記紀の断片
出先の地図を眺めていた時、気になる名前の神社を発見したので参拝する事にした。さすがに酷暑の中を歩くのはどう考えても難しい距離であったので、7年ぶりに自転車を使う事にした。
そこに祭られている(と思われる)主祭神は、私が最後に真面目にプレイしたゲームではこのような姿だった。
14年前にプレーしたゲームの事を詳細に覚えている程記憶力が良くないので、どのような特性を持っていたかは覚えていない。
しかし、その数年後に古事記や日本書紀に関して調べるにあたり、天孫降臨にてこの日本を高天原の神に献上した古来の神に関してずっと興味があった。
アップダウンの激しい道に四苦八苦しながら、特に迷う事なく到着。
周囲は民家に囲まれ、かなり生活の匂いが濃厚な場所であったが、二基の鳥居を潜り神域へ。
石の灯篭の向こうには階段が。
水鉄砲で遊んでいた隣家の子供が、明らかによそ者である怪しい人物(私)に「こんにちは」と挨拶してきた。
階段は、実際に登ってみるとなかなか急角度であった。
まだ朝早い時間ではあるが、日差しは容赦が無い。
最初の階段を登り切ると、もう一つの短い階段が待っている。
この時点でも本殿を見渡す事ができない。
「疱瘡神社本社合祀記念植樹」という木製の碑があった。
「合祀」という事は、近所に別の「疱瘡神社」があったのだろう。
当時交通の要衝であったこの地は、多くの人馬が行き交った場所。当然、 流行り病も運ばれてくる可能性が高い。種痘が一般化されるまで、疱瘡は成す術のない重い病であった事を考えると、疱瘡神を祭った神社があったのは当然と言えるのかもしれない。
どこにあったかはわからないが、疱瘡神社は役目を終えてここに合祀されたという事のようである。時代の移り変わりを感じざるを得ない。
画像の左端では、犬がじっと私を見つめており、帰りにはけたたましく吠え出した。確かに怪しい人物である事は否定しないが、参拝者なのだからその点は少しでいいから考慮してほしいものだ。
そしていよいよ本殿へ。
賽銭箱もなければ、いわれなどを書いた看板もない。
かなりシンプルな字で神社の名前が書いてある。
周辺の地図を調べてみると、近所には「出雲大社」、つまりこの社と同じ神を祭った神社も存在する。記紀に関係する神社が何故この近辺に集中しているのか…はっきりいってわからない事だらけだが、本格的に調べてみる必要はあるかもしれない。
犬に吠えられながら階段を下ると、女児は2人に増え、今度はそのもう1人が「こんにちは」と挨拶してきた。
一応こちらも同じように返してはみたものの、それだけでは何となく居心地が悪かったので「どうもね、ありがとうね」とぎこちなく言葉を放ってその場を後にした。子供達も、得体の知れない男にいきなり心当たりの無い感謝の言葉を投げかけられて大変困惑した事かと思う。彼女達が成長した後、「子供の頃に体験した不思議な記憶」としてこの日の事をブログなりSNSなりに書く日が来るのかもしれない。