(Revenge of the) United Minds

Talkin' 'bout Music, Football(JEF United Chiba) and More.

Duel of the Daze

 先日、入浴中にふと思い出した事があった。
「そういえば、ジョニー馬論の友人のバンドマンに聴かせるために録った曲があったはずだな」
そう思うが早いか、私は風呂から上がるなり、カセットテープの棚を引っ繰り返す事となる…。

 

  何やら下手なエッセイのような書き始めとなってしまいましたが、実際にあった出来事です。
 毎度の説明となりますが、ジョニー馬論とは我が音楽ユニット“SpiSun”の相棒であり、中心メンバーであったキーボーディスト・プログラマーを指します。

blog.goo.ne.jp 最近、過去の音源に笑いのネタとして使えそうなトラックがないかと考え、カセットテープ掘りを行おうと画策していた事が記憶のトリガーとなったのだと思います。

 

 ジョニー馬論は私などより遙かにコミュニケーション能力が高く、どんなに短期間であろうとも必ず行く先々のコミュニティで友人知人を作る事の出来る男でした。それでいて、押し付けがましくそれを周囲にアピールしたり、殊更意識して行動している様子もない。些かナイーブすぎるきらいもあるとはいえ、幅広い付き合いが出来るのも納得のパーソナリティを持った男です。
 だから、彼が通う大学のサークルでプロ志向のバンドマン達と知り合いになっても、何の不思議もありませんでした。馬論が自分も音楽制作を行っている旨を伝えると、1本のデモテープを託されたとか。俺達はこんな音楽をやっているから聴いてみてくれ、代わりに君らの曲も聴かせてほしい…というやりとりがあったのだという事は想像に難くありません。

 

 互いの音楽性の探り合い、同世代の音楽仲間から受ける刺激…そう言ってしまえば聞こえは良いのですが、要は果たし合いのようなものでしょう。まだ大学生のガキ共、そんな血気盛んな年代の人間からすれば、それ以外の解釈をするのは難しいはず。近い立場のバンドと自分達の楽曲を比べて、現在の立ち位置を知る事も出来る。血湧き肉躍る体験であったのは間違いない。
 果たして馬論が大学にて受け取ってきたデモテープには、1曲のみが収められていました。入魂の1トラック勝負、これぞ我らの代表曲である…と解釈するのは当然の流れです。
 練習スタジオで一発録りしたと思しきその曲は、申し訳ないのですが取り立てて感銘を受けるようなものではありませんでした。ヴォーカル、ギター、ベース、ドラムスのよくある4ピース編成に、か細く甲高い声でメロディが紡がれる。それとて特にフックがあったわけではなく、そもそもラインで録っているわけではないので歌を聞き取るのが難しい。
 一通り聴いてみても心惹かれるようなポイントはありませんでしたが、少なくともギターの技術だけは自分よりも上だと認めざるを得ませんでした。待ってましたとばかりにソロで披露される速いパッセージなどは、少なくとも当時の私には太刀打ち出来るとは思えないもの。
 当時、馬論に「ギターだけは俺より上手いね」と感想を述べた記憶があります。彼が少々がっかりした様子だったのが印象的でしたが、そこは私に虚勢を張ってほしかったのか、それとも第三者の視点から見ると決してそうは思えなかったからなのか、あの頃の彼に訊いてみなければわかりません(今はもう覚えていないと思われる)。

 

 だからこそ、気持ちが燃え上がりました。テクで負けていてもセンスで負ける気はさらさらない。よくある技術不足の演奏者の定番エクスキューズですが、そういう心意気を持っていなければ音楽など続けられるはずがないと断言出来ます。速弾き技術を持っている者に聴かせるからこそ、自分のギタリストとしての真価が問われるのではないか、と。
 高校時代にドロップアウトした(させられた)軽音部の、ある意味体育会系的なテクニック志向のメンタリティ。その文化とは逆の方向から音楽を追う事によって、当時の自分はアイデンティティを確立してきました。速弾きを前面に押し出したギタリストと向き合うという事は、高校の頃から続く呪縛と相対するという事も意味しているのではないか。鬱屈としたバックグラウンドがあるが故に、勝手にストーリーを作って盛り上がってしまう。自分の悪い癖ですが、それこそが私という人間なのです。
 馬論自身も、気合いが入っていたのは間違いありません。我々が最初に作った曲であり、結果として最後のライブになってしまった場でも演奏した曲を短期間でアレンジし直し、私に託してきたのです。
 それに私は入魂のヴォーカルとギターを入れ、再び馬論に手渡しました。録音中は、完全に「俺の歌(とギターを)聴け!」と別の友人が好きだったアニメよろしく、そう叫びたいような心理状態で力が漲っていました。
 最初に親しい友人(yuz氏)にこの完成品を聴かせた際、彼が述べたのは「『どうだぁ!』って感じだな」という率直な感想でした。上記のようなメンタリティが、歌もギターも攻撃的にしていたのは間違いないでしょう。
 いざ対決の時。相手のバンドマンは、馬論によれば「でもこれって打ち込みでしょ?」とだけ言及するのみだったとか。私はこれを敗北宣言だと受け取り、大いに悦に入ったのです。何とも都合の良い、独り善がりな解釈とはいえ、それだけ出来に自信があったのです。

f:id:micalaud:20210717164521j:plain
 馬論も彼らとはそれっきり音楽の情報交換等をしていた形跡が無く、交流はそれだけで終わってしまいました。だがこのような記憶だけは今でもしっかりと残っており、忘れ得ぬエピソードとなっています。
 あれ以来、そのトラックを聴き直した事もなく、永い眠りに入ったままとなっています。このように思い出した事も何かの巡り合わせと考え、根気強く発掘を行う事にしました。もし出来が良ければ「(Offensive Version)」とでも題し、リマスターしようと思っていたのですが…。

 

 結論から言うと、どうしようもない代物でした。まだ若く技量不足だったから…と言い訳するのも苦しい、ただただ拙い出来。
 歌もギターも、力が入っている事は伝わってくるのですが、だからといって印象に残るものというわけではありません。歌もパワーが入りきっていないし、ギターはそこまで冴えたフレーズを生み出せているわけでもない。それどころかミストーンが非常に気になる。
 何よりも音が悪い。この時代に録音したものはどれもこの程度のクオリティですが、それでもこの曲の方が一回りノイズが多く、劣悪な印象を受けました。
 当時MTRすら持っていなかった我々は、カセットテープをダビングする際に音を入れるという非常に原始的なピンポン録音で音源制作を行っていました。当然パンチイン・アウトが出来ないのでミスが許されないし、歌入れも壁の薄いアパートで行っているので全力でシャウトする事も出来ない。当時の他の曲よりも音が悪いのはそれだけダビングを重ねた証拠であり、試行錯誤の痕跡なのだと思います。
 それにしても、もう少しまともなものだと思っていただけに、やけにショックでした。勝手に盛り上がるだけ盛り上がって、結果がこれなのかと。自分の中でストーリーだけが鮮明に浮かび上がってしまいましたが、現実はこんなものなのでしょう。これが当時の私の精一杯の実力だったのだと認めるしかありません。

 

 ただ確かなのは、あのような体験はやはり自らの本能を奮い立たせるし、音楽制作においても非常に有意義であると思います。音楽は芸術であり、常に他者の評価なくしては成立しないものなのですから。

micalaud.hatenablog.com

 以前も同様の持論を書いた事がありますが、こういう経験を繰り返してミュージシャンは成長していくはず。それはインターネットで簡単に世界と繋がる事の出来る現在では、更に顕著になったと考えられます。
 我々は、そういった経験があまりにも少なすぎました。このような体験を更に経る事によって、バンドやユニットの解散は更に早まった可能性も当然あるでしょう。それでも、無為に時間を過ごすよりよほど有意義な事です。まだあの頃ならば、別の音楽人生を歩み直す時間の余裕もありました。全てが今とは違うのです。後悔は先に立ちませんが、決してそういった経験を無駄にしたくないものです。