All those years ago
かつて、このブログで新バンドの結成を発表した事があります。
覆面バンドではないけれど、Traveling Wilburysに倣ってメンバーはWilbury姓を名乗ろうというルール。誰が決めたわけでもなく、それぞれが敬愛する人物のファースト・ネームを拝借する事となり、私は"Ivica Wilbury"という名を設定しました。
Georgeと名付けてはあまりにストレートすぎるため、哲学者のようなボスニア・ヘルツェゴヴィナ出身のサッカー指導者の名を借りました。この時、自分にとってイヴィツァ・オシムという人は、ジョージに匹敵するほどの敬愛、尊敬の対象だったのだと自らの行動で気付かされたわけです。
余談ですが、この「敬愛する人物のファースト・ネーム+Wilbury姓」という名付けルールは、このバンド結成の翌年にジョージの息子ダニーが"Ayrton Wilbury"(F1ファンであるハリスン父子のアイドルの1人、アイルトン・セナからの引用である事は明白)を名乗ってTraveling Wilburys再発プロジェクトのスタッフ欄に名を連ねるに至り、本家に逆輸入されることになるわけです(単なる偶然ですが)。
閑話休題。かつて残留争いを繰り返すだけだったジェフユナイテッド市原(・千葉)を、どん底から引き上げ(前任者ベングローシュ、前々任者ベルデニックの功績も忘れてはならない)、日本サッカーにエポックを起こすほど革命的な指導でサッカーの可能性を示した存在。
「日本らしいサッカー」という見果てぬ目標を提示し、「考えて走るサッカー」は競技自体の見方すらも変えてくれました。
私自身、理想のサッカーは彼が率いていた時代のジェフであり、未だにその時代の事を物差しとして見てしまっている事は否定出来ません。
2005年と2006年、私にとっては怒濤の日々でしたが、それは彼が率いていたジェフにとっても同じだったでしょう。
就任4年目、いよいよオシム・サッカーの集大成として期待された2006年シーズン。ワールドカップによる中断前まで、躓きがありながらも明らかに完成度が他シーズンとは別格だったジェフ。今年こそ、いよいよ…と思った矢先、待っていたのはあの茶番でした。
あまりにも偉大な指導者を失ったクラブのその後は、ここに書くまでもないでしょう。
サッカー指導者としては勿論ですが、私が心酔し、共感していたのはこの人の人間性でした。
mainichi.jp 平和の希求、民族主義の台頭への危惧、民族融和による共生の重要性、差別への断固たる態度、自身をコスモポリタンだとする姿勢。
彼の発言に影響されたわけではなく、私自身ずっと考えていた事ですが、彼が語るからこそその言葉には説得力が生まれ、多くの人に届いたわけです。
それは、自身がユーゴスラヴィア紛争の戦火に巻き込まれ、過酷な日々を過ごしたからこそ至った考え方なのでしょう。「分裂前のユーゴは、民族が融和した国家だった」と語っていた事が記憶に残っています。
しかし、世界は彼の理想とはどんどんかけ離れた方向に向かっている。非常に残念な事だけど、生きている我々がそれを諦めてはいけないと思っています。
こんなLINEニュースが着信した時は、本当に目を疑いました。
誰にだって、いつかこの時は来る。それでも、あまりにも大きな存在を失ったのも事実。
当然、あまりのショックでしばし動く事すら出来なかったのですが、私にはいくつか向き合わなければならない問題があり、悲しみに浸っているわけにもいきません。
今回もツイッターでは触れず、ブログのみで想いを表明する事も考えましたが、時間も夜更けだった事もあり、TLにさして影響も与えないだろうとさりげなくツイートする事にしました。
「誰かを『不要だ』などと言う人間は、いつか自分もそういう立場に陥るようになる。人生とはそういうものだ」
— ミカ・ラウド (@MicaLaud) 2022年5月1日
思うようにいかない我が人生ですが、常にこの言葉を胸に刻み付けながら生きています。今まで本当にありがとうございました。
しかし、眠る前に表示されたこのツイートの写真で、一気に視界が雲って…。
【イビチャ オシム元監督の訃報に接して】
— ジェフユナイテッド市原・千葉(公式) (@jef_united) 2022年5月1日
2003年から2006年まで監督を務めたイビチャ オシム氏が、5月1日にご自宅のあるオーストリア・グラーツにてご逝去(享年80歳)されました。ご逝去を悼み、謹んでお悔やみ申し上げますとともに、心よりご冥福をお祈りいたします。https://t.co/6GdV5y6oKS pic.twitter.com/mfOJT761x9
かつてよく目にしていたこのジャージと笑顔が、帰らない日々を実感させ、喪失感を募らせるのでしょう。今こうして文章を書いているだけでも、鼻や目に力を込めてやり過ごさなければならない始末。
しばらくは写真を見たり、エピソードを読んだりする度、こんな事が続くのでしょう。忘れる事はありませんが、慣れるしかないのです。
正直、自分自身がこの反応にかなり驚いています。それだけ思い出は美しく、存在は大きかったのだな、と。
現在、世界にも、私自身にも問題は山積しており、いつまでも過ぎ去りし日々に想いを馳せているわけにはいきません。
この世に生きた確かな証を残すため、私は歩み続けます。自分の想いに迷いが生じた時、残してくれた言葉を道標にさせて下さい。
イヴィツァ・オシムさん、今まで本当にありがとうございました。