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(Revenge of the)United Minds

Talkin' 'bout Music, Football(JEF United Chiba) and More.

Twitter and the Monkey Man November 2014

Twitter

 ある意味で、私にとって2014年の集大成となる月でした。今言える言葉は、「The Answers at the end.(応えは最後に)」という事です。

 一ヶ月分のツイートを遡ったら、振り返ってみたいツイートがいつもに比べとても多く、我ながら驚きました。やはり濃密な月だったのかなぁ。

 久々に長めの記事になったので、以下は続きから。

 

 

 

 

 早いもので、もうすぐ大滝師匠の一周忌です。いよいよ、本人不在の中でのプロジェクトが具体的に明らかになってきました。その第一弾となるが、キャリアを総括した初のベスト盤のリリースです。

 『B-each Time L-ong』や『Snow Time』をはじめ、変則的な編集盤がいくつも存在する大滝氏のディスコグラフィですが、単純な“ベスト盤”というものは存在しません。ナイアガラ・レーベルがコロムビアと契約していた時代、「1年間でアルバム4枚」という殺人的なリリース・スケジュールをこなすため、『Debut』,という諧謔的な(そして多分にアイロニックな)タイトルの変則ベスト/アルバムを発表した事があります。しかしこれとて収録曲は新録、ライヴ・テイク、リミックスと全て形を変えてあるひねくれっぷり。そのせいか、このアルバムはオリジナルの形での一度もなされておらず、現在もボックスもしくはデジタル配信以外での入手が出来ません。

 そういった事実を踏まえると、間違いなく大滝氏が存命であったらこのアルバムの発売はなかったでしょうし、本人も望んでいないのではないかと思われます。ただし、エルヴィス(・プレスリー)などの死後のレコード・ビジネスに触れてきた大滝氏にとって、こういった本人亡き後のビジネスが行われるであろう事も当然想定の範囲内だとは思いますが。

 多くのナイアガラーは多少なりともこのベスト・アルバムに不満があるとは思いますが、個人的には出るからには楽しもうと思いますし、ツイートに書いた通り収録すべきテイクは概ね拾っている印象なので(当たり前のように思えて、その「当たり前」がちゃんと実行される事は殆ど無い)、その点は評価すべきだと思います。

 

 何故か先月から続いている「似ている」ツイート。ここは誰も読んでいないのではっきり書きますが、元Wands上杉昇氏の事です。

 

 久々にやってしまいました。下手をすれば大怪我に繋がっていただけに、この程度で済んでラッキーだったと考えるしかありません。今では傷もほぼ癒えました。気を付けなければ…。

 

 ユニバーサルのサイトの、ジョージ夫人・オリヴィアのインタビューより。正直に言うと驚きましたが、『Electronic Sound』は「ジョージが買ったばかりの未知の楽器と戯れた」という単純な理由だけで制作されたわけではない、という事でしょう。やはり、あの時代のビートル・メンバー達は様々なアートの世界に敏感にアンテナを張り巡らせていたという事ですね。

 

 Owsley好きな方からフォローされたので、そこから突如始まった懐古話。私の中での行き付けの店は00年代からディスクユニオンに移りましたが、90年代末期は間違いなくこのお店が洋楽との出会いの場所でした。本当に感謝しています。

 この秋葉原店とは関係ありませんが、私がまだ小学生だった遠い昔、東千葉にあったヤマギワの眩いネオンがとても印象的で、今でも鮮明に記憶の中に残っています。当時、私は視力回復トレーニングのため、ほぼ毎週末のように千葉市を訪れていたのですが、電車だけでなく親が運転する車で向かう事も多かったのです。

 緊張で疲れ果て、すっかり暗くなった都市を後にする時、車の後部座席から見えるヤマギワの(花のような独特のデザインの)ロゴマークの煌きが、まるで疲れ果てた私を見送っているかのように感じていたものです。

 結局、ブログでも懐古話になってしまいましたね。

 

 今日の昇格PO準決勝の結果、決勝の相手は山形に決定しました。天皇杯でも決勝に進出し勢いに乗る相手ですが、我々は何としても昇格しなければなりません。来週の試合、私も当然味スタに乗り込みます。

 

 大河に関しては、放送終了後に触れようと思います。この話題こそ、旧ブログによくコメントを頂いた独眼竜さんと語り合いたかったのですが。

 

 突然の懐古話は加齢の証拠でしょうか。正確には「クラスの」卒業文集でした。

 このツイートの後に読み返してみましたが、やはりシンプルながらリリカルで良い文でした。あれから数十年。こんなダメな大人になってしまったからこそ、染み入る何かがあります。私も今からでも頑張ろう。現在、先生が何をしておられるのかはわかりませんが、元気でいらっしゃる事を影ながらお祈りしております。

 ちなみに、私はこの文集の編集者に名を連ねています。どのような作業をしたのか全く記憶にありませんが、当時はとにかくこういった事に首を突っ込みたがる人間だったので、私らしいなぁという感じです。

 後書きの一言が意味不明過ぎて「馬鹿なのか、お前は?」と思わずツッコミたくなりますが、特定されそうで怖いので明記はしません。良い事を書こうとして滑っている感が非常に強い短文、とだけ書いておきます。

 

 連日夢を見ています。今朝もちょっとした悪夢系の夢で目覚めており、何だか今日も魘されそうな予感がします。

 ブログ行きにした夢は、これも楽しいとは言い難い内容でした。

 私はかつて多くのヒットを飛ばしたバンドの中心メンバー。解散後にミュージシャンとしての活動を休止し、長いブランクがあった。

 しかし、ビッグな夏の音楽フェスからオファーがあり、このステージを復活の舞台とするために参加を決めたのである。

 黒いストラト(バンド時代に実際に使っていたギター)を抱え、観客の前に立つ私。しかし、その数は驚くほど少なかった。会場の後ろ、そして両サイドに固まっているのが数十名程度。中央のスペースはがら空きだ。

 やはり、自分の復活は望まれていなかったのか…落胆しつつギターを弾き語り始めるが、コード進行をまるで覚えていない。そして手も思うように動かない。(ここは、最近まともに練習していない実際の私の腕前のまま、という事です)。

 ただでさえ少ない客席が静まり返っていく。焦る気持ちと同時に、「ああ、これでメディアやネットユーザー達に袋叩きにされる。あのバンドのメンバーだった俺が…」と、オーディエンス以外の反応への恐怖感が募る。

 そういえば、何でバックバンドは演奏に加わってくれないのだろうか。サビから入って来てくれるはずではなかったか。この空気の中、一人だけで立ち向かわなければならないのか。

 私は焦燥感に煽られるように、ひたすらメロディを声を荒げて歌うしかなかった。

 

 実際の体験と、中学生時代からの妄想が複雑に入り混じった夢でした。ここで自分が歌っていた曲はなかなかの名曲で、「これは残さなければならない!サビだけでも録音しておかなければ!」とスマートフォンに吹き込んだはずなのですが、どうやらここの部分も夢だったようです。ポールのように「夢で作曲」は本当に難しいですね。何度となくチャンスがあったのですが、未だに成功していません。

 正確には、一度だけ夢の中のメロディを覚えていた事があります。中学生の頃だったのですが、起きてからすぐさまガットギターを使ってテープに録音しました。時間的な余裕があったことを考えると、休日の朝、もしくは昼寝か何かだったのかもしれません。

 後で聞き直してみると、特に興味の無かった爆風スランプの「大きな玉ねぎの下で」そっくりなメロディでした。ガッカリして消去したのを覚えています。

 

 次回、改めて語ります。