(Revenge of the) United Minds

Talkin' 'bout Music, Football(JEF United Chiba) and More.

平家の周年

 15年前、自分は今後何があろうともゲームと日本代表のTV観戦を続けていくのだと思っていました。自分を取り巻く様々な環境が速度を増していく中、どんなに忙しくともこの二つに関しては何とか時間を確保していた事を鑑み、ふとアルバイトの最中にそう思った記憶があります。

 

 しかしあれから短くはない年月が過ぎ去った今、ゲームに関してはおおよそ10年はまともにプレイしていません。最後に買った家庭用ゲームソフトは、(数年前にポッドキャスト企画で購入した携帯ゲーム機用のものを除けば)2005年末に買ったサッカーゲームが最後です。
 そもそも、その2005年には殆どゲームプレイをしなくなっており、先ほどの記憶から数年後にはゲームと距離を置いていた事になります。

 理由はいくつもあると思います。時間は勿論大きなファクターですし、情けない話ですが金銭面も無視は出来ません。それ以上に、自分がこの業界の流れに取り残されていると感じました。それは一番のめり込んでいたジャンルであるRPGのPC(プレイヤーキャラクター)が、声優の声で勝手に喋り出したり、主人公の名前を変更出来なかったり、そういった現代のゲームユーザーの要望に直面した時だったかもしれません。
 自分が80年代のゲーム体験をベーシックにした古い世代だという事は重々承知しています。時代に付いていけない者は淘汰されるのみ、だったら無理をして追いかける必要はないのではないか。そう思った私はゲームから距離を置いたのでした。恐らく、今後も再び家庭用ゲームのストリームに復帰する事はないでしょう。『スターウォーズバトルフロント』などSW関連ゲームに興味がないと言ったら嘘になりますが。

 

 とはいえ、1987~1988年(アーケード, PCE)と1992~2004年(アーケード, PCE, SFC, PS, SS, PS2, DC)の間、私の生活の多くをゲームが占めていた事実は変える事は出来ません。
 特に92年の『Street Fighter 2』をきっかけとしたのめり込みぶりは尋常ではなく、かつてのバンド仲間が「ゲーマーからミュージシャンに戻ろう!」と年賀状に書いて送ってくる程でした(ちなみに、その彼はマイノリティ界隈のDJとして現在でも名を馳せているという話)。

 かつてファミリーコンピュータを買ってもらえず、自分にとってはゲームとは無縁なメディアだと思っていた小学生時代。そんな私にとって、全ての始まりとなる作品が存在します。それが、源平討魔伝
 横スクロール、BIGモード、全方位スクロールと3つのモードに切り替わる多彩なゲーム性、奇声を発しながら(音声合成の不完全さがまた絶妙に怖い)襲い来る迫力の敵キャラ、緊迫感を煽る硬質でドラマティックなBGM、そして何より歴史上の日本を舞台にした純和風の不気味な世界観。特に最後の要素が日本史好きで周囲に同好の徒がいなかった西園少年をいたく刺激し、一気にゲームの世界に誘っていくのでありました。

 このゲームはあまり小学生向けではなかったのかもしれず、周りのファミコンキッズにはなかなか理解されませんでした。そんな中、何故か特別仲が良いわけでもなかった隣家の同級生だけが興味を示し、彼と会った時はこの作品の話ばかりしていました。
 今は亡き祖父に故郷にある大きな寺に連れて行ってもらった際、そこの風景が何とも『源平』的で、2人で大はしゃぎしながら主人公の平景清ごっこに興じた事を思い出します。迷惑な餓鬼共ですね。
 ちなみに、彼には貸しっぱなしのPCE版『源平討魔伝2』がありますが、未だに返却してもらっていません。K君、そろそろ返してくれないかな?

 

 前振りが非常に長くなりましたが、そんな私の幼少期を彩った『源平討魔伝』が今年で30周年との事。おめでとうございます。
 今年のブログ記事でTM NetworkGet Wild」の30周年も取り上げましたが、自分に大きな影響を与えたものが次々にアニバーサリーを迎えているようですね。

micalaud.hatenablog.com

 それだけ、自分も着々と老いているという事でもありますが…。

 30周年の事を知ったのは、ツイッターで記念盤の発売を偶然見かけたのがきっかけです。

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 この作品のサウンドトラックに関しては、既に10年以上前に購入済みです。

 更に、新たに加えられたボーナストラックのアレンジ・バージョンにも特に興味を引かれなかったのですが、何しろ30年です。その歴史の重み、そして私自身が受けた影響の大きさ、このゲームに関する記憶の楽しさ、そういったものを考慮し、リスペクトの意味で購入に至りました。
 以前発売されていたものと同内容のリマスター盤購入には相当に慎重になるこの私が買ったのです。ケチな私なりに、お布施のつもりでした。この手の盤は、後から欲しくなっても価格が高騰して手が出せなくなる事も多いので、後悔を予防するためでもあります。
 雑誌『GAMEgene』も、Amazonで繰り返し薦められたので根負けしました(買ったのは書泉ブックタワーだが)。ゲーム雑誌を買うのって、今世紀に入ってからは初めてではなかろうか。

 

 以上のように記念品としての側面が強いので、今回は購入したものの内容に関しては特に触れませんが、どちらも資料性が非常に高く、買って損はなかったと思います。
 特に『GAMEgene』に関しては、このゲームに関してまことしやかに囁かれてきた様々な噂(都市伝説)の真相をスタッフ諸氏があっけらかんと語っており、ある程度市場が確立していた80年代後半でも業界には破天荒な人が少なからずいたのだと興味深かったです。
 東京からほど近くこの作品のラストステージである鎌倉は訪れず、取材と称して殆ど息抜きの京都旅行に行った…という話は当時の業界の好調ぶりを物語るようでなかなか楽しいです。確かに、京都もこのゲームでは重要な都市ではありましたが(ルートの分岐点であり、ゲーム中盤以降のゲームオーバー時の復帰ポイントでもある)。

 

 他にも熱心にプレーしたゲームはいくつか存在しますが、アニバーサリーで関連商品を買おうと思えるのは『源平討魔伝』ただ一つです。私にとっては、ゲームの原点であり、頂点だったという事なのだと思います。

記紀の断片

 出先の地図を眺めていた時、気になる名前の神社を発見したので参拝する事にした。さすがに酷暑の中を歩くのはどう考えても難しい距離であったので、7年ぶりに自転車を使う事にした。

 

 そこに祭られている(と思われる)主祭神は、私が最後に真面目にプレイしたゲームではこのような姿だった。

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 14年前にプレーしたゲームの事を詳細に覚えている程記憶力が良くないので、どのような特性を持っていたかは覚えていない。

真・女神転生III-NOCTURNE (通常版)

真・女神転生III-NOCTURNE (通常版)

 

 しかし、その数年後に古事記日本書紀に関して調べるにあたり、天孫降臨にてこの日本を高天原の神に献上した古来の神に関してずっと興味があった。

 

 アップダウンの激しい道に四苦八苦しながら、特に迷う事なく到着。

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  周囲は民家に囲まれ、かなり生活の匂いが濃厚な場所であったが、二基の鳥居を潜り神域へ。

 

 石の灯篭の向こうには階段が。

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  水鉄砲で遊んでいた隣家の子供が、明らかによそ者である怪しい人物(私)に「こんにちは」と挨拶してきた。

 

 階段は、実際に登ってみるとなかなか急角度であった。

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 まだ朝早い時間ではあるが、日差しは容赦が無い。 

 

 最初の階段を登り切ると、もう一つの短い階段が待っている。

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 この時点でも本殿を見渡す事ができない。 

 

 「疱瘡神社本社合祀記念植樹」という木製の碑があった。

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 「合祀」という事は、近所に別の「疱瘡神社」があったのだろう。

 当時交通の要衝であったこの地は、多くの人馬が行き交った場所。当然、 流行り病も運ばれてくる可能性が高い。種痘が一般化されるまで、疱瘡は成す術のない重い病であった事を考えると、疱瘡神を祭った神社があったのは当然と言えるのかもしれない。

 どこにあったかはわからないが、疱瘡神社は役目を終えてここに合祀されたという事のようである。時代の移り変わりを感じざるを得ない。

 画像の左端では、犬がじっと私を見つめており、帰りにはけたたましく吠え出した。確かに怪しい人物である事は否定しないが、参拝者なのだからその点は少しでいいから考慮してほしいものだ。

 

 そしていよいよ本殿へ。

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 賽銭箱もなければ、いわれなどを書いた看板もない。 

 

 かなりシンプルな字で神社の名前が書いてある。

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 周辺の地図を調べてみると、近所には「出雲大社」、つまりこの社と同じ神を祭った神社も存在する。記紀に関係する神社が何故この近辺に集中しているのか…はっきりいってわからない事だらけだが、本格的に調べてみる必要はあるかもしれない。

 

 犬に吠えられながら階段を下ると、女児は2人に増え、今度はそのもう1人が「こんにちは」と挨拶してきた。

 一応こちらも同じように返してはみたものの、それだけでは何となく居心地が悪かったので「どうもね、ありがとうね」とぎこちなく言葉を放ってその場を後にした。子供達も、得体の知れない男にいきなり心当たりの無い感謝の言葉を投げかけられて大変困惑した事かと思う。彼女達が成長した後、「子供の頃に体験した不思議な記憶」としてこの日の事をブログなりSNSなりに書く日が来るのかもしれない。

ジョージの夏

 ジョージの夏といえば、当然ながら『Gone Troppo』でしょう。

Gone Troppo

Gone Troppo

 

 トロピカルで鮮やかな日差しを感じる音、シンセを多用したニューウェーヴへの興味、そしていつも通りの優しいジョージ節。彼のアルバムの中で最低の売り上げを記録してしまった作品ですが、作品の出来にはそんな外的要素は全く関係ありません。これぞジョージ、といった音。

 

 最近妙に愛おしくて仕方ないオープニング・チューン「Wake Up My Love」は、ポップで力強いサウンドが炸裂する「シングル向き」のパワーを持った曲。
 個人的には、ダークホース時代の曲では屈指のシングル向きナンバーだと思うのですが、全く売れなかったのが悲しい。どこかで歯車が噛み合っていれば、ジョージの80年代中期のヒット曲になっていたと思うのですが。
 ショボい、古いとお決まりの文句で片付けられるシンセの音も、70~80年代エレポップを聴き馴れた耳からすれば特に違和感はありません。

 

 トロピカルなサウンドに伝家の宝刀スライドを見事に合わせた「That's the Way it Goes」「Greeceドゥーワップをばっちり決めた「I Really Love You」、カリプソ風味が心地良い「Gone Troppo」、親友に捧げた美しいナンバー(ボコーダーによるコーラスとマンドリンが泣ける!)「Mystical One」、ジョージ印のコード進行と泣きのスライドが心を掴んで離さない「Unknown Delight」(ギターソロでの「Something」のセルフパロディも最高!)、Billy Prestonの低音コーラスも渋いブラックなナンバー「Baby Don't Run Away」、「オ・ラ・イ・ナ・エ」の呪文もインパクト大なポップチューン「Dream Away」、The Beatles時代に書かれたミステリアスな「Circles」…どの曲も、初めて聴いた瞬間からすぐにお気に入りになりました。

 

 このアルバム、全く売れなかったのでチャート的には失敗作とされるのは理解出来ますし、当然だと思いますが、私がジョージを本格的に聴き始めた頃に参照した本では内容的にも芳しい評価をされていませんでした。ライターの先生方は本当にちゃんと聴いたのかな? と若輩者ながら疑問が消えなかったのを思い出します。
 この作品に関しては、共同プロデューサーのPhill McDonaldが「ジョージの音楽を理解出来るのは彼のファンだけ」と評した影響があったのかもしれませんが、当時のビートルズ評論本では『All Things Must Pass』『Living in the Material World』『George Harrison(慈愛の輝き)』『Cloud Nine』(あとTraveling Wilburysの1st)以外はまともに作品として扱われていないような印象すらありました。

 誰かの評論は、あくまで参考程度に読んでおくべきなのだなぁ、と当時の私は学んだわけです。四の五の言わず、自分の耳で確かめよう! という事です。

Wondercliff

 ブログに書く事がないので、ここを再び訪れてみる事にした。

 我が故郷を何らかの形で発信出来ないかという友人(yuz氏)の提案で、寺社仏閣等の史跡を巡ったのがこの時。Googleマップを頼りに、名前が載っている場所を幾つか回ってみたのだが、これといってフォトジェニックな所はなく、かなりの長距離を歩いただけでこの日は終わった。

 上記のツイートの場所も、本当に地域の人しか知らないような小さなもので、あまり紹介出来るようなものではなかったのだが、とにかく独特な場所にあった。個人的には、この日巡った場所で一番記憶に残ったのがここである。

 

 前述通り、崖のような所にある社なのだが、高所恐怖症の人は訪れるのを躊躇ってしまうようなシチュエーションなのだ。

 今回は、そこを目指して一人で出発。ショートカットルートを発見したので、当初の想定よりはずっと早く着いた。それでも、徒歩で片道40分はかかるが。

 

 近くの坂道から撮った写真。お稲荷様である。

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 中央右寄りにある石柱が、目指す社。

 

 上の写真だとわかりにくいが、一応ここに通じる道がある。

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 このように、それはかなり狭いものなのだ。

 

 写真の撮り方がヘタなのでいまいち伝わり難いのだが、かなり急な崖だ。

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 真下に見えるのは人家。実際に立ってみると、それなりに断崖絶壁に感じるのだ。

 

  正確には、絶壁ではなく角度は少しある。

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 これも撮り方が下手なので、崖が低いようにみえてしまうなぁ。

 

 眼下には田園風景、そして近隣市町村への道路が見える。

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 人家が入らないようにトリミングしたら、画面の殆どが空になってしまった…。

 

 社自体を撮るのは何となく失礼なような気がして、今回は控えた。というよりも、全景を撮ろうとすると崖の下に落下する危険性があるので不可能だ、と書いた方が正しいのかもしれない。

 それにしても「写真が下手で高さが伝わらない」と先程から書いているが、今回の来訪ではあまり恐怖心を感じなかったのも事実だ。わざとギリギリの所まで足を踏み出してみたりもしたが、「高所恐怖症のゾワゾワ感」はついぞ味わえなかった。

 やはり、前回訪れた時と違い草花が茂っているせいなのかもしれない。それが高所であるという感覚を鈍らせているように思う。勿論、私の馴れもあるだろうが。

 社にある石版にはこの御稲荷様の由来が書かれているが、風化が激しく文字が判別出来ない。それほど古いもののようには見えないのだが。今回も、ちゃんとお参りして失礼する事にした。

 

 しかしこういった小さい場所でもGoogleマップに載っているという事実に驚くし、好奇心を煽られる。

 地域の人がマップに登録したり、写真を載せたりしているのであろうが、こういった外部からの来訪者からは見過ごされがちな場所にも古くからの由緒があり、歴史の中で信仰の対象として機能してきたという確たる証拠があるのだ。

 実は、10年前にも似たような事をブログに書いていた。

blog.goo.ne.jp

 そして謎の祠に着いたが、周りに人が多く、著しく緊張感に欠ける。 それに、去年この場所を発見した時のような興奮はなかった。あの時は、「よく知っているはずのこの土地に、こんなものがあったのか!?」という事実のみが自分を昂ぶらせていたのだな、と少し寂しくなる。

 とはいえ、ミステリアスな雰囲気は十分に漂っていて、写真を撮るのをためらってしまった。 いくつかの小さな、道祖神のような石祠に護られるように木造の本堂(これも小さい)が建っている。

 これだけ小さいものだと、土地のお年寄りに訊いたりしないと由来などはわからないはずだ。 こうしてその地区の、狭い地帯だけで信仰されてきた社が無数にあるのだろう。それを考えると、人の数だけ歴史があり、歴史というのはそう単純なものではないなぁと、ちょっと途方もない気分になった。

 相変わらず進歩のない男である。感歎するだけでそこから前に進もうとしない。全く成長の跡が見られないのであった。

 ちなみに、この引用の中に出てくる「謎の祠」だが、その後人の手が加わって整備されたにもかかわらずGoogleマップへの登録はされていないようであった。

 今度こそ、成長の後を見せるチャンスが来たのかもしれない…何らかの調査を行って由緒を調べ、写真なども投稿してみたいものだ。ここからの10年の課題としたい。

 

  閑話休題。かなり話がずれたが、帰りにこんな神社にも寄った。

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  それなりに有名な神社で、私とyuz氏も何度か訪れている。現政権と関係の深そうな張り紙等もある場所だ。

 

 今回紹介したいのは、神社そのものでなく、境内にあるこれ。

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 先の大戦における、この地域からの出征者の名が刻まれているのだが、何とこの地域にルーツを持つ亡き我が祖父の名前を先日発見したのである。

 戦没者だけが名を連ねているわけではないのだろうか。親に何となくその話をしたところ、どうやらこの地域には同姓同名の男性がおり(何しろ同じ苗字の家庭だらけなので)、後から生まれた我が祖父は本名を一字だけ変えた渾名のようなもので呼ばれていたのだという事だ。私は祖父本人からその話を聞いた事がないだけに、何とも興味深い事実である。

 ここに刻まれた名前が我が祖父なのか、それとも祖父よりも先に生まれた同姓同名の方なのか。いずれにせよ、2名とも戦争によって何らかの傷を負った事には違いない。今となっては確認する手立てはないが、後世を生きる私には祈る事しか出来ないのだ。

「私も決別宣言を? バカこくな!」「こいてねえ!」

 引き続きスターウォーズ関連の話を。

 

 昨年の『ローグワン』公開後しばらくして、熱狂的SWファンであったとあるライターの評論が一部のSWファンの間で話題になりました。

www.mag2.com

 リンク先を参照して頂きたいので詳しくは触れませんが、要は今のSWはファンを耽溺させるためだけのマーチャンダイジングのツールになってしまった。だから、高橋ヨシキ氏はSWから決別するというステイトメントでした。
 氏の言いたい事は、私も痛いほど共感出来ます。以前からこのブログに繰り返し書いてきた”ルーカス以後のSW”への戸惑いは、まさにこの論旨に当たります。

 

 高橋氏の”決別宣言”は、静かに、それでいて確実にSWマニアの思考へと影響を及ぼしており、それは彼自身が思ったよりも大きなものに感じられます。
 私はあくまでSNSを見て回っただけに過ぎないのですが、彼の宣言以降で大きく考えを改める人が少なからずいた印象です。つい数日前まで『ローグワン』に賛辞を送っていたのに、突然ディズニーや新作批判を始める方が目に留まりました。

 友人にも咎められましたが、誰かの見解によって自分の価値観が変わる事は多々あり、それを否定する気はありません。
 ただ…それでも私の心情としては共感出来ない部分が多々あります。それは考えを変えた事ではなく、好きだったものを罵倒し始めたりする点です。つい数日前まで好きだったものを、そうも簡単に否定出来てしまう感性が、自分には備わっていないからです。それは道理の問題でなく、あくまで私の考え方によるものです。

 

 ここで、私も今後のSWに対する考えを予め述べておきたいと思います。
面白ければ受け入れ、つまらなければ黙殺する。
 いかにも私らしい、論理性も哲学性も欠片も感じさせない単純な考え方ですが、これ以上の説明が出来ません。


 つまり、楽しめるものをわざわざ拒否する必要はないし、逆に受け入れ難いものを無理をして許容しなくとも良い、という事です。だから『反乱者たち』『ローグワン』はウェルカムで、『EP7』はノーサンキュー、それだけの事。
 想像主たるルーカスが今後はSWを創る事はないわけですから、「これはルーカス卿が生み出したSWの正史なのだから、何とか理解せねば…」というような感じで彼に義理立てする必要はありません(今までそのような経験はした事が無いが)。
 ある意味で、フラットにSWを楽しめる時代が到来したという見方も出来ます。これからは気楽に、SWオタクとしての人生を歩んでいこうと思います。

 

 名作たるもの、後年に改変が行われた李、原作者不在の中で続編が作られるのは避けようがない事だと思っています。ある種それは諦観のようなものではありますが、これはSWに限った話ではありません。
 未だ別作家によるスピンオフが描かれ続ける手塚作品や、音楽の世界ならばマーティン親子が素材から組み直したThe Beatles『Love』もこれにあたるでしょう。これらの例に関しても、上記のスタンスを全て適用していきます。
 スネークマンショーの名言を引用するならば、「良いものもある、悪いものもある」という事です。思慮が足りない人間だというのは自覚していますが、楽しめるものを自ら放棄出来る程には人間として完成されていないのだと思います。

バトルシップ艦隊など!

 2回に渡ってMadness来日公演の事を書いてきたが、この間に『Rogue One』のソフトが発売となった。

 あまりにも熱狂しすぎたために、さすがに最近は落ち着いてきたが、現物が届いてから1週間は毎日繰り返し観ていた。寝ようと思っても、思わずディスクに手が伸びる…そんな日々。

 

 BD×2・DVD×1のNetflixという方式での購入は初めて。DVDは不要!と普通のユーザーが思う気持ちはわかるが、未だBDプレーヤーを持っていない私からすれば非常にありがたい措置である。BDは、実家に帰省した時に何度か観た。

 そして何より、メイキング映像にルーカスが登場しないSWの映画作品の購入も初めてである。いるべき場所に最重要人物がいないのには戸惑いもあり、寂しさもあるが、慣れていかなければならない。数シーンだけ姿が映ったり、たまに話題が出ると少しホッとしたりもしたが。

 

 それにしても、ボーナス・マテリアルが非常にお粗末。かつてのルーカスフィルム20世紀フォックス時代のDVDに比べるとかなり少なく、不満が残る。

 そもそも、予告編映像からして本編に使われていないマテリアルが多数。この作品が急遽撮り直しされたというのは既に公開前から報道されていたが、それらがまとめて観られるのではないかと楽しみにしていた。

www.gizmodo.jp

 このように詳細にまとめてくれた記事もあるが、多くのファンは初鑑賞後に「そういえば、シタデルタワー頂上でジンがTIEファイターと対峙するシーンってあったっけ?」「AT-ACTは凄いインパクトだったけど、その襲撃から逃げるだけじゃなくて立ち向かっていく場面が本編になかったような気がする」と思ったはずだ。勿論、私もその1人である。

  そもそもスカリフ戦は別のストーリーだったという事が明らかになってきているし、ストーリーの根幹を揺るがしかねない部分なので例えボーナス映像としても収録不可、という事なのかもしれないが。とはいえ、未収録は到底納得出来る処置ではない。

www.gizmodo.jp

 今回の『ローグワン』に関して、一番の不満点はここである。

 

 さて、リピート再生するうち、映画館では冗長に感じていた作品の前半部分にもしっかりとした意味がある事がわかってきた。それと同時に、ストーリーの辻褄合わせ等に疑問を感じていた部分も、補完出来るようになった。

 映像ディスクを最初に観た直後、すぐさまこのブログにメモした内容をそのまま公開したい(特に知識の裏付けを取っていないので、あまり真剣に受け取られても困るが)。

 

Q. カフリーンの環のシーンって必要?
 A. 反乱同盟軍諜報部所属であるキャシアンの非情さを表現した。

 危機的状況においてデメリットしか生まないのであれば味方でも殺す。このシーンがあったからこそ、イードゥーでのゲイレン暗殺を躊躇った心境の変化や、クライマックス近くでの「今まで汚い仕事ばかりしてきた」という台詞の重みが増す。その説明的なシーンである。


Q. デストルーパーが途中から戦闘に加わったのは何故?
 A. 帝国地上軍所属のストームトルーパーと違い、デストルーパーは帝国情報部所属のエリート集団であり、クレニック長官が直接率いる分隊だから。

 物語冒頭のラムー上陸シーンでデストルーパーしかいなかったのは、クレニックの護衛任務のため。その後、イードゥーやスカリフへ彼が移動した際にも随行している。スカリフでの戦闘中、「私の護衛も使え」というクレニックの台詞の後にデストルーパーが実戦へと投入された。最初から戦いに加わっていなかったのはそのため。
 
Q. チアルートとベイズがローグワンの一員として戦った理由は?
 A. 帝国にウィルズの寺院を壊されたから。

 フォースの信者であるチアルートにとって帝国は滅ぼすべき存在であり、彼と腐れ縁のベイズにとってもそれは同様。帝国のパイロットスーツを着たボーディーをソウ・ゲレラのアジトで発見した際、ベイズが掴み掛かっていたのが帝国に対する恨みを表している。

 ちなみに、「ウィルズ」はジョージ・ルーカスのSW草稿の序文に登場した『ウィルズ銀河史』と何か関係があるのではないかとファンの中でも考察が行われている。

 

Q. ジンが命を賭けてまで戦う意義が希薄じゃない?

 A. 単純に「親の敵」。

 幼少時に母のライラを目の前で殺された上、父ゲイレンの自由を奪われ兵器製作に加担させられた。一家を離散させられただけでなく、両親の命を奪われた以上の理由は必要ないはず。そして、父の最期の頼みが「デススターの破壊」だった。動機付けとして何の問題も無い。

 ちなみに、ボーディーが戦う理由もゲイレンと出逢ったためだが、さすがにこちらは説明不足感があるのは否めない。小説等で補完されるのだろうか。

 

 ひとつひとつ見方を変えていくと、少し退屈に思えるシーンにも意味はあると思えてくる。それでも、ソウ・ゲレラのアジトでのシーンはちょっと長い気もするが…。

 しかし、イードゥーでの反乱同盟軍による襲撃は、帝国だけでなく彼らにもダーティーかつ統率が取れていない一面があるという事を示した画期的な場面であると思う。反乱同盟軍の闇、それはルーカスが(敢えて)描写してこなかった一面だ。「Wars」なのだから、どちらかが一方的に正義ではない。それを表現したという意味でも、この『ローグワン』が納得のいく作品であったという私の評価は揺るがない。

 

 次回もSWネタで更新の予定。

Can't Touch Them Now Madness EX Theater Roppongi Vol.2

 あのライヴの日から、1ヶ月以上の時間が経ちました。あの時の記憶がかなり速いペースで忘却の彼方へと去り始めているので、今思い出せる事を書いておこうと思います。

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 今回一番驚いたのは、客層の幅広さ。前回「老若男女」と書いたのは全く誇張ではなく、若い女子が目立ったのがとても印象的でした。勿論、リアルタイム世代の人も負けてはおらず、「幅広く愛される国民的バンド」という本国での評価が、ここ日本の客層にも反映されていました。
 英国人観客は前回ほど不穏なメンツではなく、仕事の帰りにちょっと寄ったそれなりの立場の人が多いように見えました。EXシアターが殺伐とした雰囲気にならなかったのも、これが影響しているように思います。

 

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  Suggsは、メンバー構成の関係上ほぼ1人でヴォーカリストとしての役割を全う。息切れしたり声が掠れたりするような事もなく、安定したまま快調に歌い切る。
 MCも冴え、日本人を置いてけぼりにして英語で盛り上がる観客に4文字言葉を使って窘める姿にも若い頃と変わらぬ鋭さが。「Take That? One Direction? ...We are Madness」という、英国アイドルグループの名前を挙げておどけた後に「NW5」へ雪崩込む流れは最高。

 

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 初めてその姿を拝む事が出来たLeeですが、とにかく大忙し。サックスは勿論、抜けた人物の代わりのハーモニー、更に「Mumbo Jumbo」でのダミ声リード・ヴォーカルを担当。更にステージ狭しと歩き回ってのパフォーマンスなど、八面六臂の活躍。
 ただし、ハーモニーは同期演奏(テープ)で流していたり(誰が歌ったものなんだろう?)、サックスも吹かない箇所が多々あったので、上手く省エネで流していたのも事実。その分、爆発力も凄かった今回のライヴアクトでした。

 

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 Chrisも初めて生で観たメンバーですが、『Madstock』で見せた全身迷彩服のような不穏な格好ではなく、キュートなおじさんといった感じでした。それは前回書いた「One Step Beyond」前のMCに顕著。
 気になったのは、PAのミスなのか、本人が調整に手こずったからなのか、ギターソロの場面でいまいち音が前に出てこなかった事があった点。何故かギターチェンジする事なく、レスポール1本で最後まで弾き通したので、アームを使う曲ではニュアンスを再現するのが大変そうでした(チョーキングとビブラートだけではやっぱりね)。元々、アーミングを多用するギタリストですよね、彼って。

 

 あまり派手なアピールはしなかったBeddersですが、メンバー随一の演奏力は健在。背中をピンと延ばして、まるで糸でも紡ぐかのようにフィンガーピッキングする姿に惚れ惚れします。ライヴ中は気が付くと、その指先に目がいってしまいました。最小の動きで最大の効果を生み出す、見事な仕事ぶり。
 バンドが「Cardiac Arrest」のイントロの入りを失敗し、演奏が空中分解。思わず頭を抱えていた場面が忘れられません。

 

 今回はWoodyにもマイクが向けられる場面があり、何事かを喋っていました(聞き取れず)。当然ながら一番体力が要求されるパートですが、飄々と最後まで叩き切る安定感。何やらCharlie Wats的な貫禄が付いてきましたね。
 今回、ライヴ終了後に彼のスティックは客席に投げ込まれたのでしょうか?残念ながら、友人Fは2回連続での獲得は成りませんでした。

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 リーダーのMikeも今回はMCを少しだけ担当。奥まった位置なのと、キーボードを収納する箱のために、どんな機材を使っていたかは判別出来ず。スタンドマイクが設置されていたから、コーラスも担当していたのでしょうか?
 モニターのようなものが見えた気もしたので、シーケンスや生演奏以外のパートの同期も担当していたのでしょうか。後列にいてもわかる長身ぶりがリーダーとしての存在感をアピールしていました。今までよりソフィスティケイトされた新作のサウンドには、彼のプレイが重要な役割を果たしていたように感じます。

 

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 そして、脱退したChasの不在を痛感したのは、MCや客席の煽り、トランペット演奏は当然として、個人的には特徴的なハーモニーが聴けなかった事。

 Suggsの歌を食わんとせんばかりの全力のハモりは彼らの楽曲に確かな彩りと力強さを加えており、フロント2人の声のせめぎ合い(まるで殴り合っているかのよう)がMadness流Nutty Soundの重要な一翼を担っていたのだと今回強く感じた次第。
 

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 非常に充実したライヴだったのは何度も書いた通りですが、Madnessの演奏以外で一つだけ気になった点を。
 前回「ライヴ中に酒を買いに行く事も出来る気安さ」と書きましたが、AXの時と違い、このEX Theaterでは自分の立ち位置を離れ、ビールを買いに行ったり、トイレに行ったりする観客が散見されました。
 1階は椅子席ではなくスタンディングなので、元いた場所に戻る…というのもライヴハウスっぽくない感覚だなと思っていましたが、気になったのはそういったタイミングが、ほぼ全て新作からの曲を演奏している最中だった事。
 ライヴの楽しみ方は人それぞれなのは理解しています。「自分の聴きたい曲だけ聴く事の何が悪いのだ?」と、お叱りを受けてしまうかもしれません。それでも、あれはちょっと露骨過ぎませんか?当然、ステージの上からはオーディエンスの動きはよく見えているでしょうし、メンバーがどう思ったかを考えると複雑な気分になりました。
 これは本当に個人的な意見ですが、自分にはちょっと共感し難い行動でした。ハッピーだったライヴの中で、唯一気になったのがここです。