(Revenge of the)United Minds

Talkin' 'bout Music, Football(JEF United Chiba) and More.

Yes I Can

 未だ終息の兆しが見えないコロナ禍。緊急事態宣言明けの今夏は再び感染者数が増加し、全く気の抜けない日々を過ごしていました。自分が感染を回避していれば済むような状況ではないので、勿論行動は著しく制限されており、自分にとっての真の故郷である房総半島も全く訪問出来ていない始末。

 私だけがこのような境遇に置かれているわけではないので気が滅入ったりはしませんでしたが、毎年の行事に参加出来ない事はストレスです。

 

 このような状況下でしたが、大原に所用があり、訪問する機会がありました。帰省出来ない事で少し空しくはありましたが、用事は用事なので仕方ありません。せっかくなので駅から手近な史跡をマップから探し、せめてもの観光気分と、ブログネタの確保を行ってささやかなリベンジを実行する事としました。

goo.gl

 勿論、何らかの知識や思い入れがあったわけではありません。しかしこういった一期一会の史跡を訪れ、想いを馳せるのも人生の楽しみの一つであります。

 

 現在は、小浜八幡神社となっている城址

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 全く人の気配はありません。

 恐らく土塁であったと思われる盛り土から本殿を臨む。

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 外房でよく見かける、コンクリートで固めた山肌。味気ないです。

 

 土塁を抜けると、何かの建物がある郭へ。

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 ここが居館跡なのではないかという事です。

 

 歩みを進めると、素晴らしい景色が広がっていました。

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 千葉県に生まれたにも関わらず海は苦手な私ですが、力強い夏の空より更に濃い海の青さを見せつけられては、さすがに心も躍ろうというもの。

 

 この右奥に祠のようなものがありました。

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 近付いてみましたが、写真中央のロープのすぐ向こうは断崖絶壁。怖くなったので途中で引き返しました。

 

 先程の土塁近くに戻ると、神社へのショートカット階段を確認。

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 傍らには、ここが城址である事を示す石柱があります。

 

 房総治乱記によると、戦国時代ここに小浜城があり、城主は槍田美濃守であった。天正十七年(一五八八)二月美濃守が相州三浦に軍をすすめて北條氏と戦った時、その虚に乗じて、勝浦城主正木左近大夫は小浜城を襲いこれを攻めとった。

 房州里見氏は援軍を送って小浜城の奪回を図ったが、攻め落とすことができなかった。無念に思っていた美濃守は三月に夜陰に乗じて激しく城を攻め、ついに奪還に成功した。しかし天正十八年、本多忠勝大多喜城主になった頃、小浜城は本多氏に攻略されその姿を消した。

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  (この郭にあった案内板より引用)

 

 一番高いポイントのここが本丸でしょう。

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 三浦半島まで進軍し、この地を後に支配する北条氏と戦闘している留守中、城を奪われる(異論を唱えている方もおられるようだ)槍田氏…よく聞く話ではありますが、名門・里見家の力を借りても奪い返せなかった無念さには同情します。執念を実らせ、念願の奪還を果たしたのも束の間、翌年には更なる勢力である本多忠勝が迫っていて…歴史とは残酷なものです。こういった名を知られていない城にも、いくつもの悲哀の逸話があり、確実にそこで戦いに斃れた人もいる。石碑一つしか置かれていない場所でも、好奇心は尽きない理由はそういった点にあります。

 

 本丸(本殿)より一段下がった場所には道があり、大原港を一望できます。

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 緑とのコントラストが良く映える。

 

 道はぐるっと神社を取り囲むように敷かれている。

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 自分が慣れ親しんだ九十九里沿岸より外房の海の方がアレルギー反応が少ないのは、それなりに高さのある山の存在が風景のコントラストを生んでいるせいなのではないかと今回気付きました。

 

 剥き出しの太平洋。

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 ここはスペースが存在し、ベンチが置いてありました。しかし、私しか訪れる者がいない特別な感じ。疑似プライベートビーチです。

 

 まさか東京を出た時は、こんな道を歩く事になるとは予想もしていませんでした。

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 この荒々しい雑草の生命力。地元に帰省している気分です。

 

 東京都心に出ていくのと同じ服装、心構えでここに来てしまいました。

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 よって、この道をこれ以上進む勇気はありませんでした。もっとも、ここが地元だとしても御免蒙りますが(季節は夏、様々な生物の襲来が考えられるため)。

 

 ちなみに、断念したポイントを逆側から見るとこんな感じ。

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 やはりここを越えるのは無理です。

 

 上記の写真の右側に広がっている風景。

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 恐らくここが船着き場であり、城と直結した機能を持っていたのではないでしょうか。遺構らしきものは、こことコンクリートで固めた土塁だけです。

 

 当日の朝まで全く訪れる予定のない場所でしたが、想像以上に心を動かされました。これだけの眺望を持ちながら全く観光スポット化しておらず、訪れていたのは私一人だけ。様々な事に想いを馳せる余裕があり、非常に充実した体験だったと思います。同時に、何かの生物に襲われたり、転落したりした場合はかなり状況は深刻なものとなったでしょうが。

 この後、昼食を求めて海沿いを歩く事になります。そこから駅への帰路も含めて、トータルで5kmくらいは歩いたのでしょうか。それほどの距離でもないですが、猛烈な暑さでそれ以上の長さに感じました。

 

 海へ向かう細い道、下校中の小学生、旧い日本家屋や個人商店、東京靴流通センター、閉じた小僧寿しの店舗…。

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 私の実家のある街や、房総半島の心の故郷、そして小学生の頃に毎夏泊りがけで訪れた蓮沼村。その3つの街を想起させる、どこかで見た事のあるノスタルジアを誘う街並みや風景。どれも同じ千葉県の田舎街だからそう感じるのも当然なのでしょうが、自分が体験した昭和末期を疑似体験させてくれた、この大原という街。

 

 こういった体験が出来るとは想像もしておらず、心構えも全くなかったので、余計に強く心に刻まれる一日(厳密には数時間だが)となりました。

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  もう一度訪れる機会があるかどうかはわかりませんが、そういった意味も含めて奇妙な夏の思い出となりそうです。

Gift of Fanks M

 TM Networkの35周年事業、その締めくくりとしてリリースされた2組のベスト・アルバム。久し振りに最新の音で聴くTMには個人的に多くの発見があり、すでにこのブログでも記事を書いた。

micalaud.hatenablog.com

 上記の編集盤は古巣のソニーから発売されたものだが、「2組」と書いた通りavexも姉妹盤をリリースしている。

Gift from Fanks M(CD3枚組)

Gift from Fanks M(CD3枚組)

  • アーティスト:TM NETWORK
  • 発売日: 2020/03/18
  • メディア: CD
 

  最初に買った『T』より時間を置いてしまった『M』に関しては、それほど驚きはなかったのでここまで放置してしまった。しかしこのままでは片手落ちなので、もう1枚の方で再発見した事に関しても記しておこうと思う(緑字部分が今回気付いた点)。

 

金曜日のライオン (Take it to the Lucky)

 ベースがシンセではなく、生のエレクトリック・ベース。ソロだけフレットレスで弾いているのかと思っていた。
 記念すべきデビュー曲。前述ののソロが灼熱の大地をあてどもなく彷徨っているかのような効果があって、聴く度にハッとさせられる。同じく1stアルバム収録の「1/2の助走 (Just for You and Me Now)」のボリューム・ペダルとスライド・バーを駆使したギター・ソロ(北島健二)といい、この時期は生楽器を使ってファンタジックな効果を出すのが上手かった。

 

アクシデント

 Rのアコースティック・ギターのカッティングを補強するかのような音が気になる。シーケンスか? ミュートしたエレクトリック・ギターではないと思うが。
 TMのシングルとしては転調が抑えめの、ニューミュージック寄りのアプローチ。売れたかったという気持ちは伝わってくる。個人的にも心地好く感じる曲。

 

永遠のパスポート

 イントロのみで鳴っている、Rから聴こえるフェーザーがかかったような音。アウトロでは鳴っていない。謎。
 元々は「隠れた名曲」ポジションだったのに、編集盤やメモリアルなライヴで事ある毎に取り上げられており、全然隠れていない。

 

Fantastic Vision
 全体的に音が少ない印象だったが、カッティング以外でもアコギが活躍している。サビで音数を減らすのが小室アレンジの妙か? その分そこではシーケンスのリフが目立つ。

 福岡県では天気予報のBGMとしてリリース時(1985年)から使用され続けており、TMは知らずともこの曲を知らず知らずのうちに聞いている福岡県民は多いらしい。マリッジ・ソングではあるのだが、少しは物を知るようになってから歌詞中に登場する「Rainbow Flags」が意味深に響くようになった。

 

Confession 告白

 アコギが全編に渡って良い味を出しているのだが、誰が弾いているのだろう。木根氏だと信じたいが。ベースもシンセかと思っていたが、生だった。
 私にとって、常にTMソングNo.1の座にある楽曲である。“終了”後に顕著になる、木根氏のAOR志向を活かしたバラードの代表作。

 

You Can Dance

 生ブラスの勢いにかき消されていた両サイドのエレクトリックギターが勢いを増している。

  ネタ元はElton John「Saturday Night's Alright for Fighting」。木根氏が自身のソロライブでピアノ弾き語りで披露したが、Eltonの如きロックンロール・ピアノが素晴らしかった。

 

Fool on the Planet (青く揺れる惑星に立って)

 小室氏の多重コーラスを壁のように配したアレンジは、10cc「I'm Not in Love」を念頭に置いていたのかもしれない。こういう使い方ならば、独特すぎる声質も映える。
 TM屈指の名曲であり、ファンからも高い人気を誇る。こういう木根メロディを、1曲でいいから(最初の10年の間に)シングルカットしてほしかったが。

 

Kiss You

 Lのクラビ系シンセ、Rのギターカッティングが非常によく聞こえ、ファンキーさを増している。
 ブレイク作「Get Wild」の次、本来なら絶対に売らなければいけないシングルにファンクを意識したこの曲を採用するセンスに恐れ入る。この時代の小室哲哉は間違いなく天才だった。

 

Another Meeting

 Lアコギのアルペジオ、Rガットギターのアルペジオ、センターがコード・カッティングと弾き分けている。木根作詞・宇都宮作曲という全楽曲中唯一の編成なので、ギターは全て2人で弾いていると思いたい。
 “終了”直後の編集盤『TMN Blue』にのみ収録だが、本来はラスト・シングル「Nights of the Knife」のカップリング予定だった。歴史の終わりを象徴するような曲なので人気があるのだろうか。私も好きな曲だが、最近まで音源を所持していなかった。

 

Green Days 2013

 20周年ライブの際に、ステージにて初披露。以降はこのバージョンがライブ会場限定でのCDにしか収録されておらず、レアな曲だった。曲としては特に感銘は受けなかったが(ら抜き言葉を使った作詞にTK臭がして気になる)、こうして一般に流通するアルバムに収録された事は喜ばしい。

 私もこの編集盤のファン投票の際、この曲に投票した…というより、曲の好き嫌いは度外視してアルバム未収録・未CD化楽曲にしか票を投じていないのだが。

 

Get Wild 2015 -Huge Data-

 上記の曲同様、ライブ会場限定CDもしくは配信のみでの公開だった。30周年活動の並々ならぬ意気込みを物語る、11分超えのライブアレンジをスタジオ収録したもの。これも初収録。
 EDMは正直好みではないが、このジャンルをベースに掲げた30周年ツアーの一連の旧曲アレンジは成功していると思う。このバージョンもお気に入りである。長すぎるので、気軽には聴けないが。

 

Get Wild '89 (7inch Version)

 こちらの『M』盤最大の目玉である蔵出し曲、というより未発表バージョン。7分近くある原曲を、オンエアしやすいように編集してある。何しろ、イントロが1分半以上あるのだから、ラジオでは流しにくかったに違いない。
 特に取り上げるような話題もないのだが、数年前に私もこの曲の短縮編集を行っており、それよりずっと出来が良くて感心した。プロの仕事だから当たり前なのだが…。

Boys in Savageland

 人生で最良の時間を過ごすはずの高校時代。それが私にとっては暗黒の日々であった事は何度も書いていますが、勿論最初からうちひしがれていたわけではありません。望んで進んだ場所ではないとはいえ、新たな環境に希望を抱いた時期もあったわけです(極々短い期間でしたが)。

 

 意気揚々と扉を叩いた軽音部も、そんな「希望」の一部でした。中学時代、自分なりに葛藤を繰り返した末に退部した吹奏楽部と違い、本当に好きな音楽を学校生活の中で追求出来るという高揚感。不本意ながら身を置いた環境でも、自分なりに楽しみ方を見つけられる。そう前向きに思考を切り替えられたのです。
 しかし、一応「軽音部」と呼ばれる部活に所属したとはいえ、未だにこの部がどのような活動をするのか理解出来ていません。要は、私はこの部に在籍中、活動と呼べるような事を一切していないのです。

 

 部員は、3年生が1人、2年生も1人。同級生に長渕を信奉するフォークシンガー、「タカサキ(高崎晃)」を自称するジャパメタラー(ただしBuck-Tickしか弾かない)、中村俊輔に酷似したルックスで何故か私を敵視していた武闘派ハードロッカー、そして私。ここまで6名全員ギタリストであり、この時点で部内でバンドを組むのは不可能です。
 私と共に入部した友人も、1人はベーシストでありながら楽器を部室に持参した事はなく(上京後に私とバンドを結成しますが)、もう1人に至ってはヴォーカリストやドラマーを自称しながら最後までパートを決めない有り様。これではまともな音楽活動は望むべくもありません。

 

 そもそも部室が屋上の狭いペントハウスにあるため、そこで練習する事は不可能。そうなると屋上そのものが練習場となるのですが、雨天時はそれも出来ないため部室で非生産的な駄弁りをする事になります。
 部室では部長のメタル話、音楽業界話、音楽理論の話、エロ話、女性との付き合い方などの講義がメインでした。右も左もわからないガキだったが故、最初は非常に楽しくそういった話を聞いていましたが、さすがに連日それが続けば辟易してきます。
 加えて、この年は文化祭が開催されないという話があり、最大の晴れ舞台が存在しないという可能性が高かった(結局この話は現実となる)。もう少し都会の高校なら、ライブハウス等で演奏発表の場を設けたりもするのでしょうが、あまりにも田舎過ぎてそんな上等なものはどこにもありません。

 発表の場がない、活動に面白味が感じられない、そもそもギタリストばかりでまともな演奏も出来ない。残念ながらこの状況にモチベーションを見出だす事は、当時の私には難しかった。自然と我々友人トリオは部活を休みがちになり、長い通学路を急いで帰宅する事に専念するようになります。

 

 そんな状況でも、部長は何故か我々の出席にこだわっており、会う度にサボりに苦言を呈されました。他の2人には何も言わずとも、私には必ず憤っている事を伝えてきたのです。
 彼から「才能がないから辞めろ」とギタリスト廃業を言い渡された(「キーボードの方が明らかに向いている」とまで言われた)程度の人間に何故そこまで執着するのか、当時の私は不思議で仕方なかったのですが、少しは「話せる奴」と思われていたのかもしれませんね。中学時代から多少なりとも音楽雑誌を読み込んでいたので、彼の話に付いていけたのが私だけだったというのも事実なので。

 

 その後の部室不在時、その部長に私のストラトのブリッジパネルにいたずら書きをされたのはまだ良かったのですが、中学の吹奏楽部時代に買ってもらったT-Squareのバンドスコアを何者かに持ち去られた事が、自分の中で決定的な分岐点となりました。
 盗まれた事自体がショックだったというよりは、「まさか勝手に持っていくような奴はいないだろう」と部の人間を信用してしまった自分自身の甘さ、それがどうにも許せなかったのです。スコア自体も、中学生時代の良き思い出が詰まったものだったので、それを部員の下衆さに踏み躙られたようにすら感じました。

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 その後、主体的にこの部活に参加した記憶はありません。1年生の終わり、なり手のいない形ばかりの吹奏楽部部長に勝手に任命されてからは、明確に軽音部を避けるようになりました(その経緯に少なからず憤っていた事も大きい)。2人の友人達も同様で、ベーシストに至っては一足先にドロップアウトしていました。部室から見える通学路を、部員(私含む)から咎められるのを避けるように自転車を全力で漕ぐ姿が今でも脳裏に蘇ります。
 翌年からは文化祭が復活した事もあり、私が去った軽音部は3年時にようやく演奏を披露していました。密閉空間の部室を手に入れ、ドラマーとベーシストも後輩の中に存在したようです。
 部を離れたとはいえ、私も人前でのギター演奏を諦めてはいませんでした。前述のヴォーカリスト・ドラマー志望の友人とウツ・木根の”フォーク・パビリオン”の真似事(TMNの楽曲を2人でアンプラグド方式にて演奏する)を文化祭でやろう、と一瞬盛り上がった事があります。勿論、当然のようにその案は立ち消えになっているのですが。ギターを教えると言ったのに、練習の度に逃げ回っていたあいつ…今さら愚痴っても仕方ないですが。


Rainbow Rainbow(Fork Ver.)

当時、既にTMは“終了”後。だが、まさに中学時代の友人が録画してくれたこの映像を観て、この曲を演奏しようと決めた。アップロードしてくれた方に感謝。

 

 以上のような経験から、私にとって軽音部の活動というのは「ひたすら部長の話を聞き、各々個人練習とも呼べないものを行うギタリストだらけの集まり」というものにイメージが固定されています。残念としか言いようがない人生経験ですが、これが現実だという事を受け入れなくてはなりません。

 「練習中、自分が出した音を聞いてプロデビュー経験のある教師が飛んできた」だの「伝説的OBが『この子、じゃじゃ馬だけどお前に抱いてほしいってさ』と言って古いSGをくれた」だのというファンタジックな逸話を書き連ねたいところですが、そういったものは創作物のなかにしか存在しないのです。
 創作物といえば、一昔前に女子高生が部活でバンド演奏をする萌えアニメがあったはずですが、それもこんな内容だったりするんでしょうか?

 

 以前も似たような内容の記事を書いていますが、別視点からの振り返りという事でご容赦ください。内容にちょっとした齟齬もありますが、どちらも真実なのであえて修正や注釈は加えません。

micalaud.hatenablog.com

 余談ですが、部長は専門学校在学中にプロギタリストとしてデビューしたそうです。確かに高校生離れしたテクニックと知識を兼ね備えていたので、納得の進路でした。当時人気だったアイドルのバックで弾いている、と本人がOBとして来校した時に話していましたが、今でも弾き続けているのか気になっています。彼と、長渕信者のシンガーにはもう一度でいいから会って話をしてみたいですね。

Twitter and the Monkey Man Autumn 2019 & Winter 2020

 更新するネタに困っていたが、そろそろこの記事の時期だった。

 

 大規模停電や家屋損傷を多数引き起こした9月に続き、秋も繰り返し巨大台風が襲来する災害の年であった。昨年被害を受けた家屋は 、現在あらかた取り壊されており、千葉県も次の日常を歩み始めようとしている、はずだったのだが…まさか天災とは別の危機が襲来しようとは、勿論この時点で誰も知る由もない。

 

 クラブの顔であった生え抜き、佐藤勇人が引退表明したのも昨年秋。この時点で昇格の可能性は完全に閉ざされており、この状況で彼の現役生活の幕が閉じたのは一人のファンとしても寂しいものがあった。現在はCUO(クラブ・ユナイテッド・オフィサー) としてクラブのアピール活動に励んでいるが、いきなり未曾有の難局に向き合わされてしまった。彼の活動を陰ながら応援したい。

 

 昨年のリーグ最終戦を観戦。試合自体は、終始勝ち点3を放棄したようなゲーム運びであり、唯一得点の匂いがしたルーキー見木を下げた時点で“無気力相撲”のようなものとなってしまった。

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 本当に見るべき点が一切なかったが(勇人の引退セレモニーは勝利した試合で観たかった)、翌日に個人的な一大事が迫っており、そういう意味では私の歴史に刻まれる日であったように思う。

 

 上記の試合翌日、懸案だった目の手術を遂に実行。不安がなかったと言っては嘘になるが、とにかく身を委ねつつ耐えた。幼少時にこの体験をしていたら、緊張のあまり嘔吐していたかもしれない。術後はともかく安静にする事を言い渡されていたので、前回の入院時のような慌ただしさとは無縁。入院生活自体は、心穏やかに過ごせる貴重な時間だった。

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 以後、2019年は家族に手術と入院が連続。中にはシリアスなものもあったが、どれも無事に終わって良かったと思う。

 

 一応、封切り日に鑑賞した。 

 

 歴代最低視聴率を次々更新しつつ、昨年の大河ドラマ『いだてん』が終了。だが悪評とは裏腹に、回が進むごとに物語はヒートアップ。最後の2ヵ月は全く目が離せない展開で、結果的に素晴らしい作品でとなった。このツイートは、偽らざる本心である。

 

 明けて2020年、『いだてん』で盛り上げ効果を狙った東京五輪開催の年。だがこの日から、今までの日常が全て覆される事となる。 

 

 まだこの時点では、それほど現在のウイルス禍は身近なものではなかった。私も恐怖を感じてはいたが、現在同じような症状が出れば呑気にツイートなどしている余裕はないと思う。

 

  忍び寄る新たなウイルスと、いよいよ対峙せねばならなくなった日本。少なくとも、2月の時点では楽観論が少なからぬ割合を占めていた気がする。友人からは「騒ぎ過ぎだと思う、インフルエンザより大した事がない」「マスコミが不安を煽って自分達の利益にしようとしている」といった言葉も聞かされ、中には報道に憤っている者までいた。私は、彼らほど未知のウイルスに対し確信を持った分析は出来なかったので、そういった話を黙って聞くしかなかったのだが。

 あれから4カ月。「4~5月には落ち着いているだろう」といった政府関係者の見通しや、「紫外線が強くなれば感染力は弱まる」といった予想まで、どれも絵空事であったと断じるしかない日々が続いている。次回このツイッター記事を記す時、日本や世界はどうなっているのだろう。不安と隣り合わせの毎日、ともかくそれでも生きていくしかない。

KK197

 世界を席巻するウィルス禍。我が日本でも一時は減ったかに見えた感染者数ですが、緊急事態宣言解除から連日増加の一途を辿り、全く先が見えない状況になってしまいました。
 誰しもが感染の可能性が少なからずあり、未来の見通しも立たない不安な日々。「もう少し我慢しよう」と大人に言い含められているであろう子供達は、終わる気配のない「もう少し」の我慢をどのように思っているのでしょうか。私はといえば、前身ブログ『United Minds』時代から毎年書いていた「単なる七月日記」が、昨今の事情から14年の歴史の中で初めて更新が途切れる事となりました。

 

 甚大な被害を残した梅雨前線は未だ日本列島に居座り、外に出ても世相を表したかのような沈鬱な空が広がっています。せめて晴れてくれないとこちらの心も曇ったままなのですが、全てが上手くいかないように思えてしまう今日この頃。

 雨で何が困るかと言えば、自転車での移動。今年の4月からレンタルサイクルの使用を始めましたが、特に見た目や体重の変化はないものの、体の内部に著しい好影響を及ぼしていたようです。自分でも驚愕するほどでした。
 夏なので今まで以上に利用頻度を高めようと思ったのに、グズグズグズグズ重い曇り空が続いており、毎日雨雲レーダーを凝視しながら過ごす羽目になっています。本当にいい加減にして欲しい。

 

 ここ数ヵ月、そんな自転車移動の最中に通りかかった史跡があります。それが、勝海舟の生家跡。
 赤坂・氷川の旧居を何度か訪れた時から、いつかブログで取り上げてみようと思っていたのですが、今回それが果たされる事となりました。わざわざ探して辿り着いたわけではなく、急な坂道を避けるルートを探している最中に見つけただけです。

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 折しも、現在「勝海舟生誕の地 記念碑」が置かれた両国公園は自宅待機のストレスを持て余したとおぼしき子供達がやけっぱちなほど動き回っており、思いを馳せる余裕もなく写真だけ撮影しました。

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「あー、先輩お久しぶりです! お元気でしたか?」
「あ…お、お久しぶり…です」
「今日は一人で来たんですか? いつまでこっちにいるんですか?」
「うん、〇〇(人名)を迎えに来たから…もうちょっとはいるつもりだけど」
 屈託なく話しかける後輩女子に、照れて上手く言葉が出せない男子…といった青春の光景がスマートフォンを構える私の背後で繰り広げられており、早くこの場を後にせねば、という思いを強くさせました。
 後に江戸を戦火から救う勝麟太郎少年は、この本所亀沢町の男谷家で7歳まで過ごしたようです。

 

 さて、記念碑が所在する公園名を検索していたところ、地図上の程近い場所にもう一つ勝海舟の史跡がある事に気付いたので、日を改めて向かう事に。

 

 現地に辿り着いてもそれらしき碑の類いが見当たらないので、道案内だけでなく詳細説明もGoogleマップに頼んだところ、神社の境内にあるらしい。

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 確かにこれは、情報がないと素通りしてしまう。写真を多くアップしてくださった方々のお陰で発見出来ました。

 貧しい幼少期を送った海舟。剣客と名高い島田虎之助に師事し剣の道に打ち込んだのは、ここに住んでいた頃なのでしょうか。

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 やがてここからも転居し、蘭学塾を開いても困窮の続いていた海舟の人生は、ペリー来航の動乱によっていよいよ動き始めます。安政の改革で見出だされた後の活躍ぶりは、多くの人が知る通り。

 本殿には、現在の状況を物語るこんな貼り紙が。

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 現在、神職がマスクを着けている事にクレームを入れるような人がいるとは思いたくないですが、緊急事態宣言発令前に製作されたものでしょうか。
 「ご自由にお持ち帰りください」と賽銭箱近くに置いてあったので、その言葉に従ってみる。

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 発言の主は、昨年の大河ドラマ『いだてん』でも重要な役割を担った嘉納治五郎。予定通り東京五輪が開催される事を見越して、この7月分に彼の言葉を選んだのでしょう。今となっては非常に物悲しく感じられます。2度に渡り中止の憂き目に遭った東京五輪を、嘉納はどう思うのでしょうか。
 余談ですが、過去の分を見てみたところ4月は勝海舟犬猿の仲だったと伝えられる福沢諭吉の言葉でした。別にこの神社が製作しているものではありませんが。

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神社の外観を撮影していたところ、背後では力士が車を出迎えたり、荷物を下ろしたりしていました。後ほど気になって調べたところ、相撲部屋がそこにあったようです。

asakayamabeya.net

  あの魁皇(現・浅香山)が新設したという浅香山部屋。相撲に関しては人並み程度の知識しか知らない私でも取り組みを観た事があるビッグネームが親方を務める部屋だったとは驚きました。

 

 墨田区は、勝海舟を観光の顔にしたい模様。

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  港区に負けず頑張って頂きたい。

Another happy landing.

 前回のSW記事で少しだけ紹介したが、SWのスピンオフコミックを入手した。アメコミの翻訳ではない、れっきとした日本人作家が描いたものである。

 

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 原作付きとはいえ、日本の若い漫画家がSWのカノンを紡ぐという事が誇らしい。もっと早くこういう機会があっても良かったとは思うが。

 

 今回は、『ロスト・スターズ』の感想を簡単に書いていきたい。当然ネタバレを含むので、その点ご了承願う。

 

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Meeting Place

 Jリーグ開幕とは、つまり私のプロサッカーとの付き合いの始まりでもあった。

micalaud.hatenablog.com

 この記事でそれに触れるつもりでしたが、試合配信に対しての記述が思ったより筆が進んでしまい、後回しにしました。それだけJリーグ開幕が私にとって歴史的な出来事だったという事です。

 

 小学校の終わりから大学の始まりの頃まで巨人ファンであった私ですが(多分に野球帝国・千葉県北東部生まれという地理的条件が影響している)、自分がプレーするスポーツとしては幼少時からサッカーが一番のお気に入りでした。
 東洋医学の医師から毎日長距離のランニングを課せられ、スタミナには少なからず自信はありましたが、生まれついての要領の悪さも相俟ってスポーツは全くの苦手。特に、目の悪さも影響していたせいで球技は最も敬遠すべきスポーツでした。
 話は逸れますが、かつて私の所属したバンドは私以外のメンバーは全員一定水準以上の運動神経を持ち合わせており、彼らは体育部に所属していた経験があります。特に、元相棒のジョニー馬論のそれは際立っており、何でもそつなくこなしていました。生まれ持っての差に嫉妬したことは一度や二度ではありません。

 

 閑話休題。そんな時代でも、サッカーだけは何故か好んでいました。詳細は覚えていませんが、既にこの時点で本能的にこの競技に感じ入る何かがあったのだと思います。その後、中学でも高校でもサッカーだけは張り切る体育劣等生でした。
 小学校最高学年時の担任教諭もそれは感じ取っていたらしく、家庭訪問で我が親を前にこんな事を言った事があります。
「体育は目の事もあって苦手みたいですが、サッカーだけは好きみたいですね。まぁ、サッカーなんて運動神経悪くても出来ますからね…」
 小学生の競技人口が当時とは比較にならないほど増えた現在では、「サッカーなんて運動神経が悪くても出来」るという認識が共感してもらえるかどうかはわかりません。このようにやたらとニヒルな事ばかり言う先生だったので、私は特に気にはしませんでしたが。

 

 前述通り一応巨人ファンではありましたが、水道橋には遥か遠い本州の極東に住んでいるため、試合を観に行く事など出来るわけがない。特にグッズ等も欲しなかったので、何となくファンだと緩やかに自認していただけなのかもしれません。TVの野球中継を視ている時期はあったとはいえ、こういった「何となく巨人ファン」気分であった人はきっと自分だけではないような気がします。
 そんな時代でも、サッカーは「ちょっと好きなスポーツ」と認識していました。そこに、日本サッカーがプロ化し、Jリーグなる呼称でスタートするというニュースが入るのです。
 開幕時10チームの中には、我が千葉県をフランチャイズ(ホームタウンという概念は当時理解していなかった)にするものもある。それも、我が家と縁もある市原市のチームらしい。
 何となく、新しい何かが始まる予感がありました。文章にはしづらいのですが、本当に「何となく」そう感じたのです。今までの文化が変わっていくような、新たな時代の潮流がそこに近付いている感覚。何しろプロスポーツの事を何も知らない時代(日本全体がそうだったと思うが)、御託を並べるほどの知識など存在しない。大袈裟に思われるかもしれませんが、本当に、直感的にそう思ったのです。
 よって、理由など一切なく、軽い気持ちで「ジェフユナイテッド市原」というチームを心のどこかで応援する事に決めた。それが、開幕前のナビスコカップの時です。私とプロサッカー、及びジェフとの出逢いは、そんなふんわりと緩やかなものでした。

 心の底から「私はジェフのファンである」と自認したのは、前述の記事の連勝時からなので、そこに至るにはもう少し時間が必要となります。あれから27年、まさか日々のストレスの種になるほどこのクラブの結果に心痛めるようになるとは、さすがにこの時点では全く予想していませんでした。

 

 思えば、少なくともJリーグ開幕時に私の周りにジェフのファンは1人もいませんでした。私がバカの一つ覚えのように話をしていたから、同じチームが好きだと言う気分にはなれなかったのでしょう。
 武田が好きだからヴェルディ、ドーハでの中山に惚れたから磐田、マスコットが格好良いから名古屋、バクスター体制で1994年1stステージを制したから広島…など、地元である千葉県とは全く関わりのないクラブのファンを自称する者が多かった。当時はあくまで「NPBのサッカー版」という見方が主流で(『ズームイン朝』にはJリーグイレコミ情報なるコーナーも存在したくらい)、ホームタウン制があまり理解されていなかったのがその一因でしょう。

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 地理的に近いから鹿島を応援する友人も多く、悔しくはありますが当時からそれは理解出来る行動でした。私も鹿島のファンになっていれば、未だに週末にこんなにストレスを抱える事もなかったと思う事も多々ありますが…今更そんな事を言っても仕方がありません。そもそもジェフが市原に存在しなければ、Jリーグに興味を持つ事もなかったはず。

 

 突然サッカーだ、Jリーグだ、ジェフだと騒ぎ始めた私に違和感を覚える友人も少なからず存在しました。何しろそれまでの私は音楽(ポップミュージック)一筋であり、それ以外の話には殆ど興味を示さない人間だったのだから、それも当然かもしれません。バンド仲間がドラクエやFFの話をするだけで、露骨に不快そうな態度を取るような人間だったのですから。
「お前、サッカーとか観るような人間じゃなかったのに…変わっちゃったね」
 電話でそう寂しそうに言った人物の事を、今でも思い出します。今思えば、その人物との別れは私のサッカーへの傾倒も原因だったのかもしれない…と考える事があります。それほどイメージとはかけ離れた行為だったのでしょう。音楽は今も昔もずっと変わらず聴き続けているし、人間としては何も変わっていないのですがね(全く成長がないというのと同義)。

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 Jリーグ開幕は、それだけ私と私の周囲の人間にも劇的な変化をもたらした出来事でもあった、という事です。