(Revenge of the) United Minds

Talkin' 'bout Music, Football(JEF United Chiba) and More.

Twitter and the Monkey Man Autumn 2018 & Winter 2019

 この期間は、自分としては呟く回数が多かったように思います。何気ないツイートでもそれなりに覚悟して送信ボタンを押しているので、毎日ストレスフリーで連投というわけにはいきませんが。

 

 それなりに長い人生、私のような人間でも多くの人と出会いと別れを繰り返しているわけで、こういう事も増えてきました。入れ替わりが本当に激しい業界なので尚更です。 顔ははっきり覚えている事が多いんですけどね。

 私自身も、印象的な話を聞かせてくれた方(Pファンク等)に完全に存在を忘れられていたという事もあるので、多かれ少なかれ皆同じようなものだと思っています。1年や2年の付き合いだとそういうものなんでしょうかね。こちらは数ヶ月仕事をしただけの方でも、忘れられない方も結構いますが。

 

 野球のシーズンオフ番組として半年限定で始まった「オールナイトニッポン・プレミアム」、ここで中川家が関東のラジオ番組に久々に復帰し(TBSラジオ『ネコ電』以来)、あの頃と変わらぬ兄弟トークを聞かせてくれました。 

 研ぎ澄まされた人間観察の鋭さと瞬発力、そして阿吽の呼吸。執拗に市井の人々の日常を抉るトークは、中川家ここにありといった内容。非常に楽しませてもらいました。TVでは常に一歩引きがちの兄・剛のスキルが最大限に引き出されるのも、ラジオならではの魅力です。

 当初の予定通り、今年の3月で当番組は終了。しかし彼らは昼間の放送「DAYS」へとフィールドを移し、引き続き素晴らしい内容を提供してくれます。この番組は半年などとケチくさい事は言わず、末永く続いて欲しいと願います。

 

 地元のスーパーに突如出現したCDコーナー。安いものもいくつかあったので、地元支援の意味も込めて何枚か買ってしまいました。

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 Bryan FerryのベストとEverything but the Girlの90年代コンピレーションは機会があれば入手したいと思っていたので、ちょうどいいタイミングでした。

 大方3ヶ月程度で撤去されると思われていたこのワゴンコーナーですが、今年の4月前まで残るというまさかのロングラン。私のように、忘れた頃に買うような客がいたからでしょうね。

 

 昨年末、史跡巡りを行った大河ドラマ西郷どん』。ツイート通り、遥か昔にインプットされていた木戸の最期が、漫画作者の創作でなかった事には大いに興奮しました。 

micalaud.hatenablog.com

  木戸の最期の瞬間、と聞いて真っ先にイメージするのは、未だにこのコマである。いつぞや歴博での木戸孝允展を訪れた際も、勿論この絵が頭の中に浮かんでいた。

 上記記事にもこう書いていますが、それから2ヵ月後に大河ドラマで再現されるとは。なかなか楽しい体験でした。

 

 まさかの感染。人生初のインフルエンザA型罹患です。今年は大流行したという話ですが、自分に降りかかる日がこようとは。やはり私にとって1~4月は鬼門です。

 症状自体も非常に辛かったのですが、実家に帰っていたのが不幸中の幸い…とも言えないのが辛いところ。処方された薬がすぐに効果を示してくれましたが、(私が原因かどうかはわからないとはいえ)両親もインフルエンザに感染してしまい、完治しないまま家事をこなす羽目に。むしろこちらの方が厳しい状況でした。

 もうインフルエンザは懲り懲りです…本当に辛い。お陰で体重は落ちましたが。 

 

  スーパーに対抗して、地元ヤックス様もCDワゴン導入。こちらは1~2ヶ月で撤去されてしまいましたが、安価で意外な掘り出し物があり、興味深いラインナップでした。地元より他店の方が品揃えは良かったように思いますが、そちらでは買い物していません。

 

 記事を書く、といってまだ書いていません。ツイートでも書いている通り、今までで一番衝撃的なリミックス・リマスターだったホワイトアルバム50周年記念盤。劇的に変化したというより、元の音像の新たな解釈を提示してもらったという感じ。

 今年は『Abbey Road』も出るという話なので、当然無視は出来ません。 このスタイルで再発してもらえるのなら、期待は高まります。

 

  ピエール瀧逮捕、内田裕也逝去と衝撃的な出来事が続いた今年3月。わがジェフユナイテッド千葉も、まさかの裁断が為されました。

 エスナイデル政権末期の今年のシーズン初めは、相手に研究された弱点を一切ケアする事無く、ひたすら破滅的なサッカーを繰り広げていた印象です。昨年末のフロントからのメッセージでは、ともかく今シーズンは彼に全てを託す形になると思われていただけに、この決定には驚きました。しかし、さすがにJ3降格が現実的になってきては、動かざるを得なかったのでしょう。

 生え抜きの江尻氏が再任し、彼の第二次政権で現在のシーズンを戦い続けているジェフですが、依然として苦境は変わる事無く、下位を彷徨う現状から抜け出す道筋は提示されていません。

 今季を耐え忍び、準備万端で来年を迎えれば明るい未来が待っているのか? 残念ながら、現状ではそういったポジティブな要素をイメージするのが難しい。かといってまた来年も監督を代えてリセットするのか。それもまた、夢物語に近い気がしています。世界的名将でなければ困難でしょうし、そもそもそんな人材を招聘するお金は残されていない。クラブとして、かなり危機的状況にあるようにしか思えません。

The Dusk of Skywalker

 ツイッターでは一切反応しなかったが、SWEP9の公開日とティザー映像が公開された。


「スター・ウォーズ/ザ・ライズ・オブ・スカイウォーカー(原題)」特報

natalie.mu

 リアルタイムで何も述べなかった事でお分かり頂けると思うが、少なくとも私にとってはもう諸手を挙げて盛り上がれるような作品ではなくなっているという事だ。もはやEP8がどうこうという問題ではなく、何度も書いている通りディズニー三部作について考えるのが煩わしい。もうどんな結末でもいいので、さっさと終わらせてほしいというだけである。
 あれほど愛した作品に対して、複雑な感情が渦巻くようになってしまった。この作品でも、またネット上では世代を乱暴にわけた対立や、守旧派と急進派に二元化された論争が巻き起こるのだろう。もう、自分はそこに加わるのも加えられるのも勘弁願いたい。娯楽に対してそういった感情を抱えるとは、新三部作の頃でも考えもしなかった。SNSが普及したからこその問題なのだろうが。

wired.jp

 このリンクの記事によれば、監督のJ.J.も「新世代の話」と強調しているので、EP8の路線から大きく変わらないのではないかと思われる。これにも色々と思うところはあるが、コメントは差し控えたい。

 

 気になるのは、続三部作(EP7~9)後に作られると噂されていた三部作の行方。更に未来の話をEP8の監督が描くと当初は噂されていて、本格的に避けたい作品だったのだが、上記記事によれば、ゲームの『Old Republic』の時系列を描くのでは、との事。

www.swtor.com

starwars.fandom.com

 実はこのストーリー、私が当初から映像化を望んでおり、無理にスカイウォーカーの系譜を描かずに、この世界観を映画化する事をEP7の制作発表当時に希望していた。
 EP4の3600年前、シス帝国が銀河共和国に仕掛けた大戦を描いた太古の話。ゲームは未プレイのままではあるものの、プロモーション映像には大いに沸き立った。
 ルークやアナキンは勿論、ヨーダすらまだ生まれていない時代の話。既存キャラクターの設定や尊厳を破壊する事なく、スターウォーズ・ユニヴァースの中で新たなストーリーや解釈を楽しむ事が出来る。ファンとしては心置きなく作品世界に浸る事が出来る最高の環境なのだが、当時のディズニーはあくまで旧キャストの出演を前提としたノスタルジックな脚本にこだわり、完成したのはEP4をトレースしたようなEP7であった。
 諦めていたものを映像化してくれるのならば、話は別だ。もし本当に『Old Republic』の時間軸で映画を作ってくれるのならば、それはもう観るという選択肢以外存在しない。

 

 本当に厳しいファンなら、EP8の時点で現在のルーカス・フィルムから決別しているはずだが、私は甘いのだろう。何だかんだでEP9の結末を見届けるつもりだし、『Old Republic』という餌をぶら下げられて、まんまとそれに食い付こうとしている。ディズニーの思う壺なのだ。
 要は、EP8という衝撃があったとはいえ、そう簡単にはこのサーガから逃れられないという事。続三部作でズタズタに傷付けられてしまったとはいえ、それでもどこかでスターウォーズに期待してしまう。それは、『反乱者たち』『ローグワン』『ハン・ソロ』という作品が面白かったのが元凶だ。

 

 『ハン・ソロ』といえば、友人にこの作品が「『映画秘宝』のライター陣から酷評されている」という話を聞き、その号を読ませてもらった。
 その論評を総括すれば、「ハンは女のためにコレリアを飛び出すような軟弱野郎ではない」「自分を始末しに来たグリードを躊躇いなく撃ち殺すようなタフガイがこんなに青春を謳歌しているのはおかしい」「もっとハードボイルドなものを期待していた」というのが主だった論調であった。
 私ももう少しハードな一面を強調されるかと思っていたのは事実だが、帝国アカデミーを追い出されたような若者が、最初からギャングのように振る舞ったのか。いくらワルぶってはいても、結局は自らの危険を省みずにルークを助け、エンドアで危険なミッションに身を投じる友情に厚い男。創造主たるルーカスが語る通り、ハンは悪人ではないのだ(だからグリードを先に撃たないのが正しい、と言うつもりもないが)。

 友人も言っていたが、オールドファンが考える通りハンが冷酷な船乗りだったとして、それが一般視聴者が望む展開であったかどうか。
 『グッドフェローズ』に準えるなら、ハンが恋敵をブラスターのグリップでボコボコに殴ったり、借金の取り立てのために相手をサルラックの間近まで吊るして脅したり、モス・アイズリーのバーの一軒を借金のカタに保険金目当てで燃やしたり、独自にスパイス密輸を始めてジャバ・ザ・ハットから破門されたり、スパイス中毒になって帝国のガンシップに追われている幻覚を見たり、最後には保身のために反乱軍の仲間を売ったり…果たしてそんな内容が、スターウォーズに詳しくない観客が求めているものなのかどうか。答えは否、だと思う。
 それだけ、それぞれにハン・ソロという人物への思い入れがあり、長年各ファンの中で暖められていた「ハン・ソロ・ザ・ビギニング」があったからこそ、そのギャップに異を唱えたくなったのだろう。その気持ちはよくわかる。
 勿論、私も現在ではレジェンズ扱いのスピンオフ等での情報から思い描いていたものと、映画で描かれたハンのヤング・エラが同一でなかったのは確かだ。特にチューイとの邂逅の場面はそれが顕著だった。しかし、長年語られてきたハンの前史の大枠から外れる事なく、新たな解釈で2010年代らしいエッセンスを加えた『ハン・ソロ』は上手く作っていると感じたし、実際大いに楽しんだ。

 

 続三部作の話題もそうだが、これだけ壮大なサーガとなってしまった作品であるだけに、ファンの数だけ解釈や思い入れが違うのだ。ファンではない方からすれば理解不能だろうが、それだけ世界中に影響を与えた映画なのだと理解して頂ければ幸いである。

From Houki to Reiwa

 忘れ去られようとしている図書館に別れを告げ、次の目的地へ。

micalaud.hatenablog.com

 友人(yuz氏)の案内で、別の神社に向かいました。

 

 名前だけは、路線バスのアナウンス等で何度も聞いていたこの社。

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 訪れるのは今回が初めてであり、その理由は車でないととても行けない距離にあるからです。意外に広いこの街、この地域は私も車ですら通過経験のない(隣接市町村へのメインルートからは大きく外れているため)、完全に未踏の地でした。

 

 空海伝説の残る公孫樹。

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 この街には別の地にも空海に因んだ逸話のある場所があり、本当にこんな僻地まで訪れていたのならば、彼の諸国行脚のハードさに驚くばかりです。

 

 神社に参拝する前に、社の裏にある古墳に登ってみる。

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 ここに眠る主を祭った祠でしょうか。

 

 写真ではわかりませんが、前方後円墳です。

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 まだこの地が内海だった頃に築かれたもので、近辺の有力首長が眠っているとか。千葉県が低地である理由がよくわかる話ですが、この古墳から海を臨めていたのかと思うと、現在の姿しか知らない私はなかなかイメージし辛いものがあります。

 

 神社に戻る。風格のある木です。

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 この地は、坂上田村麻呂蝦夷征討に向かう際に参拝したとの事。空海と違ってこちらは奉納した太鼓が残っているので確実なようです。

 

 先程の古墳も参拝したらしい征夷大将軍

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 大和朝廷の征討に対し、同じく中央の勢力に従わざるを得なかったであろう古墳の主は、果たしてどのような想いを抱いたのでしょうか。

 

 yuz氏が「その石碑には悲しい事が書いてあるよ」というので、詳しく碑文を読んでみる。

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 境内を今の形に整備した際に寄付をした人々の名前、その経緯が表裏に記されているのですが、問題は両サイドにあるスペース。修復・整備作業の際に起きた金銭トラブルの一部始終が詳細に記されており、生々しい事この上なし。

 記念碑に記さねばならないほど関係者にとっては重大な事件だったのでしょうが、果たしてこの説明は必要なのでしょうか? この街としてはかなり大きな規模の由緒ある神社であるにも関わらず。これを読んで良いイメージを抱く人は少ないと思います。Google Mapでもそういった旨の評価がありました。

 問題に関わっていない人間が言うべき事ではないかもしれませんが、一般の参詣者に複雑な想いを抱かせるような行為は避けるべきだと思います。私も、前文を読んで居た堪れない気分になりました。

 

 規模の大きさは、社務所の造りに大して感じる所も大きいです。

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 恐らく、これだけの社務所が存在する神社は、この街には無いのではないかと思われます。

 

 戸が閉まっており、人の気配はないので常駐はしていないようです。

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 ただし、境内を掃いている方はおられました。近所の方のボランティアではなく、確証はありませんが関係者の方だと思われます。

 

 鳥居の前にすぐ道路が走っており、正面から撮るのはなかなか危険です。

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 この道路が出来る前は、参道も存在したのでしょうか。駐車場も備わっているようですが、少なくとも我々はそれがどこにあるのかわかりませんでした。

 

 この街からすれば大きな規模の神社、そして古墳。殆ど訪れた事のない地区の風景。何やら別の市町村に来たようで非常に不思議な気分であり、この街の総面積の広さをこんな所で実感します。

 中学生の頃は友人達と無意味に自転車で走り回り、未踏の地を開拓していく事を楽しんでいましたが、それでもこの辺りまで来た事はありません。アップダウンが激しく、あまりにも遠いのがその原因です。

 この歳になって、立て続けに生まれ育った地の未知の部分を知る。なかなか興味深い体験である事は間違いありません。同時に、やはり私のメインの移動手段である徒歩には限界があると痛感。車でなければ、午前中に出発したとしても往復だけで日が暮れてしまうでしょう。やはり田舎は車社会です。

 

 勝手知ったる土地、その未知の領域に踏み出した際の形容し難い感情。それは、この日最後の訪問地によって最も強く昂る事となります。

spiritual sounds to SpiSun: New Era Edition Box

 今年のTM Networkのアニバーサリー・イベントで十数年ぶりに再会した我がバンドのヴォーカリスト(以下「北条」と記す)。長いブランクを埋めるための会話の中で彼から出された要望は、我々、つまりspiritual sounds ~ SpiSunのオリジナル曲の数々を音声ファイル化してほしいという事だった。
 spiritual soundsは、結成当初は独立した存在だったものの、バンドが結成されてからはバンド内ユニットのような形となり(私も相棒のジョニー馬論もそのバンドのメンバーだったため)、バンドで演奏されるオリジナル曲は自然と我々がspiritual soundsとして制作したものとなった。
 その後バンドの解散と共に再び独立したユニットに戻るわけだが、北条からすれば我々が制作した音源はあくまで「バンドのためのデモテープ」であり、作品として制作していた我々とは意識にギャップがあったものの、それはそれで彼がバンドの事を活動母体として真剣に考えていた意味でもあり、私に悪い感情はない。ある意味で、彼が一番バンドの事を大事にしていた人物かもしれないのだ。

 

 実は2009年にカセットテープやMDの音源からアナログな形(MTRに繋いでトランスファー)で全音源をCD化しているわけだが、せっかくの機会だからリマスター、及びマルチトラックデータが存在するものはリミックスを行おうと思い、丸々2週間を費やして作業を行っていた。

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 元の音源が稚拙な録音環境によって制作されたものであり、音圧を挙げるとノイズも強化されてしまい、途中で投げ出しかけたが、妥協しつつ何とか作業を終わらせた。完璧ではないが、機材がもう少し揃えばその時にまたベストなものに近付けられればいい。

 

 実は、SpiSun名義では最初で最後の作品であり、現在でも我々の最新作である『Technicolour』は、spiritual sounds結成20周年のタイミングでリマスター&リミックスを行っており、こっそりブログ記事にもして告知している。

micalaud.hatenablog.com

 ブログを通じて最も多くの人に聴いてもらった(正確には配布した)作品ではあるが、ミックスを完全に失敗しており、ずっと悔いが残ったままだったのがその理由である。
 ミックス自体が拙かったせいもあるが、根本的に機材の使い方を間違えていたのも災いした。特にゲスト・ヴォーカルで女性を迎えた楽曲は特にそれが顕著で、今でも申し訳ない事をしたと思っている。また機会があればこのリミックス版を改めて彼女に渡したいのだが、もはや連絡を取る手段もない。心残りは継続中だ。

 

 この作品は、私にとってはリベンジとして意気込んだ作品であった。

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 spiritual soundsとして開設したブログにおいて、初めて作品告知をしたのがこのひとつ前の作品である『Sketch』。当時の勤務先は百戦錬磨の音楽事情通が揃っており、ネット上で告知をした事もあって同僚の多くにこの作品を求められた。

blog.goo.ne.jp

 同じフロアで働いていた、少し年下なれど音響方面に絶対的な知識を持っていた同僚も同様だった。彼はフュージョン分野のベースでプロのフィールドを覗き、たまに聞かせてくれるギターも明らかに私よりテクニカルだった。その能力を武器に、今では一流音響メーカーに社員として請われたという話だ。
 人伝に聞いた話ではあるが、彼は我々の作品を一聴するなり自分の車内に放置し、後輩に「俺はいらないから、欲しければ持っていきなよ」と言い放つくらいぞんざいに扱っていたらしい。その(少し意地悪な)後輩本人から聞いた話である。
 プロ志向の友人から頼まれてマスタリングなども忙しくこなしていた彼の技量からすれば、我々の音楽の完成度など児戯に等しかったのであろう。MTRのマスタリング機能ですべてを賄っていた(賄わざるを得なかった)環境の貧弱さ、無知さもあるが、それ以上に作品の出来自体が彼にとっては話にならないレベルだったに違いない。

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 私自身、この録音時期は気管支炎を患っていて声が出なかったり、定期的に訪れる作曲のスランプの時期ではあったが、そんな小手先の問題ではないだろう。ともかく、彼のような専門的人材からすれば興味が惹かれないものだったというだけの話だ。ただし、私としては好きな曲もある作品なのだが。

 

 そんな苦い経験もあったお陰で、私としては「見返してやる、振り向かせてやる」と多いに意気込んだのが『Technicolour』という作品だった。もはや相棒のジョニー馬論は私の作品に労力を割く余裕はなく、私の曲は2曲しか収録されなかったが(しかも1曲は女性ヴォーカル)、それでも当時自分の持てるパワーはすべて注ぎ込んだという自負はある。

 ただし、既に私はその職場を退職した後で、彼とはすっかり疎遠になっていた。我々のブログを彼が読んでいるはずもなく。結局彼にはこの作品を聴かせることは出来なかった。
 聴いてもらったところで、恐らく評価はさして変わらなかったであろう事も十分にわかっている。だが、そういった感情は大きな創作へのモチベーションになるし、自身を成長させている実感がある。もはや伝える術もないが、今回の作業を通して、改めて彼への感謝の気持ちが湧いてきた。

 自分で言うのも何だが、女性に歌ってもらった曲はジョニー馬論のアレンジ、かつてのバンドのもう1人のギタリストの歌詞と相まって、自分が作った曲の中では最も名刺代わりになるパワーを持った楽曲になったと想う。ある意味で、私が所属していたバンドの総力を結集して作った曲とも言う事が出来る(関わっていない北条には申し訳ないが)。
 古くからの友人が自宅を現在改造しており、スタジオ化して友人を招きライヴなどを開催したいと希望を語っているが、そこに上がる許可がもらえるのならば、この曲を是非披露したいという漠然としたビジョンを持っている。

 

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Forgotten Library

 友人(yuz氏)から、歴史があるようなのに余り取り上げられない図書館を発見した、との連絡を受け、時間を見つけて行ってみる事に。

 平日の夕方までしか開館していないという、かなりスケジュールを組むのが難しい所であり、私も彼に教えてもらうまで存在すら知りませんでした。

 

 かつての名士の名残を感じさせる、広い敷地と堂々たる門を抜けると、そこには農家の様式の大きな母屋が。現在管理している方に許可を取るために挨拶に伺ったのですが、平日の昼間に突如表れた若者風(実際は若者ではないが、その土地からすればそう受け取れるファッション)の男2人を、かなり訝しがっておられるようでした。当たり前の反応だとは思いますが。

 

 その方が鍵を開けて通して下さったのが、この建物。

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  中には映像機器やソフトも置かれており、利用者の痕跡を感じさせます。

 展示されていた書簡の数々。

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 色々質問を聞いて頂いたのですが、どうも私の質問内容は頓珍漢なものだったようです。

  というのも、この図書館開設の礎となったこの土地の名士と、ここで紹介されている人物は別人のよう。どちらも肖像画や展示物があった上、特に但し書きもなかったので、完全に勘違いしてしまいました。

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 ここで紹介されているのは歌人であり、この歌集は全国に散らばった門人達の末裔や子孫の方々から現在でも届けられるそうです。

 

 yuz氏が一通り撮影を終えた所でお礼を言い、一旦この館を退出。ここで更なる誤解に気付きます。先ほど案内して頂いた場所は件の図書館ではなく、あくまでその歌人の記念館という事。最初に看板を見ていたのに、全く理解出来ていませんでした。映像機器等や、実際に蔵書も置いてあった事が、私の勘違いを生んだ理由だと思われます。

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  肝心の図書館はこっち。風格のある建物です。

 地元の藩が明治維新を迎えた際、藩主の嫡男の指南役も勤めたという儒学者の蔵書を公開するために、これまたこの地で活動した俳人(先程の記念館のメインたる歌人とは別人)が開設したのがこの図書館だという。

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  当時の若者達が分不相応で華美な暮らしを好んだ事を諌めるために学びの場を作ったという事ですが、明治の戦勝で浮かれていたのでしょうか。大国に勝った(上手く交渉をまとめて逃げ切った)とはいえ賠償金は殆ど取れず、経済的に国が疲弊していた時期のはずなのですが。

 先ほどの方にこちらを開けるお願いをするわけにはいかず、こっそり中を覗いてみる。

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  綺麗に整えられているとはいえ、何年も人が入った形跡はありません。

 こういった造りの新しいドアなどを見る限り、最近まで地元の人に開放されていたような印象を受けるのですが。

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  少なくとも現在では、この扉が開錠される気配はありません。 

 この記事を書きながら検索してみたところ、この図書館は館長不在により閉館されたという記述も見かけました。

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  案内して下さった方も「管理している方が不在」と仰っていたので、閉館という情報は真実なのかもしれません。

 現在は財団法人が管理しているようですが、やる気と時間があって常駐出来る人物が志願しない限り、このまま扉は閉じられたままなのでしょう。かなり難しい問題だと思われます。

 先述の開館時間に関しても、恐らく図書館の方ではなく、記念館の方のスケジュールである可能性が高いのではないでしょうか。だから、ここにお住まいの方も案内したのは後者だった。今この記事を書きながら、合点がいっている次第です。

 恐らく、広く多くの人物が押し寄せるような事態は、管理されている方からはあまり望んでおられないのだと思われます。よって、地名や館名は全て伏せました。

 

 近所には神社が。

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 車馬を境内に乗り入れるな、という注意書きがあり、なかなか味わい深い。

 近所の方に挨拶しながら鳥居をくぐる。

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 大きなポールがあったので、祭りも行われているのでしょうか。大木が多く、鎮守の森というほどではありませんが良いシチュエーション。

 御祭神は、何と国産みで有名なイザナギイザナミ。個人的には初めてこの神々を祭った神社を訪れました。

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 創建は西暦797年。調べてみたら坂上田村麻呂征夷大将軍に任命された年でした。この後、ちょうど蝦夷の話がyuz氏との会話で議題に挙がるわけですが、偶然とはいえなかなか良く出来た話です。

 

 この日は一通り写真を撮った後、次の目的地に向かいました。

21st. Apr. 1994

 小学生時代からあれほど愛したTMNTM Network)が“プロジェクト終了”を発表した際、大きなショックを受けたのは確かですが、同時に予測されていた結末がいよいよ来たか、という感覚もありました。

 1991年の『Expo』(その後リリースされた「Wild Heaven」はこのアルバムの没曲)とそれに伴う長期ツアー以降、パーマネントな活動を行っていなかったTMNの3人は、それぞれソロ活動に移行。3年近くまとまった音源のリリースがなかった状況で、活動再開の噂も耳にはしていたとはいえ(当時「1994年にニューシングルと10周年記念アルバム発表か?」という記事は幾つか目撃)、かつてのような熱意と野心で次の展望を見せてくれそうな気配を感じる事は困難でした。

 この“終了”を知らせる新聞広告は、「当初の予定通りTMNプロジェクトを終了」という重々しい文言で始まります。全てはデビュー当初からの規定事項であった、と種明かしする事で、常にコンセプチュアルなユニットだった彼らの面目を保ったかのような演出を行ったのでしょう。

 しかし、熱狂的FANKS(TM Networkのファンを指す通称)であった私でもその設定には懐疑的でした。10周年記念のリリースの噂があった事、それらしい結末がある事をメンバーが仄めかすような事もなかった事、なによりグループ名をTM NetworkからTMNへと“リニューアル”してから明らかに活動が鈍っていた事。これらを振り返ると、どうしても後付けの設定としか受け取れなかったのが正直なところ。

 あれからTMに関する在野の論者の推論や、時と共に明かされていった内幕。それを知った今となっては、小室氏がtrfのブレイク(「Ez Do Dance」)の機を逃さず、自らのプロデュース業への転身を華々しく飾りたいがためのTMN終了であった、という事を今の私は知っているわけです。そのために、宇都宮・木根両氏を振り回してまで強引に決定してしまった事も。周囲に自らを「小室」と呼ばせる(名前が同じため)ほど心酔していた当時の私さえ、彼のこういったエゴイスティックな面は受け入れがたいものがありました。

 

 TMN終了ライブには、二つの苦い思い出があります。

 一つは、直前でライブ行きを断念しなければならなかった事。親の了解が得られなかったためで、責任は私にありますがとても悔しい記憶です。
 友人が安くはないチケットを取っているのにドタキャンする、この事の重大性を親もわかっていなかったと思うのですが、少なくとも高校生の子供にこの決定を覆す力はありません。無断でライブ行きを強行しようにも、私の故郷はあまりにも水道橋へは遠すぎた。
 東京隣県の千葉県出身という事で故郷の陸の孤島ぶりが人に伝わりにくい事が多く、度々誤解が生まれてこちらが困惑する事が多いのですが、主要駅である隣街のJR駅までバスで片道1時間、運賃は1000円近く必要になるという僻地(現在はこの問題も解消されているが)。親の協力なくして上京するなど、夢のまた夢です。2019年の今なら他に手段もあったかもしれませんが、あの当時は手の打ちようがありませんでした。

 TMを仲間達に紹介し、音楽的にも中心メンバー気取りだった私が、TM最後の瞬間を見届けられなくなったという現実。さすがにライブ当日には様々な想いが去来し、呆然としている所を親に叱責された事を覚えています。

 もう一つは、このライブをきっかけとする、とある人物との人間関係の終焉。今考えれば必然だったようにも思いますが、傷は傷として今でも心に残っています。

 

 ラストライブに行けなかった事で、すぐに頭を切り替える事を迫られました。TMは終わり、3人はそれぞれの道へと進んだ。全く共感出来なかった小室氏のプロデュース業を追う必要もないし、自分も新たな方向へと歩み出すべきだ、と。

micalaud.hatenablog.com 以前もブログに書きましたが、TMN終了は私にとっての「Childhood’s End」だったのです。最期の瞬間を見届けられなかった事は残念でしたが、ドライに判断する事を強いられたお陰でショックを引きずらずに済みました。

 

 そもそも、最後のライブである『Last Groove』には不満もありました。

 まずサウンド。リードギタリストが2人呼ばれているため、どうしてもギター中心のサウンドになってしまう。誤解のないように書いておきますが、北島健二氏も葛城哲哉氏も私は好きなギタリストだし、このライブでもそのテクニックを思う存分見せ付けてくれました。
 だがその分、メンバーである木根氏の影は薄くなる。元々リズムギターがライヴで与えられた彼の役割なのですが、それでも過去のライブではソロの見せ場が用意されたり、得意とするカッティングやアコースティックギターの音が前面にフィーチャーされる場面がありました。
 重厚すぎるディストーションギターの音が、私には最後の祝祭感を盛り上げるというよりは、メンバーの1人を蔑ろにしているように感じられたのです。

 もう一つは、ライブアレンジがされず、ほぼ原曲通りの編曲で演奏された事。勿論最後のベストヒットライブなので余計なアレンジは必要なかったのかもしれませんが、TMのライブといえば原曲とは大幅に様変わりさせてしまうほどの猛烈なアレンジが魅力であり、売りの一つだったと思っています。それがなかった事で、余計に「終了」を意識させられました。
 今となっては、プランの変更によって行われた「終了プロジェクト」のスケジュールの都合上で、ライブアレンジを小室氏が手掛ける時間がなかった事(“終了”直後に仕掛けるtrf篠原涼子作品の準備で多忙だった)、そのために各ミュージシャンの演奏技量に頼る割合が大幅に増えた事は理解しており、こういった形になった事は唯一の最適解だったのでしょう。

 しかし、当時の私はそこまでの裏事情は知らなかった。自分がその場にいられなかった悔しさというよりは、以上の理由で積極的にこのライブの関連商品を買う気にはなれませんでした。

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 友人が予約してくれた高額なボックス(今考えると良心的な価格だが)『Groove Gear』は付き合いで購入したものの、ベスト3枚『Black』『Red』『Blue』は未だに持っていません。レア曲1曲のためにベスト盤に割くお金がなかったのは勿論ですが、前述通り私も次に進みたかったのだと思います。
 この年の夏に、無理をして聴いていたHR/HMを追うのもやめ、楽器関連の雑誌も殆ど手に取らなくなりました。

micalaud.hatenablog.com

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 この事は以前記事にした通り。秋からはPet Shop BoysAztec Cameraを聴き始め、翌年末にはThe Beatlesのアンソロジー・プロジェクトが待っていました。本格的な洋楽への誘いが、年の後半には始まったのです(ちゃんと聴き始めるのは上京後だが)。

 

 TM終了と共に、高校卒業後まで友人達とは疎遠になりました。ここから暗黒の高校時代が深化し、大学受験へ向けて悩みの日々が続いていく事になります。気の合う仲間とTMの音楽を聴いて無邪気に歌っていた時代は去り、少しずつではありますが現実との格闘が始まるのです。

 烏滸がましいようですが、それはTMの3人にとっても同じだったのかもしれません。
時代の寵児となり栄華を極めた小室氏ですが、TKブームは5~6年で終了。かつての名声を取り戻そうと手を尽くしますが、結果としてそれは2009年のあの事件へと繋がっていきます。
 宇都宮・木根両氏もメジャーシーンでの売り上げは著しく低下。未だに自分達の手で地道に活動を継続している彼らを私は大いにリスペクトしていますが、音楽界におけるプレゼンスの面で意地悪な見方をする人は多いでしょう。

 どちらの音楽人生が正解なのか、私にはわかりません。しかし全員が音楽業界に残ったという事実は、1999年のTM復活、そしてその後の断続的な活動の礎になりました。
 小室氏の事情に左右される、私からすればストレスの溜まる活動続きでしたが、30周年記念とアルバム『Quit30』を基幹とする一連の活動は、ようやく終了前のようなアグレッシブで印象深いものとなり、TM健在を見せ付けてくれ、とても嬉しくなりました(アルバムの出来自体はともかく)。ようやく、本気のTMが帰ってきたのだと実感出来る活動でした。

 

 何度も書いていますが、私にとっての音楽の原点がThe BeatlesTM Networkです。これは自分史に残る事実であり、この先も変えようがありません。

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 そんな彼らの記念すべきデビュー35周年のアニバーサリーを、あの頃の仲間やFANKSの方々と過ごせたのは幸せな体験でした。何故私が彼らを愛したのか、改めて再確認する作業でもありました。

 これで終わりではなく、願わくば続きがある事を祈りつつ。35周年、おめでとうございます。