There is a Shine That Never Goes Out
昨年夏、一連の太田道灌関連史跡を巡った中で一つだけ記事にしていなかったスポット。
この度再訪する機会があり、見逃していた箇所をチェックする事が出来たので、この記事をもってひとまずコンプリートとしたいと思います。
目次
石神井城址
現在この記事を書いている季節とはまるで真逆の猛暑の中、訪れたのは石神井公園。名前だけは当然ながら池袋を拠点としたバンド時代からよく知っていましたが、足を運んだのはこれが初めて。
自然に溢れた、文字通り都会のオアシス的な場所(陳腐な表現)。
勿論ここを訪れたのは、自然による癒し等を求めたわけではありません。
目的の半分はここ、石神井城址。江古田・沼袋の戦いで破れた豊島家当主・豊島泰経の居城です。
合戦に勝利した太田道灌は追撃の手を緩めず、石神井城を包囲し総攻撃。泰経は何とか逃亡し平塚城で再起を図るものの、迫り来る太田道灌軍を前に戦わずして逃亡。以後行方知れずとされているそう。
以前は城址内部を散策出来たようですが、現在は養生のために立ち入り禁止となっています。学術研究という名目なら場合によっては許可がもらえるようですが、卒論のテーマなどにすれば入れてもらえたんでしょうか?
説明や注意喚起の看板が周囲に多数設置されており、確認出来るだけでもこれだけありました。
それだけ豊島区にとっては重要な史跡なのでしょう。一応、日本史好きを気取っていたはずの私は昨年まで全く知りませんでしたが…。
三法寺池
そのまま、隣接する三宝寺池を散策。今年に入ってから知りましたが、この池はバス停の名前にもなっており、実際に利用しました。
単に自然公園を散策したいという理由もありましたが、主な目的は「金の鞍伝説」「照姫伝説」を探る事にありました。しかしこの看板では言及されていませんね。
夏の強い日差しに照らされる水の流れが、ちょっとした高原を訪れたかのような風情を醸し出す。
思わず「景色いいっすね」と本田圭祐ばりに呟きたくなる。晴れた日に来るには最高の場所ですね。
湧水地としても知られているそうで、石神井川の水源となっているのがこの三宝寺池だとか。豊島氏がここに居城の石神井城を置いたのはその支配のため。
三宝寺池沼植物群落もあり、国の天然記念物に指定されています。
東屋から池を臨む。海外の方も見かけましたが、近所に住んでおられるのでしょうか。
昭和の観光地感に満ち満ちたお茶屋さんもありましたが、写真や動画撮影やSNSへの掲載は断固厳禁、という張り紙が幾つも貼られていたのでこれだけの記載に止めます。こうやって存在を示唆するだけでも不味いんでしょうか…?
この時点では前述の伝説の名残を見つけられず、酷暑や強い日差しでインターネットを参照する事もままならなかったので、次の目的地である吉祥寺にバスで向かうため、この地を後にしました(ここから西武池袋線石神井公園駅まで徒歩移動するのに、暑さに疲れた体でまた難儀するわけだが)。
豊島氏の悲運の歴史を現代に伝える史跡の存在を知ったのは、前回の記事を書いたまさにその時。今年に入り、急遽この近辺に用事が入ったので訪問を決定。頼りなげな冬の日差しはタイムロスを待ってくれず、迫り来るリミットを気にしながら落ち着かない散策となりました。
姫塚
何とか到着した姫塚。完全に逆光です。
周囲は休日ということもあって子供達で大賑わい。こういった広々とした遊び場があるのは羨ましい事ですね。私の幼少時も遊び場には困りませんでしたが、このような管理された公園ではなく、ただただ広大な剥き出しの自然があるだけでしたから。
美しき豊島泰経の二女・照姫は父の非業の死に悲嘆し、自らも三宝寺池にその身を投じて生涯を終えたという。
それを憐れんだ敵将・太田道灌は彼女を弔い、塚を築く。それがこの姫塚である。
…というのが「照姫伝説」ですが、前述した通り豊島泰経はここで死んでおらず、照姫にあたる女性も家系図には存在しないのだとか。
とはいえこういった伝承が脈々と語り継がれてきており、近代に小説化もされているという事実は、豊島氏がこの地に住む人々に畏敬の念を抱かれているという証左でもあり、それは毎年この地で開催されているという「照姫まつり」という形で表れているのではないかと思います。
殿塚
程近い場所にある殿塚。
こちらに姫塚の分もまとめて説明が記してあります。
太田軍の総攻撃に追い詰められた豊田泰経は自らの運命を悟り、金の鞍を白馬に置いて城の裏手の崖に駆け上がった。
そのまま太田軍の兵達が見守る中、白馬もろとも三宝寺池へと飛び込んだという…。
これが「金の鞍伝説」ですが、泰経はここから逃げ延びたのは何度も書いている通り。これも史実ではないようです。
しかし、史実ではないからこそロマンがあるのも事実。現在は自転車が行き交うサイクリングコースでしかありませんが、かつてこの地の覇権を賭けて激しい戦いが繰り広げられたのは紛れもない事実です。
しばらくこの地を訪れる事もなくなると思われるので(用事がなくとも自主的に訪れれば別だが)、今回は数少ないチャンスでした。久々に歴史散策のきっかけを与えてくれた太田道灌には感謝したいと思います。
参考文献: