Twitter and the Monkey Man Winter 2016
最近、ブログに書くようなネタがないし、あってもじっくり書くような余裕がありません。根気が続かず、こつこつ書くような忍耐力も無い。正直、必要以上に疲れたくないという気持ちが強く、それが文章に対する執着を弱くしています。ツイッターも然り。
というわけで、今回は禁断のネタであるツイッターを今年初めて解禁します。今回は1~3月の振り返り。ツイート数も激減しているので、3ヶ月分とはいえ拾うようなツイートは非常に少ないです。
外で自分の好きな曲を聞きたかったら、やっぱりSEIYUだな。Danny Wilson「Mary's Prayer」とかセンス良すぎ。
— ミカ・ラウド (@MicaLaud) January 5, 2016
行き易い位置にあるというわけではないので、足しげく通っているというわけではありませんが、行く度に必ず自分の好きな曲が流れている。凄い確率だと思います。こんな場所は、本当にSEIYUくらいのものです。去年から引き続きちょくちょくツイートしているのは、そういった驚きが継続しているから。
『U-31』実写映画化だそうで。あの漫画はアトランタ組という日本サッカー史上でも稀有な転換期の世代も大きなテーマとなっているので、そこをどう翻案するのかも注目したいところ。
— ミカ・ラウド (@MicaLaud) January 19, 2016
この本を買った東金の本屋は間もなく潰れ、購入当日に何故か親に呼び出された事が前職に就くきっかけになっている…と、『U-31』を思い返すと余計な記憶も一緒に蘇る。
— ミカ・ラウド (@MicaLaud) January 19, 2016
まさかの『U-31』映画化には驚きました。どのような時代背景にするのかも注目すべき点。ドーピングの話までやってくれるのでしょうか。個人的には、『U-31』は2005年春に自分に起きた数々の出来事と切り離せない、メモリアルな作品です。
現実の世界で戦っている「ジェムユナイテッド市原」のモデルとなったクラブの状況が、なかなか笑えない事になってきているのが大きな問題点ではないでしょうか。
「あれ、なんか違和感が…」
— ミカ・ラウド (@MicaLaud) February 1, 2016
「処方箋通りに作りましたが?」
「ああ、そうですよね…」
という会話を経て眼鏡製作完了。
眼鏡を作るのは初めてなので感覚がわからない、と一言付け加えるべきだった。それにしてもレンズに独特の癖があるのは確か。医者に訊くか。
— ミカ・ラウド (@MicaLaud) February 1, 2016
眼鏡診断の話は昨年書きましたが、いよいよ実際に眼鏡を製作。レンズの縁に歪みを感じるのが、実際に使用する際に非常に気になる点。まだ本格的に使用しているわけではありませんが、やはり遠くのものを長時間見る時は非常に役立っています。
しばらくメール以外での連絡手段がなくなります。地元の方言で言うならば、端末が遂にぼっこれました。ご了承下さい。
— ミカ・ラウド (@MicaLaud) February 8, 2016
ここから、携帯電話は故障の連鎖でした。色々な店を飛び回り、ネットの各所をさ迷う非常に面倒な日々でしたが、2月の終わりにようやく落ち着きました。
現在構築した携帯電話の環境は、個人的にはそれなりに満足のいくものとなっています。消耗品なのでいずれ買い替えが待っている事を考えると、その煩わしさに少し憂鬱になりますが。
高橋まことの顔がタモリにすげ替えられている例のボウイ画像が、雑誌で堂々と使われていて驚いた。80年代バンドブームの代表的バンドを紹介するページだったので、恐らくギャグの類いではないだろう。ネットから引用したのがバレバレだが、校正しても誰もコラ画像だと気付かなかったのだろうか。
— ミカ・ラウド (@MicaLaud) March 14, 2016
「ボウイ タモリ」で画像検索すれば、大量にこのコラ画像がヒットします。掲載画像は許可を取らずネット引用で本当に済ませたのか、書いている側もボウイの事をロクに知らなかったのか、謎は深まります。お金を取る雑誌でこんな適当な事してていいのかな、と正直思ったのは事実。
ちなみに、この日は入院して以後数年通った病院への最後の通院でした。入院中によく通った本屋でツイートの雑誌を読んだわけです。辛い思い出ばかりでしたが、今ではそれも懐かしく感じます。戻りたいとは思いませんが。
「何でオランダのシャツ着てるの」
— ミカ・ラウド (@MicaLaud) March 24, 2016
「クライフが好きなんで……」
「何で?あなた現役時代観てないでしょ」
「いやー格好良いじゃないすか」
「ふーん……(不満気)」
という会話をスペイン語講師とかわした事を思い出す。当時、部屋にポスターも貼っていたな。とにかく残念。R.I.P.
訃報が続く2016年。フットボールに革命を起こした“フライング・ダッチマン”ヨハン・クライフも、この世を去ってしまいました。残念です。
妹と同居していた頃、部屋に真っ先に貼ったのはクライフ(とフィリッポ・インザーギ)のポスターでした。当時の写真も残っています。クライフに関してはサッカー史に残る活躍をした事も当然ファンになった理由の一つでしたが、見た目や発言内容がいちいち格好良かったのが何よりも大きいです。どちらかといえば、アスリートというよりミュージシャン的な視点で彼を見ていました。
自分の中で、ミュージシャンとサッカー選手の存在はどうやら同列にあるようです。よく見る夢の内容に「ロベルト・バッジョやインザーギ兄弟のニューアルバムを買う」「レアル・マドリー・イレブンが組んだバンドのライブを観ている」というようなものがありますが(ルックスと実力を兼ね備えた選手ばかりなのがポイント)、自分の深層心理下でミュージシャンとサッカー選手を混同している事実を如実に示しているように思えます。
そういった自分の妙な認識のきっかけとなったのが、このヨハン・クライフその人であるような気がしてなりません。
「クライフはポール・ウェラーに、バレージはキース・リチャーズに似てる!ロックだよ!」と書いていたのは、STUDIO VOICEの対談記事だったかな。誰の発言だったかは忘れた。
— ミカ・ラウド (@MicaLaud) March 24, 2016
このような発言をしている人がいた事も、自分の心の奥底で影響を与えていると思われます。
私がサッカーに興味を持った頃、クライフは指導者としてFCバルセロナの指揮を執り、絶頂期にありました。自分の世代から見ても、クライフは結果を残している偉大な人物でした。後追いの人間が「この人の現役時代は凄かったんだよ」と教えられてもなかなかピンと来ないのは世の常ですが、リアルタイムでも監督として飛びぬけた成績を収めていれば、有無を言わさず納得せざるを得ません。
余談ですが、私が高校時代に妄想していた2002年ワールドカップ日本代表の監督はクライフでした。当時から憧れの人物だったという事です。合掌。