(Revenge of the) United Minds

Talkin' 'bout Music, Football(JEF United Chiba) and More.

声のおまもりください

 某大学のガイダンスの時に、前園真聖氏の写真がプリントされた袋をもらいました。何故かこの事だけ強烈に覚えています。ただし今回の記事と全く関係なし。

 

 

 かつてチャートを賑わせた歌手やバンドが、一時期ほどの脚光は当たらなくなったものの地道に活動を続けたり、はたまた音楽を離れたりした後に、メディアに取り上げられて往年のヒット曲を歌う。その時、少しでも声質が変わっていたり、声量が落ちていたり、キィが下げてあったりすると「劣化した」と非難される。そういった場面を、ネット上ではよく見かけます。

 「プロのヴォーカリストならば、何時如何なる時にも原曲通り、完璧なピッチと声量で歌を披露しなければならない」と考える人が少なくないようです。勿論、音楽に何を求めるかは人それぞれ。そういった考えを持つ事自体は否定するつもりは更々ありませんが、少なくとも私はそうは思っていません。

 プロの歌い手とはいえ、人間の喉を楽器とするわけですから、コンディションによってバラつきがあるのは避けられませんし、時間と共に変わっていくのも仕方ないと思っています。声が変化したのならば、その時にしか出来ない表現方法がありますし、それに合わせた曲を歌うのがエンターテインメントでありアートなのではないでしょうか。

 ポール(・マッカートニー)にしろミック・ジャガーにしろ、未だに表舞台でエネルギッシュに活動を続けている化け物のようなレジェンド達ですが、彼らとてさすがに60年代と全く同じ声を出すのは無理なのです。人間とは老いるものですからね。だけど、老いたとはいえ表現力や経験はあの頃とは比べ物にならないはず。

 勿論、だからこそ若い頃そのままの声を保っている人は絶賛されるのですが。

 

 

 何故こんな事を急に書いたかというと、恐らくは自分の声も変化しているのだろうな、という事を感じたからです。

 先日、某歌手の曲を覚えて歌う機会があったのですが、とにかくキィが異常に高くて私の声ではギリギリ。一箇所完全に音が出ない箇所すらあり、これが10代後半~20代前半の頃だったら歌えていたのだろうか、と思ってしまったのです。もしかして、衰えたのかな…と。

 

 音声ファイルを聴いて頂いた方ならわかると思うのですが、私の声は一般的な男性よりはやや高めです。歌声も喋り声と殆ど変わらないので、同世代の人よりは少しだけ高いキィの曲が歌えます。声のレンジがとても狭いので、低音はサッパリですが…本当は「喋り声は低く、歌声は高い」のが理想でした。なかなか現実は上手くはいきません。

 歌もの音楽を作る時、サビに向けて盛り上がるのが定石で、当然徐々に音も高くなっていきます。ヒットソングを聴いてもわかるように、サビで音程が下がる事は稀。よって、自分達でポップミュージックを作る時には、あまり困った事がありませんでした。バンド時代のコーラスにしても、解散後のSpiSunの歌にしても、高い方の音になら私の声域で大抵カバー出来てしまったからです。

 ですが、いつまでもこのまま高い声が出るとは思えません。精神年齢が幼過ぎるので未だに20代の気分ですが、肉体の衰えと共に、いつか意識と声のギャップに悩む時が来るでしょう。事実、前述の曲は完璧に歌うことは出来ませんでした。加えて、2~3時間のウォームアップを経てからでないと、トップフォームでの歌を披露する事は出来ません。昔なら、いつ何時でもTUBEの一番キィの高い曲を歌えていたはずです。

 ちなみにSpiSun結成時(当時はspiritual sounds名義)に作った音源集では、ジョニー馬論の作った曲のキィ設定が鬼の所業と化しており、さながら怪鳥音となって息も絶え絶えな私のヴォーカルを聴く事が出来ます。何故移調しなかったのだろう…彼がシーケンサーの操作方法にまだ詳しくなかったのか、単にサディストだったのか。今度本人に訊いてみたいと思います。

 ただし、自分の作った曲も低音から高音まで一気に駆け上がるような無茶な曲ばかりだったので、それだけ自分の声域に依存した作曲しか出来なかったという事でしょう。

 

 我がバンドのヴォーカリストだった人物もかつては高い声を売りにしており、Judy and Maryの「Over Drive」などを原曲キィで歌いきるという荒業を一時期持ちネタにしていました。一緒にカラオケに行った女の子たちに「○○君、スゴーイ!」などとちやほやされるのを横で見ながら、「ケッ!」などと内心思っていたものです。

 ただし、現在ではどうなのでしょう。音楽から離れて久しい彼ですから、恐らくは当時そのままの声を望むのは無理ではないでしょうか。

 

 

 変化を楽しむ余裕を持ち、柔軟に受け入れる適応性がないと、歌を歌い続けるのは無理なのでしょうね。同様に、好きな歌い手を追い掛けるのも。

 歌の話は一回にはまとまらないので、また記事にする予定です。まだ書きたかった本題に達していない!