(Revenge of the) United Minds

Talkin' 'bout Music, Football(JEF United Chiba) and More.

Boys in Savageland

 人生で最良の時間を過ごすはずの高校時代。それが私にとっては暗黒の日々であった事は何度も書いていますが、勿論最初からうちひしがれていたわけではありません。望んで進んだ場所ではないとはいえ、新たな環境に希望を抱いた時期もあったわけです(極々短い期間でしたが)。

 

 意気揚々と扉を叩いた軽音部も、そんな「希望」の一部でした。中学時代、自分なりに葛藤を繰り返した末に退部した吹奏楽部と違い、本当に好きな音楽を学校生活の中で追求出来るという高揚感。不本意ながら身を置いた環境でも、自分なりに楽しみ方を見つけられる。そう前向きに思考を切り替えられたのです。
 しかし、一応「軽音部」と呼ばれる部活に所属したとはいえ、未だにこの部がどのような活動をするのか理解出来ていません。要は、私はこの部に在籍中、活動と呼べるような事を一切していないのです。

 

 部員は、3年生が1人、2年生も1人。同級生に長渕を信奉するフォークシンガー、「タカサキ(高崎晃)」を自称するジャパメタラー(ただしBuck-Tickしか弾かない)、中村俊輔に酷似したルックスで何故か私を敵視していた武闘派ハードロッカー、そして私。ここまで6名全員ギタリストであり、この時点で部内でバンドを組むのは不可能です。
 私と共に入部した友人も、1人はベーシストでありながら楽器を部室に持参した事はなく(上京後に私とバンドを結成しますが)、もう1人に至ってはヴォーカリストやドラマーを自称しながら最後までパートを決めない有り様。これではまともな音楽活動は望むべくもありません。

 

 そもそも部室が屋上の狭いペントハウスにあるため、そこで練習する事は不可能。そうなると屋上そのものが練習場となるのですが、雨天時はそれも出来ないため部室で非生産的な駄弁りをする事になります。
 部室では部長のメタル話、音楽業界話、音楽理論の話、エロ話、女性との付き合い方などの講義がメインでした。右も左もわからないガキだったが故、最初は非常に楽しくそういった話を聞いていましたが、さすがに連日それが続けば辟易してきます。
 加えて、この年は文化祭が開催されないという話があり、最大の晴れ舞台が存在しないという可能性が高かった(結局この話は現実となる)。もう少し都会の高校なら、ライブハウス等で演奏発表の場を設けたりもするのでしょうが、あまりにも田舎過ぎてそんな上等なものはどこにもありません。

 発表の場がない、活動に面白味が感じられない、そもそもギタリストばかりでまともな演奏も出来ない。残念ながらこの状況にモチベーションを見出だす事は、当時の私には難しかった。自然と我々友人トリオは部活を休みがちになり、長い通学路を急いで帰宅する事に専念するようになります。

 

 そんな状況でも、部長は何故か我々の出席にこだわっており、会う度にサボりに苦言を呈されました。他の2人には何も言わずとも、私には必ず憤っている事を伝えてきたのです。
 彼から「才能がないから辞めろ」とギタリスト廃業を言い渡された(「キーボードの方が明らかに向いている」とまで言われた)程度の人間に何故そこまで執着するのか、当時の私は不思議で仕方なかったのですが、少しは「話せる奴」と思われていたのかもしれませんね。中学時代から多少なりとも音楽雑誌を読み込んでいたので、彼の話に付いていけたのが私だけだったというのも事実なので。

 

 その後の部室不在時、その部長に私のストラトのブリッジパネルにいたずら書きをされたのはまだ良かったのですが、中学の吹奏楽部時代に買ってもらったT-Squareのバンドスコアを何者かに持ち去られた事が、自分の中で決定的な分岐点となりました。
 盗まれた事自体がショックだったというよりは、「まさか勝手に持っていくような奴はいないだろう」と部の人間を信用してしまった自分自身の甘さ、それがどうにも許せなかったのです。スコア自体も、中学生時代の良き思い出が詰まったものだったので、それを部員の下衆さに踏み躙られたようにすら感じました。

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 その後、主体的にこの部活に参加した記憶はありません。1年生の終わり、なり手のいない形ばかりの吹奏楽部部長に勝手に任命されてからは、明確に軽音部を避けるようになりました(その経緯に少なからず憤っていた事も大きい)。2人の友人達も同様で、ベーシストに至っては一足先にドロップアウトしていました。部室から見える通学路を、部員(私含む)から咎められるのを避けるように自転車を全力で漕ぐ姿が今でも脳裏に蘇ります。
 翌年からは文化祭が復活した事もあり、私が去った軽音部は3年時にようやく演奏を披露していました。密閉空間の部室を手に入れ、ドラマーとベーシストも後輩の中に存在したようです。
 部を離れたとはいえ、私も人前でのギター演奏を諦めてはいませんでした。前述のヴォーカリスト・ドラマー志望の友人とウツ・木根の”フォーク・パビリオン”の真似事(TMNの楽曲を2人でアンプラグド方式にて演奏する)を文化祭でやろう、と一瞬盛り上がった事があります。勿論、当然のようにその案は立ち消えになっているのですが。ギターを教えると言ったのに、練習の度に逃げ回っていたあいつ…今さら愚痴っても仕方ないですが。


Rainbow Rainbow(Fork Ver.)

当時、既にTMは“終了”後。だが、まさに中学時代の友人が録画してくれたこの映像を観て、この曲を演奏しようと決めた。アップロードしてくれた方に感謝。

 

 以上のような経験から、私にとって軽音部の活動というのは「ひたすら部長の話を聞き、各々個人練習とも呼べないものを行うギタリストだらけの集まり」というものにイメージが固定されています。残念としか言いようがない人生経験ですが、これが現実だという事を受け入れなくてはなりません。

 「練習中、自分が出した音を聞いてプロデビュー経験のある教師が飛んできた」だの「伝説的OBが『この子、じゃじゃ馬だけどお前に抱いてほしいってさ』と言って古いSGをくれた」だのというファンタジックな逸話を書き連ねたいところですが、そういったものは創作物のなかにしか存在しないのです。
 創作物といえば、一昔前に女子高生が部活でバンド演奏をする萌えアニメがあったはずですが、それもこんな内容だったりするんでしょうか?

 

 以前も似たような内容の記事を書いていますが、別視点からの振り返りという事でご容赦ください。内容にちょっとした齟齬もありますが、どちらも真実なのであえて修正や注釈は加えません。

micalaud.hatenablog.com

 余談ですが、部長は専門学校在学中にプロギタリストとしてデビューしたそうです。確かに高校生離れしたテクニックと知識を兼ね備えていたので、納得の進路でした。当時人気だったアイドルのバックで弾いている、と本人がOBとして来校した時に話していましたが、今でも弾き続けているのか気になっています。彼と、長渕信者のシンガーにはもう一度でいいから会って話をしてみたいですね。