Around the Dohkan
真夏に行った場所は半袖で過ごせるうちに記事に…と、無理矢理まとめてみる。
今夏、ちょっとした巡り合わせから史跡を訪ね、興味を持った太田道灌。彼がその武勇を知らしめた“江古田・沼袋原の戦い”は戦跡が訪れやすい場所にある事や、英雄には付き物の伝説がいくつかある事を知り、可能な範囲で足を運んでみる事にしました。2ヶ所とも別の日に来訪。
殆ど予備知識無しで行ってきたので、主に写真だけの紹介です。「金の鞍」「照姫」伝説が残るという石神井公園(三宝寺池)も訪れたのですが、今回記事を書くにああたりデータを参照していたら、かなり重要なポイントを見落としていた事に気付きました。調査不足が災いした形です。次の機会がいつになるかわかりませんが(今年中は難しそう…)、再訪し次第記事にしたいと思います。
目次
沼袋氷川神社
江古田原の合戦の際、道灌が本陣を置いたとされるのがこの神社。
境内に入り、まずは寄進者の名を記した石碑を見る。まさか、春に訪れたあの神社のような生々しい事情が刻まれているような事はないだろうと思いましたが…。
ここはここで「ゲリラ放火」という物騒な文言が記されていました。信仰を集め神々を祀る場でも、人間同士の複雑な事情からは逃れられない様子。
どうやらこの本殿のあたりに布陣したとか。
茅の輪の潜り方の説明があったので、それに従いました。
Google Mapを頼りに、先の大戦中に枯れたという道灌杉の跡を探すものの、なかなか見つからずさすがに焦りを覚える。
十数分ほど探しましたが、先ほどの石碑の裏にありました。何故ここがなかなか見つけられなかったんだ…。
道灌は布陣時、ここに杉を植樹したという。
在りし日は高さ30mに達する巨木だったとか。現存していないのは残念。
すぐ隣では神前婚を控えたとおぼしきカップルの撮影会が行われていたので、無事に道灌杉を見つけられた私は邪魔にならないよう去る事にしました。道灌に関する看板は、上記写真のものだけだったようです。
大鳥居は、皇紀2600年の記念に建てられたものらしい。まさに現在放送中の大河ドラマ『いだてん』で焦点になっている東京五輪「初」招致の年です(1940年)。
自性院
緒戦に敗れ、道に迷った道灌。だが一匹の黒猫が彼をこの寺へ導き、難を逃れる事が出来たという…。
神話や英雄譚での典型でもある「英雄を道案内する動物」の伝説。それが残されているのが、このお寺です。
平日とあって、御墓参りをする人、何かの工事の業者と訪れる人もまばら。
夏休み中という事もあって、境内を自転車で通り抜ける小学生の姿も。
窮地を脱した道灌は見事勝利を挙げ、自身を導いた黒猫を江戸城に連れ帰り可愛がったという。
その死に際しても丁重に葬り、この寺に猫地蔵尊を寄進したという話が残っているとか。この秘仏は1年に1度、2月3日に御開帳される。私が訪れたのは8月なので、勿論この扉が開く事はありません。
中を中を覗き込んでみましたが、閉じられたままのそれらしき木製の厨子は確認する事が出来ました。
石碑には、道灌に関する記述も。
二. 文明九年に政争あり 猫に導かれて福を得る
道灌公の報恩行 み像祀りし濫觴(はじめ)とぞ
無学ゆえ、「濫觴」(らんしょう)という言葉を初めて知りました。
逆側の入り口には、猫地蔵を前面にアピールした石碑が。
こちらは大通りに面しているので、売り文句として効果がありそう。
何より最高にキャッチーなのが、この招き猫の石像。
インパクト大。招き猫といえば豪徳寺が有名ですが、道灌伝説をバックボーンにこちらがルーツだとする説もあるとか。道灌だけでない様々な説の発信地、それがこの自性寺というわけです。しかし、この招き猫は道灌を導いたとされる黒猫ではありませんが…それはあくまで猫地蔵尊にのみ姿が受け継がれているのかもしれません。
23区西部にて、太田道灌の残した足跡はかなり克明に残っていると実感した今年の夏でありました。