(Revenge of the) United Minds

Talkin' 'bout Music, Football(JEF United Chiba) and More.

Couldn't Care Less Whisper

 TM Networkのライヴ・コレクション・アルバムが発売される。


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  このリリースに際し、TMNへのリニューアル以後のサウンド、ライヴ両面を支えた葛城哲哉、2000年代後半から宇都宮隆ソロ作品におけるサウンド面のブレーンであるnishi-kenが、ディープな話を繰り広げている。

 

  このコンピレーション作品については購入後に改めて語るとして、私がシンセサイザーからギターへと志望する楽器を変更したのが、ちょうどこの葛城がTMNのライヴ・アクトに重要な影響を及ぼすようになったタイミングと重なっている事に気が付いた。
 小室哲哉の以降で、メンバーの木根尚登よりも前面にポジション取り、ギターだけでなくコーラスでも自己主張していた彼を私はあまり快くは思っていなかったが、それでも最初期に映像を観たギタリストの1人である。当然影響を受けているはずだ。

 勿論、今では彼に何のわだかまりもない。特に「君がいる朝」の情感溢れるソロなどは絶品だと思うし、「Screen of Life」イントロのアルペジオ・リフなどと併せ、彼のベスト・ワークの1つだと思う。

 

 勿論、それまでは小室哲哉になりたいという夢を抱いていたわけで、いつかYamaha EOS B200を購入する事を目標にしていた。今にして考えると、本当に低スペックな代物だったわけだが…。
 しかし、当然ながらそんな資金など存在しない。ヤフオクやメルカリ、ジモティーなどがあればもう少し安価に入手する事も出来ただろうが、当時はPlayerやキーボード・マガジンの中古楽器売買のコーナーすら知らない子供だ。断念せざるを得ない。
 そこで目を付けたのが「ショルキー」だった。Yamaha KX-5の事ではない、当時こういう商品が存在したのだ。アンプ付きのファミリーキーボードをストラップで肩に掛け、立って演奏出来るようにしたスチューデント・モデルの事をここでは指す。この商品の開発には、小室の影響があった事は間違いない。
 それほど、KX-5を弾きながらヴォーカリストと肩を並べ、派手にパフォーマンスする彼の姿にはインパクトがあったし、憧れがあった。何せ、私の音楽の相棒など、最初に購入したキーボードはKX-5だったくらいだ。勿論、音源モジュールやアンプの存在すら知らないないわけで、品物が届いた後の悲劇はわざわざ記すまでもない。だが、こういったシンセ・キッズは当時日本中に存在したであろう。

 

 閑話休題。ある年の夏、千葉大学病院の眼科に通うついでに(ここに通院したのはこの時が最後だった気がする)、生まれて初めて楽器店を訪れた記憶がある。恐らく、本気で購入するつもりだったのだと思う。だが、現実としてそういった楽器が私の手元にあった事はない。理由は思い出せないが、この時は購入しなかったのだけは確かな事実だ。
 そこから数ヵ月のうちに、私はギターを手にする事に決めた。それまでのエレクトロニック・ポップからハードロックにシフトしたTMN「Time to Count Down」『Rhythm Red』のリリースや、The Beatlesとの出会い、そして正直に書けばBzの存在も大きく影響している。この3バンドが、私をギター追求の道へと進路を取らせたのだ。

 

 ここまでは折に触れて語っているし、以前も似たような内容を記事にしている。

micalaud.hatenablog.com

 今回改めて思い出したのは、鍵盤楽器に限界を感じていた事も新たな楽器を選ぶ理由になったのではないか、という事だ。
 私は小学校時代にピアノを習っており、さして上手くもないものの両手で弾く事は全く苦にしていなかった。通っていたピアノ教室の発表会には毎年出演しており、小規模ながらステージ経験すらある。実は、キーボード奏者としての最初のハードルは既にクリアーしていたわけだ。
 しかし、ピアノ教室を辞めて1年足らずで全く弾けなくなっていた事に気づいたのは、TMを聞き始めて小室に憧れた時の事だ。私よりも本格的にピアノを習っていた妹に「近所の人に私が弾いていると思われて恥ずかしいから、下手な弾き方をするのは辞めて欲しい」と非情に宣告されるほど、まともに弾く事が出来なくなっていたのだ。
 ここからまた1から学び直すのは、かなり厳しいのではないか…そう痛感してしまった事も、楽器を変更した理由なのではないか。勿論、ギターの音の響きに魅せられた事が理由の90%以上を占めるのは間違いないが、それでもそういったファクターが存在する事も否定しようがない。
 上手く弾けなくても、打ち込みでの曲作りをメインにすればいい…という考え方は当時は難しかった。何しろ小室哲哉坂本龍一も、皆自分で楽器を弾いているではないか。

 

 今さらifの歴史を考えるのも難しいし、全くもって意味のない事ではあるが、私があのままキーボーディストとして人生を歩んでいたら、果たしてどのような音楽を志向していたのだろうか。

f:id:micalaud:20220302202649p:plain       テクノやハウスを愛好し、そういった音楽を自ら作り出す打ち込みマニアと化す。遠すぎるクラブに何度か通い、自宅をフロアにしてレコードを回したりもする…うーん、自分がそんな事をしている姿が全くイメージ出来ない。
 T-Squareのようなフュージョンにいくか、鍵盤楽器で弾き語るSSWを目指したか、恐らくそんな進路を取っていただろう。どちらにしても、さして上手くならなかった事だけは容易に想像出来るが…。
 いずれにせよ、ギターという楽器のお陰で構築出来た人間関係もある。向上しなかった演奏技術はともかくとして、ギターなしの人生はちょっと考えられない。

 

 ちなみに、後にギタリストを職業にした高校時代の軽音部の部長は、私に対する唯一の音楽的アドバイスとして「お前はキーボードの方がセンスがある。さっさとギターを辞めてキーボード奏者になれ」という言葉を送ってくれた。
 あまりにも私のギターの腕が下手くそ過ぎて呆れ果てたからのの発言なのか、それとも本当に何か光るものがあったのか、今となっては勝手に想像するしかない。最近、地元に帰省した際にサイクリング・コースとして彼の実家前を通る機会があるが、もし偶然鉢合わせしたら訊いてみたいものだ。