Life Itself
先月末のジョージの命日、とても音楽リスナーやバンドマンとしての姿勢に共感してツイッターでフォローさせてもらっている方が「ジョン(・エントウィッスル)とジョージの命日の事はやけに鮮明に覚えている(大意)」とツイートしてらっしゃったのですが、ジョージに関しては自分も全く同じです。
最近はジョージの命日や誕生日にブログ記事の更新やツイートを行いませんが、それは単に書く事が似たような内容にしかならないからで、ジョージへの想いが醒めたわけではありません。わざわざ記す必要もないことではありますが。
かなり前の話になりますが、こんな記事を書いたことがあります。
ここでも当日の様子を振り返っていますが、本当に今でも鮮明に覚えているんですよね。
以下、過去記事を引用します。
その日、大学の大きな教室で彼の死を知った僕は、
一般教養の文化人類学の講義でした。校舎の低層階の真ん中にある、大きな教室。いつもの定位置の、左側の列の一番前の席だったと思います。
ちなみにこの授業、期末のテストはノート持ち込み可だったのに完全にその事を失念しており、泡を食いながらも結果は最高だった事も覚えています。真面目に受けていた事と、興味があるテーマだったからこそでしょうね。
僕に“彼”の死をメールで知らせてくれたK氏(こないだ結婚した彼です)
(中略)
授業が終わるなり学食へ行き、彼への思いを綴ったメールをK氏に返信した。K氏はビートルズ・ファンでも何でもないから、かなり迷惑だったと思う。ここまで僕がショックを受けるとは、考えていなかっただろうしね。
K氏は、そこまで深刻な出来事だとは思っていなかったのだと思います。彼から送られてきた、絵文字でデコレーションされた訃報メールは今でも忘れられません。別に彼を責めているわけではなく、世間と私とのギャップを感じた出来事だったという事です。ちなみにK氏からメールの返信はありませんでした。
呆然としたままその後の授業をキャンセルし、
校舎の上層階の、一番端の教室で行われる米文学史でした。さっきの教室からは少し遠めの位置にあり、教室の前の廊下は突き当りなので、暗がりになっていた事を思い出します。この講義の出席数はギリギリでしたが、それでもまだ少し余裕があったので休みました。「呆然としたまま」などと書きながら、そこらへんの計算をしっかりしているのが何ともセコい。何にせよ、まともに受講出来るような精神状態でなかったのは確かですが。
駅に向かうと、靖国神社の方に向かう中年のおじさん達がやけに目についた。
ちなみに帰りの電車の中で、この年に知り合ったばかりの友人にジョージの事に関してメールをしています。この過去記事の中に名前が出てきている人々ですらどんどん疎遠になっているのに、彼とは未だに縁が続いています。この時も、やけに冷静な返信があった事を覚えています。
その後、ジョニー馬論の部屋に寄って話をしたのか(曜日から考えると、恐らく行ってはいないはず)。当時同居していた妹が部屋にいて、この事を話したのか。さすがにそこまでは覚えていません。やはり訃報を聞いた前後の記憶だけ鮮明に覚えているという事でしょう。
こう考えると、メールばかりで誰とも会話を交わせなかったのは辛かったですね。ブログやSNSといったツールも持っていませんでしたし、気持ちをどのように整理すればいいかわからなかった事を思い出します。
さて、『Dark Horse』や『Extra Texture』のリマスター発売はいつになるのでしょうか。首を長くして待っております。