(Revenge of the)United Minds

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Soft-Hearted Narashino (Part.1)

 今年の大河ドラマ西郷どん』も、残り1ヶ月を切った。恐らく今週から西南戦争が勃発し、維新の元勲の人生もクライマックスへと向かうであろう。
 近年の大河の例に漏れず、演出やストーリーが見え見えすぎるというか、デフォルメしすぎて漫画的な面が目に付くのは確かだが、一番好きな時代なのだから興味が湧かないはずがない。毎回楽しんで観ている。

 

 さて、そんな今年の大河ドラマだが、作品に関係する地を毎回紹介する「紀行」コーナーにて、千葉県の史跡が紹介された回があった。詳しいロケーションがテロップとして表示されたのは2箇所だが、画面では合計3箇所が取り上げられたのである。
 幕末~明治期に限った事ではないが、なかなか日本史のメインストリームに登場しない我が郷土・千葉。せっかくなので訪れてみようと思い立ち、先日それを実行した。

 

 今回移動手段として利用したのは、滅多に利用する機会のない新京成線。小中学校の一時期に通院で、上京後の一時期に実家から東京に戻る際の無意味な時間潰しのため、という理由で利用していた路線だが、専ら京成津田沼~新津田沼の1駅しか利用していなかったため、本格的に乗るのは今回が初めてである。

 

 以下、続きから。

 

 

 脳裏に過去の出来事が次々に去来する中、多少感傷的になりながら、今回の巡礼がスタート。最初に降り立ったのは、市の名前を冠した習志野駅。

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  駅から15分程度歩いた薬円寺公園内に、この日最初の目的物がある。

 

明治天皇駐蹕之処の碑

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  劇中にて、西郷の指導の元に発足した御親兵。始動したばかりの明治新政府がまだまだ不安定な情勢にあり、全国の旧幕臣薩長土肥以外の勢力など、不平不満を募らせる士族が多数存在した。そんな状況下において、天皇や御所の守備のために編成した戦力である。
 これが徴兵制導入と共に発展したのが近衛兵であり、明治天皇自らこの演習を天覧したのがこの地だったという事だ。

 

 更に「習志野」という市名の元になったのも、明治天皇命名による「習志野原」が元になっているという。これは一連の出来事を記念して建てられた石碑だ。

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 公園内は平日とはいえ走り回る子供たちでごった返しており、写真にも彼らが容赦なく写り込んでくる。

 

 焦る気持ちと光の加減で、どれも酷い写真になってしまった。感慨も何もあったものではない。

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 思ったよりも遙かに広い公園で、走り回れるスペースが何面もあり、プールもある。子供達が遊ぶには絶好のスポットであろう。

 

 東京ではゼリー飲料を飲みながらスマホゲームに興じる子供達ばかり見ているせいか、同じ千葉県民の元・子供として妙に安心出来る光景であった。勿論、我が地元にはこれほど広大な公園など存在せず、ただむき出しの自然があっただけだが。

 

碑の隣にはSLも設置してあり、なかなかの迫力。

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 更に近くには船橋郷土資料館もあったが、定休日だった。日没まで時間がない中、何にせよ立ち寄る事は難しかったが、いつか訪れてみたい。

 

 道中には、なかなかイカす街並みが広がっていた。

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  駅前にも、これまたいい味を出しているこじんまりとしたパンスタンドがあり、空腹だったので思わず手が伸びそうになったが、結局我慢してしまった。今考えると、素直に欲求に従っておいた方が良かったように思う。次にいつこの地を訪れるかわからないのだから。

 習志野という地は、元々私にとって非常に縁の深い地であるが、この駅及び周辺地域を訪れたのは初めてである。だが、「いつか見た光景」感が非常に強く、前述の津田沼の思い出と相まって、非常に郷愁を強くさせる。
 帰りの道すがら、庭仕事をする老人の傍らで数人の男児が遊びに興じている民家での光景も、その念を余計に強くした。

 

 最早目的が変わってきてしまっている気もするが、気を取り直して次の目的地へ。新京成線車内、帰宅の道を急ぐ高校生達に囲まれながら、降りたのは滝不動駅習志野駅よりも更に住宅しか見当たらない場所で、降りる人もまばらだった。

 

 常に人が行き交い、意外にも写真を撮る事すら注意を払う必要があった習志野に比べ、こちらは殆ど通行人も見当たらない。殆ど迷う事なく、一直線に目的の場所に辿り着いた。

下野牧二和野馬土手

下野牧二和野馬土手|船橋市公式ホームページ

 江戸時代から幕府が設置していた馬の放牧場の名残で、馬が逃げ出さないように設置された土手がこれだ。更に、堀なども設置してあったらしい。
 幕末~明治の史跡ではないが、後の近衛兵から日本陸軍に繋がる史跡として「紀行」コーナーで取り上げられたのであろう。事実、ここは場所の案内が提示されておらず、今回は船橋市の公式サイトで調べた末(上記リンクではない検索結果に場所を記したPDFファイルがヒットする)に捜し当てた。

 

  写真は史跡として紹介されている場所ではないが、恐らく野馬土手の名残ではないか。ここが東端である。

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 途中で交通路確保のために分断されている箇所が多数あった。

 

 この土手が、現在の住民の生活と密着している証拠。

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  このようなゴミ収集場がいくつも設置してある。

 

 そして、ようやくここからが史跡として残されている野馬土手のスタートだ。

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  ここまでと高さも全く違い、しっかり人の手が入っている。

 

 この土手の周りは周辺住民の散歩コースとなっているようだ。

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  近くの小学校は既に下校時間が終わっているようで、すれ違う人々の年齢層は高め。

 

 転がっている石は当時のものではないだろうが、思わず撮ってしまう。

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  関係ないが、道の向かいに良い感じの梨園があった。

 

 こうやって見ると、それなりに距離がある。

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  市のサイトによれば、船橋市には現在14箇所の野馬土手が残っているらしいが、一番状態が良いのがこの二和野馬土手だという事だ。

 

 ここが西端。

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  いい年をした男が、殆ど手ぶらの状態で(荷物は新津田沼駅のコインロッカーに置いてきた)観光スポットでもない場所の写真を撮り歩いている。完全に不審者扱いされる事は明白なので、ここで足早に立ち去る事にした。

 大河ドラマで紹介された千葉県の史跡を回る、その目的は十分達成された。もう1カ所は後日に回す事として、再び新京成線で帰り道を急いだ。

 

 そういえば、ここ滝不動駅でもナイスな店構えと遭遇。

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 これまた強烈に「いつか見た」事のある風景。習志野駅周辺に引き続き、またしても2010年代の自分が1980年代のそれとリンクしてしまう。いかに東京寄りの場所とはいえ、やはり千葉県は故郷なのだと実感した。

 

 津田沼に戻ると、まだ夕方なのに周囲にはすっかり夜の帳が下りている。JR津田沼駅近くで早めの夕食をとりながら、出発前より更に強く郷愁にかられていた。
 小中学校を早退しての通院、夏期・冬季講習、大学生活への違和感、かつての相棒・ジョニー馬論とのいくつもの思い出、灼熱の交通量調査アルバイト、人生初の入院前の買い出し…思えば、人生の節目節目で印象的な記憶の舞台となったのがこの津田沼という地だった。人生に著しく惑うこの頃、ここまでの歩みに想いを馳せずにはいられない。

 

 歴史と関係なくなってしまったが、それもまた一興。残る1カ所も、今年中には訪れたい。