(Revenge of the) United Minds

Talkin' 'bout Music, Football(JEF United Chiba) and More.

Twitter and the Monkey Man January 2014

 いつものです。当然ながら今月は大滝氏追悼一色でした。ツイート数も普段に比べれば多かったように思います。

 いつになく長いので以下、続きから。

 

 

 

 テレビ東京新春ワイド時代劇、今年は西田敏行氏主演の『影武者 徳川家康』でした。例年だと半日以上放送していた記憶があるので、今年は随分短かったですね。

 個人的には家康役といえばこの人、西やん(大滝氏風)。実は家康は関が原で戦死していて…というifのストーリー。完全にフィクションのお話でしたが、だからこそ娯楽作品として純粋に楽しめました。これからもこういう方向性でやるのはアリじゃないかなぁ。どうしても史実を元にすると、色々と不満は出ますからね。こうやって最初から割り切った方が面白いかも。

 山田純大氏は真田幸村役というかなりおいしい役どころでした。毎年この人をこのワイド時代劇で観ている気がしますが、個人的にはやはり『竜馬がゆく』での中岡慎太郎役が非常に印象に残っています。慎太郎役としては、上川隆也氏に並ぶ存在感だと思ってます。

 

 巻が去りし後、ジェフの魂を体現していた選手が去る事になりました。非常に残念です。先発でも交代出場でも、常に全力でプレーし周りを鼓舞してくれる選手でした。今後の彼の人生に幸あれと願うしかありません。

 彼のジェフでの最初のゴール(PK)を観られたのは、今考えれば幸せな事だったかもしれません。確か今の所馬論と最後に観戦した試合だったと思うけど、彼にとっては最後に観に行ったサッカーの試合かもしれません。どうですか、馬論君?

 

 ベストが発売されることはKeane公式サイトからのメールで知っていましたが、活動休止の事は恥ずかしながらタワレコのPOPで知りました。

キーン、ベスト・アルバムを最後に活動を休止 | Keane | BARKS音楽ニュース(BARKS)

 前作の発売に先駆けてのYouTubeでの動画は、新メンバーを迎えてバンド内の結束を強調するような内容でした。アルバムの内容も様々な実験を重ねて原点に還ってきたような感があったので、全くこんな展開は予想外でした。いや、だからこそここで活動休止という道を選ばざるを得なかったのか…。

 衝撃のデビューだったギターレスの1st、シンセを多用した2nd、ギターを遂に解禁した3rd、ヒップホップやテクノに接近したミニアルバム、そして原点回帰した4th…考えてみれば、Keaneの歴史は常に変革を求める旅だったように思います。この上なく美しいメロディ、圧倒的なトムのヴォーカルという完璧な武器を持ちつつ、それ故に保守的になる事を誰よりも恐れていたのかもしれません。

 ベストは新曲が2曲収録されていますが、基本的には収録曲が今でも我がiTunesヘビーローテーション中のものばかりなので特に買う予定はありませんでした。ただ、2枚組のデラックス・エディションはB面集が収録されるようなので、それ目当てに購入しようと考え直しています。

Best of Keane

Best of Keane

 

 最初の来日公演を観られて本当に良かった。

 

 大滝氏が亡くなった瞬間が、多くのショップにとって商売の開始の瞬間だったのかもしれません。業界からすれば当然の事であり、勿論私の感じた事など綺麗事で甘ったれた考えだという事は百も承知ですが、どう感じるかは私の自由です。 

 

 詳しくは今月の音声ファイルの中で語っています。30th Editonを買っていなかったのは、 ボーナス・マテリアルが純カラオケだけでなかなか購買意欲が沸かなかったからなんですよね…ただでさえCD選書盤、20th Editionと既に2枚ずつ所有しているわけで…。

 

 訃報が続きます。我々が親しんだ人々も、我々と同様に年齢を重ねていきます。避けられない事なのですね。それでも、残念だという気持ちは変わりません。

 ちなみに、大滝氏の追悼ツイートでは当然ながら松本隆氏のものがグッと来ました。思わず落涙しかけてしまう言葉。「いくつになっても少女漫画的ウェットさを持っている人だなぁ」(言い得て妙だなぁ…)と批判的に捉えている人もいらっしゃったようですが、こういうコメントを残してこそ私が憧れる大作詞家・松本隆だと思っています。他に誰がこんな事を言うと思いますか?さすがとしか言えません。

 

 後日、改めて語ります。

 

 夢の話はツイッターでやると嫌がられそうなので、ブログで自由に書きます。

 トイレットペーパーを買って帰ってきた私。そこは建て替える前の実家だった。

 旧い日本家屋だった旧実家の縁側から入ると、家族が居間で揃ってテレビを観ている。

 実家は、雨戸の外に塀が新たに設置されていた。ドアを開けて入るようになっているようだ。

 縁側を通り、トイレにペーパーの交換に行ったところで私は気付いた。

「これはどうやら夢の中だ。私は夢を見ているのだ」

 という事に。

「ならば、目が覚めるまでこの夢を存分に楽しもう。かつての懐かしい実家の思い出を堪能しよう」

 私ははっきりとそう思ったことを覚えている。旧い実家が取り壊されてからもう20年以上が経つ。曖昧になりつつある記憶を補完するために、家の隅々を見て回ろうと思ったのだ。

 

 まずは、トイレットペーパーの交換という、自分に課せられた仕事を終えねばならない。

トイレの神様…久し振りです。残念ながらこんな現状ですが…まぁ、何とか毎日やってます」

 和式便器の方を眺めながら、私はこう呟いた。

 「トイレの神様」といっても、植村花菜とは何の関係もない。私が小学校の頃に何度か見た悪夢に登場した、この世ならざる恐怖の対象である。

 戦国時代の大砲が怨念を持って妖と化し、何故か我が家のトイレから出現して私を追い詰める…という、突拍子もない夢だった(間違いなく、心酔していた水木しげる作品にインスパイアされたものであろうが)。

 私はそれ以来、しばらくこの恐るべき概念的存在を「トイレの神様」と自分の中で名づけていた。それに対しての、精一杯の敬意を込めた挨拶のつもりだったのだろう。

 だが、そんな畏怖の対象に報告するには、私の現状はあまりにも情けなかった。漫画家やミュージシャン、この旧い家の時代に抱いた大きな夢と比べ、何とか日々を生きているだけという現在の生活は、“神”にとっては唾棄すべきものだったに違いない。

 精一杯、おどけるように身をすくめて先述の言葉を呟いた記憶がある。自分としては謝罪のつもりだった。過去の純真だった自分と向き合わされているようで、心が痛かった。

 

 居間に戻ると、家族はテレビを凝視したままだった。帰ってきた私に目もくれない。

「外、変えたんだ。しばらく俺が来ないうちに、ドアなんか付けたんだね」

 壁にもたれるように座っていた祖父に、私は声をかけた。新たに据えられた、見慣れぬ塀に関して自分は問いかけたつもりだった。

「うへへへへへ…」

 生前と何も変わらない、いつものだらしなような笑みで祖父はそれに応えた。

「はははははっ」

 それにつられて、私も笑った。

 

 そのまま家族に背を向け、かつての私の部屋に向かおうとした時。

「ははははは…あああ、うわーん」

 笑いながら、大きな声を上げて私は泣いていた。この家で暮らしていた当時の、小学生の頃のように。

 祖父は八年前にこの世を去っているのだ(そういえば、命日も一月の末だった)。この旧い家も、二十年以上前に姿を消しているのだ。全ては、もう記憶の中にしか存在しないのだ。

 過ぎ去った日々を追体験しても、もうあの頃には戻れない。現在の自分が生きている現実から、決して逃れる事は出来ない。

 自分は、今を生きていくしかない。そう考えると、過去の記憶にみっともなく縋ろうとしている自分自身が情けなく、涙を流すしかなかったのだ。

 大声で泣きながら、夢が徐々に覚めていくのを感じた。ああ、夢はここで終わりなのだな、とはっきりと認識したのだった。

 ここで目が覚めました。相変わらず自分は甘ったれてるなぁ、と恥ずかしくなりましたね。