(Revenge of the) United Minds

Talkin' 'bout Music, Football(JEF United Chiba) and More.

Battle of 新生活

 年を取ると昔の記憶が蘇りやすくなるといいますが、先日ふとしたきっかけで約20年越しの謎が解けてしまいました。

 

 いつか何かの本にまとめたいとまで思っているのが、私と新聞拡張員との激しい戦いの日々。
 未だに居留守を使う癖が付いたのは、この甘えの許されぬナイフを持っての切り合いを当時毎日続けたからであり、最後に最も屈辱的な方法で敗北を喫したという点で、自分の中ではある意味で後悔の歴史となっています。

 田舎から出てきた学生しか住んでいないアパートは、新聞拡張員からすれば入れ食いの釣り堀のようなものだったのでしょう。いともたやすく純朴な青年達から契約を勝ち取ることが出来る、ボーナスステージ。
 そこで最後までレジスタンス活動を続けた私が集中砲火に遭うのは、避けられない事態でした。

 

 引越し後から最初の秋くらいまでは馬鹿正直に相手をしていた私でしたが(新聞に限らず宗教も)、さすがに無駄な時間を嫌うようになります。彼らは平気で2~3時間は粘るので、これを無駄な時間と言わずして何と言えばいいのでしょうか。その分は、当時耽溺していたゲームにでも使った方が明らかに有意義でした。
 以降、徐々に居留守にシフトしていくのですが、携帯電話を持っていない友人もいた当時、来客を事前に知る事が出来ないケースも多々ありました。上京2年半以降の新聞拡張員とのエンカウントは、友人の来訪だと思ってドアを開けた時のものが殆ど。

 恐らく、周辺の新聞販売店もムキになっていたのだと思います。何とかしてドアを開けさせようと、躍起になって攻勢を仕掛けてきました。


 最初は「町内会の者です!」とドアを叩いてくる者。ドアを開けさせてしまえばもうこっちのもの、と言わんばかりにその男は一切「町内会」の事には触れず、新聞勧誘を始めました。その時は「嘘ですか?そんな事されて取るわけないですよ」と最後に言ったと思います。それでも、1時間近く粘られた記憶がありますが…。

 そんなある日、「古新聞・古雑誌を回収しています」という来訪者。引越し時に使用した段ボールの処理に困っていた私は、素直にドアを開けました。さすが東京、古紙回収もわざわざ各家庭を回るのだな…と感心したのです。
 私が差し出した段ボールを受け取ったその気の弱そうな男、本当に古紙回収が目的ならばすぐに立ち去るはずなのですが、何故か話を始めました。訝しがる私の嫌な予感通り、徐々に話の方向は妙な方向へと展開していき…そして、やはり新聞勧誘へと話はすり替わっていたのです。
 結局このパターンか、恐らく古紙回収も並行して行っている新聞販売店なのだろう…と半ば呆れてその新聞拡張員を追い払った私。その先入観が刷り込まれたせいか、翌日我がアパートの集合ポストに件の段ボールが無造作に置いてあっても、特に疑問には思わず資源ゴミの日に自分で出した記憶があります。

 

 さて、ここで冒頭の文に戻ります。今更ながら謎が解けてしまったのですね、あまりにも単純すぎる謎が…。
 先日、帰宅後ふと居留守について思いを馳せ、昨年起きた「深夜2時の謎のドアノック音」を思い出し(まるで小室哲哉「Running to Horizon」の冒頭の歌詞のような出来事だった)、更に考えを巡らせていました。居留守を使う人間には、ある程度嘘でも吐かなければ引きずり出す事は出来ないのではないか。相変わらず上向かない体調の中、そんな事をぼんやり考えていたのですが…。
 前述の古紙回収業者兼新聞拡張員、あれは古紙回収は単なるドアを開けさせるための嘘で、本当はただ単にアパート最後の砦であった私を陥落させるために送り込まれた新聞販売店の回し者だったのではないか、と。
 大方、先輩職員から「あそこは普通にドアを叩いても出てこない。かといって単純な嘘をついても容易には反応しないだろう。あっちにメリットがありそうな嘘で誘い出せ」とでも吹き込まれていたのではないでしょうか。
 その証拠に、私が託した段ボールはぞんざいに放置されていた。何故かあの時は先入観のせいで不審には思いませんでしたが、今考えればどう考えてもおかしい。

 

 あまりにも鈍すぎる私の直感、そして勝手な先入観で鈍る判断力、加えて今更そんな事を思い出す老いた記憶力。春の夜、もっと有意義な事を考える能力がほしいと思うのでありました。