KK197 Vol.2
昨夏、太田道灌関連の史跡を巡った際、三宝寺池へ向かう最中に目に入った伽藍(特に空を突く大塔)が目に留まりました。
次の機会には必ず訪ねてみよう、と思いながら1年。今夏その機会が巡ってきたのですが、その御寺の名こそ、上記リンクで紹介している三宝寺池の由来となっている三宝寺その地でした。
ここに辿り着いた途端、小雨がぱらついてくるという悪コンディション。
写真もこの有様です。
何らかの歴史的な由縁がない限り、特に御寺巡りを紹介しようとは思わず、これらの写真も公開するつもりはなかったのですが、現地で史跡案内を見て考えが変わりました。
この長屋門は、勝海舟の邸宅にあったものらしい。一気に緊張感が高まります。写真は酷い出来ですが。
中には何人かの人が集まっているような物音が聞こえてきて、檀家や信徒の会合が行われているようでした。さすがにこの状況で多くの人は集まる事は出来ないでしょうし、あくまで推測ですが。
勝家は海舟が幕臣になるまでは貧しい生活を送っていたので、これほど立派な門構えとなると当然維新後のものでしょう。静岡から転居後の赤坂邸の門だと思われます。
看板にはいつの時期の屋敷かは明記されていませんでしたが、この門が辿った複雑な経緯が記してありました。以下、案内板より引用。
練馬区旭町兎月園にあった勝海舟邸の屋敷門が、所有者の明電舎の事情により、取毀しの処分を受けるに際し、當時の練馬区長須田操氏の斡旋で、當山に移建された。
「兎月園」という何ともかわいらしい名前は、大正時代に練馬区(最寄り駅は板橋区の成増らしい)に開設された娯楽施設を指すとの事。当然ながら、千葉の田舎者はこの時まで名前すら知りませんでした。もっとも、先の大戦による利用者の激減により、終戦の約2年前に閉園しているという事なので、東京で生を受けても知らなかった可能性の方が高いですが。
悲惨な戦争と未曾有のウイルス禍。事情は異なりますが、利用者の激減によってこのような末路を辿る施設はこれから全国で幾つも例が挙がりそうで、物悲しい気分になります。
雨を凌ごうと門へ歩み寄ると、物陰から此方を伺う影が。
この世ならざる黒衣の何者か、と一瞬身構える。
勿論そんなわけはなく、自転車用チャイルドシートの背もたれでした。
一瞬、本当にぎょっとしたので紹介しておきます。
豊島氏が太田道灌に滅ぼされた後も、後北条氏、徳川氏と名だたる武将に保護され、発展した模様。山門が「御成門」と称されているのは、その名残だという。
巨大な観音様が、雨が止んだばかりの曇り空の下で屹立していました。
その名も「平和大観音」。当然ながら、混乱の一途を辿るウイルス禍の終息を願わずにはいられませんでした。
塀の向こうから見えた大塔。
もっと高く見えたのですが、近寄ってみると意外とコンパクトサイズです。
図らずも訪れてみた御寺が勝海舟と関連するものだったため、今年最後の史跡来訪は、以前からGoogle Mapのおすすめに表示されていたここに決定。
現在、この居住地跡は「すみだふれあいセンター」なる施設、及び保育園に姿を変えている事は地図で確認済み。当時を偲ばせる名残はない事は、今年に入ってこの辺りを何度も自転車で通過しているので百も承知です。案内の看板だけでも十分に歴史気分に浸る事は可能なので、ブログ記事としてまとめるために立ち寄ったのですが…。
何と、施設が現在改装工事中。
さすがにこの事態は想定しておりませんでした。
Google Mapの写真を見る限り、この辺に案内看板があったようですが…。
金網越しに覗いてみましたが、どうやら現在は看板自体が撤去されている模様。一時的な処置なのか、それとも今後もこのままなのか、それはわかりません。
全ての思い入れを拒否するような鉄骨を目の前にしては、残念ながら何の感慨も生まれませんでした。
これはこれでいかにも私らしいと思ったので、このまま記事にします。代わりの史跡を訪れるような時間的・社会的余裕もありませんでした。
奔放で豪放磊落な人生を送った海舟の父、勝小吉。無役の旗本だった彼が、妻と子(海舟)と共に頼ったのが、同じ旗本の岡野融政でした。海舟にとっては、9歳から19歳の多感な時期を、この岡野氏の屋敷で過ごした事になります。まさに雌伏の時期ですが、この間に勝家当主(父が37歳の若さで隠居)となり、後に大人物となるのだから人生はわかりません。このように今では単なる地域施設ですが、かなりの重要史跡の跡である事は疑いようがありません。
この記事にて、2020年の更新を終えます。
連日最多感染者数を更新し、変異型ウイルスも確認から殆ど間を置かずに国内に侵入。明確な危機に陥っているこの日本という国家、そして世界各国。まさか年が明けた際にこんな事態が待っているとは思わず、今年は色々と個人的に面白い出来事が待っているはずだったのですが…我々が「日常」と思っていたあの日々は、果たして帰ってくるのでしょうか。今年の1月まで過ごしていた時間が、もはや遠い過去に思えます。
この混迷がいつまで続くのか。ネガティブな感情ばかりを抱きながら、年を越えなくてはならないのは大変不本意です。それでも生きていくしかない。来年もよろしくお願い致します。