Yes I Can
未だ終息の兆しが見えないコロナ禍。緊急事態宣言明けの今夏は再び感染者数が増加し、全く気の抜けない日々を過ごしていました。自分が感染を回避していれば済むような状況ではないので、勿論行動は著しく制限されており、自分にとっての真の故郷である房総半島も全く訪問出来ていない始末。
房総半島へと帰省出来ない盆。思えば中学生時代以来かもしれません。“夏フェス”(私の出身ではない地域の祭り)での初ライブ出演がその理由だったはず。急遽演奏を2曲に減らされ、1曲はエアギター(音が出なかった)、もう1曲はバッキングでひたすら8分刻みを続けるだけでとてもつまらなかった記憶が。
— ミカ・ラウド (@MicaLaud) 2020年8月9日
私だけがこのような境遇に置かれているわけではないので気が滅入ったりはしませんでしたが、毎年の行事に参加出来ない事はストレスです。
このような状況下でしたが、大原に所用があり、訪問する機会がありました。帰省出来ない事で少し空しくはありましたが、用事は用事なので仕方ありません。せっかくなので駅から手近な史跡をマップから探し、せめてもの観光気分と、ブログネタの確保を行ってささやかなリベンジを実行する事としました。
勿論、何らかの知識や思い入れがあったわけではありません。しかしこういった一期一会の史跡を訪れ、想いを馳せるのも人生の楽しみの一つであります。
全く人の気配はありません。
恐らく土塁であったと思われる盛り土から本殿を臨む。
外房でよく見かける、コンクリートで固めた山肌。味気ないです。
土塁を抜けると、何かの建物がある郭へ。
ここが居館跡なのではないかという事です。
歩みを進めると、素晴らしい景色が広がっていました。
千葉県に生まれたにも関わらず海は苦手な私ですが、力強い夏の空より更に濃い海の青さを見せつけられては、さすがに心も躍ろうというもの。
この右奥に祠のようなものがありました。
近付いてみましたが、写真中央のロープのすぐ向こうは断崖絶壁。怖くなったので途中で引き返しました。
先程の土塁近くに戻ると、神社へのショートカット階段を確認。
傍らには、ここが城址である事を示す石柱があります。
房総治乱記によると、戦国時代ここに小浜城があり、城主は槍田美濃守であった。天正十七年(一五八八)二月美濃守が相州三浦に軍をすすめて北條氏と戦った時、その虚に乗じて、勝浦城主正木左近大夫は小浜城を襲いこれを攻めとった。
房州里見氏は援軍を送って小浜城の奪回を図ったが、攻め落とすことができなかった。無念に思っていた美濃守は三月に夜陰に乗じて激しく城を攻め、ついに奪還に成功した。しかし天正十八年、本多忠勝が大多喜城主になった頃、小浜城は本多氏に攻略されその姿を消した。
(この郭にあった案内板より引用)
一番高いポイントのここが本丸でしょう。
三浦半島まで進軍し、この地を後に支配する北条氏と戦闘している留守中、城を奪われる(異論を唱えている方もおられるようだ)槍田氏…よく聞く話ではありますが、名門・里見家の力を借りても奪い返せなかった無念さには同情します。執念を実らせ、念願の奪還を果たしたのも束の間、翌年には更なる勢力である本多忠勝が迫っていて…歴史とは残酷なものです。こういった名を知られていない城にも、いくつもの悲哀の逸話があり、確実にそこで戦いに斃れた人もいる。石碑一つしか置かれていない場所でも、好奇心は尽きない理由はそういった点にあります。
本丸(本殿)より一段下がった場所には道があり、大原港を一望できます。
緑とのコントラストが良く映える。
道はぐるっと神社を取り囲むように敷かれている。
自分が慣れ親しんだ九十九里沿岸より外房の海の方がアレルギー反応が少ないのは、それなりに高さのある山の存在が風景のコントラストを生んでいるせいなのではないかと今回気付きました。
剥き出しの太平洋。
ここはスペースが存在し、ベンチが置いてありました。しかし、私しか訪れる者がいない特別な感じ。疑似プライベートビーチです。
まさか東京を出た時は、こんな道を歩く事になるとは予想もしていませんでした。
この荒々しい雑草の生命力。地元に帰省している気分です。
東京都心に出ていくのと同じ服装、心構えでここに来てしまいました。
よって、この道をこれ以上進む勇気はありませんでした。もっとも、ここが地元だとしても御免蒙りますが(季節は夏、様々な生物の襲来が考えられるため)。
ちなみに、断念したポイントを逆側から見るとこんな感じ。
やはりここを越えるのは無理です。
上記の写真の右側に広がっている風景。
恐らくここが船着き場であり、城と直結した機能を持っていたのではないでしょうか。遺構らしきものは、こことコンクリートで固めた土塁だけです。
当日の朝まで全く訪れる予定のない場所でしたが、想像以上に心を動かされました。これだけの眺望を持ちながら全く観光スポット化しておらず、訪れていたのは私一人だけ。様々な事に想いを馳せる余裕があり、非常に充実した体験だったと思います。同時に、何かの生物に襲われたり、転落したりした場合はかなり状況は深刻なものとなったでしょうが。
この後、昼食を求めて海沿いを歩く事になります。そこから駅への帰路も含めて、トータルで5kmくらいは歩いたのでしょうか。それほどの距離でもないですが、猛烈な暑さでそれ以上の長さに感じました。
海へ向かう細い道、下校中の小学生、旧い日本家屋や個人商店、東京靴流通センター、閉じた小僧寿しの店舗…。
私の実家のある街や、房総半島の心の故郷、そして小学生の頃に毎夏泊りがけで訪れた蓮沼村。その3つの街を想起させる、どこかで見た事のあるノスタルジアを誘う街並みや風景。どれも同じ千葉県の田舎街だからそう感じるのも当然なのでしょうが、自分が体験した昭和末期を疑似体験させてくれた、この大原という街。
こういった体験が出来るとは想像もしておらず、心構えも全くなかったので、余計に強く心に刻まれる一日(厳密には数時間だが)となりました。
もう一度訪れる機会があるかどうかはわかりませんが、そういった意味も含めて奇妙な夏の思い出となりそうです。