(Revenge of the)United Minds

Talkin' 'bout Music, Football(JEF United Chiba) and More.

Now River vs New River

 

 日本史ファンの多くは、戦国ファンと幕末ファンに分けられる事が多い。私は勿論後者なのだが、当然歴史ファンになったばかりの小学生低学年の頃は戦国時代の歴史にも熱狂していた。ちょうど、この本を買ってもらった直後くらいの事だ。

blog.goo.ne.jp 幼少時の辛い視力矯正訓練の最中、必死に頭の中で自由なストーリーを組み立てて気を紛らわせていた私は、主に「織田軍が豊臣軍と連合し、SF的マシンを駆使して徳川軍と宇宙にて天下分け目の合戦をする」という荒唐無稽な物語をいつも想像していた。

 

 こんな妄想で現実逃避をするほど、織田信長豊臣秀吉という武将に憧れを抱いていたあの頃。それは今でも変わらず、「好きな戦国武将は?」と問われれば迷わずこの2人の名を挙げる。
 一応私がそれなりに日本史を愛好している人間だという前提で質問者はこういった問いを投げかけてくるので、恐らく肩透かしを食らわせている事になっていると思うのだが、結局この2人に徳川家康を加えた大きな流れにしか興味がなく、未だに戦国時代に関しては知らない事だらけである。

 

 そんな不勉強な私なので、昨年の『おんな城主 直虎』を観るまで、今川家の事を省みる事などなかった。
 織田信長の名を全国に轟かせ、天下布武への第一歩となった戦国時代有数のアップセット「桶狭間の合戦」。その劇的なストーリーの敗者に目を向ける事がないのは、仕方がない面もある。
 しかし済し崩し的に滅んだとばかり思っていた(それこそ武田家のように)今川家は、どっこいしぶとく生き残っていた。その主役となったのが今川義元の嫡男、氏真。
 武家としての無駄なプライドを捨て、無様に見えつつも強かに立ち回り、文化人・趣味人として一生を全う。その上で今川家をしっかりと残す事にも成功。
 当時の価値観からすればどう思われたかは大体想像がついてしまうが、後世から見るとこれもまた一家の当主としての大仕事を成し遂げた大人物、と見る事も出来るのではないだろうか。

 

 大河ドラマにて俄然興味を持った氏真だが、まさにその放送中、偶然訪れた場所がその彼が晩年を過ごした地であり、江戸時代以降の知行地となった場所。
 これも何かの巡り合わせだと考え、今年に入ってから改めて訪れる事にした。

 

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 夕方の早い段階で閉門してしまうこのお寺は、それだけで(義元・氏真親子が憧れ続けた)京都のそれを想起させる。
 義元はここに眠っていないようだが、氏真以降の当主の墓地はこの観泉寺にあるそう。通りから一本入った道で車通りが少ないせいか、お寺の前がアイドリング状態のタクシーの溜まり場になっているのは少々残念に思えるが…。
 その名を地名にも残す今川家。その歴史の希有な複雑さを思うと大変興味深く、もう少しじっくりと調べてみたくもある。

 

 

【追記】この記事は3月にアップ(訪れたのは2月)したものであるが、4月に再訪。その日は天候も良く陽射しも強かったため、写真をこの時撮影したものに全て差し替え、再構成した。