(Revenge of the) United Minds

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spiritual sounds to SpiSun: New Era Edition Box

 今年のTM Networkのアニバーサリー・イベントで十数年ぶりに再会した我がバンドのヴォーカリスト(以下「北条」と記す)。長いブランクを埋めるための会話の中で彼から出された要望は、我々、つまりspiritual sounds ~ SpiSunのオリジナル曲の数々を音声ファイル化してほしいという事だった。
 spiritual soundsは、結成当初は独立した存在だったものの、バンドが結成されてからはバンド内ユニットのような形となり(私も相棒のジョニー馬論もそのバンドのメンバーだったため)、バンドで演奏されるオリジナル曲は自然と我々がspiritual soundsとして制作したものとなった。
 その後バンドの解散と共に再び独立したユニットに戻るわけだが、北条からすれば我々が制作した音源はあくまで「バンドのためのデモテープ」であり、作品として制作していた我々とは意識にギャップがあったものの、それはそれで彼がバンドの事を活動母体として真剣に考えていた意味でもあり、私に悪い感情はない。ある意味で、彼が一番バンドの事を大事にしていた人物かもしれないのだ。

 

 実は2009年にカセットテープやMDの音源からアナログな形(MTRに繋いでトランスファー)で全音源をCD化しているわけだが、せっかくの機会だからリマスター、及びマルチトラックデータが存在するものはリミックスを行おうと思い、丸々2週間を費やして作業を行っていた。

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 元の音源が稚拙な録音環境によって制作されたものであり、音圧を挙げるとノイズも強化されてしまい、途中で投げ出しかけたが、妥協しつつ何とか作業を終わらせた。完璧ではないが、機材がもう少し揃えばその時にまたベストなものに近付けられればいい。

 

 実は、SpiSun名義では最初で最後の作品であり、現在でも我々の最新作である『Technicolour』は、spiritual sounds結成20周年のタイミングでリマスター&リミックスを行っており、こっそりブログ記事にもして告知している。

micalaud.hatenablog.com

 ブログを通じて最も多くの人に聴いてもらった(正確には配布した)作品ではあるが、ミックスを完全に失敗しており、ずっと悔いが残ったままだったのがその理由である。
 ミックス自体が拙かったせいもあるが、根本的に機材の使い方を間違えていたのも災いした。特にゲスト・ヴォーカルで女性を迎えた楽曲は特にそれが顕著で、今でも申し訳ない事をしたと思っている。また機会があればこのリミックス版を改めて彼女に渡したいのだが、もはや連絡を取る手段もない。心残りは継続中だ。

 

 この作品は、私にとってはリベンジとして意気込んだ作品であった。

blog.goo.ne.jp

 spiritual soundsとして開設したブログにおいて、初めて作品告知をしたのがこのひとつ前の作品である『Sketch』。当時の勤務先は百戦錬磨の音楽事情通が揃っており、ネット上で告知をした事もあって同僚の多くにこの作品を求められた。

blog.goo.ne.jp

 同じフロアで働いていた、少し年下なれど音響方面に絶対的な知識を持っていた同僚も同様だった。彼はフュージョン分野のベースでプロのフィールドを覗き、たまに聞かせてくれるギターも明らかに私よりテクニカルだった。その能力を武器に、今では一流音響メーカーに社員として請われたという話だ。
 人伝に聞いた話ではあるが、彼は我々の作品を一聴するなり自分の車内に放置し、後輩に「俺はいらないから、欲しければ持っていきなよ」と言い放つくらいぞんざいに扱っていたらしい。その(少し意地悪な)後輩本人から聞いた話である。
 プロ志向の友人から頼まれてマスタリングなども忙しくこなしていた彼の技量からすれば、我々の音楽の完成度など児戯に等しかったのであろう。MTRのマスタリング機能ですべてを賄っていた(賄わざるを得なかった)環境の貧弱さ、無知さもあるが、それ以上に作品の出来自体が彼にとっては話にならないレベルだったに違いない。

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 私自身、この録音時期は気管支炎を患っていて声が出なかったり、定期的に訪れる作曲のスランプの時期ではあったが、そんな小手先の問題ではないだろう。ともかく、彼のような専門的人材からすれば興味が惹かれないものだったというだけの話だ。ただし、私としては好きな曲もある作品なのだが。

 

 そんな苦い経験もあったお陰で、私としては「見返してやる、振り向かせてやる」と多いに意気込んだのが『Technicolour』という作品だった。もはや相棒のジョニー馬論は私の作品に労力を割く余裕はなく、私の曲は2曲しか収録されなかったが(しかも1曲は女性ヴォーカル)、それでも当時自分の持てるパワーはすべて注ぎ込んだという自負はある。

 ただし、既に私はその職場を退職した後で、彼とはすっかり疎遠になっていた。我々のブログを彼が読んでいるはずもなく。結局彼にはこの作品を聴かせることは出来なかった。
 聴いてもらったところで、恐らく評価はさして変わらなかったであろう事も十分にわかっている。だが、そういった感情は大きな創作へのモチベーションになるし、自身を成長させている実感がある。もはや伝える術もないが、今回の作業を通して、改めて彼への感謝の気持ちが湧いてきた。

 自分で言うのも何だが、女性に歌ってもらった曲はジョニー馬論のアレンジ、かつてのバンドのもう1人のギタリストの歌詞と相まって、自分が作った曲の中では最も名刺代わりになるパワーを持った楽曲になったと想う。ある意味で、私が所属していたバンドの総力を結集して作った曲とも言う事が出来る(関わっていない北条には申し訳ないが)。
 古くからの友人が自宅を現在改造しており、スタジオ化して友人を招きライヴなどを開催したいと希望を語っているが、そこに上がる許可がもらえるのならば、この曲を是非披露したいという漠然としたビジョンを持っている。

 

 

 この話題とはあまり関係がないが、先述の同僚は高校時代にサッカーをプレーしており、同県内の有名なプロ選手とも対戦経験があるという。出来る奴は何をやらせても出来るし、上手くこなす。こういう人物と多数出逢ったのもこの仕事の思い出であり、貴重な経験だった。

 中村俊輔のファンで、CLで彼がマン・ユナイテッド相手に決めたFKに大変興奮していた事を昨日のように思い出す。見た目も少し松井大輔に似ていた。