Bye
多くのスーパースターが鬼籍に入った2016年。
こんな画像が作られるくらい、後世に影響を間違いなく残すであろう人物が次々にこの世を去っていきました。
そして、間近で何度も躍動する姿を観たあのケンペスまで、まさかの事故で…。
ブラジル1部リーグ所属シャペコエンセ 墜落事故に関するすべての方へhttps://t.co/fMJWDB4gLb#jefunited #ForçaChape pic.twitter.com/zZqgsYLrAL
— ジェフユナイテッド市原・千葉(公式) (@jef_united) 2016年11月30日
ボウイもプリンスもジョージ・マーティンもケニー・ベイカーも悲しさはありましたが、様々な意味でこの事故はショックでした。こんな形で彼に別れを言わなくてはならないとは。本人も無念だったでしょうし、何よりジェフのサポーターなら多かれ少なかれ衝撃はあったはずです。
その訃報の一週間後、今度はこんなニュースが。
闘病中だという事は風の噂で知っていましたが、彼までこの世を去ってしまうとは。彼が率いていたL⇔Rのブレイク期を知っていた者としては、少なからぬ動揺と寂しさがあります。
私はL⇔Rの熱心なファンだったというわけではありません。持っているのはシングル数枚とアルバム2枚のみ。しかし、前述通り「Hello It's Me」を経て「Knockin' on Your Door」で彼らがスターダムにのし上がっていく様をリアルタイムで知っています。当時の友人からアルバムを借りた時も、マッカートニーやウィルソン色を強く感じさせながらも日本的な歌メロに上手く落とし込んでいく才能は只者では無い、と一聴しただけでわかりました。
あの頃、Mr.Childrenやスピッツといったブリティッシュの香りが強いバンドが多くブレイクしており、学校の体育の時間に「君、あの手のバンドの区別付く?何か似たような人が多くてわからない」とクラスメイトに話しかけられたのを昨日の事のように思い出します。
確かその問いには適当に相槌を打った記憶がありましたが、内心では「どこが区別つかねーんだよ、ちょっと聞いただけでも全然違うだろうが…」と思っていました。ちょうど、絶頂期にあった小室哲哉の量産ヒット曲とは別の流れで、普遍的なバンド・サウンドが再びヒットチャートに復権していた時期でもありました。
「Knockin' on Your Door」のミリオンセラーの後、彼らL⇔Rが繰り出したシングルは「Bye」。この時期、自身の進路だけでなく多くの悩みを抱えていた私は、模試を受けに行った千葉市の某予備校近くのコンビニ内にて、ニューシングルとして流れて来たこの曲を耳にしました。
この頃、人の多い場所に出るのがとても億劫で、ちょっと不安になるくらいの精神状態でした。模試の昼休みで食事を買うためにコンビニに立ち寄ったのですが、どこか自分がそこにいるようでいないような、フワフワした気持ちでこの曲を聞いた事がやけに記憶に残っています。
大ヒット曲だった前作から大幅に売り上げを落とした、という情報を知ったのはかなり後の事ですが、「Knockin' on Your Door」よりも更にビートリーなサウンドに非常に親近感を覚え、自分にとってはお気に入りの曲です。アンバランスな精神状態の時に記憶に刷り込まれたせいか、とても自分にはラブリーに感じられます。
しかしこうして振り返ってみて、改めてここまで鮮明に覚えている事に自分でも驚いています。前述の模試で「ハーグ密使事件」を「パグ密使事件」と間違えて書いた事すら思い出してしまいました。それだけ多感な時代だったのでしょうし、その時期によく耳にした黒沢氏の音楽の事に親しみを覚えるのは、ある意味で当然なのでしょう。
熱心なファンの方には話半分で読み流して頂きたいのですが、黒沢健一氏には以前から少しだけ親近感を覚えている事があります。それは、spiritual sounds時代の音源を聞いたり、仲良くなってセッションしたりした複数の方から、私の歌唱法や声が氏に似ていると言われたという事。
書くまでも無いことですが、私のようなちっぽけな人間が才能溢れる黒沢氏の歌声と比較されるなど、どう考えても烏滸がましい事だというのは自分自身理解しています。しかし、彼の音域と私のそれは近いものがあり、L⇔Rのナンバーをカラオケで歌っていても非常に心地よかったのは事実。そう言ってもらえて自信になった、という程ではありませんでしたが、何となく自分の歌の方向性が見えたのもまた確かな事でした。
訃報を知った時、彼がカヴァーしたあの曲を聴きたくなりました。
ジョージの和製トリビュートアルバム、ビートルズ時代やソロ初期の曲が並ぶ中で黒沢兄が選んだのは「Ding Dong, Ding Dong」。あのチョイスはさすがだと思った。
— ミカ・ラウド (@MicaLaud) 2014年9月26日
本当に、「さすが」と言いたくなるような絶妙な視点とセンスを持ったミュージシャンでした。ご冥福をお祈り申し上げます。