(Revenge of the) United Minds

Talkin' 'bout Music, Football(JEF United Chiba) and More.

したうつやまい

 私は、周囲の人間からは温厚な性格だと思われています。

 確かに、怒りを露にする事は滅多にありませんし、自分が大した事のない人間なので人を攻撃したりする事も少ないです。勿論そういった感情が生まれないわけではなくて、単に無用なトラブルを生み出したくない日和見主義や、生来の気弱さなどで表に出さないだけで、実は結構捻じ曲がった性格なのですが…。

 ただ確実に言えるのは、ストレスも怒りも内部に溜め込むタイプなので、割とそういう時に体を壊したりしやすいです。基本的に人に苦痛を与えて楽しむような輩以外はどんな人間も大抵許容しますし、理不尽な形で苛立ちを人にぶつけるような事もないと自分では思っています。加えて、後先考えずに他人に怒りをぶちまける、いわゆる「キレる」という精神状態にはまずならないので、その辺の自制も出来ている自信はあります。むしろ、役回り的にそういう人を宥める機会が多かった…。

 

 そんな“仏のミカ・ラウド”と呼ばれている私ですが、一つだけ怒りの沸点を瞬間的に超えてしまうくらい受け入れ難い他人の行動があります。

 それは「舌打ち」。

 友人同士で軽口を叩いている時に生まれたものなら特に気になりませんが、見ず知らずの人に予期せぬ形でやられると、もう効果覿面。争い事も暴力も大の苦手なこの私が、「おい!高校時代の往復30kmの自転車通学で鍛えたこの脚力を舐めんなよ!」と、中村俊輔も真っ青のニーリフトを反射的にぶちかましたくなるほど冷静さを失ってしまいます。

 

 こちらに明らかな過失がある場合は何とか我慢しますが(それでも内心は穏やかではいられません)、意図不明、理解不能なシチュエーションだともう駄目。湧き上がった怒りのマグマを何とか自分の中で冷ますまでにかなりの時間を要します。

 

 今日、この記事を書こうと思ったのは、こんなツイートをしたのがきっかけです。

 昼食を終えて駅前を移動中、改札前で進むのか止まるのかハッキリしない初老女性が。私は進路を塞がれ、彼女の横に立つ格好になってしまったところ、突然横目で睨まれて舌打ちをされたのです。

 今回の件に関して自分に落ち度は認められないので、久々に猛り狂う自分の感情を抑えるのに必死でした。ツイート時間が16時だったので、何とか冷静な文章として消化できるようになるまでそれだけ時間がかかったという事でしょう。

 

 一体、私が「舌打ち」という行為にここまで怒る理由は何なんでしょうか。

 今までの人生の中で、罵倒された回数は数知れず、あまつさえ轢き殺されかけた事すらある(当時の記事)のに、そういう体験は怒りよりも心の傷として自分の中で時間をかけて処理されていきました。

 考えられるのは、恐らくは舌打ちをする人間に耐性がないのではないかと思います。

 幼少時、我が亡き祖父が「チッチッチッ」と短い間隔で舌を何度か鳴らすのを聞いて「この人は一体何をしているんだろう」と思った事が記憶に残っているくらいで、幸いにして良識のある友人・知人・家族・親族・教師が多かったせいか、舌打ちする癖がある人間と時間を過ごす時間が少なかった事が原因の一つとして挙げられるかもしれません。自己中心的で思いやりの欠片もない人間ばかりで、純真かつ天真爛漫だったミカ・ラウド少年の性格を大きく変えてしまう程のショックを与えた高校時代のクラスメイトたちにすら、そういう手合いはいなかったような気がします。

 あとは、やはり人となりがわからない赤の他人からの意思表示として舌打ちが行われるからでしょうか。相手の心理状態や性格がある程度わかっていれば、状況によっては理解できることもありますが、やはり見ず知らずの人間にそのような行為をされては、負の感情をそのまま不躾に鼻先に押し付けられているようにしか思えません。

 

 この記事を書き終えてから思い出したので追記しますが、小学生の頃に見た何かのインタビュー記事で、当時のアイドル(現在の辻仁成夫人だったか、現在のジャン・アレジ夫人だったような気がします)が「すぐ舌打ちする人はキライ!」と語っていたのを見て大いに頷いた記憶があるので、やはりその当時から自分にとっては受け入れられない行為だった事は確かなのでしょうね。 

 舌打ちをする人は、恐らく無意識に行っているのだと思われます。私自身欠陥の多い人間ですし、その行為を咎めるつもりは全くありませんが、不完全ヒューマンだからこそ許容しがたい事もあるという事を書いておきたいと思います。