成田の寺は一つじゃない
成田山新勝寺(真言宗)のすぐ隣に、ひっそりと天台宗のお寺があった事を親から教えてもらう。裏参道から少し入った所、近くを何度も通っていたのに全然気付かなかった。祇園祭に沸く隣とは対照的に、あまりにも静かでこじんまりした佇まい。何とも心くすぐるものがある。
— ミカ・ラウド (@MicaLaud) 2016年7月14日
ツイッターで呟いたこのお寺、派手で知名度や参拝客数(初詣客は明治神宮に次ぐ全国2位)なお隣と対照的な、たおやかでひっそりとした佇まいに惹かれ、一人訪れてみた。
山門に続く路地、左手奥にはお隣の寺の平和大塔が。
これでもかと言わんばかりに自己主張しているが、勿論目的はそこではない。
蝉が大合唱する中、山門に到着。
チラッと見える本堂が良い景色。
夏の日差しに映える境内。
参拝客は自分のみ。
山門の裏に、何故か本尊である阿弥陀如来坐像の説明看板が立てかけられていた。
成田市指定文化財の文字。看板が自立出来ないためにおざなりな扱いなのだろうか。
これが本尊か…と思ったが、当然違う。永代供養塔だろう。
まだ造りが新しい。最近建てられたものだろうか。
客殿と思われる建物。
後ろの木々の緑が濃い。
短い滞在だったが、帰り際にもう一度山門を振り返る。
暑くて長い時間の滞在は無理だったが、わざわざ寄った甲斐はあった。
このお寺の関係者と思しき女性が、車の中から参拝客である私を気にしていた。タブレットを終始抱えていたため、現在一大ブームの位置情報ソーシャルゲームのプレーヤーだと思われたかもしれない。
隣のお寺とはあまりにも対照的な静けさ。何やら空海と最澄の後世の人気や露出度を物語るようで、それが逆に強く心を捉える。永代供養塔の上には墓地があり、そこに繋がる細い階段もあったのだが、今回は足を踏み入れることなく帰途に着いた。
この薬王寺についても一切学ぶ事なく、時間が空いた事によって訪れただけだったので、色々と準備をしてまた参拝してみたいと思っている。
On Account of Your Love
いつも通り、取り留めの無い話を。
今では、オンライン上での買い物が当たり前となり、大型ショッピングサイトの存在で地域の商店(特に書店)が次々に店仕舞いに追い込まれるなど、様々な弊害も起こっている時代。
自分が初めてネット通販で買った品物を、きちんと覚えている人はどれくらいいるのでしょうか。自分の場合ははっきりと記憶に残っています。HMVにて、Teenage Fanclubの『Bandwagonesque』を注文したのが、今に続く浪費人生の始まりでありました。2002年、確かJR総武線か総武本線の上り電車中にて操作した事まで脳裏に蘇ります。当時そこまで身構えて注文した記憶は無いのですが、最初の経験という事で緊張していたのでしょうか。
同年代ではネット導入が遅れに遅れた私。スマートフォンも存在しない時代だったので、フィーチャーフォンを駆使して以後も注文を続けました。いやはや、よく元値であそこまで律儀にCDを買い続けたものだ…本当にお金が無い中、毎月欠かさずHMVを利用していました。今でもサイトでトータルの利用額を確認出来ますが、何度見てもなかなか恐ろしい金額になっています。
多少話題は逸れますが、当時のHMV携帯サイトは検索での文字入力に非常に厳しく、英語タイトルは単語の頭文字を大文字、それ以外を小文字にしてきっちり半角スペースを空けないと絶対にヒットしませんでした。
例えば、「allthingsmustpass」「ALLTHINGSMUSTPASS」では絶対にダメ。「all things must pass」「ALL THINGS MUST PASS」でも余裕でアウト。ちゃんと「All Things Must Pass」と打たないと辿り着く事は出来ません。しかもその点は一切明記されていた記憶がないので、トライ&エラーでこの検索方法を発見しました。これが刷り込まれて癖になってしまった事が、間違いなく現在の私の英語表記に影響を与えています。
閑話休題。何度もこのブログに書いているビートルズ再発見期、躍起になってビートルズやメンバーのソロをかき集めましたが、店頭に置いていない事が多く、特にジョージのものは殆ど廃盤だったので、注文の際に店員さんに訊いて落胆を繰り返すというのがほぼ日常と化していました。ネット通販ならばある程度データベース化されている上に、「在庫に無いのならば仕方ない」ときっぱり諦める事が出来たので、自分にとっては非常に便利なメディアでした。
当時、ありとあらゆるジャンルのCDを手に入れるため、様々なサイトでアカウントを作りました。現在でも利用しているAmazonやタワーレコードのものもこの時期に作成しました。それ以外にも今では覚えていない、もしくは覚えていても完全にサインインの方法を忘れているサイトが多数で、今でも心のどこかに小骨のように引っかかっています。もっとも、忘れているようなサイトは一度も利用した事がない所しかないのですが…。
インターネット導入後も様々なサイトでアカウントを製作しましたが、使用PCの変遷によりサインイン方法を忘れているものも増加。そして、今まさにその問題に直面しているところ。日常的に利用していたとあるサービスを多忙故に閲覧を怠っていたところ、サインインする事が出来なくなってしまいました。ここ数ヶ月、雑事が多くなかなか覗く気分になれなかった事が悲劇を呼んでしまったのです。
今、自分が持っているメールアカウントを全て調べなおしてみましたが、手掛かりなし。かなり困っています。
そういえば、初めてフリーのメールアカウントを作ったのもちょうど10年前です。当時の先輩(Cloud9氏)に勧められて作ったのですが、この年月の過ぎ方は特に早いようでやはり10年分の重みがある事、改めて再確認しました。自分の不義理や様々な理由から疎遠になった方々との過去のやり取りなどを見直すと、複雑な思いが胸に去来します。
我がバンドのギタリストとのやり取りもそれにあたるでしょうか。SpiSunの(結果として)ラスト作では彼に2曲歌詞を書いてもらいましたが、今回読み返して少し驚いたのはもう1曲デモを彼に渡していたらしい事です。完全に忘れていましたし、どんな曲だったのか思い出せません。彼の手元にはデモテープが存在するのでしょうが、今となってはそれを確かめる事も出来ません。
どうやら、かつてのバンドメンバー5名で歌う事を念頭に置いた曲だったようです。ますますもってわかりません。結局彼には歌詞だけ書かせて、録音しなかったということになってしまいました。まさかこの後SpiSunが活動を停止してしまうとは思いませんでしたし、メンバーの現状を考えればもう二度とこの企画が実現する事はないでしょうが…やはり、やるべき時にやっておかないと、後悔するだけというのが悲しいですね。
取り留めのない話になりましたが、アカウントから色々と思う事があったという日記でした。ちなみに、最初の通販で買ったCDも、今回の記事タイトルになっているアルバムも現在では手元にありません。
20 + 10
よくよく考えてみれば、今年はSpiSun(spiritual sounds)結成から20周年、最初のブログ(旧United Minds)開設から10周年のメモリアルイヤーなのであった。
ただ年月を重ねただけで、特に意味は無かろう。確かにごもっともではあるが、あくまで私個人としては色々と考えを巡らさずにはいられないのである。こうして数字を見ると、あまりにも長い時間が経過してしまったと震えるしかない。
何度か書いた記憶があるので繰り返しになってしまって申し訳ないが、ジョニー馬論という人物と私で構成されていたspiritual soundsは、完全に馬論の主導で結成された。
充実した高校生活(少なくとも私にはそう見えた)の中で作り続けていた打ち込み楽曲に歌詞と歌を乗せる事を彼は求めていたようで、そこで都合良く使えそうな人材として私が選ばれた。といっても高校時代にほぼ付き合いが断たれており(他の多くの友人もそうだったが)、当時はお互いに高校生活から解放され始めた時期。ちょうど久々に連絡を取り合って再会を果たした頃であり、彼にとっては私でない他の人物でも全く問題はなかったはずだ。何せ、当時は志向していた音楽性が全く違ったのだから。
もっとハウス・ミュージックに造詣が深く、音程が取れる程度には歌えて作詞の真似事も出来、馬論の実家近所に住み連絡が取りやすい人間がいたら、彼はそちらを選んでいたに違いない。
だが、私にとってはそうではなかった。クリエイティヴさとはほど遠い高校生活を送り、いくつかのバンド計画も高校2年の春で全て頓挫してしまった私にとって、スピサンはようやく出会えた貴重な音楽活動の場であり、唯一縋るべき蜘蛛の糸であった。
今まで仲間と行ってきた音楽活動では常にリードする立場にあった私だが、スピサンに関しては全くの逆だった。特にハウスに興味はなかったし、もっとギターが活きる曲をやりたかったのは事実だが、こちらがワガママを言える立場にはなかった。ともかく、何があろうとこの活動の舞台を守りたい。少なくとも結成当時はそういう考えを持っていた。
当時私が出した提案と言えば、「歌詞は夏に関したものにしたい」という事だけである。勿論、これはTUBEのファンであった事、そして何より生来の夏好きという気質に起因している。こうして20年前、夏ハウスミュージックという音楽性を掲げてspiritual soundsはスタートを切ったわけだ。
20年と10年。あれから長い時間が経過した。かつてのバンド仲間や友人の殆どが東京を引き揚げ、地元でそれぞれのプライベートな生活を送っている。皆、年齢相応に守るべきものを見つけ、それぞれの人生を歩んでいるのだ。
翻って私は、あの頃と何も変わらない精神年齢、生活環境で今日も人生を浪費している。だが、当然ながら私とて時間に抗えるわけではない。自身の肉体が、何より周囲が常に変化し時を重ね、あの頃と同じままでいる事は非常に難しくなっている。
それでも人間として成長がないからなのか、まだまだやりたい事が山のようにあるのであった。時間は待ってくれない、やりたい事はやれるうちにやる。この事に気付いたのは、実はこの新しいUnited Mindsを開設してから…というより、SpiSunが解散してからの事だったりする。気付くのが遅すぎたが、気付かずに人生を終えるよりはマシだったと思うしかない。
何だか10年後にも全く進歩のない、同じような事をどこかに書いていそうだが、それが私という人間だったのだろう。もう覚悟を決めるしかない。
やがてふる
高野寛楽曲で一番好きなのは「やがてふる」か「Eye to Eye」で、常にこの2曲がナンバーワンの座を争っている状況。
先月は物質的にも精神的にもハードでしたが、それでも前向きに乗り切っていきたいと思います。まずは、普通に音楽が聴ける環境が戻ってきた事に感謝。最近購入した新譜の話です。
Bang, Zoom, Crazy... Hello... / Cheap Trick
前回記事にした後、回数をかけて聴いてみましたが、前作ほどの完成度はないものの、非常に充実したスルメアルバムではないか…というのが全体的な感想。
ポップでパワフルで、スナック菓子のようなあっさり感がありつつも、それでいて繰り返し聴きたくなってしまうという、これはこれで稀有な作品だと思います。「スルメ」と書いた事と早速矛盾してますが、ライトだけどやめられない止まらない状態になってしまう、という感じ。
この作品、顔になるリード・トラックには欠けますが、とても良く出来た作品だと思います。大ベテランがさりげなくこういう作品をドロップする、これは凄い事ではないでしょうか。
このアルバムと前作『Latest』だけで構成されたライヴを観たいなぁ。オールド・ヒットよりも今!Cheap Trickとはそういうバンドだと思います。だから好き。
Super / Pet Shop Boys
前作『Electric』の延長戦であるかのような、バキバキのフロア対応アルバム。
とにかくシリアスでダンサブルな現代対応のエレクトロ作品で、Cheap Trickとは別の意味で年齢を感じさせません。現役感がとにかく凄い。コンスタントにリリースを重ねているので、それは当たり前ともいえますが。
その分、叙情性と憂い溢れるメロディアスさは引っ込んでいますが、アルバムのテーマを考えれば致し方なし。とはいえ、個人的には『Release』『Yes』路線の作品も久々に聴いてみたいところですが。勿論、ジョニー・マー参加でね。
一応『Elysium』がその路線のアルバムだったのでしょうが、あれはいくらなんでも曲が地味過ぎた…この作品に対するファンからの悪評へ急遽『Electric』を制作し回答した、という逸話もあるくらいですからね。
度々アルバムタイトルにバンド名を冠する彼ら。今回の通称は『White Album』だそう。ジャケットが白ければこう呼ばれるのは仕方ないかな。
初めて買うWeezerのアルバム。かつて、スピサンにて我が相棒だったジョニー馬論が「Weezer全然良くない!騙された!聴かない方がいい!」と散々な評価を下しており、「音楽の趣味が近い人間が言うのであれば…」と心なしか私も敬遠気味に。しかしとあるコンピレーションで聴いた「Buddy Holly」が妙にツボにハマり、旅行中(先月の記事参照)の脳内BGMとして勝手に頭の中でヘヴィ・オンエアされていたため、急遽購入を決定。
パワーポップの歴史の中でもマストとされるバンドなので、いつかは聴かねばならなかったのは事実。とはいえ、現在は別のアルバムを聴いているのでまだこの作品は封も開けていません。また機会を改めて感想を。
Say the word I'm thinking of
先日、ふとしたきっかけから英国人の方と話す機会があり、殆ど片言ながらコミュニケーションを取った。こちらの言いたい事がちゃんと伝わっていたかは甚だ疑問だが、概ね気持ちは通じたと思う。
かつてNZにホームステイした経験に関しては何度かブログでも書いている。
二週間程度の滞在ではあったが、周囲を現地の人々に囲まれての生活は言葉を発してコミュニケーションを取らねば生活出来ない状況。どうしても英語で話さなければならないわけで、拙いながらも懸命に会話を試み、グングンと英語の能力が伸びている実感があった。
さすがに早口でまくし立てるホストファミリーの友人達の会話には付いていけなかったが、積極的に一人で買い物にも出かけていったので、非常に楽しかった思い出しかない。暗黒の高校時代の中でも、数少ない有意義な体験であった。
その気になれば、異なる言語での会話も可能だ。頑張れば、自分だっていつかは英語での会話が可能になるのではないか。
そんな淡い想いは、その数年後に幻想だと気付かされる事になる。
上京後、最初に勤めたバイト先で同じ時間帯に働く仲間は、殆どが海外の人々だった。中国、韓国、インド、バングラデシュ。アジア地区予選が始められそうなくらい多国籍である。
特に同じ仕事をしていた方は中国の人が多く、皆日本語を勉強しながらここでバイトしている人であった。彼らは決して達者とは言えない言語習得度であったので、こちらの意図が伝わらない事もしばしば。勿論、相手の言う事も途切れ途切れの日本語の意味を頭をフル回転させて受け止め、真意を探り出さねばならない。それが日常だった。
ここでホームステイしてた時代の事に思いを馳せ、気付いた事があったのだ。あのNZで私の話相手をしてくれた人々は、こちらのレベルに合わせて言葉を選び、こちらの拙い英語を理解しようと努力していてくれたのだと。立場が変わって気付く真実。自分の考えの甘さに数年越しで気付くと共に、あのNZで暖かく迎えてくれた人々のように自分も振舞わなければならない、と思いを新たにした記憶がある。
誤解の無いように記しておくが、言葉がなかなか通じなかったからといって、一緒に働いた人々に文句を言いたいわけではない。こちらの日本語を勝手に誤解して怒り出す人には正直閉口したが、基本的には良い人ばかりで楽しい記憶の方が多かった。
特に最初から一緒に働いていた中国の人はとても良い人で、「いつか一緒に中国を旅しよう。あなたを私の実家に連れて行きたい」と何度も言ってくれた。シフトの関係上難しかったが一緒に遊んだ事もあるし、(一足先にここを退職して自分のカレー店をオープンした)バングラデシュ出身の元同僚の店へ共に足を運んだこともある。そういえば、私が音楽をやっている事を話したら「是非聴きたい」と言ってくれ、spiritual soundsの音源をMDで渡した事もあったなぁ。とても嬉しかった。
最後に会ったのは日韓ワールドカップの年の春だったか。今も元気にしている事を祈る。色々と思い出して、勝手にセンチメンタルになってしまう。あの旅の約束、今からでも果たしたいと思っている。
異なる言語でコミュニケーションを取るのは大変ではあるが、相手を思いやることによって可能にはなる。忍耐は必要かもしれないが、いずれにせよ理解しあえるのならば悪くは無い。
ただ、言葉よりもっと手っ取り早いのは音楽だったりする。冒頭の英国人青年は、私がジョージの「Awaiting on You All」を弾いていたら「お前日本人のくせに珍しい曲知ってるな」と興味を持ってくれたのがきっかけだし、NZのホストファミリーと打ち解けるきっかけとして決定的だったのは私がビートルズの曲をディナーの後に弾き語った事だったりもする。
確かに音楽で世界は変えられなかったし、共通言語になるというのも甘い考えだというのは重々承知だけど、あんまりニヒルになり過ぎるのもどうかと思いますよ。少なくとも、私は音楽(というかビートルズ)のお陰で会話が弾んだのは紛れも無い事実。
The Way You Do the Things You Do
数年振りに関東を出ました。やはり自分は緑濃い山々の景色、澄んだ水…といった高原の風景に憧憬があるのだと再認識。海に囲まれた低い土地に生まれてしまったが故の感情でしょうか。
目的は観光ではなく、前後に色々と心穏やかではない出来事が続出しましたが、良い景色を見られた事自体は楽しい経験でした。
御目出度いとはいえ、近しい人間の様々な感情が露になるイベントはしばらくは遠慮したい気分です。とにかく、お幸せに。
Twitter and the Monkey Man Winter 2016
最近、ブログに書くようなネタがないし、あってもじっくり書くような余裕がありません。根気が続かず、こつこつ書くような忍耐力も無い。正直、必要以上に疲れたくないという気持ちが強く、それが文章に対する執着を弱くしています。ツイッターも然り。
というわけで、今回は禁断のネタであるツイッターを今年初めて解禁します。今回は1~3月の振り返り。ツイート数も激減しているので、3ヶ月分とはいえ拾うようなツイートは非常に少ないです。
外で自分の好きな曲を聞きたかったら、やっぱりSEIYUだな。Danny Wilson「Mary's Prayer」とかセンス良すぎ。
— ミカ・ラウド (@MicaLaud) January 5, 2016
行き易い位置にあるというわけではないので、足しげく通っているというわけではありませんが、行く度に必ず自分の好きな曲が流れている。凄い確率だと思います。こんな場所は、本当にSEIYUくらいのものです。去年から引き続きちょくちょくツイートしているのは、そういった驚きが継続しているから。
『U-31』実写映画化だそうで。あの漫画はアトランタ組という日本サッカー史上でも稀有な転換期の世代も大きなテーマとなっているので、そこをどう翻案するのかも注目したいところ。
— ミカ・ラウド (@MicaLaud) January 19, 2016
この本を買った東金の本屋は間もなく潰れ、購入当日に何故か親に呼び出された事が前職に就くきっかけになっている…と、『U-31』を思い返すと余計な記憶も一緒に蘇る。
— ミカ・ラウド (@MicaLaud) January 19, 2016
まさかの『U-31』映画化には驚きました。どのような時代背景にするのかも注目すべき点。ドーピングの話までやってくれるのでしょうか。個人的には、『U-31』は2005年春に自分に起きた数々の出来事と切り離せない、メモリアルな作品です。
現実の世界で戦っている「ジェムユナイテッド市原」のモデルとなったクラブの状況が、なかなか笑えない事になってきているのが大きな問題点ではないでしょうか。
「あれ、なんか違和感が…」
— ミカ・ラウド (@MicaLaud) February 1, 2016
「処方箋通りに作りましたが?」
「ああ、そうですよね…」
という会話を経て眼鏡製作完了。
眼鏡を作るのは初めてなので感覚がわからない、と一言付け加えるべきだった。それにしてもレンズに独特の癖があるのは確か。医者に訊くか。
— ミカ・ラウド (@MicaLaud) February 1, 2016
眼鏡診断の話は昨年書きましたが、いよいよ実際に眼鏡を製作。レンズの縁に歪みを感じるのが、実際に使用する際に非常に気になる点。まだ本格的に使用しているわけではありませんが、やはり遠くのものを長時間見る時は非常に役立っています。
しばらくメール以外での連絡手段がなくなります。地元の方言で言うならば、端末が遂にぼっこれました。ご了承下さい。
— ミカ・ラウド (@MicaLaud) February 8, 2016
ここから、携帯電話は故障の連鎖でした。色々な店を飛び回り、ネットの各所をさ迷う非常に面倒な日々でしたが、2月の終わりにようやく落ち着きました。
現在構築した携帯電話の環境は、個人的にはそれなりに満足のいくものとなっています。消耗品なのでいずれ買い替えが待っている事を考えると、その煩わしさに少し憂鬱になりますが。
高橋まことの顔がタモリにすげ替えられている例のボウイ画像が、雑誌で堂々と使われていて驚いた。80年代バンドブームの代表的バンドを紹介するページだったので、恐らくギャグの類いではないだろう。ネットから引用したのがバレバレだが、校正しても誰もコラ画像だと気付かなかったのだろうか。
— ミカ・ラウド (@MicaLaud) March 14, 2016
「ボウイ タモリ」で画像検索すれば、大量にこのコラ画像がヒットします。掲載画像は許可を取らずネット引用で本当に済ませたのか、書いている側もボウイの事をロクに知らなかったのか、謎は深まります。お金を取る雑誌でこんな適当な事してていいのかな、と正直思ったのは事実。
ちなみに、この日は入院して以後数年通った病院への最後の通院でした。入院中によく通った本屋でツイートの雑誌を読んだわけです。辛い思い出ばかりでしたが、今ではそれも懐かしく感じます。戻りたいとは思いませんが。
「何でオランダのシャツ着てるの」
— ミカ・ラウド (@MicaLaud) March 24, 2016
「クライフが好きなんで……」
「何で?あなた現役時代観てないでしょ」
「いやー格好良いじゃないすか」
「ふーん……(不満気)」
という会話をスペイン語講師とかわした事を思い出す。当時、部屋にポスターも貼っていたな。とにかく残念。R.I.P.
訃報が続く2016年。フットボールに革命を起こした“フライング・ダッチマン”ヨハン・クライフも、この世を去ってしまいました。残念です。
妹と同居していた頃、部屋に真っ先に貼ったのはクライフ(とフィリッポ・インザーギ)のポスターでした。当時の写真も残っています。クライフに関してはサッカー史に残る活躍をした事も当然ファンになった理由の一つでしたが、見た目や発言内容がいちいち格好良かったのが何よりも大きいです。どちらかといえば、アスリートというよりミュージシャン的な視点で彼を見ていました。
自分の中で、ミュージシャンとサッカー選手の存在はどうやら同列にあるようです。よく見る夢の内容に「ロベルト・バッジョやインザーギ兄弟のニューアルバムを買う」「レアル・マドリー・イレブンが組んだバンドのライブを観ている」というようなものがありますが(ルックスと実力を兼ね備えた選手ばかりなのがポイント)、自分の深層心理下でミュージシャンとサッカー選手を混同している事実を如実に示しているように思えます。
そういった自分の妙な認識のきっかけとなったのが、このヨハン・クライフその人であるような気がしてなりません。
「クライフはポール・ウェラーに、バレージはキース・リチャーズに似てる!ロックだよ!」と書いていたのは、STUDIO VOICEの対談記事だったかな。誰の発言だったかは忘れた。
— ミカ・ラウド (@MicaLaud) March 24, 2016
このような発言をしている人がいた事も、自分の心の奥底で影響を与えていると思われます。
私がサッカーに興味を持った頃、クライフは指導者としてFCバルセロナの指揮を執り、絶頂期にありました。自分の世代から見ても、クライフは結果を残している偉大な人物でした。後追いの人間が「この人の現役時代は凄かったんだよ」と教えられてもなかなかピンと来ないのは世の常ですが、リアルタイムでも監督として飛びぬけた成績を収めていれば、有無を言わさず納得せざるを得ません。
余談ですが、私が高校時代に妄想していた2002年ワールドカップ日本代表の監督はクライフでした。当時から憧れの人物だったという事です。合掌。