(Revenge of the) United Minds

Talkin' 'bout Music, Football(JEF United Chiba) and More.

Don't say nanda-kanda

 世間の正月気分もそろそろ抜けてきたと思われますので、そろそろこの話題に触れたいと思っております。

 

 昨年の12月末、大滝詠一氏が急逝されました。

 あまりに突然のことで、正直に言えば今でも何を語ればいいのか、全くわかりません。時間が経てば、事の重大さを更に認識し、喪失感に胸を痛めるのだと思っています。

 自分の親族でもないのに、どうしても新年の挨拶である「明けましておめでとう」という言葉をネット上に書く事に躊躇いがありました。今この心理状態で何がめでたいものか、とどうしても心の片隅で思ってしまうのです。

 訃報から一週間が経とうとしていますが、今でもツイッターの方では思い出したかのようにポツポツ呟いています。「新年早々亡くなった人の事をウジウジと語っていて、しみったれている」と思っている方もおられるでしょうが、それだけ私にとって氏は重要な存在だったのです。

 

 そう、あまりにも私にとって大滝詠一氏は大きな存在でした。

 移転前のブログから読んで下さっている方はきっとご存知でしょう。それだけ何度も記事を書いています。特にプライベートで私を知る人はこの事を認識している方が多く、訃報が出た当日にはメールや電話で気遣って頂きました。

 彼から受けた影響は多岐に渡ります。今の私を形作る上で、絶対にこの人の存在を無視出来ません。ジョージやYMOの三人と同じくらい敬愛するミュージシャンであり、生き方への影響も含めればジョージと双璧を成す存在です。

 

 まず、当然ながら音楽的な影響。

 先人へのリスペクト、オマージュ。それも表面的な剽窃ではなく、全てを体系付けた上での重層的な構築、その上での引用。裏付けの無い表層的な「オリジナリティ」という言葉の薄っぺらさを理解した上で、自らの趣味に根ざした音楽を作る。常に実験精神を忘れない。

 当然、大滝氏に比べれば知識も能力もあまりにも拙かった私(と馬論)ですが、スピサンとしていたく刺激されました。遊び的な既存曲からのフレーズの引用、偽名の多用、マスタリングやミックスの重要性、ナイアガラ的な楽曲の制作、大滝氏の音楽をガイドにしての50年代~60年代の音楽の研究…いずれも稚拙な影響の発露ではありますが、二人とも完全に独学で音楽を創っていたため、大滝氏との出会いから得たのは目から鱗が落ちる体験ばかりでした。

 個人的には、ヴォーカリストとしても恐らく無意識のうちに影響下にあると思います。自然にビブラートがかかるようになった事、低音で落ち着いた歌を歌おうとするとどうしてもクルーナー調になってしまう事。これは、間違いなく80年代以降(特に『A Long Vacation』~『Each Time』の時期)の氏の歌を真似しながら歌っていたせいだと思います。

 

 そして、生き方や音楽リスナーとしての姿勢。

 一期一会、タイミングを逃したら次にチャンスはないかもしれない。近年、氏が残した言葉に「縁が無かったんだよ!」というのがあります。「いつまでもあると思うなナイアガラ」という教訓を蔑ろにしたナイアガラーに対する、痛烈な戒めの言葉。動ける時に動かなければ、次があるとは限らない。これは単に音盤コレクターとしてだけではなく、全ての事に通ずるのではないでしょうか。

 研究には前史や関連性が重要だという事もそうでしょうか。これは音楽的影響の所でも書きましたが、表面的な視点だけでは、本当の事は見えて来ないのです。

 

 当然ながら、私は大滝氏と面識はありません。ナイアガラと関係のあった方とお会いしたことは何度かありますが、あくまで私自身はただの出来の悪いファンであり、赤の他人です。

 それでも、私にとっては“師匠”と呼べる人物です。それだけ多くのことを氏から学びましたし、近年のラジオ出演やインタビューでの発言でも、更に学ばさせてもらっている最中でした。

 それが、こんなに突然別れる事になるとは。本当にショックであると言う他ありません。

 

 私だけでなく、現在の日本にとっても大きな損失ではないでしょうか。

 音楽家としては言うに及ばず、趣味で行っていた膨大なデータの蓄積(一昨年末のラジオデイズでは「FBIに匹敵する」とまで言われていた)、研究の継続。それらをわかりやすく伝える語り口、新たな視点からの発想の飛躍、そして大きな流れから全く違うと思われるものを結びつける能力。「分母分子論」や「アメリカンポップス伝」といった成果のごく一部を例に挙げるまでもなく、これは唯一無二のものです。

 音楽、(広義での)芸能、流行、野球、相撲、映画、日本史、ラジオ、テレビ、地図、落語…全てを誰かに公開するためでなく、自らの楽しみのためだけに研究し続けた…これを引き継げる人がいるとは思えません。何しろ、文面で残しているものの方が少ないのですから。

 

 訃報を聞いたのが帰省する直前。大滝氏の作品を聴くのには少し時間が空きましたが、自室に戻ってから、最初にかけたのが第一期ナイアガラの最後を強烈に飾った怪作『Let's Ondo Again』でした。

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Let's Ondo Again / Niagara Fallin' Stars

 何故、氏のファンになるきっかけとなった珠玉のメロディ・タイプ楽曲集『A Long Vacation』でなかったのかはわかりませんが、気が付いたらこのCDを流していました。

 暴力性すら感じさせる、怒涛のようなパロディの嵐。ニュースと共にテレビやラジオから流れる「君は天然色」や「幸せな結末」に反発したかったというわけではありませんが、「ニューミュージック歌手」みたいな世間の認識に違和感を感じた事は確かです。それが無意識のうちに、このアルバムを選ばせていたのかもしれません。

 

 こないだ、ジョージがこの世を去った時の事を書いたばかりですが、何となくその日の事を思い出していました。あの時、自分はどうしたか。そして、今はどうすればいいのか。ぼんやりとそんな事を考えながら、故郷へ向かう電車の中で呆然としていました。

 当然、今回のこんな記事では大滝氏への思いは語り切れません。これからも折に触れ、このブログやツイッターで書いていこうと思います。

 

 大滝師匠、今まで本当にありがとうございました。どうぞ安らかにお眠りください。