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Soft-Hearted Narashino (Part.2)

 暦も師走半ば、いよいよ『西郷どん』も残すところ1回。西南戦争もほぼ大勢は決し、日本史上最後の内乱も残り僅か。次回は進退窮まる西郷が鹿児島へと退却し、城山の戦いにて幕が引かれる事となるだろう。

 個人的には維新後から西南戦争までをじっくり観たかったのだが、暗い話にしかならないので駆け足になってしまうのは仕方ないのかもしれない。

 それでも、実質2回しか描かれない西南戦争の分量はいくらなんでも少なすぎるとは思っているが、ネットの某所(大河ドラマとも日本史とも一切関係がない場所)での分析が面白かった。曰く、「史実がどうあれ“西郷どん格好良い”という見方は崩せない、何故ならこの脚本が描きたい最大のポイントがそこであるから。よって、自然と西郷が格好良く描けない西南戦争は短くなってしまう」と。なるほど、特に『龍馬伝』以降顕著な「主人公を必要以上に万能の存在にし、美化する」という大河ドラマの流れを考えれば、この描き方にも納得がいく。

 勿論、私のような人間にはそこが非常に不満のある点ではある。私が卒論絡みで(長すぎる“余話”に苦戦しながら)読破した『翔ぶが如く』(司馬遼太郎著)においてメインに据えられていたのが征韓論争から西南戦争の流れであり、個人的に思い入れも強い。今回ようやく映像として観られる事を、個人的に楽しみにしていたのだ。

 一応、大久保の最期の瞬間(紀尾井坂の変)は取り上げてくれるらしい。既にかなり前に紀尾井坂は訪れているし、数年前に歴博での大久保利通展も訪れているので、その記事へのリンクを張ろうと思ったのだが、どうやらどちらも記事を書いていなかったようだ。

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 これはとんだ失態だった。紀尾井坂はまた改めて訪れたいと思う。

 


 さて、そんな今年の大河ドラマ西郷どん』、「紀行」コーナーで取り上げられた千葉県のスポットは3箇所(アクセスなどのテロップが表示されたのは2箇所)で、そのうちの2箇所を訪れた事は既に書いた。

micalaud.hatenablog.com

 残るはあと1箇所、前回の来訪からちょうど1週間後にすぐさま訪れた。お陰で、『西郷どん』最終回前にすべての決着を付けることが出来たわけだ。

 

 以下、続きから。

 

 

 小雨がパラついたりと、出発前は若干不安定だった天気も、目的地近くの京成大久保駅に降り立った際にはすっかり安定しており、晴れ間も見えていた。
 今回は新京成線ではなく、乗り慣れた京成本線の駅である。とはいえ、各駅停車でないと止まらないこの駅で降りるのは初めて。今回のような事情がなければ訪れる事もなかったであろう。
 前回同様、中高生達の帰宅ラッシュの時間帯に到着してしまった。学生服の一団に埋め尽くされた向かいの上りホームを目の当たりにし、帰りはバスでJRの駅近くまで出ようと決意する。この駅周辺には中・高・大とそれぞれのカテゴリーの学校が複数あり、それで学生の数が多いようだ。
 そういえば、ここにある大学のうちの一校にかつてのクラスメイトが入学したらしい事を思い出す。彼はサッカー部だったので互いに興味の対象の共通点があり、何かきっかけがあれば打ち解けてサッカー話に花を咲かせる事も出来たのだろうが、1年の頃から遠慮し合っていまいち噛み合う事がなく、ぎこちない会話を何度か交わしただけで卒業を迎えてしまった。今も元気に過ごしていればいいのだが。

 

 閑話休題。学生達を避け、住宅街の中に進路を取る。しばらく歩くと、交通量の多い通りに突き当たった。駅から10分程度の場所に、目的のスポットはあった。

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 前回同様、またしても公園内に記念碑が建っているスタイルだ。 

 

 ここは薬円寺公園ほどの広さはなく、先ほどの入り口からすぐの所に目当ての記念碑があった。

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 近くで数人の少年達が遊んでいたが、来訪者である私も、この碑自体も全く気にも留めていないようである。

 

習志野騎兵旅団発祥の地

travel.seikatsu-guide.com

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 日本陸軍騎兵第1旅団の指令部が置かれたのが、この大久保の地であった。

 

 創設は明治35年なので、西郷や大久保(利通)の時代とは離れる。だが、明治に創設された日本陸軍の歴史と時代としても地理としても近かったのが、NHKによって紹介された理由だろうか。

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 騎兵旅団の有名な功績といえば、何といっても日露戦争だろう。秋山好古に率いられ、コサック騎兵を撃破した事は日露戦史を語る上で欠かせない出来事である。

 

 本当に石碑以外何もないので、裏に回ってみた。

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 建立は昭和51年。太平洋戦争中もしくは戦後間もなくを予想していたので、少し意外だった。

 

 他にこれといって見る所もないので公園を一周してみたら、こんなものを見つけた。

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  3つとも、全て軍馬の鎮魂のためのものである。騎兵師団だけあって、最大のパートナーであった馬の慰霊もしっかり行っていたようだ。

 

 本当にこれ以上の史跡は見当たらない。隣接する神社も行ってみる事にした。

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  公園のすぐそばに入り口がある。

 

誉田八幡神社

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 住宅地の真ん中にあるのに、とにかく敷地が広い。境内に入ってみて初めて鳥居までの距離に気付き、とても驚いた。

 

 これだけ広い神社だが、宮司が常駐しているわけではないようだ。

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 御祭神は応神天皇誉田別尊)、神功皇后仲哀天皇の第四皇子、との事。

 

 境内には、紀元(皇紀)二千六百年を記念した碑が置かれている。

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  揮毫は陸軍少将時代の栗林忠道で、彼が騎兵第1旅団長に就任したのがちょうど1940年。まさに皇紀2600年とされた年である。近くに駐屯していた縁で、この文字を書いたのだろうか。

 栗林と『西郷どん』、共通点を見出すなら渡辺謙がどちらも関係している。かなり無理矢理だが。

 

 ここの祭神である応神天皇の事を調べてみたら、新王朝説など興味深い説が唱えられている事を知った。もはや大河ドラマとは全く関係ないが、深く掘り下げ始めたら時間がいくらあっても足りなそうな広大な海、それが古代史であると改めて実感。

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 本殿の後ろも広い。隣の公園も含め、アスファルトに囲まれた千葉県西部といえど周辺の子供達は遊び場には不自由しないだろう。
 

 神社の裏から退出し、バス停を探そうと表通りに出ると、先ほどの公園の隣に市民プラザがある事に気付いた。

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  習志野市は住民のための催し物が充実しているようで、羨ましい限りである。

 

 年輩の方が高い位置にある最前列の椅子に座りたがる事、優先席を利用したがらない事など、バスについては東京も千葉県西部も変わらない。そんな事を確認しつつ、前述の公園前から乗り込んだ京成バスでJR津田沼駅に出る。さすがに今回は感傷的になる事もなく、すぐさま家路へと着いた。
 年始に、偶然訪れたロケ地。

 そして、2回に渡る関連スポット探訪。図らずも、例年以上に大河ドラマを堪能してしまった1年であった。