(Revenge of the) United Minds

Talkin' 'bout Music, Football(JEF United Chiba) and More.

感傷に浸る地

 先月、とある用事で池袋を訪れました。

 ここ数年は年に一度は来ているので、店のテナントなどは変わっているけれども、大きな変化はないな、という感じでした。

 

 既に「Speak Like a Child」で語りましたが、上京後しばらくは池袋が私の活動拠点でした。バンド練習もここ、バイトもここ。

 2002年にバンドが解散し、この年の5月でこの地でのアルバイトを辞めるまでは、週5~6ペースで池袋に通っていた事になります。正直に言うと、当時の私が東京で詳しい街といえばここしかありませんでした。

 それ以降はわざわざ池袋に行く理由もなくなり、活動拠点も総武・中央線沿線に移ったために訪れる機会は急激に減りました。少なくとも2005年から2009年の間は一度も訪れていないと思われます。

 

 当時はそれが日常だったので何とも思いませんでしたが、今考えると何でもあって便利な街でした。JR池袋駅東口からグリーン大通りを歩いて練習スタジオまで向かう道程も、駅周辺の混雑を除けばなかなか好きでした。

 帰り道は裏通りを通って行き付けのラーメン屋に寄るのが恒例でしたが、その途中にあったイベントスペース“シアター・グリーン”が、かつてSugar Babe鈴木茂ハックルバックなどが何度もライブを繰り返した伝説的な場所だったとは、当時の私は全く知りませんでした。無知はいけません。

 

 一番思い出深いのは、パルコとP'パルコに得体の知れない店がたくさんあった事です。フィギュア、雑貨、本、CDなどを輸入している店が多かったような記憶があり、何度行ってもどこに何があるかわからないカオスさが満ち溢れていました。

 洋書やポストカードなどをここで買ったと思うのですが、記憶が定かではありません。もしかしたら私の脳が当時の事を美化しようと、僅かな記憶を誇張しようとしているのかもしれません。馬論も覚えてなさそうです(そもそも、現在では彼と会話する機会がなくなってしまったのだが)。

 パルコの内部は、21世紀初めには粗方入れ替わってしまい、無難で無味乾燥な店ばかりになってしまったような記憶があります。個人的にもちょうど色々生活が切り替わる時期であり、バンド活動も明らかに停滞している時代。

 何かが終わろうとしている、これからは今までのように自分の思うようには時間を使えなくなる。大きな流れに飲み込まれようとしている自分。そんな事を日々感じており、何やらうすら寂しかった事を覚えています。その一年後にバンドが解散したのも決して偶然ではなく、その“流れ”に抗うだけの確固たる意思を我々が持てなかったが故の必然でしょう。

 あれからバンドメンバーはそれぞれの道を歩んでいますが、私は未だに当時と変わらないメンタルで生きているのでした。成長はゼロです。

 

 ちなみに、2010年に池袋で小学生男子と同席する機会があったのですが、彼が生まれたのは奇しくも私が池袋でアルバイトを始めた年でした。年月とは残酷だな、と改めて思った瞬間でしたね。人間とはこうやって老けていくのでしょう…。