(Revenge of the) United Minds

Talkin' 'bout Music, Football(JEF United Chiba) and More.

Your weblogger's bamboosaber. This is the weapon of a Kendo Swordsman.

 生まれついての運動音痴(小学生時代は持久力には多少自信があったが)。頑迷固陋な我が故郷に未だ残り続ける田舎流マッチョイズムを嫌う、年長者に好かれにくいメンタリティ。

 そんな私が、確かに剣道を学んでいた時期がある。

剣道の特性を通じて礼節をとうとび

信義を重んじ誠を尽して

常に自己の修養に努め

以って国家社会を愛して

広く人類の平和繁栄に

寄与せんとするものである

www.kendo.or.jp

 勿論このような高邁な理想を抱いていたわけもないが、ともかく日曜午後の剣道教室に毎週通っていたのは覆しようのない事実なのだ。

 

 このような剣道の思い出話をしようと布石のつもりで行った前述ツイートではあるが、いざ思い出そうとしても記憶が茫漠としていて殆ど思い出せない。あまりにも遠い時代の出来事であり、その後誰かと語り合う事も皆無だったためだ。

 だが、不快な想いや心に負った傷というのは、どれだけ時間が経とうとも簡単には癒えないものだ。当時の周囲の人間の心ない一言は今でも覚えているし、未だに自分の行動に影響を及ぼしたりもしている。

 剣道に関して、そういった記憶が全く残っていないという事は、楽しんでいた証拠なのだろうと思う。少なくとも、練習試合で負け続けて嫌な思いをしたり、自分の不出来を晒上げられて惨めな気分になった、といった例とは無縁だったのではないか。

 徹底的に他人より優位に立って自尊心を満たすタイプの人間が存在するのは、今も昔も変わらない。だが味方になってくれるはずの教師が「とにかく出来るまでやらせる、その結果生徒が恥をかいても仕方ない」という考えで授業に臨む事も珍しくなかった。PK戦でシュートを止めるまでずっと何巡でもGK役をやらせたり、胴着を着られない生徒を受講者全員の前で竹刀で叩き続けるという行為を平気で行っていたのである。現代では考えられないが、そういう時代・環境だったのだ。生き抜いた私、本当に偉い。

 

 閑話休題。勿論、剣の先生が「この子の太刀筋…非凡なものを感じる。これは是非私が直々に剣の道が何たるかを叩き込まねば!」と思わず唸り、付きっ切りでのコーチを決意する『六三四の剣』的な逸話が生まれるような才能が私にあったはずもないが、ともかく日曜の午後という遊ぶための時間を潰してまで通うくらいには楽しんだのだろう。勿論、後に相棒となるジョニー馬論をはじめ、友人が通っていた事も続ける事が出来た要因としては大きい。

 ツイートでは『聖闘士星矢』を入門のきっかけに挙げているが、実はそれだけが理由ではない。坂本龍馬の千葉道場での経歴や、友人(毎年夏に泊りがけで遊びに行っていた親の友人の息子兄弟も含む)が取り組んでいた事。そういった要因で興味を抱き続けていた状態だったのが、アニメ版『聖闘士星矢』が決定的なトリガーとなっていよいよ実行に移った、というのが真相だ。

 これも詳しくは覚えていないが、星矢が何かの戦いの最中(聖域十二宮編より前であるのは確実)に「こ、これは日本の剣道の動きと同じだ!」と古谷徹ボイスで言っていたのを聞き、その時に何となく、自分の中で機が熟した、状況が整ったと感じた事をはっきりと覚えている。その後もどれだけ些細な事であろうとも新たな何かを始める際、そう感じる事が幾度もあったが、これがその最初の体験なのだと思う。

 

 だが私はその後音楽に目覚め、中学時代は吹奏楽部を選ぶ事となり剣道部には入っていない。つまり小学校の間に剣の道を諦めたのだ。

 やはり、日曜14時スタートという一番遊びたい時間帯に練習時間が設定されていたのは大きかったと思う。サラリーマン(教員だったかもしれない)の先生には最適だったかもしれないが、子供には辛かった。その上、私は土曜にピアノのレッスンがあったので、実質遊ぶ時間が無くなってしまうのである。

 それ以上に大きかったのは、やはりここでも眼の問題だった。小学校高学年、私の網膜の決定的な脆弱性が発覚したのと、剣道を辞めたらしき時期は恐らくリンクしているはずだ。主治医からはサッカーのヘディングを禁止されるくらいだったので、面を食らう剣道が許されるわけはなかったはずだ。

 高身長の入門者と試合をした際、全く遠慮のない(試合なのだから当然だが)一撃で頭部を強打され、耳鳴りがして戦意喪失した事は一度や二度ではなかった。「彼は生まれつき目が悪いので、面は狙わず胴か小手だけで一本を取ってください」などと無茶苦茶な特別扱いを望むわけにはいかない。そう考えれば、至極当然な成り行きだった。

 

 以降、私は中学の授業でしか剣道と関わっていないが、その時は楽しかった記憶がある。やはり、競技(この書き方はまずいのかもしれないが)としては好きだったのだ。私に剣道経験があると知った周囲が「あいつにだけは負けるわけにはいかない」と鼻息を荒くして挑んできたので、特に対戦成績が良いわけでもなかったが。

 あの頃使用していた竹刀は、未だに実家に置いてある。

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 ベッドの下に転がったペットボトルを引き寄せたり、風に飛ばされて木に引っかかった洗濯物を取ったりと、恐らく不本意であろう利用法をされているのであった。