“Player” Music
何度か「高校の途中まで無理して好きでもないHR/HMを聴いていた」という話を、ブログやツイッターに書いた事があります。今までそういった断片的な情報は明かしてきましたが、具体的なミュージシャン名を出す事はありませんでした。
中1からTMNの影響でバンド結成を考え、The Beatlesとの出会いで夏明けあたりから志望楽器をシンセからギターに変えた私。親の言い付けで楽器を買う事が許されなかったのですが、その分ギターに対する想いだけが募っていきます。
遠く離れた千葉市への楽器店詣でを繰り返し、その度に増えていくギターのカタログ。当然、それだけでは満足出来ないので、少しでも多く情報を仕入れようと音楽雑誌の講読を始めます。主に『プレイヤー』誌ですが、気になる特集があれば『ギターマガジン』『ヤングギター』も買いました。少なくとも、中学生の間は3誌のいずれかをほぼ毎月買っていたと思います。
何しろ情報源が少ない時代。インターネットなどというものが身近に存在するわけもなく、こちらはメディアから与えられた情報を受け取ることしか出来ません。すると、上記3誌から得られる知識だけが絶対的なものになっていきます。純朴な少年だった当時の私に、情報の取捨選択など不可能でした。つまり、ギタリストとしては『プレイヤー』『ギターマガジン』『ヤングギター』に載っているミュージシャンを聴かなくてはならないのだ、という刷り込みがされていくのです。
ここで冒頭の「好きでもないのに聴いていた」という状態に繋がるわけで、楽器をフィーチャーした雑誌に載る人はテクニカルな音楽をやっているのが殆ど。そうなると、自然とメタルなどの速弾きギタリストのインタビューや特集ばかり読む事になるわけです。さすがにこんな状態が続くと、「どうやら、ジョージやビートルズを素直に好きだと言う事は不味らしい。即ち、ポップな音楽を聴く事はいけない事なのではないのだろうか?」などとアホな事を考え出すのでした。
事実、高校時代までは「一番好きなギタリストはイングヴェイ、ジョージはランキング3位くらい」と公言していましたし、中学のクラスの卒業文集には、一番会いたい人の欄に「エディ・ヴァン・ヘイレン」と書いています。何だかなぁ…我ながら呆れます。
そんなわけで、中学2年から高1の終わりまでこんな音楽人生を歩んでいたわけですが、既にこのブログで書いた通りPet Shop Boys『Very』との出会いで考えを改めるわけです。高2の初めに何故か軽音部を追われ、与り知らぬところで吹奏楽部に転部させられていた…という前史もあっての方向転換だったわけですが。
この“無理してる期”にCDを買った事があるミュージシャンを、今回初めて明らかにしてみたいと思います。枚数としては少ないですが、ディスクユニオンもAmazonマーケットプレイスも無い時代、田舎の中高生にはこれが精一杯でした。
ジャンル的にはHR/HMではないものもありますが、あくまで前述の3誌に影響されて聴いたミュージシャンという括り方をします。
Night Ranger
90年代に突入し、熱狂的ファンだったTM NetworkはTMNへと“リニューアル”。待望のアルバム『Rhythm Red』にて、激しいギターをベースにしたハードロック・サウンドへと変貌しました。
そこでリード・ギターを主に弾いていたのが、Night Rangerのブラッド・ギルス。TM関係者なら…と購入したのがこのアルバム。シンセも多用したアメリカンHRはとても耳馴染みがよく、なにしろ曲がわかりやすくポップだったのでよく聴きました。この時期に買った音楽としては、上京時に唯一持って行ったのが彼らのベストです。
アームを使ったクリケット奏法のブラッド・ギルス、8フィンガー・タッピングのジェフ・ワトソンと、子供でもわかりやすい得意技を持った二人のギタリストがいた事も、非常にバンドのカラーを際立たせていたと思います。
ちなみに、TMNのリニューアル作にはDuran Duranのウォーレン・ククルロも参加。こっちも買いました。『Big Thing』だったかな?こっちはそんなに好きじゃなかったけど…。
当時の雑誌で積極的なプロモーションが行われていたせいか、何だか自然の流れのようにこれを発売日に買いました。ボウイ(否デイヴィッド)のコピーバンドにお付き合いしていた事も一因だとは思いますが。このCDは多分、まだ実家に置いてあります。
クリス・スペディングという凄いギタリストが参加している…という情報があったので、布袋氏と彼のギター・バトルがある曲を中心によく聴いたアルバムでした。今調べてみると、他にも豪華なゲストが多数参加しているんですね。しかし、アンディ・マッケイを当時の私が知っているはずがなかった…。
全米No.1ヒット「Jump」収録。基本中の基本ですね。他にも買った記憶がありますが、ちょっと思い出せません。『For Unlawful Carnal Knowledge』は持ってたはず。
当時のバンドスコアには、決まり文句のように「シンセブラスは『Jump』のような音で…」と書いてあり、どのようなサウンドなのか知りたかったというのもこのアルバムを買った理由です。今だったら、YouTubeで検索すれば一発でわかってしまいますけどね…知的好奇心を満たすには身銭を切らねばならない時代でした。
「Jump」は当然ながらポップで大好きでしたが、CDはどうしたかなぁ…現在手元にないので、何らかの形で手放したと思います。
Zepのボックスが出た頃で、非常に興味のあるバンドでした。とりあえず、と買ったのがこれ。何故アウトテイク集から入門しようとしたのか…当時の私にはちょっと手に負えませんでした。
それでもCD1枚を買うのが本当に大変な時代。結構頑張って聴いた記憶があります。「Ozone Baby」は特に耳コピするくらいリピートした曲。彼らの良さが理解できるのは、もっとずっと後の話となります。
当時買ったのは、勿論リマスター盤ではありません。デイヴ・ムステインという人が気になって買ったのだと思います。どうやら、マーティ・フリードマン加入第一弾アルバムだったらしい。今知りました。
このバンドも聴いておかなくてはならない、という空気になっていました。何故大ヒットした『ブラック・アルバム』でなかったのかは、自分でもわかりません。どういう曲が入ってたのか、殆ど記憶にないなぁ。
軽音部を去る際、部の先輩に譲ったアルバムのうちの1枚です。
伊集院光が“ロックなCD”を表現する際、「機関車が脱線したジャケットの…」と度々引用する事でもお馴染みのこのアルバム。電気ドリルを使った超絶ギタリスト、ポール・ギルバートよりも、(ヤマハのカタログでよく見ていた)ベーシストのビリー・シーンの方が気になって買ったのかもしれません。
1曲目の「Daddy, Brother, Lover, Little Boy」はよく覚えているのですが、「To Be With You」という大ヒットしたポップ・チューンの記憶が全くありません。今調べて「え、このアルバムに入ってたの?」と気付く始末。1曲目以外はロクに聴いていなかったという事でしょうね。このアルバムも、軽音部の先輩にあげました。半ば巻き上げられるような形だった記憶も…。
一時期は一番好きなギタリストであったわけですから、これ以外にも持っていたと思います。でも一番聴いたのはこれですね。クラシカル・メタルは非常にわかりやすい音楽性で、日本人好みするのでしょうか。彼の音楽はそれなりに楽しんで聴いていました。
1曲目の「Perpetual」は『ヤング・ギター』か何かにスコアが載っていて、軽音部で練習した数少ない曲のうちの一つです。途中の速弾きは当然無理なので、イントロのリフとAメロの途中までですが…。
ディマジオのHS-3を積んだフェンダー・ストラト、フィンガーボードは速弾きのためのスキャロップド仕様…懐かしいなぁ。これ以降、彼の音楽は全く聴いていませんが、一応このCDは実家にまだ残っているはずです。
Extreme
この時期、ポール・ギルバート、ザック・ワイルドと共によく雑誌の表紙を飾っていたギタリストがヌーノ・ベッテンコート。ワッシュバーンのカスタム・モデルを持ち、長い黒髪とラテンの香りがするハンサムな顔立ちで不敵に微笑む彼のルックスは、非常に魅力的でした。
そこで買ったのがこの1stで、大滝&山下両氏も褒めた名バラード「More Than Words」は入っていません。何故ファーストチョイスを間違え続けるのか…このジャンルから離れたのも、こういう私自身のしくじりが原因の一つなのかもしれません。
ちなみに、ヌーノはポルトガル出身だそう。「ヌーノ・ゴメスと同じファースト・ネームだから、もしかして…」と思ったのはサッカー・マニアになった頃の話なので、ずっと後の事です。
高校入学当時、3年生だった軽音部の部長(後にスタジオ・ミュージシャンに)とマニアックな話が出来るのは私だけであり、彼とのメタル談義の中で「こいつは聴いておけ」と薦められたのがきっかけだったと思います。
当然のようにテクニカルなフレーズが連発されるアルバムでしたが、ギター・インストばかりなので結構聴きやすかった覚えがあります。この作品もどんな曲が入っていたのか、殆ど覚えていないのですが。
それには理由があって、軽音部の部室にこのCDとT-Squareのスコアを置いておいたところ、何者かに盗まれてしまったからです。ああ、思い出したら腹が立ってきた。生きているうちに盗難者には罪を償わせます。
オジー・オズボーン(というかザック・ワイルド)、Loudness,Lynch Mob,スティーヴ・ヴァイなどもよくこの手の雑誌で見ていましたが、結局実際に音を聴くまでには至りませんでした。
こういう時代があったのは紛れもない事実。過去を否定しても仕方がないので、これはこれで私の音楽史の1ページである事を認めなくてはいけません。