(Revenge of the) United Minds

Talkin' 'bout Music, Football(JEF United Chiba) and More.

いや~コケちゃいました

 側溝落下に引き続き、またしてもやってしまいました。

 月末のツイッター記事の時に触れようと思ったのですが、あまりにも痛かったので記事にして心を落ち着けたいと思います。痛みで涙が出たのは本当に久し振りです。

 

 ダッシュを開始し、速度が出始めた時に躓いたので、かなり激しい転倒でした。サッカー選手のようにタックルを食らって倒れたわけではなく、当然ながら『A Hard Day's Night』冒頭のジョージのように女の子達に追われていたわけでもないので、ただただ滑稽なだけです。

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 転ぶ、という事。痛い上に恥ずかしい、という二重苦は本当に何とかしてほしいですね。せめてどっちかならまだ我慢も出来ますが、シチュエーションによっては心身ともに深い傷を負いそうです。

 今回は周辺歩行者はおりませんでしたが、信号待ちの車からは宙を舞う馬鹿の姿が見えたかもしれません。痛がるのにも人目に付かないところを探さなければならない辛さ。無性に情けなくなりました。

 

 私の右足には、三つの大きな傷が未だに刻まれています。

 まずは、小学校入学前にホンダ・カブのマフラーで負った膝の火傷。私自身は殆ど記憶にないのですが、亡き祖父がよく語っていました。どういう状況だったのか、今でも気になります。

 次に、小学校中学年頃に自転車でスリップして受けた膝の傷。理容店の予約の時間が迫る中、向かいからやって来た友人に気を取られ空き地で転倒。かなり深い傷で、その場は何とか絆創膏を貼ってやり過ごしましたが、後に膿が溜まって大変な事になりました。帰り道、鮮血に染まった私の膝を見て、子供を遊ばせていた女性がギョッとしていたのを今でも覚えています。ちなみに、その事故現場は現在とある団体の本部が置かれています。

、その次は、小学校高学年時に九十九里海岸沿いの某大型プールの縁石にぶつけた脛。(毎夏私がお邪魔していた)親の友人宅にステイしている時に負ったのですが、引率していた当家のお祖父様が大層ご立腹し、帰り道は傷の痛みに呻く私に罵声を浴びせ続けるというハードな状況でした。

 更に、完治する前に(当時完成したばかりの)『スターツアーズ』体験を優先したため傷が悪化。これまた怒りで我を忘れた老医師に麻酔無しでメスを入れられるという、およそ適切とは言い難い処置をされてしまうのでした。確か旧ブログにも書いた記憶がありますが、この疵痕が一番酷い形で残っています。戦前・戦中世代の爺さんは色々な意味で怖かった…。

 そして今回も右足。生まれ付き右目の視力が極端に弱い私は、やはり右方向にある物を目視出来なかったり、それに対しての反応が遅れたりするのでしょう。もしくは、視界が良好な体の左側を知らず知らずのうちに庇ってしまっているのかもしれません。

 

 前回の側溝落下の時のように、これだけで済んだのは不幸中の幸いだった、と考えるしかありません。もっと悪いケースも十分に考えられますし、入院だの通院だのはこれ以上はウンザリなので、それほどまでのレベルでなくて良かったです。

 今後は気を付けなければ…と思っても、注意してもこういう事故は起きる時は起きてしまうんですよね。ただし人間とは学ぶ動物ですから、せめて今後はダッシュの際は足元を確認してからにしたいと思います。

 

 今日は一日回復に努めていましたが、約3kmくらいは歩く事が出来たので、とりあえず明日からは日常生活に戻れるでしょう。ただし歩く速度は遅いですし、膝を曲げるのが難儀するので立ったり座ったりが本当に辛いのですが。無理だけはしないようにします。

 ツイートした後、メールで気遣って下さった方々に感謝します。心配してもらえるというのは、ありがたいものですね。