(Revenge of the)United Minds

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The Dusk of Skywalker

 ツイッターでは一切反応しなかったが、SWEP9の公開日とティザー映像が公開された。


「スター・ウォーズ/ザ・ライズ・オブ・スカイウォーカー(原題)」特報

natalie.mu

 リアルタイムで何も述べなかった事でお分かり頂けると思うが、少なくとも私にとってはもう諸手を挙げて盛り上がれるような作品ではなくなっているという事だ。もはやEP8がどうこうという問題ではなく、何度も書いている通りディズニー三部作について考えるのが煩わしい。もうどんな結末でもいいので、さっさと終わらせてほしいというだけである。
 あれほど愛した作品に対して、複雑な感情が渦巻くようになってしまった。この作品でも、またネット上では世代を乱暴にわけた対立や、守旧派と急進派に二元化された論争が巻き起こるのだろう。もう、自分はそこに加わるのも加えられるのも勘弁願いたい。娯楽に対してそういった感情を抱えるとは、新三部作の頃でも考えもしなかった。SNSが普及したからこその問題なのだろうが。

wired.jp

 このリンクの記事によれば、監督のJ.J.も「新世代の話」と強調しているので、EP8の路線から大きく変わらないのではないかと思われる。これにも色々と思うところはあるが、コメントは差し控えたい。

 

 気になるのは、続三部作(EP7~9)後に作られると噂されていた三部作の行方。更に未来の話をEP8の監督が描くと当初は噂されていて、本格的に避けたい作品だったのだが、上記記事によれば、ゲームの『Old Republic』の時系列を描くのでは、との事。

www.swtor.com

starwars.fandom.com

 実はこのストーリー、私が当初から映像化を望んでおり、無理にスカイウォーカーの系譜を描かずに、この世界観を映画化する事をEP7の制作発表当時に希望していた。
 EP4の3600年前、シス帝国が銀河共和国に仕掛けた大戦を描いた太古の話。ゲームは未プレイのままではあるものの、プロモーション映像には大いに沸き立った。
 ルークやアナキンは勿論、ヨーダすらまだ生まれていない時代の話。既存キャラクターの設定や尊厳を破壊する事なく、スターウォーズ・ユニヴァースの中で新たなストーリーや解釈を楽しむ事が出来る。ファンとしては心置きなく作品世界に浸る事が出来る最高の環境なのだが、当時のディズニーはあくまで旧キャストの出演を前提としたノスタルジックな脚本にこだわり、完成したのはEP4をトレースしたようなEP7であった。
 諦めていたものを映像化してくれるのならば、話は別だ。もし本当に『Old Republic』の時間軸で映画を作ってくれるのならば、それはもう観るという選択肢以外存在しない。

 

 本当に厳しいファンなら、EP8の時点で現在のルーカス・フィルムから決別しているはずだが、私は甘いのだろう。何だかんだでEP9の結末を見届けるつもりだし、『Old Republic』という餌をぶら下げられて、まんまとそれに食い付こうとしている。ディズニーの思う壺なのだ。
 要は、EP8という衝撃があったとはいえ、そう簡単にはこのサーガから逃れられないという事。続三部作でズタズタに傷付けられてしまったとはいえ、それでもどこかでスターウォーズに期待してしまう。それは、『反乱者たち』『ローグワン』『ハン・ソロ』という作品が面白かったのが元凶だ。

 

 『ハン・ソロ』といえば、友人にこの作品が「『映画秘宝』のライター陣から酷評されている」という話を聞き、その号を読ませてもらった。
 その論評を総括すれば、「ハンは女のためにコレリアを飛び出すような軟弱野郎ではない」「自分を始末しに来たグリードを躊躇いなく撃ち殺すようなタフガイがこんなに青春を謳歌しているのはおかしい」「もっとハードボイルドなものを期待していた」というのが主だった論調であった。
 私ももう少しハードな一面を強調されるかと思っていたのは事実だが、帝国アカデミーを追い出されたような若者が、最初からギャングのように振る舞ったのか。いくらワルぶってはいても、結局は自らの危険を省みずにルークを助け、エンドアで危険なミッションに身を投じる友情に厚い男。創造主たるルーカスが語る通り、ハンは悪人ではないのだ(だからグリードを先に撃たないのが正しい、と言うつもりもないが)。

 友人も言っていたが、オールドファンが考える通りハンが冷酷な船乗りだったとして、それが一般視聴者が望む展開であったかどうか。
 『グッドフェローズ』に準えるなら、ハンが恋敵をブラスターのグリップでボコボコに殴ったり、借金の取り立てのために相手をサルラックの間近まで吊るして脅したり、モス・アイズリーのバーの一軒を借金のカタに保険金目当てで燃やしたり、独自にスパイス密輸を始めてジャバ・ザ・ハットから破門されたり、スパイス中毒になって帝国のガンシップに追われている幻覚を見たり、最後には保身のために反乱軍の仲間を売ったり…果たしてそんな内容が、スターウォーズに詳しくない観客が求めているものなのかどうか。答えは否、だと思う。
 それだけ、それぞれにハン・ソロという人物への思い入れがあり、長年各ファンの中で暖められていた「ハン・ソロ・ザ・ビギニング」があったからこそ、そのギャップに異を唱えたくなったのだろう。その気持ちはよくわかる。
 勿論、私も現在ではレジェンズ扱いのスピンオフ等での情報から思い描いていたものと、映画で描かれたハンのヤング・エラが同一でなかったのは確かだ。特にチューイとの邂逅の場面はそれが顕著だった。しかし、長年語られてきたハンの前史の大枠から外れる事なく、新たな解釈で2010年代らしいエッセンスを加えた『ハン・ソロ』は上手く作っていると感じたし、実際大いに楽しんだ。

 

 続三部作の話題もそうだが、これだけ壮大なサーガとなってしまった作品であるだけに、ファンの数だけ解釈や思い入れが違うのだ。ファンではない方からすれば理解不能だろうが、それだけ世界中に影響を与えた映画なのだと理解して頂ければ幸いである。