(Revenge of the) United Minds

Talkin' 'bout Music, Football(JEF United Chiba) and More.

「おっさん、おっさん、おっさんか?おっさん」「えー自分だと思う」

 自分は未だに何も成し遂げていない、空虚な人生を送っています。精神的にも幼く、成熟という言葉とも無縁。よって全く自覚はないのですが、残念ながら肉体は時間と共に衰え、周囲からも年齢相応に見られるようになる。これは避けようのない事です。

 形あるものはいつか消える。オール・シングス・マスト・パス。何者も時の流れには逆らう事が出来ません。『バック・トゥ・ザ・フューチャー Part2』の舞台となる2015年まであと二年足らずですが、未だに私の目の前に空飛ぶデロリアンが現れる様子はないので、恐らく時間旅行も実現していないのでしょう。

 

 人間は、こうして歳を取ると、「俺の若い頃は…」などととかく若者に文句を言いたくなる傾向があるようです。

 自分とは無縁な話だと思っていましたが、ツールの進化に関しては色々と昨今の若者に嫉妬せざるを得ない事も多々あります。もっとも、先人は私なんかよりもっと不便な環境の中で歴史を作ってきたわけですから、一切言い訳出来ないのも確かですが…。

 

 

 ただし、音楽の面に目を向けると、実は自分たちがヤング・エラを過ごした90年代後半~00年代前半とそう変化はないのですね。

 

 DAWも存在してはいたし、それを自分(とジョニー馬論)が選択しなかっただけで、かつてのバンドのヴォーカリストが導入しようとしていた過去もあります。勿論、現在と出来る事・出来ない事の差には大きな隔たりがあるでしょうが、方法論自体は変わっていないはず。

 何しろ我々は完全に全ての音をプログラミングで済ますバンドではなく、二人のギタリストの音を前面に出した打ち込みサウンドを標榜していました。あくまで生演奏が主体なので、テクノロジーの進歩は作っている音楽そのものを変化させるほどではなく、副次的なものにしかならないと思われます。

 敢えて言うならばボーカロイドの存在は大きな違いでしょうが、我々はメインのヴォーカリストを擁しながらも4人全員が歌えるバンドであったため、使用は一切考えなかったでしょう。

 

 エフェクターに関しても、PODやVariaxのような“モデリング”という概念が出てきた事は衝撃的でしたが、音楽の作り方自体を変えたわけではありません。

 確かに、自分は中学生時代に「1本でレスポールストラトなどの色んなギターの音が再現出来るモデルをYAMAHAにカスタムメイドしてもらう」という妄想をしていたので、それに現実が近付いて来た事はとても驚きではありましたが。

 

 他にもピエゾPU内蔵のチューナーや、クライオ処理された様々なパーツ、ポリウェブコーティングのエリクサー弦、WAVやmp3などで高音質録音できるデジタルレコーダーなど、便利でハイテックなグッズが次々に出て来ましたが、「あの頃これがあれば、何かが変わっていたはず…」と思った事はありません。

 

 

 むしろ、自分が音楽…というよりもギターに関して「俺らの頃と全然違うよ!不公平だよ!」と思うのは、ギグバッグの存在です(あくまで今のところは、ですが)。

 リュックのように両肩に背負えるから両腕がフリーになり、ギターの位置も安定する。クッションも入っているから、滅多な事ではギター本体が傷つかない。多少の雨も恐らくは大丈夫でしょう。

 前に働いていた楽器屋でこれを初めて見た時は、大層驚いたものです。同時に、せめてあと5年早く一般化してほしかった、とも…。

 

 自分は、ギターを買った時に付いて来たソフトケースで、テレキャスを担いで池袋まで通っていました。当時のソフトケースは、肩掛け部分のストラップが一本しかないため、片方の肩に掛けるか、思い切って佐々木小次郎の長刀のように背中に斜めに背負うしかありませんでした。

 

 片方の肩に掛けた場合、当然ながらギターの位置は安定しません。また、当時住んでいたアパートの自転車置き場が狭かったため、壁だのドアだのに何度もぶつける羽目になりました。それは相当な回数だったはずで、テレキャスのボディは傷だらけに…。

 斜め掛けの場合、ヘッド部分が後部にせり出すため、人混みで大変迷惑がられます。やけに混んでいた池袋西武の前をベーシスト氏と談笑しながら歩いていた際、「うぜぇ!」という叫び声と共にネックを力強く払われた事も…。

 

 一番最悪だった思い出は、駅前の有料自転車置き場に颯爽と乗り込んだ際、ケースのストラップ部分の金具が突然弾け飛び、金具部分ともども私の眼球を直撃した事です。

 このブログでも語った事があるように、私は幼少時から眼科に定期通院しています。そんな人間の眼を損傷しかけたという事は、はっきり言って只事ではありません。恐らくソフトケース自体が老朽化していたのでしょうが…その後、しばらくは外出時に伊達眼鏡をかけるのが習慣化した事があります。何があるかわからない、そのために少しでも眼球を守ろうとしての措置でした。

 

 このように、色々とギターの運搬には悩まされて来ました。あの当時、もっと求めやすい形でギグバッグが発売されていたら、と今でも思わずにいられません。

#8 Tetsuya Nishizono “Speak Like a Child” Part.1 〔by ラウド〕

 この回でも語りましたが、中学生の頃などは、ソフトケースを片方の肩に掛け、もう片方の手でアンプを持ち、片手運転で長距離を自転車往復したりしていました。本当によくやっていたなぁ…いくら若いつもりでいても、これを今再現しろと言われたらギブアップします。絶対無理です。しかも当時は主に夏休みに練習していたわけで…炎天下、熱中症になって確実に行き倒れますね。