、この点において吹替版は字幕版を上回っていると感じました。
 ちなみに、モールは戦闘集団の母星マンダロアを乗っ取り(オビワンを愛していた統治者・サティーン公爵まで見せしめ的に殺害)、弟のサヴァージ・オプレスと共謀してオビワンへの復讐を企てたものの、かつての師であるダース・シディアスの逆鱗に触れ野望を打ち砕かれました。この時に暗黒卿としての名である「ダース(Dark lord of the Sith)」を捨てているので、「モール」とだけ呼ぶのが現在の正式名称…と本人が『反乱者たち』の劇中において宣言しています。

 

 閑話休題。お楽しみの映像特典は、キャスト座談会以外はドキュメンタリーやカットシーンなど、ルーカス時代のものに非常に近い…といっても、私は『EP7』『EP8』のソフトを持っていないのでそちらには入っているのかもしれませんが、少なくとも所有している『ローグワン』のソフトでは不自然なくらいカットシーンが一切収録されていません。

 個人的に一番の見ものだったのはキャスト座談会。監督であるロン・ハワードがなかなかの名司会ぶりを見せてくれるし、ベケットのよき理解者だったヴァル役のタンディ・ニュートンの母は故郷ジンバブエで本当のレジスタンスとして戦っていた女性であり、見た目もスピリットも彼女をイメージしてヴァルを演じた…というエピソードは胸に迫るものがありました。

 最も驚いたのは、ルーカス自身が撮影場を訪れ、そのシーンがドキュメンタリーに使われていた事です。ひねくれた性格なので、どうしても「『EP8』が失敗したからこそのルーカス回帰へのディズニーのアピールか?」などと考えてしまうのですが、ともかくも見慣れた顔の創造主が久し振りに観られたのは嬉しかった。ハンの仕草について、ほんの一言だけハワードにアドバイスしたという逸話も、『アメリカン・グラフィティ』からの両者の長い付き合いを感じさせて心温まるものでした。

 

 私がこの作品を観ている間、本編とされる作品の完結エピソードの公開日が決定したようです。

www.cinematoday.jp

 正直に言えば、もうさっさと終わらせてほしいというのが本音ですが、私はちゃんと劇場で見届けようと思っているのは以前も書いた通り。旧作はおろか、EP7で張った伏線や設定すら木っ端微塵に破壊されたサーガにJ.J.エイブラムスがどう幕を引くのか。様々な面で注目しています。

都営バスで引越しする男

 TM Networkが先か、『City Hunter』が先か。難しい問題だが、私にとっては「完全に同時」が答えだと思う。

 

 幼心に「今まで全く聞いた事のない、とんでもなく大人っぽくて格好良い曲」と認識させた「Get Wild」は、言うまでもなく『City Hunter』アニメ版1stシーズンで流れたからこそ知ったもの。湧き上がり始めていた音楽への想い完全に沸騰させ、本格的にTMを追いかけるきっかけとなったのが『City Hunter 3』のオープニングテーマとなった「Running to Horizon」(小室哲哉ソロ)であり、同時に最初にリアルタイムで追いかけた『City Hunter』が同アニメシリーズでもある。
 こう考えると両者は見事にシンクロしており、自分の中では分かちがたい思い出になっている。

 

 『City Hunter』を好きな理由として、「TMが主題歌やってるからでしょ?」と当時の友人には訊かれたものだが、それだけが理由ではない。当然ながら、作品が凡庸なものであれば熱心に追いかけたりはしないのである。

 アニメ版は全話再放送で録画したはずだし(ビデオテープなので全て視聴不能となったが)、上京後に原作単行本も揃えている。

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 超人的なリョウの能力の痛快さ、香や海坊主や冴子といったキャラクター達の絶妙な存在感、魅惑的なゲスト美女など、この作品を好きな理由は列挙出来るが、基本的には数話完結のストーリーごとに普遍的なドラマがあり、抗い難い魅力があるからだ。
 そんな物語を、ハードボイルドなシリアスシーン(北条氏自身は「ハードボイルドは好きじゃない」という旨の発言をしているが)とおバカでスケベなギャグシーンでメリハリを付けながら構成していく。この作品は、私にとって間違いなく名作と呼ぶに相応しい。

 当時私と親しかったFANKSの仲間達は、私同様当然のようにこの作品を愛しており、ある意味で必修科目のようなものだった。ただし、元相棒であるジョニー馬論をはじめとする数人は、あまり興味を示していなかったような気もする。何故か彼らはキーボーディストの打ち込みキッズばかりだったが、何か担当楽器との相関関係はあるのだろうか。

 

 そんな『City Hunter』も、1999年の新作アニメスペシャルを最後に歴史が途絶えたままの状態が続いていた。
 「今後もアニメスペシャルは制作していく」と発言していた作者の北条司氏も、完全にこの作品は完結したものと認識しているのだろう、そう思い返す機会すらなくなっていた2018年。

natalie.mu

 まさかの劇場版制作が発表され、まさに青天の霹靂。昨年は年明けから過去の名作のリメイクが多数発表されていたとはいえ、『City Hunter』の復活は想定外で、大いに驚いた。
 とはいえ、かつて共にこの作品を友人達の殆どは音信不通であり、そうでない者も故郷に戻り自由は利かない状況。作品が歴史を積み重ねた分、我ら元少年達も確実に歳を取っていたのである。

 

 新作発表の喜びを分かち合う事も出来ず、いつも通り寂しく一人鑑賞をしようと思いながら迎えた今年の正月。1月第1週の末、かつての仲間の一人であり、上京時に組んだバンドのベーシスト(中途脱退)から、突然メールがあった。
 曰く、年賀状に『City Hunter』劇場版鑑賞の誘いを書いたが、まだ読んでいないのか、との事。私は諸事情あってすぐには自室に戻れなかったため、届いた年賀状も確認出来ないままだったので、この誘いには心底驚き、二つ返事でOKした。
 今でも唯一地元に帰っていない仲間で、小学生時代から圧倒的なマイペースで我が道を行く彼。鑑賞への誘い方も年賀状という超アナログな方法で、実に彼らしいと思った。
 思い出の多くを共有し、多感な時期を共に過ごした仲間と、愛する作品を鑑賞し感想を言い合える。こういった機会は殆ど訪れず、非常に貴重だ。鑑賞を提案してくれた彼には、心から感謝したい。

 

 先週からいよいよ映画は封切りされ、『City Hunter』の新たな歴史が刻まれる事となった。

 オリジナル版の「Get Wild」が使用されるという情報も公開されており、その出来にはいささかも不安を抱いていない。リョウが、香が、元気にスイーパー家業をスクリーン上で繰り広げてくれればいい。それ以上は望みまないし、それが何より望んでいる事なのだ。

2018 買った新譜から10枚

 もはや、年明けまでずれ込むのが既定路線と化してきたこの恒例企画。買ったものの中から10枚をリリース順に挙げます。

 

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Blood - Rhye

 

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Golden Hour - Kacey Musgraves

 

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The Beaniks - Exitentialist a Xie Xie

 

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7 - Beach House

 

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Love is Dead - Chvrches

 

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Hell-on - Neko Case

 

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The Future and the Past - Natalie Prass

 

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44/876 - Sting & Shaggy

 

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Be the Cowboy - Mitski

 

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The Blue Hour - Suede

 

  昨年発表された新譜のうち、私が購入したのは12枚でした。うち1枚は先週届いたので完全に滑り込みです。一応、これだけは押さえておきたいと思うアルバムは買っておけたので、この数でも十分満足です。去年より1枚多いので。
 今後もランキング形式での発表を行う予定はありませんし、10枚+αしか買わない新譜に順位付けというのもナンセンスであるように思います。それが金銭面が原因なのは勿論ですが、単純に昔ほど胸を焦がすような音楽との出逢いが少なくなった事が大きいです。加齢による感性の磨耗である事は否定しませんが、それなりに様々な音楽を聴いてきたせいで驚きを感じる事が極端に少なくなった事が個人的には最大の理由です。

 

 そんな状況下でも、数は多くないですが今後も聴いていけるようなお気に入りの音楽との邂逅もありました。2018年では、Natalie Prassがそれにあたります。


Natalie Prass - Short Court Style (Official Video)

 英国SSWではありますが、ギターを爪弾いて内省的な歌を披露するわけではなく、ブラック・ミュージックをベースにアップデートされたポップ感覚をあっけらかんと披露している感じが素晴らしいです。ランキングは付けないと前述したばかりですが、昨年の新譜から1枚だけ選ぶなら、間違いなく彼女のアルバムです。

 

 全く意識していないのですが、彼女を筆頭に10枚中6枚(購入した作品中では12枚中7枚)と半数以上が女性ミュージシャン(バンド内でメインヴォーカルを担当している例を含む)の作品となりました。今まではそれほど聴いてこなかった女性ミュージシャンの作品に、私は「新鮮さ」を見出しているのかもしれません。

 

 他にも、しなやかな歌が心地良いKacey Musgraves(従来のファンには不満もある作品らしいですが)。


Kacey Musgraves - Butterflies (Official Music Video)

 

 Pitchforkでも高く評価されたMitski(日米ハーフ)など。


Mitski - Nobody (Official Video)

 

 Beach HouseはAmazonがしつこく薦めてくるので買いましたが、バンド名に見覚えがあるのが気になりました。


BEACH HOUSE - "PAY NO MIND" (OFFICIAL VIDEO)

 調べてみたら、2012年に彼らのアルバムを買っていたようです。

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 どこかに書いた記憶もありますが、この年はAmazonにドリームポップ系のバンドばかりおすすめ表示され(推測だが、My Bloody Valentineのリマスター再発を全て買ったのが原因)、それに乗せられるままに聴きまくっていたら完全に飽きてしまったという過去があります。彼らのアルバムも含めて殆どを手放し、しばらくその手の音楽を避けていました。
 あれから6年、巡り巡って再びBeach Houseの新作を手にする日が来るとは思いませんでした(DL購入だけど)。何らかの縁を感じる出来事です。

 

 ちなみに昨年買った再発ものはシリア・ポール『夢で逢えたら』とThe BeatlesThe Beatles and Esher Demos』。後者は購入日が昨年のクリスマスと2018年もギリギリのタイミングでしたが、実は昨年最も感銘を受けたのはこの作品のリマスター&リミックスに関してでした。いずれ、何らかの形で記事に出来ればと思っています。ジャイルズ・マーテイン、再発仕事に関しては親父に並んだかも…凄いです。

 

 今年も、心躍るような音楽との出逢いを期待しています。

Twitter and the Monkey Man Spring & Summer 2018

 私は1ヶ月に多くても15~20ツイートくらいしかしないのだが、1日でこれくらいのツイート数を消費してしまう人も少なくはないのだろうと思う。人それぞれである。ちなみに昨年の夏は相手をしてくれる友人もおらず、殆どの時間を一人ぼっちで過ごしたが、なかなか興味深い体験が多く、それなりに楽しい日々だった。

 

 既に2回に渡って記事にしたので詳しくは触れないが、春から夏にかけては当然ながらこのワールドカップの話題が主となるだろう。日本代表がグループステージを突破してくれたので、最後まで盛り上がりの輪の中で楽しむ事が出来た。土壇場で結果を残した代表選手達には感謝している。

 ちなみに3つ目のツイートは、ポーランド戦のパス回しに関しての話。普段サッカーに興味がない人が、自分の意見を表明して試合について語り合う。素晴らしい傾向だと思うし、それを歓迎こそすれど否定などしようとは思わない。

 

 衝撃の、新しい、旧来のファンを切り捨てたスターウォーズ! を謳うのは結構な事だとは思うが、肝心のグッズの売り上げってどうなっているんだろうね。 

 

 ある意味、こういった出来事は上京直後の洗礼だったように受け取っている。油断するな、緊張感を持って生活しろ! という。ツイートに書いた通り、ここまでハードな出来事が立て続けに起こる事はなかったが、ここから4年間は新聞拡張員との壮絶なバトルが続いてく。そのプロローグのようなものだった。 

 

 気になる記事だけ切り抜いたところで、例えば今まで興味の薄かった記事が後世から見ると貴重な資料になる事が圧倒的に多いわけで、そう考えると実質全部捨ててしまったようなもの。例えば今後、斉藤俊秀が日本代表の、 マルティン・ダーリンがジェフの監督に就任したところで、引っ張り出す事の出来る資料は失われてしまったわけだ。そう考えると、全部保管しておきたいと思うのは当然である。

 しかし、それを許されない事情があるのも事実。物持ちが良い=古い物を置いて置けるだけのスペースがある、という事を改めて痛感した一件だった。

 

 私のような栄養学のさわりだけ教わった人間でもわかる無駄な事を、大真面目にやっている指導者が多いのは生徒にとってあまり有益な事でないと思う。「プレーヤーズ・ファースト」の意味も誤用されているようだが、時計の針をなかなか昭和時代から先に進めえようとしていないようだ。

 ちなみに、この学校は早い段階で大会から姿を消したらしい。この“トレーニング”に意味はあったのだろうか?

 

 何だかんだで今でも1年に数回は利用していたジャニス2だが、レンタル店舗のジャニスと共に閉店するようだ。学生時代から親しんだ中古ショップがまた一つ姿を消すのは、本当に残念である。 

 ジャニスは買う事は勿論、売る方でもお世話になった店。はっきり言って、買い取り価格の相場は駅前の某チェーンよりずっと高かった。そしてツイートに書いた通り、最初にSpiSunメンバー募集のフライヤーを貼らせてもらった店でもある。そう考えると、かなり自分にとっては大事なお店だった。

 

  自分がもういい年なのだから、業界の新陳代謝と共に新しいライターが出てくるのは自然の摂理で、その時代に即した文体やスラングが文章に表出するのも当たり前の事だとは思うが…基本的に音楽評論、ことにThe Beatlesなどの60~90年代までのロックは自分よりもずっと年上のオジサン達が書いているものだという固定観念はもはや動かし難いものがあり、そこに気持ちを順応もしくは適応させていくのはなかなか難しいと思った一件。

 「いやいや、いくらなんでもフランクすぎるだろう、ブログやSNSのレビューじゃないんだぞ?」と、「年上のオジサン」と言っても差し支えない年齢になってしまった自分はそう思ってしまう。だが当然、今後はこういった事例にも慣れていかねばならないとも思うので、そういった葛藤が生じてくる年齢であるとご理解頂ければ幸いだ。 

ビートルズ・ストーリー Vol.12 1974 (CDジャーナルムック)

ビートルズ・ストーリー Vol.12 1974 (CDジャーナルムック)

 

 結局、この本は買っていない。表紙通り、もう少しジョージ要素が強ければなぁ。

Castle in the Sky

 昔、ブログで紹介した地元の山の上にある祠。

 そして謎の祠に着いたが、周りに人が多く、著しく緊張感に欠ける。

 それに、去年この場所を発見した時のような興奮はなかった。あの時は、「よく知っているはずのこの土地に、こんなものがあったのか!?」という事実のみが自分を昂ぶらせていたのだな、と少し寂しくなる。

 

 とはいえ、ミステリアスな雰囲気は十分に漂っていて、写真を撮るのをためらってしまった。 いくつかの小さな、道祖神のような石祠に護られるように木造の本堂(これも小さい)が建っている。

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 夏になればここは雑草が生い茂る上、春以降は虫と爬虫類出没の恐怖があり、迂闊には立ち入れない場所となります。しかし今は冬、新年から澄み渡るような晴れが続いていました。この清冽な空気が続き邪魔者が現れないうちに、祀ってある神様への年頭の挨拶の意味も込め、散歩がてら行ってみようと思いました。

 

 現地は特に変わりもなく、祠に手を合わせたりしながら先を急いだのですが、道中見慣れぬ看板を発見。どうやら、我が故郷にあった古城の史跡があるとアピールしているようです。

 これまた以前ブログで取り上げた通り(上記リンク参照)、この城の痕跡は殆ど保存もされずに風化もしくは破壊され、藩時代の石垣を僅かに残すのみ。上記リンクの記事内でも触れていますが、多くの在野の歴史研究家の方々に我が故郷の自治体が苦言を呈されているのにはショックを受け、同時に「それも仕方ない、いかにも我が故郷らしい現状だな」と納得してしまう出来事でした。
 そんな古城跡に、今更看板を掲示するほどの史跡が残っているのか。半信半疑で経路案内に従ってみる事にしました。

 

 進路を示す矢印が指していたのは、夏には生命力抜群の雑草が進路を阻んでいる道。この時は綺麗に刈り取られ、舗装された道がちゃんと見える状態です。
 そのまま進んでみると、想像もしていなかった景色が出迎えてくれました。

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 これ、何と古城の空堀の跡なのです。

 

 空堀跡の東側。

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 写真ではわかりにくいですが、全体像としてはほぼ直角のコーナーになっています。

 

 この壷は、恐らく歴史的な遺物ではないと思われます。

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 何となく見覚えがあるので、ここ10年の間にここを訪れた事があるのは間違いないはず。勿論、その時にこのような遺構は存在しませんでした。

 

 興奮を隠せぬまま、空堀に降りてみる。 

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 東側の内角部分。高さはそれなり。ちなみに、城といっても多くの人がイメージする織豊時代以降に顕著な天守を備えた壮麗なものではなく、もっと古い平安時代末期に築かれたものです。戦国の頃に出来たペーペーとは歴史が違うんですよ。

 

 こちらは外角部分。

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 この上から弓矢を射られたり、石を落とされたり、槍で突かれたら戦意を失いそうなくらいには高さがあります。

 

 空堀の東の突き当たり部分には、雰囲気抜群の石段が。

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 勿論喜び勇んで下りましたが、これが急峻な上に不安定! 階段が崩れ落ちる恐怖や急な角度による転落の危険性を考慮しながら、両脇の竹にしがみつくようにして一歩一歩進みます。鍛練を積んだ人、道に馴れている人、怖いもの知らずの人でないと難しそうな道。ここに日が落ちてから来る勇気を、私は持ち合わせていません。

 

 階段を下りきると、近代以前から変わっていないかのような風景が広がっています。

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 更にこの道は民家の庭と思われる場所に繋がっており、遠慮して引き返したのですが、どうやらそこは地区の寄合場所だった模様。つまり、道路からこの道を登ればすぐに空堀に着けるのですが、私は出来るだけこのルートは避けたいと思います。何しろ危険なので…。

 

 空堀に戻ります。

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 案内用の看板が立っていますが、つまりこれは我が故郷がここをちゃんと史跡として整備し、残そうとしているという明確な意思がある事を示しているのではないでしょうか。 

 

 冬晴れに映える空堀の北側突き当たり部分。

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 勿論、実際の空堀はこの3倍以上の長さがあり、城の北東部の一角の防衛ラインとなっていたようです。

 

 空堀だけでなく、他にも発見がありました。前述記事と共に取り上げた、小学生時代を共にした森や山の中にあった道。

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 完全に消え失せたと思われた思い出の地は、実はまだ部分的に現存していたのです。

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 当然ながら大きく変化しており、姿を消した場所も多いですが、例えばこのミカンの木は見覚えがあります。

 

 そしてこの細い道。マラソン大会の練習(BGMは校舎から繰り返し流れる「Rydeen」で、勿論私のYMO原体験)で何度も通過しました。もう完全に記憶の中に閉じ込められ、二度と再会する事は出来ない場所だと思っていました。

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 当時はもっと広い道だったような印象があるのですが、小学生の視点と今とでは違いがあって当然ですね。

 

 それなりに長く由緒ある歴史があるのに、それに目を向けない文化的な視点に欠けた街。そんなイメージを故郷に抱いていましたが、この新たな史跡の存在を知り、ちょっとこの自治体を見直しました。やれば出来るじゃないか! と。現在ここに住んでいない人間が無責任に言う事でないのは承知していますが、外から見ているからこそ現状にはがゆい思いをしていたのです。


 歴史の重みと、それなりの迫力を感じさせてくれる規模の史跡の誕生。加えて、消えたと思っていた思い出の場所が、史跡整備に伴う作業で現存していた事が明らかになった。ダブルで興奮すべき事態が存在していた事、正月からなかなか鼻息が荒くなってしまいました。
 歴史保護が盛んだったり、史跡名刹が観光地として多数ある地域の方からすれば「この程度でそこまで騒ぐのか?」と思われるかもしれませんが、それが出来なかったのが今までの我が故郷だったのです! 大きな一歩を踏み出した事、私は素直に賞賛したい。
 友人のyuz氏は「あと少しでここにはゴミが散乱するようになるし、最悪廃棄物の遺棄場所になるだろう」とディストピア的展望を述べていて、それを全く否定出来ない自分もいるのですが…(過去の経験の蓄積からの推測であり、偏見ではない)それでも、きっとここはしっかり守ってもらえるのではないかという前向きな展望を持っています。根拠はありませんが。

 

 更に、案内の看板から新たな知識を得、それが更なる探求心に火を点けそう。焦る必要もないので、じっくり探っていこうと思っています。

単なる正月日記

 明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。

 

 元日、いつものコースをいつものように友人であるyuz氏と。

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 神社には昨年末に完成したばかりの鳥居や、参道を照らす電球が設置されるという変化が。

 

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 豚汁(見た目は煮物)をご馳走になった御寺。お守りやお札を買った人にガラポンを回すチャンスがあるという商売っ気丸出しのプロモーションを受けたので、お守りを買いありがたく浄財を捧げた。

 当たったのは5等とはいえ、商品は今治タオルという豪華さ。賞品を間違えられていた可能性もある。

 

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 これだけでは終わらず、先日偶然訪れたお寺も訪問。この街に初めて建立されたお寺で、様々な宗派を変遷しながら現在は日蓮宗に落ち着いているとか。開祖とされるのは、なんとあの鑑真らしい。こんな由緒あるお寺が、賽銭箱も人の気配もなかったというのは何とも奇妙であり寂しい。

 山門も立派だし、金剛力士像も迫力がある。交通アクセスが非常に悪く、我々のような物好きでなければ偶然辿り着くという事も考え難いくらいの奥地にあるが、何とも口惜しくもったいない。もっと参拝客がいてもいいはずだ。

 

 後日、時間があったので散歩。目的地へ向かうために、かつて訪れたこの自然公園を経由した。

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 11年前(!)に訪れた際の記事では夏にもかかわらず暗い写真だったが、今回は快晴だった事もあり明るい色の画像を載せる事が出来た。冬なので虫や爬虫類出没の心配もない。この鉄塔に(我が故郷では殆ど見かけない)鷲がやってくるという話は今でも印象に残っており、実家に帰るとついついその事に想いを馳せてしまう。

 

 昨年を悔やんでも先には進まない。しばし反省し、出来る限りの改善を心に留めながら、ただただ今を歩いていくだけである。立ち止まるつもりはない。

Akasaka Lights

 前回の記事において、紀尾井坂の大久保利通遭難の地や、大久保利通展の記事を書いていない事に少なからず驚きました。特に前者は携帯電話で撮った写真の記憶が鮮明に残っているので、てっきり旧ブログで記事にしたものとばかり思っていたのです。

 訪れたのはかなり前のような記憶がありますが、携帯電話のカメラを使ったという事は学生時代にまで遡る必要はなさそうです。何故ブログに書かなかったのか、全くもって謎です。

 折りしも2018年NHK大河ドラマ西郷どん』最終回間近。事前情報によれば紀尾井坂の変もどうやら取り上げられるという事だったので(実際にはワンシーンのみでしたが)、その前に大久保終焉の地を訪れ、ブログ記事にしておきたいという気持ちが強くなりました。

micalaud.hatenablog.com

 昨年末も歴史散策に付き合ってくれた友人が東京を去り、新天地に移るという事なので、壮行会も兼ねて今年も同行して頂いた次第。

 

 以下、続きから。

 

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