(Revenge of the)United Minds

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Akasaka Lights

 前回の記事において、紀尾井坂の大久保利通遭難の地や、大久保利通展の記事を書いていない事に少なからず驚きました。特に前者は携帯電話で撮った写真の記憶が鮮明に残っているので、てっきり旧ブログで記事にしたものとばかり思っていたのです。

 訪れたのはかなり前のような記憶がありますが、携帯電話のカメラを使ったという事は学生時代にまで遡る必要はなさそうです。何故ブログに書かなかったのか、全くもって謎です。

 折りしも2018年NHK大河ドラマ西郷どん』最終回間近。事前情報によれば紀尾井坂の変もどうやら取り上げられるという事だったので(実際にはワンシーンのみでしたが)、その前に大久保終焉の地を訪れ、ブログ記事にしておきたいという気持ちが強くなりました。

micalaud.hatenablog.com

 昨年末も歴史散策に付き合ってくれた友人が東京を去り、新天地に移るという事なので、壮行会も兼ねて今年も同行して頂いた次第。

 

 以下、続きから。

 

 

 最初の目的地は西早稲田。私はここに諸事情あって数回通った事があります。その時以来なので、11年ぶりの訪問。

 

 目的地に向かう前に、レトロでイカす建築物を発見。 

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  この時は写真を撮っただけで先を急いでしまったのですが、検索してみるとかなり有名な場所のようですね。

civillifelab.com

 なんと、賄い付きの男性専用下宿だという事。やはり早稲田大学生の利用者が多いのでしょうか? 上記リンク記事のように、現代の学生に下宿という住環境が合うのかどうか、利用者減少もさもありなんという感があります。

 

 そして、若干入り口探しにてこずりながら目的地へ到着。

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  ここは玄国寺という御寺。

 

 調べてみると、すぐ近くにある諏訪神社別当寺との事。

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 神仏習合のお手本のような例、とみるべきでしょうか。 

 

 建立は慶長6年(1601)。

www.kanko-shinjuku.jp

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 しかし今回の目的は御寺そのものというよりは、この書院です。

 

 正面から見ただけでは建物の特徴が分かり難い。

 

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 よって、本堂から書院を眺めてみる事にします。  

 

 本堂の左前に張り出したスペースから、書院の側面を観る事が出来ます。

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 手すり等がないので、慎重な行動が必要。必要以上に身を乗り出す等の行為は控えるべき。

 

 上の写真のように、大規模な瓦屋根の下にあるのは洋風建築。

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 窓やドアの雰囲気からは、現在の建物にこのような部分があっても違和感がありません。 

 

 庭からは、先述の諏訪神社が見えます。

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 しかし、ここ数ヶ月の歴史散歩で顕著なのは、我がスマートフォンのカメラの逆光への脆弱さ…。 

 

岩倉具視

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 実はここは、岩倉具視邸を移築した建物。 皇居外苑拡張のために取り壊し予定だったものを、当時のこの御寺の住職が譲り受けたというものらしい。

  この笹リンドウの紋が刻まれた鬼瓦も、村上源氏にルーツを持つ岩倉具視邸であった証拠となっています。

 

 改築はされているようですが、和洋折衷の不思議な建物でした。

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  帰り際、再び諏訪神社の本殿を臨む。

 

 御寺を後にし、副都心線西早稲田駅を目指そうと友人に道案内を頼んだところ、明治天皇ゆかりの史跡がマップ上の近くに表示されているとの事。先月習志野にある同じような内容の場所を訪れているので、折角ならばと立ち寄ってみる事に。

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明治天皇射的砲天覧所跡 

 

 この地に近衛射的場が完成した際、明治天皇行幸し観覧したとか。

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 規模は違いますが、史跡化のコンセプトに関しては習志野のものと同じですね。

 

 この史跡、実はさっき触れた諏訪神社の隣にあります。

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  既に閉門時間間際だったらしいので、門扉の開け方を管理している方に教わってからお参り。

 

 ここの神社の敷地も広いです。この裏に公園も有り。

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 実は新宿から西早稲田まではバスで来たのですが、道路の混雑などで実に1時間近くを費やしていました。初冬の陽射しは、既に大きく傾き心細いものとなっており、先を急ぎます。

 

 そして悪い予感は的中。次の目的地である赤坂見附に到着する頃には、空には残照が残るだけとなっていました。

 

赤坂喰違坂 

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 岩倉具視が元土佐藩の士族に襲撃を受けた赤坂喰違の変が起こった場所です。不逞の輩に囲まれ、絶体絶命の岩倉。とっさの機転を利かせて飛び込み、難を逃れたのが写真の真田堀。暗くて見えませんが…。

 

 こちらには濠らしきものが残っています。

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 ただし、写真には車のヘッドライトしか映っていません。 

 

 友人に撮ってもらった写真を借用。

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 岩倉が飛び込み危機を脱した真田堀は、現在上智大学の真田堀グラウンドになっています。

 

 これまた友人撮影の赤坂喰違坂。

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 『西郷どん』では事件の詳細は描かれず、襲撃直後に宮中へ運び込まれた岩倉が喚きながら大久保に事件の顛末を伝えるだけでしたが、笑福亭鶴瓶のコミカルにすら見える怪演も含め、新政府がいよいよ厳しい航海に突入した事を告げるかのような描写でした。

 

 そしていよいよ、大久保利通終焉の地へと向かいます。

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  車が行き交うこの地、江戸時代は紀州徳川家上屋敷があった場所。「紀尾井坂」のネーミングも、この地に屋敷を構えた州徳川家・張徳川家・伊家から頭文字を取られています。

 

 清水谷公園にて、十数年ぶりの再会。

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 大久保利通哀悼碑

 

 以前訪れた時に比べ、この公園自体がかなり整備されている印象を受けました。

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  少なくとも、このようなライトアップがされていた記憶がありません。お陰で、暗くなったとはいえ何とか撮影出来ました。事件の詳細を記した看板もかなり新しいもので、前回訪れた後に手が入った事は確実。

 清水谷公園の隣は参議院議員の宿舎だというマップ表示があり、今も昔もこの地は政治に関わった街。岩倉と大久保の遭難地が程近い事に驚きますが、その結末はあまりにも決定的に分かれてしまいました。

 

 維新三傑の全てが、明治の初頭に志半ばでこの世を去り、日本は更に近代化への道を速度を上げて突き進む。

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 かつて紹介した事もあるノンフィクション『星屑たち』の表現を引用するならば、実は彼らは新世代の旗手ではなく、旧世代最後の生き残りであったのかもしれません(特に西郷の西南戦争での祭り上げられ方を考えるに)。その点を描くことにおいては、ある程度今年の大河ドラマは成功していたかもしれません。

 木戸ファンの私としては、彼が病気を克服して生き残っていた世界を見てみたかったのも事実ですが…。

 

 この数日後、『西郷どん』最終回の紀行コーナーにて、早速清水谷公園が取り上げられました。ストーリーの展開上とても自然な流れではありますが、最終回直前に訪れておいて良かったと思った次第です。

 それでは、ここで2018年の(Revenge of the)United Mindsは店仕舞いとなります。皆様、良いお年を。