2020's Best 〜Historical Best Articles〜
2020年、このような情勢下で行動は大きく制限され、心躍るような話題もない状況。お陰でブログ記事の題材にも事欠くようになりました。年末は1年の総決算でむしろ書きたい事が余るくらいなのですが、今年はそういうわけにはいかないようです。
今年の個人的トピックとして、自転車利用の復活があります。ちょうど10年前、愛車のパンクをきっかけ(自転車店の店主から、次の修理にはタイヤ交換が必須と予め告げられていたため)に徒歩・電車移動のみに移行していましたが、緊急事態宣言下での電車移動を避けるためにレンタルサイクルの利用に踏み切ったのです。同時期に実家にも数年ぶりに自転車が導入されたため、現住所でも実家でも乗る機会が増えたというわけです。
そういった自転車の利用によって、道中目に留まって訪れた史跡があります。歴史の転換点となるような派手な出来事が起きた場所ではなく、今まで見落としていた場所で個人的に新鮮さを感じた場所というだけですが、記事を埋めるためにさり気なく2回に渡ってふんわりと紹介。
前身ブログ時代から、繰り返し取り上げてきた千葉氏宗家終焉の地。
第16代当主・千葉胤直が最期を迎えたのがこの寺であり、墓地もあるという事で尋ねました。
看板の案内通り、本堂から離れた墓地へと進む。
隣接する天満宮の参道を横切る形となります。
この石塔が胤直の墓とされている。
頼朝の墓を思い出す、シンプルながら迫力の造り。
若干15歳で散った息子・胤宣以下、眷属の墓も連なっています。
石橋山の戦いに敗れた後の頼朝に加勢して以降、鎌倉幕府、南北朝、室町幕府と歴史の表舞台に立ち続けた名門・千葉氏。そんな一族も関東管領・上杉氏と執事・上杉氏の争いに巻き込まれ、骨肉の争いを繰り広げながら散り散りになっていくのであります。
現在では訪れる人もほぼいない、鄙びた御寺にも激動の歴史あり。
この流れで、次の場所を訪れる。
以前近くを通りかかった際、「木食」というインパクトある表記が目に留まり、訪れてみたいと思っていた場所です。
「木食」とは。
ネット上では行の内容として、食べて良い物は「木の実と野菜」「木の実のみ」と解釈に揺れがありますが、いずれにせよヴィーガンより更に厳しく自らを律する必要がある修行のようです。
この地を本拠とした木食上人は、木の実と草の根しか食べなかったという表記がありました。
木食上人は民生の安寧を願い、断食行の後入定した。
この場合「断食行の後」とあるので、上記リンクで空海が当初想定した意味合いではなく、即身仏となったと解釈すべきでしょうね。
日本どころか、世界規模で人心が乱れている現世。
上人の力を、またしてもお借りしたいところですが…。
これが恐らく、入定塚だと思われます。
かなり立派な石塔。
先程の寺院同様、ここも神社が隣接していました。
本殿はこれだけですが、敷地は広め。
目を奪われた、階段の急峻さ。
一応下りてみましたが、夜中や夕刻、雨上がりなどには遠慮したいです。
帰り道、見慣れた鉄塔が青空に映えていました。
ウイルス禍終息には遠い道のりですが、自転車生活は今後も続けます。