(Revenge of the) United Minds

Talkin' 'bout Music, Football(JEF United Chiba) and More.

21st. Apr. 1994

 小学生時代からあれほど愛したTMNTM Network)が“プロジェクト終了”を発表した際、大きなショックを受けたのは確かですが、同時に予測されていた結末がいよいよ来たか、という感覚もありました。

 1991年の『Expo』(その後リリースされた「Wild Heaven」はこのアルバムの没曲)とそれに伴う長期ツアー以降、パーマネントな活動を行っていなかったTMNの3人は、それぞれソロ活動に移行。3年近くまとまった音源のリリースがなかった状況で、活動再開の噂も耳にはしていたとはいえ(当時「1994年にニューシングルと10周年記念アルバム発表か?」という記事は幾つか目撃)、かつてのような熱意と野心で次の展望を見せてくれそうな気配を感じる事は困難でした。

 この“終了”を知らせる新聞広告は、「当初の予定通りTMNプロジェクトを終了」という重々しい文言で始まります。全てはデビュー当初からの規定事項であった、と種明かしする事で、常にコンセプチュアルなユニットだった彼らの面目を保ったかのような演出を行ったのでしょう。

 しかし、熱狂的FANKS(TM Networkのファンを指す通称)であった私でもその設定には懐疑的でした。10周年記念のリリースの噂があった事、それらしい結末がある事をメンバーが仄めかすような事もなかった事、なによりグループ名をTM NetworkからTMNへと“リニューアル”してから明らかに活動が鈍っていた事。これらを振り返ると、どうしても後付けの設定としか受け取れなかったのが正直なところ。

 あれからTMに関する在野の論者の推論や、時と共に明かされていった内幕。それを知った今となっては、小室氏がtrfのブレイク(「Ez Do Dance」)の機を逃さず、自らのプロデュース業への転身を華々しく飾りたいがためのTMN終了であった、という事を今の私は知っているわけです。そのために、宇都宮・木根両氏を振り回してまで強引に決定してしまった事も。周囲に自らを「小室」と呼ばせる(名前が同じため)ほど心酔していた当時の私さえ、彼のこういったエゴイスティックな面は受け入れがたいものがありました。

 

 TMN終了ライブには、二つの苦い思い出があります。

 一つは、直前でライブ行きを断念しなければならなかった事。親の了解が得られなかったためで、責任は私にありますがとても悔しい記憶です。
 友人が安くはないチケットを取っているのにドタキャンする、この事の重大性を親もわかっていなかったと思うのですが、少なくとも高校生の子供にこの決定を覆す力はありません。無断でライブ行きを強行しようにも、私の故郷はあまりにも水道橋へは遠すぎた。
 東京隣県の千葉県出身という事で故郷の陸の孤島ぶりが人に伝わりにくい事が多く、度々誤解が生まれてこちらが困惑する事が多いのですが、主要駅である隣街のJR駅までバスで片道1時間、運賃は1000円近く必要になるという僻地(現在はこの問題も解消されているが)。親の協力なくして上京するなど、夢のまた夢です。2019年の今なら他に手段もあったかもしれませんが、あの当時は手の打ちようがありませんでした。

 TMを仲間達に紹介し、音楽的にも中心メンバー気取りだった私が、TM最後の瞬間を見届けられなくなったという現実。さすがにライブ当日には様々な想いが去来し、呆然としている所を親に叱責された事を覚えています。

 もう一つは、このライブをきっかけとする、とある人物との人間関係の終焉。今考えれば必然だったようにも思いますが、傷は傷として今でも心に残っています。

 

 ラストライブに行けなかった事で、すぐに頭を切り替える事を迫られました。TMは終わり、3人はそれぞれの道へと進んだ。全く共感出来なかった小室氏のプロデュース業を追う必要もないし、自分も新たな方向へと歩み出すべきだ、と。

micalaud.hatenablog.com 以前もブログに書きましたが、TMN終了は私にとっての「Childhood’s End」だったのです。最期の瞬間を見届けられなかった事は残念でしたが、ドライに判断する事を強いられたお陰でショックを引きずらずに済みました。

 

 そもそも、最後のライブである『Last Groove』には不満もありました。

 まずサウンド。リードギタリストが2人呼ばれているため、どうしてもギター中心のサウンドになってしまう。誤解のないように書いておきますが、北島健二氏も葛城哲哉氏も私は好きなギタリストだし、このライブでもそのテクニックを思う存分見せ付けてくれました。
 だがその分、メンバーである木根氏の影は薄くなる。元々リズムギターがライヴで与えられた彼の役割なのですが、それでも過去のライブではソロの見せ場が用意されたり、得意とするカッティングやアコースティックギターの音が前面にフィーチャーされる場面がありました。
 重厚すぎるディストーションギターの音が、私には最後の祝祭感を盛り上げるというよりは、メンバーの1人を蔑ろにしているように感じられたのです。

 もう一つは、ライブアレンジがされず、ほぼ原曲通りの編曲で演奏された事。勿論最後のベストヒットライブなので余計なアレンジは必要なかったのかもしれませんが、TMのライブといえば原曲とは大幅に様変わりさせてしまうほどの猛烈なアレンジが魅力であり、売りの一つだったと思っています。それがなかった事で、余計に「終了」を意識させられました。
 今となっては、プランの変更によって行われた「終了プロジェクト」のスケジュールの都合上で、ライブアレンジを小室氏が手掛ける時間がなかった事(“終了”直後に仕掛けるtrf篠原涼子作品の準備で多忙だった)、そのために各ミュージシャンの演奏技量に頼る割合が大幅に増えた事は理解しており、こういった形になった事は唯一の最適解だったのでしょう。

 しかし、当時の私はそこまでの裏事情は知らなかった。自分がその場にいられなかった悔しさというよりは、以上の理由で積極的にこのライブの関連商品を買う気にはなれませんでした。

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 友人が予約してくれた高額なボックス(今考えると良心的な価格だが)『Groove Gear』は付き合いで購入したものの、ベスト3枚『Black』『Red』『Blue』は未だに持っていません。レア曲1曲のためにベスト盤に割くお金がなかったのは勿論ですが、前述通り私も次に進みたかったのだと思います。
 この年の夏に、無理をして聴いていたHR/HMを追うのもやめ、楽器関連の雑誌も殆ど手に取らなくなりました。

micalaud.hatenablog.com

micalaud.hatenablog.com

 この事は以前記事にした通り。秋からはPet Shop BoysAztec Cameraを聴き始め、翌年末にはThe Beatlesのアンソロジー・プロジェクトが待っていました。本格的な洋楽への誘いが、年の後半には始まったのです(ちゃんと聴き始めるのは上京後だが)。

 

 TM終了と共に、高校卒業後まで友人達とは疎遠になりました。ここから暗黒の高校時代が深化し、大学受験へ向けて悩みの日々が続いていく事になります。気の合う仲間とTMの音楽を聴いて無邪気に歌っていた時代は去り、少しずつではありますが現実との格闘が始まるのです。

 烏滸がましいようですが、それはTMの3人にとっても同じだったのかもしれません。
時代の寵児となり栄華を極めた小室氏ですが、TKブームは5~6年で終了。かつての名声を取り戻そうと手を尽くしますが、結果としてそれは2009年のあの事件へと繋がっていきます。
 宇都宮・木根両氏もメジャーシーンでの売り上げは著しく低下。未だに自分達の手で地道に活動を継続している彼らを私は大いにリスペクトしていますが、音楽界におけるプレゼンスの面で意地悪な見方をする人は多いでしょう。

 どちらの音楽人生が正解なのか、私にはわかりません。しかし全員が音楽業界に残ったという事実は、1999年のTM復活、そしてその後の断続的な活動の礎になりました。
 小室氏の事情に左右される、私からすればストレスの溜まる活動続きでしたが、30周年記念とアルバム『Quit30』を基幹とする一連の活動は、ようやく終了前のようなアグレッシブで印象深いものとなり、TM健在を見せ付けてくれ、とても嬉しくなりました(アルバムの出来自体はともかく)。ようやく、本気のTMが帰ってきたのだと実感出来る活動でした。

 

 何度も書いていますが、私にとっての音楽の原点がThe BeatlesTM Networkです。これは自分史に残る事実であり、この先も変えようがありません。

amass.jp

www.110107.com

 そんな彼らの記念すべきデビュー35周年のアニバーサリーを、あの頃の仲間やFANKSの方々と過ごせたのは幸せな体験でした。何故私が彼らを愛したのか、改めて再確認する作業でもありました。

 これで終わりではなく、願わくば続きがある事を祈りつつ。35周年、おめでとうございます。

Three Men Standing

 衝撃のニュースだった。2日前にその演技を見た人が、突然逮捕されたのだから。

www.huffingtonpost.jp

 音楽界以上にサブカル界激震といったまさかの逮捕劇で、相棒である卓球氏がほぼ休む事なくツイッター上で話題を提供し続けている事もあり、1ヶ月経った今でも全くその余波が収まる気配を見せない。
 あくまでツイッターをチラ見した印象でしかないが、ネット世代のユーザー達の意見は「瀧は薬物の被害者! 旧態依然としたマスコミと卑劣なマトリにNoを!」というような方向で固まっているように思える。
 私は逮捕を知った際、このようなツイートをした。

 これは、彼が関わった多くの人々がこの直後から対応に追われ、事態収拾に心を砕かなければならないであろう事、そして現在進行形で多数のドラマ・映画・ゲーム等に出演していた瀧氏自身が今後負うであろう賠償金。どちらも決して軽いもので収まるとは思えず、両者の立場を慮ると心穏やかではいられなかった、そういった意味で「ショック」だと書いた。
 もはや、瀧氏は電気グルーヴのメンバーの一人というだけではない。演技を重ねるごとに評価を上げ、様々なタイプの脚本で必要とされるようになった俳優でもある。そしてそれは、ミュージシャンとしてだけ活動していた頃より、多くの責任を負うものになってしまっている。
 例えば、私がよく知る『VOXXX』あたりまでの頃に起こった事件ならば、卓球氏(それ以前ならばまりん氏も)やキューン関係者だけへの迷惑で済んでいたかもしれないが、もう時代は変わってしまった。
 個人的には、ピエール瀧という人物に悪いイメージはない。卓球氏の無軌道な話題に迷わず付いていける頭の回転の速さや、「富士山」「ポパイポパイ」などで見せたライターとしての個性、そしてついこないだまでハリマヤ足袋の親父役として堪能していた演技力など、とても魅力的な人物である事は間違いない。しかし繰り返しになるが、彼の世界は電気の活動に専念していた頃より遥かに広がっているのである。
 今後の動向を注視したいと思う。

 

 

jefunited.co.jp

 ちばぎんカップにて、エスナイデル体制の初陣を観た時の衝撃は忘れられない。サッカーを観ていてあそこまで驚いたのは近年では稀。
 前線から猛烈なプレスで相手を追い、最終ラインをハーフウェイラインを超えるくらいに上げて攻め続けるという先鋭的すぎる戦術。案の定、その試合では浅すぎるラインの裏を突かれて敗戦したが、同時に心の中では快哉を叫んでもいた。
 J2降格後、ポゼッションサッカーを志向しボールを保持する時間を増やしたジェフ。だが引いてくる相手が多い事もあり、攻めあぐねている間に鋭いカウンターを食らって負けるケースばかり。綺麗にパスが繋がれば良いのだが、実際には漫然としたパス回しで観ていても退屈な事が多く、はっきり言ってこの手のサッカーには飽き飽きしていた。
 そんな数年間を過ごしたからこそ、エスナイデル監督のサッカーには期待させるものがあった。長らく続くJ2での停滞を、この極端な戦術で吹き飛ばしてくれるのではないかと。
 しかし現実は甘くなく、初年度こそ終盤の劇的な連勝で昇格プレーオフへの滑り込みを成功させたものの、2年目以降は大量失点の連続。浅いラインでお行うギャンブルめいた守備のオーガナイズは最後まで為される事はなく、遂に解任という結果へと行き着いてしまう。

 元々、違約金を問題として今シーズンもエスナイデル監督の継続が決まったわけで、ここで江尻コーチの昇格以外の選択肢がなかった事は容易に理解出来る。昨年の最終節、千葉市内のラーメン屋にて名も知らぬジェフサポーターの方々と「次はユン・ジョンファンが良いですね」などと言葉を交わした事もあったが、それが現実的に厳しい状況であることは百も承知だった。

jefunited.co.jp 江尻氏は、J2降格初年度以来の再就任となる。指導者として成長したであろう「初代ミスター・ジェフ」の指揮を、ともかく支持するだけだ。

 

hochi.news 携帯電話へのニュース通知で知った訃報。この時が訪れてしまったか、という感。
 大学に入るまではビジーフォーの物真似か、ほりのぶゆき作品でネタにされていた事くらいしか裕也氏に対しての知識がなかった私だが、熱っぽく彼の事を語る友人によりイメージも刷新されていった。
 厄介なおじさんではあったが、自らの行動によって全てを変えていく人という印象がある。とにかく自分が率先して動く。ヒット曲がなかったり、裕也氏名義でのリーダーアルバムが殆どない事で音楽的成果がないと断じるむきもあるものの、その才はむしろプロデューサーとして活かされたように思う。それは音楽でも映画でも同様だ。

blogos.com

natalie.mu

realsound.jp

 印象的なエピソードは幾つもあるが、一番忘れられないのがローラと対面した時の事。
 「ハーフタレントゆえの奔放で無礼な物言いが売りのローラに、怒りっぽく頑固なロックンローラーをぶつけたらどうなるか?」という制作側の意図があまりにも露骨な企画で、私は一部始終を見たわけではない。それでも、かなりのインパクトある記憶として私の中に残っている。
 ローラと対面した裕也氏、挨拶を交わす前に突如人差し指を振りかざしながら、こう歌い始めた。
バングラ・デシュ! バングラ・デシュ!」
 勿論、ジョージ・ハリスンバングラ・デシュ」の一節である。
 ローラの祖国がバングラデシュバングラデシュといえばジョージ→だから歌う、というビートルズにリスペクトを捧げ続けた裕也氏の単純な連想ゲームなのだろうが、もしかするとこんな思いも込められていたのではないか、と勝手に深読みしてしまう。
「忘れるな! お前の母国バングラデシュのためにビートルズのメンバーが立ち上がった事を俺はOBOETEIRU!!」
 NYWRFの志は、誰かが受け継ぐのだろうか。今はただ合掌するのみ。Rock'n'Roll!

数多のダイヤ まとわせながら 女を激しく踊る

 我がバンドの元ベーシストにして、私の古い友人が誘ってくれるという嬉しい出来事があり、『シティーハンター 新宿Private Eyes』を観ました。

 

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「(Just Like)Starting Over」のアウトロに出てくる謎の呟き

 ある時期、高円寺をよく訪れていた。

 これといって特別な思い入れがあったわけではなかった。彼の地に向かう理由があったから、それだけの話である。

 

 元々は我がバンドのヴォーカリストの付き合いでいくつかのバンドのライヴに行ったのが最初の記憶だ。インディー界では名の知れたバンドの演奏を何回か観たはずだが、どれも詳細な内容は忘却の彼方である。

 いつかのライヴ後、演奏を終えた女性ヴォーカリストと音楽の話をした事だけは覚えているのだが…「今モンドが流行ってるらしいけど、どういうの聴けばいいかわかる?」と問われ、無知故にさしたる回答も出来なかった。そして今同じ質問をされても、同じように何も答えられないだろう…。

 

 高円寺に通うようになるのはその数年後。これまた友人がきっかけである。私をWWEへと誘った友人が、同団体のフィギュアやアパレルを買うために行きつけにしていたのがこの街だったのだ。

 彼に付き添ってこの街を訪れるうち、この街にはWWEだけでなくSWのグッズを売る店もあり(ただし、この時点ではまだ専門店であるStar Caseの存在を知らなかった)、更に駅前にはいくつか中古レコード店がある事にも気付いた。

 時はちょうど自分の中のビートルズ再発見が起こっていた頃。ジョージのDark Horse時代のアルバムが全て廃盤だと知り、中古品での収集を思い立った(それまでは律儀に様々な店に注文を試みていた)のとタイミングは一緒だった。

 SWやWWEのグッズに加え、私からすればレアなレコードの数々が同時に手に入る便利な街。そういった利便性の面から、高円寺という街を重宝していただけの話である。

 

 当時ジョージのDark Horse時代のアルバムは入手困難で、CDは殆ど見かけなかったし、たまに入荷しても手が出せるような値段ではなかった。アナログ盤ですら中古市場でも必ず置いてあるという程の数は出回っておらず、そのためにはこまめにチェックする必要があった。新品でジョージのCDが容易に入手出来、中古市場にも多数出回っている現在とはその状況に大きな隔たりがある。

 CDの方が欲しいのは当然だが、気軽に買えるようなものではない。それよりは安価なアナログ盤を探し、当時同居していた妹が所有していたプレーヤーからカセットなりMDにダビングして聴いていた。音質的にはクオリティを望むべくもないが、ヒスノイズと共に聞こえてくるジョージ印の歌声とギターに大いに興奮した。とてもピュアな音楽体験のひとつであり、幸せな思い出だ。あれほど心を躍らせながら音楽を聴く事が、果たして今後もあるのだろうか?

 そんな体験をさせてくれた店のうち、大きな役割を果たしてくれたのがこの高円寺のRAREである。正確には覚えていないのだが、『33 ⅓』から『Gone Troppo』の4枚のアナログ盤のいくつかはここで買ったものではなかったか。

 少なくとも、このラッキーな遭遇を果たしたのは間違いなくこの店だ。 

 

 そんなRARE高円寺店が、この度長い歴史に幕を下ろすという。

 ジョージのDark Horseボックスが発売され、WWEの地上波放送が打ち切られてからはこの街に通う意義が希薄なものとなってしまった。それ以上に自身が多忙となり、世界も広がったせいで、高円寺を訪れる理由はStar Case以外に見出しにくくなったのである(ちなみに、『People vs. George Lucas』をレイトショーで観に行ったのはここの店長氏が薦めてくれたから。感謝)。

 

 そんな不義理を重ね続けた私だからこそ、最後の姿を目に焼き付けたいと思った。

 当時の独り高円寺巡りの定番コースは、フィギュア店を2軒巡回→RAREをチェック→隣の元祖仲屋むげん堂(インド雑貨店)を冷やかす→牛丼太郎で納豆丼を食って次の目的地へ、というものだった。既にフィギュア店がどちらも閉じた事は確認済みだし、牛丼太郎は閉店どころか会社が無くなってしまった。ここから更にRAREが消えるわけである。あの時代の自分を育んでくれたこの街に敬意を示し、数年ぶりに高円寺へと降り立つ事を決定。十数年ぶりの入店を果たす事となる

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 Star Caseのために来訪した際もこちらは訪れないので本当に久し振りだが、この店を含むガード下は殆ど変わっていない。何だかホッとした。

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 閉店半額セールが開始されてから数日経過しているからだろうか、特にこれといった掘り出し物はない。前述の記憶から、記念として何か所有していないジョージのアナログ盤を買おうと思っていたのだが、あったのは「美しき人生」(「What is Life」日本盤)のみ。それどころか、The Beatlesのソロはジョンとポールだけでジョージのコーナー自体が消えていた。当時は設置されていた記憶があるのだが…何とも寂しい限り。

 

 この日購入したもの。

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 何とかジョージ絡みのものを、という事で彼の参加作品であるDaryl Hall and John Oates『Along the Red Ledge』を買った。当時貪るように読み耽ったジョージのデータ本の数々に、必ずジャケットが掲載されていたアルバムだ。かなりの妥協ではあるが、一応は関連作品であるという事で自分を納得させる。

 MadnessとThe Good-Byeのアナログシングルが収穫といえば収穫だろうか。私がこの店に通っている頃は、Madnessはまだ本格的に追い掛けていなかったし、The Good-Byeに至っては存在すら知らなかった。

 今の私はレコード盤を再生するプレーヤーがないし、金銭的・収納的な問題を考えてもアナログを購入しようという意欲は極めて低い。コレクター的な欲が無いのも、以前このブログに書いた通り。

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 だが、The Good-Byeやジョージのアナログシングルは今後中古レコード店に入る機会があればチェックくらいはしてみようと思う。

 店主の方と言葉を交わす事もなく先を急いでしまったが、こうして記念として心に残る買い物が出来た事は良かった。今まで本当にありがとうございました。

 

 帰り道、中野までの徒歩行で通りかかったフィギュア店の跡。

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 どちらも2階にあったテナントだったが、当然現存はしていない。左に至っては建物自体が放置されている感じで悲しみを誘う。ちなみに、牛丼太郎高円寺店は日高屋に変わっていた(私の記憶が間違っていなければ)。

 この日は寄らなかったが、私の高円寺巡り定番コースの唯一の生き残り、元祖仲屋むげん堂はインド歌謡を流しながら元気に営業中。用事を見つけたので、今年中に再訪したいと思っている。

You really have it bad for the Falcon, don't you?

 1月末に、ようやく『Solo』のMovieNEXを購入しました。

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 既に映画の感想は書いてしまっているので、特にこれ以上付け加える事もないのですが、意外にも観る度に新たな魅力が発見出来るスルメ映画だと感じます。
 劇場鑑賞時は少々混乱していたクリムゾン・ドーン、パイク・シンジケート、クラウド=ライダーズといった組織名が頭の中で整理され(エンフィス・ネストが人名でなく組織名だと思っていた)、各アウトロー達の抗争が楽しめるギャング・ムービーとしての面白さ。重力井戸など古典的なSFの香り漂う正統派スペースオペラとしてのワクワク感。ハンやチューイ、ランドの"その後”に通じる交流や台詞回しの妙…など、エンターテインメント映画としてじっくり楽しめる。

 

 購入直後に体調不良等に見舞われたせいで、そんなに何度も繰り返し観た訳ではありませんが、今のところは吹替版の鑑賞オンリーです。
 それは勿論、劇場では字幕版しか観られなかった事が理由として大きいのですが、やはり自分がTV放送で洋画の吹替版を観て育った世代であり、愛着を感じているというのは否定出来ません。若々しく新たなキャスト達はどの人物も違和感はなく、個人的には不満が無いです。
 そんな中で唯一旧作と共通したキャストなのが、ある意味でこの映画最大のサプライズだったモール。あの渋く低い声が、『クローン・ウォーズ』や『反乱者たち』で暗躍し、しぶとく生き残った元・暗黒卿その人だと強く実感させ、この点において吹替版は字幕版を上回っていると感じました。
 ちなみに、モールは戦闘集団の母星マンダロアを乗っ取り(オビワンを愛していた統治者・サティーン公爵まで見せしめ的に殺害)、弟のサヴァージ・オプレスと共謀してオビワンへの復讐を企てたものの、かつての師であるダース・シディアスの逆鱗に触れ野望を打ち砕かれました。この時に暗黒卿としての名である「ダース(Dark lord of the Sith)」を捨てているので、「モール」とだけ呼ぶのが現在の正式名称…と本人が『反乱者たち』の劇中において宣言しています。

 

 閑話休題。お楽しみの映像特典は、キャスト座談会以外はドキュメンタリーやカットシーンなど、ルーカス時代のものに非常に近い…といっても、私は『EP7』『EP8』のソフトを持っていないのでそちらには入っているのかもしれませんが、少なくとも所有している『ローグワン』のソフトでは不自然なくらいカットシーンが一切収録されていません。

 個人的に一番の見ものだったのはキャスト座談会。監督であるロン・ハワードがなかなかの名司会ぶりを見せてくれるし、ベケットのよき理解者だったヴァル役のタンディ・ニュートンの母は故郷ジンバブエで本当のレジスタンスとして戦っていた女性であり、見た目もスピリットも彼女をイメージしてヴァルを演じた…というエピソードは胸に迫るものがありました。

 最も驚いたのは、ルーカス自身が撮影場を訪れ、そのシーンがドキュメンタリーに使われていた事です。ひねくれた性格なので、どうしても「『EP8』が失敗したからこそのルーカス回帰へのディズニーのアピールか?」などと考えてしまうのですが、ともかくも見慣れた顔の創造主が久し振りに観られたのは嬉しかった。ハンの仕草について、ほんの一言だけハワードにアドバイスしたという逸話も、『アメリカン・グラフィティ』からの両者の長い付き合いを感じさせて心温まるものでした。

 

 私がこの作品を観ている間、本編とされる作品の完結エピソードの公開日が決定したようです。

www.cinematoday.jp

 正直に言えば、もうさっさと終わらせてほしいというのが本音ですが、私はちゃんと劇場で見届けようと思っているのは以前も書いた通り。旧作はおろか、EP7で張った伏線や設定すら木っ端微塵に破壊されたサーガにJ.J.エイブラムスがどう幕を引くのか。様々な面で注目しています。

都営バスで引越しする男

 TM Networkが先か、『City Hunter』が先か。難しい問題だが、私にとっては「完全に同時」が答えだと思う。

 

 幼心に「今まで全く聞いた事のない、とんでもなく大人っぽくて格好良い曲」と認識させた「Get Wild」は、言うまでもなく『City Hunter』アニメ版1stシーズンで流れたからこそ知ったもの。湧き上がり始めていた音楽への想い完全に沸騰させ、本格的にTMを追いかけるきっかけとなったのが『City Hunter 3』のオープニングテーマとなった「Running to Horizon」(小室哲哉ソロ)であり、同時に最初にリアルタイムで追いかけた『City Hunter』が同アニメシリーズでもある。
 こう考えると両者は見事にシンクロしており、自分の中では分かちがたい思い出になっている。

 

 『City Hunter』を好きな理由として、「TMが主題歌やってるからでしょ?」と当時の友人には訊かれたものだが、それだけが理由ではない。当然ながら、作品が凡庸なものであれば熱心に追いかけたりはしないのである。

 アニメ版は全話再放送で録画したはずだし(ビデオテープなので全て視聴不能となったが)、上京後に原作単行本も揃えている。

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 超人的なリョウの能力の痛快さ、香や海坊主や冴子といったキャラクター達の絶妙な存在感、魅惑的なゲスト美女など、この作品を好きな理由は列挙出来るが、基本的には数話完結のストーリーごとに普遍的なドラマがあり、抗い難い魅力があるからだ。
 そんな物語を、ハードボイルドなシリアスシーン(北条氏自身は「ハードボイルドは好きじゃない」という旨の発言をしているが)とおバカでスケベなギャグシーンでメリハリを付けながら構成していく。この作品は、私にとって間違いなく名作と呼ぶに相応しい。

 当時私と親しかったFANKSの仲間達は、私同様当然のようにこの作品を愛しており、ある意味で必修科目のようなものだった。ただし、元相棒であるジョニー馬論をはじめとする数人は、あまり興味を示していなかったような気もする。何故か彼らはキーボーディストの打ち込みキッズばかりだったが、何か担当楽器との相関関係はあるのだろうか。

 

 そんな『City Hunter』も、1999年の新作アニメスペシャルを最後に歴史が途絶えたままの状態が続いていた。
 「今後もアニメスペシャルは制作していく」と発言していた作者の北条司氏も、完全にこの作品は完結したものと認識しているのだろう、そう思い返す機会すらなくなっていた2018年。

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 まさかの劇場版制作が発表され、まさに青天の霹靂。昨年は年明けから過去の名作のリメイクが多数発表されていたとはいえ、『City Hunter』の復活は想定外で、大いに驚いた。
 とはいえ、かつて共にこの作品を友人達の殆どは音信不通であり、そうでない者も故郷に戻り自由は利かない状況。作品が歴史を積み重ねた分、我ら元少年達も確実に歳を取っていたのである。

 

 新作発表の喜びを分かち合う事も出来ず、いつも通り寂しく一人鑑賞をしようと思いながら迎えた今年の正月。1月第1週の末、かつての仲間の一人であり、上京時に組んだバンドのベーシスト(中途脱退)から、突然メールがあった。
 曰く、年賀状に『City Hunter』劇場版鑑賞の誘いを書いたが、まだ読んでいないのか、との事。私は諸事情あってすぐには自室に戻れなかったため、届いた年賀状も確認出来ないままだったので、この誘いには心底驚き、二つ返事でOKした。
 今でも唯一地元に帰っていない仲間で、小学生時代から圧倒的なマイペースで我が道を行く彼。鑑賞への誘い方も年賀状という超アナログな方法で、実に彼らしいと思った。
 思い出の多くを共有し、多感な時期を共に過ごした仲間と、愛する作品を鑑賞し感想を言い合える。こういった機会は殆ど訪れず、非常に貴重だ。鑑賞を提案してくれた彼には、心から感謝したい。

 

 先週からいよいよ映画は封切りされ、『City Hunter』の新たな歴史が刻まれる事となった。

 オリジナル版の「Get Wild」が使用されるという情報も公開されており、その出来にはいささかも不安を抱いていない。リョウが、香が、元気にスイーパー家業をスクリーン上で繰り広げてくれればいい。それ以上は望みまないし、それが何より望んでいる事なのだ。