(Revenge of the)United Minds

Talkin' 'bout Music, Football(JEF United Chiba) and More.

Wondercliff

 ブログに書く事がないので、ここを再び訪れてみる事にした。

 我が故郷を何らかの形で発信出来ないかという友人(yuz氏)の提案で、寺社仏閣等の史跡を巡ったのがこの時。Googleマップを頼りに、名前が載っている場所を幾つか回ってみたのだが、これといってフォトジェニックな所はなく、かなりの長距離を歩いただけでこの日は終わった。

 上記のツイートの場所も、本当に地域の人しか知らないような小さなもので、あまり紹介出来るようなものではなかったのだが、とにかく独特な場所にあった。個人的には、この日巡った場所で一番記憶に残ったのがここである。

 

 前述通り、崖のような所にある社なのだが、高所恐怖症の人は訪れるのを躊躇ってしまうようなシチュエーションなのだ。

 今回は、そこを目指して一人で出発。ショートカットルートを発見したので、当初の想定よりはずっと早く着いた。それでも、徒歩で片道40分はかかるが。

 

 近くの坂道から撮った写真。お稲荷様である。

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 中央右寄りにある石柱が、目指す社。

 

 上の写真だとわかりにくいが、一応ここに通じる道がある。

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 このように、それはかなり狭いものなのだ。

 

 写真の撮り方がヘタなのでいまいち伝わり難いのだが、かなり急な崖だ。

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 真下に見えるのは人家。実際に立ってみると、それなりに断崖絶壁に感じるのだ。

 

  正確には、絶壁ではなく角度は少しある。

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 これも撮り方が下手なので、崖が低いようにみえてしまうなぁ。

 

 眼下には田園風景、そして近隣市町村への道路が見える。

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 人家が入らないようにトリミングしたら、画面の殆どが空になってしまった…。

 

 社自体を撮るのは何となく失礼なような気がして、今回は控えた。というよりも、全景を撮ろうとすると崖の下に落下する危険性があるので不可能だ、と書いた方が正しいのかもしれない。

 それにしても「写真が下手で高さが伝わらない」と先程から書いているが、今回の来訪ではあまり恐怖心を感じなかったのも事実だ。わざとギリギリの所まで足を踏み出してみたりもしたが、「高所恐怖症のゾワゾワ感」はついぞ味わえなかった。

 やはり、前回訪れた時と違い草花が茂っているせいなのかもしれない。それが高所であるという感覚を鈍らせているように思う。勿論、私の馴れもあるだろうが。

 社にある石版にはこの御稲荷様の由来が書かれているが、風化が激しく文字が判別出来ない。それほど古いもののようには見えないのだが。今回も、ちゃんとお参りして失礼する事にした。

 

 しかしこういった小さい場所でもGoogleマップに載っているという事実に驚くし、好奇心を煽られる。

 地域の人がマップに登録したり、写真を載せたりしているのであろうが、こういった外部からの来訪者からは見過ごされがちな場所にも古くからの由緒があり、歴史の中で信仰の対象として機能してきたという確たる証拠があるのだ。

 実は、10年前にも似たような事をブログに書いていた。

blog.goo.ne.jp

 そして謎の祠に着いたが、周りに人が多く、著しく緊張感に欠ける。 それに、去年この場所を発見した時のような興奮はなかった。あの時は、「よく知っているはずのこの土地に、こんなものがあったのか!?」という事実のみが自分を昂ぶらせていたのだな、と少し寂しくなる。

 とはいえ、ミステリアスな雰囲気は十分に漂っていて、写真を撮るのをためらってしまった。 いくつかの小さな、道祖神のような石祠に護られるように木造の本堂(これも小さい)が建っている。

 これだけ小さいものだと、土地のお年寄りに訊いたりしないと由来などはわからないはずだ。 こうしてその地区の、狭い地帯だけで信仰されてきた社が無数にあるのだろう。それを考えると、人の数だけ歴史があり、歴史というのはそう単純なものではないなぁと、ちょっと途方もない気分になった。

 相変わらず進歩のない男である。感歎するだけでそこから前に進もうとしない。全く成長の跡が見られないのであった。

 ちなみに、この引用の中に出てくる「謎の祠」だが、その後人の手が加わって整備されたにもかかわらずGoogleマップへの登録はされていないようであった。

 今度こそ、成長の後を見せるチャンスが来たのかもしれない…何らかの調査を行って由緒を調べ、写真なども投稿してみたいものだ。ここからの10年の課題としたい。

 

  閑話休題。かなり話がずれたが、帰りにこんな神社にも寄った。

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  それなりに有名な神社で、私とyuz氏も何度か訪れている。現政権と関係の深そうな張り紙等もある場所だ。

 

 今回紹介したいのは、神社そのものでなく、境内にあるこれ。

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 先の大戦における、この地域からの出征者の名が刻まれているのだが、何とこの地域にルーツを持つ亡き我が祖父の名前を先日発見したのである。

 戦没者だけが名を連ねているわけではないのだろうか。親に何となくその話をしたところ、どうやらこの地域には同姓同名の男性がおり(何しろ同じ苗字の家庭だらけなので)、後から生まれた我が祖父は本名を一字だけ変えた渾名のようなもので呼ばれていたのだという事だ。私は祖父本人からその話を聞いた事がないだけに、何とも興味深い事実である。

 ここに刻まれた名前が我が祖父なのか、それとも祖父よりも先に生まれた同姓同名の方なのか。いずれにせよ、2名とも戦争によって何らかの傷を負った事には違いない。今となっては確認する手立てはないが、後世を生きる私には祈る事しか出来ないのだ。

「私も決別宣言を? バカこくな!」「こいてねえ!」

 引き続きスターウォーズ関連の話を。

 

 昨年の『ローグワン』公開後しばらくして、熱狂的SWファンであったとあるライターの評論が一部のSWファンの間で話題になりました。

www.mag2.com

 リンク先を参照して頂きたいので詳しくは触れませんが、要は今のSWはファンを耽溺させるためだけのマーチャンダイジングのツールになってしまった。だから、高橋ヨシキ氏はSWから決別するというステイトメントでした。
 氏の言いたい事は、私も痛いほど共感出来ます。以前からこのブログに繰り返し書いてきた”ルーカス以後のSW”への戸惑いは、まさにこの論旨に当たります。

 

 高橋氏の”決別宣言”は、静かに、それでいて確実にSWマニアの思考へと影響を及ぼしており、それは彼自身が思ったよりも大きなものに感じられます。
 私はあくまでSNSを見て回っただけに過ぎないのですが、彼の宣言以降で大きく考えを改める人が少なからずいた印象です。つい数日前まで『ローグワン』に賛辞を送っていたのに、突然ディズニーや新作批判を始める方が目に留まりました。

 友人にも咎められましたが、誰かの見解によって自分の価値観が変わる事は多々あり、それを否定する気はありません。
 ただ…それでも私の心情としては共感出来ない部分が多々あります。それは考えを変えた事ではなく、好きだったものを罵倒し始めたりする点です。つい数日前まで好きだったものを、そうも簡単に否定出来てしまう感性が、自分には備わっていないからです。それは道理の問題でなく、あくまで私の考え方によるものです。

 

 ここで、私も今後のSWに対する考えを予め述べておきたいと思います。
面白ければ受け入れ、つまらなければ黙殺する。
 いかにも私らしい、論理性も哲学性も欠片も感じさせない単純な考え方ですが、これ以上の説明が出来ません。


 つまり、楽しめるものをわざわざ拒否する必要はないし、逆に受け入れ難いものを無理をして許容しなくとも良い、という事です。だから『反乱者たち』『ローグワン』はウェルカムで、『EP7』はノーサンキュー、それだけの事。
 想像主たるルーカスが今後はSWを創る事はないわけですから、「これはルーカス卿が生み出したSWの正史なのだから、何とか理解せねば…」というような感じで彼に義理立てする必要はありません(今までそのような経験はした事が無いが)。
 ある意味で、フラットにSWを楽しめる時代が到来したという見方も出来ます。これからは気楽に、SWオタクとしての人生を歩んでいこうと思います。

 

 名作たるもの、後年に改変が行われた李、原作者不在の中で続編が作られるのは避けようがない事だと思っています。ある種それは諦観のようなものではありますが、これはSWに限った話ではありません。
 未だ別作家によるスピンオフが描かれ続ける手塚作品や、音楽の世界ならばマーティン親子が素材から組み直したThe Beatles『Love』もこれにあたるでしょう。これらの例に関しても、上記のスタンスを全て適用していきます。
 スネークマンショーの名言を引用するならば、「良いものもある、悪いものもある」という事です。思慮が足りない人間だというのは自覚していますが、楽しめるものを自ら放棄出来る程には人間として完成されていないのだと思います。

バトルシップ艦隊など!

 2回に渡ってMadness来日公演の事を書いてきたが、この間に『Rogue One』のソフトが発売となった。

 あまりにも熱狂しすぎたために、さすがに最近は落ち着いてきたが、現物が届いてから1週間は毎日繰り返し観ていた。寝ようと思っても、思わずディスクに手が伸びる…そんな日々。

 

 BD×2・DVD×1のNetflixという方式での購入は初めて。DVDは不要!と普通のユーザーが思う気持ちはわかるが、未だBDプレーヤーを持っていない私からすれば非常にありがたい措置である。BDは、実家に帰省した時に何度か観た。

 そして何より、メイキング映像にルーカスが登場しないSWの映画作品の購入も初めてである。いるべき場所に最重要人物がいないのには戸惑いもあり、寂しさもあるが、慣れていかなければならない。数シーンだけ姿が映ったり、たまに話題が出ると少しホッとしたりもしたが。

 

 それにしても、ボーナス・マテリアルが非常にお粗末。かつてのルーカスフィルム20世紀フォックス時代のDVDに比べるとかなり少なく、不満が残る。

 そもそも、予告編映像からして本編に使われていないマテリアルが多数。この作品が急遽撮り直しされたというのは既に公開前から報道されていたが、それらがまとめて観られるのではないかと楽しみにしていた。

www.gizmodo.jp

 このように詳細にまとめてくれた記事もあるが、多くのファンは初鑑賞後に「そういえば、シタデルタワー頂上でジンがTIEファイターと対峙するシーンってあったっけ?」「AT-ACTは凄いインパクトだったけど、その襲撃から逃げるだけじゃなくて立ち向かっていく場面が本編になかったような気がする」と思ったはずだ。勿論、私もその1人である。

  そもそもスカリフ戦は別のストーリーだったという事が明らかになってきているし、ストーリーの根幹を揺るがしかねない部分なので例えボーナス映像としても収録不可、という事なのかもしれないが。とはいえ、未収録は到底納得出来る処置ではない。

www.gizmodo.jp

 今回の『ローグワン』に関して、一番の不満点はここである。

 

 さて、リピート再生するうち、映画館では冗長に感じていた作品の前半部分にもしっかりとした意味がある事がわかってきた。それと同時に、ストーリーの辻褄合わせ等に疑問を感じていた部分も、補完出来るようになった。

 映像ディスクを最初に観た直後、すぐさまこのブログにメモした内容をそのまま公開したい(特に知識の裏付けを取っていないので、あまり真剣に受け取られても困るが)。

 

Q. カフリーンの環のシーンって必要?
 A. 反乱同盟軍諜報部所属であるキャシアンの非情さを表現した。

 危機的状況においてデメリットしか生まないのであれば味方でも殺す。このシーンがあったからこそ、イードゥーでのゲイレン暗殺を躊躇った心境の変化や、クライマックス近くでの「今まで汚い仕事ばかりしてきた」という台詞の重みが増す。その説明的なシーンである。


Q. デストルーパーが途中から戦闘に加わったのは何故?
 A. 帝国地上軍所属のストームトルーパーと違い、デストルーパーは帝国情報部所属のエリート集団であり、クレニック長官が直接率いる分隊だから。

 物語冒頭のラムー上陸シーンでデストルーパーしかいなかったのは、クレニックの護衛任務のため。その後、イードゥーやスカリフへ彼が移動した際にも随行している。スカリフでの戦闘中、「私の護衛も使え」というクレニックの台詞の後にデストルーパーが実戦へと投入された。最初から戦いに加わっていなかったのはそのため。
 
Q. チアルートとベイズがローグワンの一員として戦った理由は?
 A. 帝国にウィルズの寺院を壊されたから。

 フォースの信者であるチアルートにとって帝国は滅ぼすべき存在であり、彼と腐れ縁のベイズにとってもそれは同様。帝国のパイロットスーツを着たボーディーをソウ・ゲレラのアジトで発見した際、ベイズが掴み掛かっていたのが帝国に対する恨みを表している。

 ちなみに、「ウィルズ」はジョージ・ルーカスのSW草稿の序文に登場した『ウィルズ銀河史』と何か関係があるのではないかとファンの中でも考察が行われている。

 

Q. ジンが命を賭けてまで戦う意義が希薄じゃない?

 A. 単純に「親の敵」。

 幼少時に母のライラを目の前で殺された上、父ゲイレンの自由を奪われ兵器製作に加担させられた。一家を離散させられただけでなく、両親の命を奪われた以上の理由は必要ないはず。そして、父の最期の頼みが「デススターの破壊」だった。動機付けとして何の問題も無い。

 ちなみに、ボーディーが戦う理由もゲイレンと出逢ったためだが、さすがにこちらは説明不足感があるのは否めない。小説等で補完されるのだろうか。

 

 ひとつひとつ見方を変えていくと、少し退屈に思えるシーンにも意味はあると思えてくる。それでも、ソウ・ゲレラのアジトでのシーンはちょっと長い気もするが…。

 しかし、イードゥーでの反乱同盟軍による襲撃は、帝国だけでなく彼らにもダーティーかつ統率が取れていない一面があるという事を示した画期的な場面であると思う。反乱同盟軍の闇、それはルーカスが(敢えて)描写してこなかった一面だ。「Wars」なのだから、どちらかが一方的に正義ではない。それを表現したという意味でも、この『ローグワン』が納得のいく作品であったという私の評価は揺るがない。

 

 次回もSWネタで更新の予定。

Can't Touch Them Now Madness EX Theater Roppongi Vol.2

 あのライヴの日から、1ヶ月以上の時間が経ちました。あの時の記憶がかなり速いペースで忘却の彼方へと去り始めているので、今思い出せる事を書いておこうと思います。

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 今回一番驚いたのは、客層の幅広さ。前回「老若男女」と書いたのは全く誇張ではなく、若い女子が目立ったのがとても印象的でした。勿論、リアルタイム世代の人も負けてはおらず、「幅広く愛される国民的バンド」という本国での評価が、ここ日本の客層にも反映されていました。
 英国人観客は前回ほど不穏なメンツではなく、仕事の帰りにちょっと寄ったそれなりの立場の人が多いように見えました。EXシアターが殺伐とした雰囲気にならなかったのも、これが影響しているように思います。

 

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  Suggsは、メンバー構成の関係上ほぼ1人でヴォーカリストとしての役割を全う。息切れしたり声が掠れたりするような事もなく、安定したまま快調に歌い切る。
 MCも冴え、日本人を置いてけぼりにして英語で盛り上がる観客に4文字言葉を使って窘める姿にも若い頃と変わらぬ鋭さが。「Take That? One Direction? ...We are Madness」という、英国アイドルグループの名前を挙げておどけた後に「NW5」へ雪崩込む流れは最高。

 

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 初めてその姿を拝む事が出来たLeeですが、とにかく大忙し。サックスは勿論、抜けた人物の代わりのハーモニー、更に「Mumbo Jumbo」でのダミ声リード・ヴォーカルを担当。更にステージ狭しと歩き回ってのパフォーマンスなど、八面六臂の活躍。
 ただし、ハーモニーは同期演奏(テープ)で流していたり(誰が歌ったものなんだろう?)、サックスも吹かない箇所が多々あったので、上手く省エネで流していたのも事実。その分、爆発力も凄かった今回のライヴアクトでした。

 

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 Chrisも初めて生で観たメンバーですが、『Madstock』で見せた全身迷彩服のような不穏な格好ではなく、キュートなおじさんといった感じでした。それは前回書いた「One Step Beyond」前のMCに顕著。
 気になったのは、PAのミスなのか、本人が調整に手こずったからなのか、ギターソロの場面でいまいち音が前に出てこなかった事があった点。何故かギターチェンジする事なく、レスポール1本で最後まで弾き通したので、アームを使う曲ではニュアンスを再現するのが大変そうでした(チョーキングとビブラートだけではやっぱりね)。元々、アーミングを多用するギタリストですよね、彼って。

 

 あまり派手なアピールはしなかったBeddersですが、メンバー随一の演奏力は健在。背中をピンと延ばして、まるで糸でも紡ぐかのようにフィンガーピッキングする姿に惚れ惚れします。ライヴ中は気が付くと、その指先に目がいってしまいました。最小の動きで最大の効果を生み出す、見事な仕事ぶり。
 バンドが「Cardiac Arrest」のイントロの入りを失敗し、演奏が空中分解。思わず頭を抱えていた場面が忘れられません。

 

 今回はWoodyにもマイクが向けられる場面があり、何事かを喋っていました(聞き取れず)。当然ながら一番体力が要求されるパートですが、飄々と最後まで叩き切る安定感。何やらCharlie Wats的な貫禄が付いてきましたね。
 今回、ライヴ終了後に彼のスティックは客席に投げ込まれたのでしょうか?残念ながら、友人Fは2回連続での獲得は成りませんでした。

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 リーダーのMikeも今回はMCを少しだけ担当。奥まった位置なのと、キーボードを収納する箱のために、どんな機材を使っていたかは判別出来ず。スタンドマイクが設置されていたから、コーラスも担当していたのでしょうか?
 モニターのようなものが見えた気もしたので、シーケンスや生演奏以外のパートの同期も担当していたのでしょうか。後列にいてもわかる長身ぶりがリーダーとしての存在感をアピールしていました。今までよりソフィスティケイトされた新作のサウンドには、彼のプレイが重要な役割を果たしていたように感じます。

 

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 そして、脱退したChasの不在を痛感したのは、MCや客席の煽り、トランペット演奏は当然として、個人的には特徴的なハーモニーが聴けなかった事。

 Suggsの歌を食わんとせんばかりの全力のハモりは彼らの楽曲に確かな彩りと力強さを加えており、フロント2人の声のせめぎ合い(まるで殴り合っているかのよう)がMadness流Nutty Soundの重要な一翼を担っていたのだと今回強く感じた次第。
 

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 非常に充実したライヴだったのは何度も書いた通りですが、Madnessの演奏以外で一つだけ気になった点を。
 前回「ライヴ中に酒を買いに行く事も出来る気安さ」と書きましたが、AXの時と違い、このEX Theaterでは自分の立ち位置を離れ、ビールを買いに行ったり、トイレに行ったりする観客が散見されました。
 1階は椅子席ではなくスタンディングなので、元いた場所に戻る…というのもライヴハウスっぽくない感覚だなと思っていましたが、気になったのはそういったタイミングが、ほぼ全て新作からの曲を演奏している最中だった事。
 ライヴの楽しみ方は人それぞれなのは理解しています。「自分の聴きたい曲だけ聴く事の何が悪いのだ?」と、お叱りを受けてしまうかもしれません。それでも、あれはちょっと露骨過ぎませんか?当然、ステージの上からはオーディエンスの動きはよく見えているでしょうし、メンバーがどう思ったかを考えると複雑な気分になりました。
 これは本当に個人的な意見ですが、自分にはちょっと共感し難い行動でした。ハッピーだったライヴの中で、唯一気になったのがここです。

Can't Touch Them Now Madness EX Theater Roppongi Vol.1

 何の前触れもなく、突如決まった感のある今回のMadness来日。名目は昨年発表した新作『Can't Touch Us Now』の世界ツアーの一環という事らしい。
 とはいえ、前回の来日のように、ヒットパレード的選曲の日本のファンに配慮したものとなるのだろう。少なくとも私はそんな生温い事を考えていた。

 

 前回の公演時、「オリジナルメンバーでの来日」を謳っていたにも関わらず、サックスのLee "Kix" ThompsonとギターのChris "Chrissy Boy" Foremanはラインナップには加わっていなかった。サポートメンバーはナイスアクトを果たしたものの、中心人物である2人を欠いては看板に偽り有りの告知であったのだ。
 今回はフロントメンの片方であるChas Smashが脱退したという事もあり、メンバーを1人欠いての6人という布陣。
 私のお気に入りメンバーであり、前回は私の目を見ながら叫んだり、冷たい水を浴びせてくれたりと印象的な思い出のある彼がいないのは残念だが、ようやくLeeとChrisをこの目で拝めるというわけだ。

 だが、夏の盛りに行われた2006年と違い、今回は新年度初めの月曜という挑戦的な公演日設定がされており、形振り構わず行ってやる!とまでは言い切れない状態であった。ただでさえ私にとって春は鬼門であり、心身及び公私に落ち着かない季節である事はこのブログでも繰り返し書いている通り。
 よって、チケットを購入したのもかなり遅い時期であり、発券後もかなり不鮮明なスケジュールの中で当日を迎えた。本当に自分はあのMadnessの来日公演に行くのだろうか?悪い意味で現実感がないまま、心の準備も出来ず六本木へと向かったのである。

 

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 当日は六本木駅の出口階段を上がり、最初の交差点まで歩いたあたりで重い雲から落ちてくるものが。EXシアターに着く頃には本降りとなり、2階のテラスでの整理番号呼び出し時は激しい雷と強風を伴った豪雨と変わった。

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 下手な表現だが、まさに嵐を呼ぶ男達Madnessという事か。運営スタッフが整列を呼びかけるが、この状態で風雨に打たれる物好きはいない。老若男女、そして国籍を問わず狭い屋根の下に身を寄せあい、入場を待つのみであった。

 この日はライブハウス内でのトラブルに備え、コートやジャケットの類を控えて軽装で臨んでいた。はしゃいだ英国人のビール浴びせや、メンバーからの全身ミネラルウォーター振る舞い等といった前回の教訓を活かしたものである。だがそれは、30分近く雨に打たれた私の体温をキープしてくれる装備ではなく、一刻でも早くライブが始まってくれないと風邪を引いてしまいそうな状況だ。

 

 遅れて到着した我が“スカ伝道師”である友人Fと合流し、彼がビールを飲み終えるのを待ってゆっくりと入場。当然ながら前回よりも後ろの位置だが、中央右寄りでしっかりとステージは見渡せる場所で悪くない。フロントラインでの攻防の激しさは前回のライヴで十分味わっているし、スピーカー近くで突発性難聴になるのも困るので、個人的にはこれくらいの位置がベストであった。
 会場内をセレクターが60~80年代の名曲(The Who,The Beat, etc...)でじっくり暖めたところで、カラフルな照明と共に電子音、そしてボコーダーでのアナウンスが流れ出す(YMOを思い出した)。会場に来てもいまいちエンジンのかからなかった私の心は、ここにきてようやく臨戦態勢へ。そして、パーカッションとホーン隊(トランペット、トロンボーンバリトンサックス)を従え、伝説の男達6人が遂にステージに登場する。

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 オープニングの音が流れる中、友人Fの「最初の曲はなんだろうな。予想しないか?」という問いに「チャス抜きでもここは『One Step Beyond』じゃないか?」と答えた私だったが、我々の予想を覆すナンバーでギグは始まった。何と、最初の1曲は新作『Can't Touch Us Now』のタイトルチューンであった。
 それは、Madnessからの強烈なメッセージであった。「俺たちは、今この時を活動するバンドだぜ」…少なくとも、私はそう受け取った。
 最新曲を、自信満々に歌い上げるフロントマンSuggsの姿。その姿は非常に頼もしく、ファンとしては心強いものであった。彼らは、今でも懐メロバンドにならず、この時代を生きているのだと。

 

 勿論、往年のヒットチューンを期待して集まったファンを裏切るような事は決してしない。最新アルバムからの曲と、過去の曲をほぼ交互に配置。ヒット曲でフロアを盛り上げ、渋いブリティッシュポップ・アルバムとなった『Can't Touch Us Now』からの曲でじっくり聴かせる。
 そんな中で私の大好きな近年曲であるドラマティックな「NW5」や、再結成前最後の作品からのシングル「Yesterday's Men」など、(友人Fの言葉を借用すれば)変化球が見事に決まる。緩急自在、彼らの過去と現在を織り交ぜながら、様々な時代を乗り越えて活動し続けるMadnessの歴史を惜しげもなく日本のファンに見せてくれる。

 

 あの2006年の夏、ライヴの期待以上の出来に熱狂しながらも、どこか寂しさを感じていたのも事実だった。
 再結成後の曲は僅か3曲のみのセットリスト。ラストに日本のみでヒットしたCMソング「In the City」まで披露する大サービスぶりに心から楽しませてもらったものの、ライヴはヒットパレードのみで最早現役バンドではないのか…と、どこか心に引っかかるものもあったのだ。
 事実、あの日のオーディエンスも、『Wonderful』や『The Dangermen Sessions Vol.1』からの曲は望んでいない、少なくとも私はそう感じた。

 しかし今回のライブは、誰が何と言おうと新譜『Can't Touch Us Now』を引っ提げての世界ツアーであった。新境地を開いたような曲(「You are My Everything」)も生で聴く事が出来、更に「Embarrassment」や「The Sun and the Rain」「My Girl」のような名曲もシンガロング出来る。これは非常に贅沢な体験だ。
 過去の名曲だけを彼らは演奏しにきたのではない。あくまでニューアルバムありきのツアーを行っているのだ。ある意味で、80年代にアルバムツアーを行っていた頃の彼らのライヴを、2017年の現在に体験出来ているという解釈すら可能ではないだろうか。


 その上、今回のライヴはハッピーでフレンドリーなムードが漂っていた。

 あのShibuya AXの時のように、初対面の人間にビールを浴びせたり、立場を弁えずステージに何度も乱入したり、女性を押し退けて最前線へ急いだり、セキュリティスタッフに必死に取り押さえられるような狼藉を働く人間はいない。

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 ライヴ中に酒を買いに行く事も出来る気安さで、Madnessの本気の演奏を楽しむ事が出来る。
 今までパフォーマンス面で大きな役割を担っていた男が抜けた分、Suggs, Lee, Chrisの3トップがサービス精神をフルに発揮して頑張っていた。特にLeeはステージ狭しと動き周り、奔放にサックスをブロウする。その姿を見て盛り上がらない観客はいないだろう。

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 ステージの出来を比べる事にあまり意味はないのかもしれないが、ライヴの意義や彼らが取り組む姿勢、加えて会場の雰囲気、どちらも私は今回のステージに軍配を上げたい。非常に満足したし、納得もいった充実のギグだった。

 

 私がオープニングに予想した「One Step Beyond」は、終盤に披露された。Chasが担当していた前口上を、Chrisとオーディエンスとのコールアンドレスポンスで代用するというまさかの展開。Leeのリード・サックスだけでなく、サポートのホーンの人にもソロを用意するアレンジで、若い頃の攻撃的なスカパンクよりもオーセンティックなスカに近付いた感があった。
 この曲に至る前、Chrisは日本人の物真似を披露。これも前回のChasと一緒だが、「イキマショー!」を連発し、それを会場に連呼させるのは何やら可愛らしかった。他にも、訃報が入ったばかりのChuck Berryリスペクトで、何度もお決まりのフレーズ(「Johnny B. Goode」のイントロのあれです)を弾いたり、ダックウォークをSuggsにやらされたりしていた。

 

 友人Fのツイート通り、この公演はスカとロックンロールの偉大な先人へのトリビュートの意味も含まれていたのは確実だ。「The Prince」演奏前のMCで、拙すぎる英語力ながらSuggsの言わんとしている事は理解した。


 アンコールも最初の曲は新作のリード・シングル「Mr.Apples」。この徹底した明確な姿勢に感心しながら、さらっと聞き流してしまった感のある『Can't Touch Us Now』をもう一度じっくり検証すべきだ、私はそう考えていた。
 やはり生で聴くのとは印象が違うし、楽曲の持つ本当の力を実感する。これも、新作ツアーを行ってくれたからこそ気付いた事である。
 最後は大熱狂の「Night Boat to Cairo」で〆。Monty Pythonの「Always Look on the Bright Side of Life」(George Harrisonが製作総指揮した『Monty Python's Life of Brian』の主題歌)が流れる中、充実のライヴは幕を閉じた。

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 2006年と違い、今回はセットリストを全曲知っている状態での参加だった。これが、この11年での私の数少ない成長の跡だ。

 次回は覚えている限りのちょっとしたエピソード、ライヴアクト以外に感じた事などを簡単に触れておきたい。

 

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Madness EX Theater Roppongi

 

Can't Touch Us Now

Embarrassment

The Prince

NW5

My Girl

Herbert

Wings of a Dove

Good Times

Cardiac Arrest

Blackbird

The Sun and the Rain

Yesterday's Men

Mumbo Jumbo

Grey Day

Tomorrow's (Just Another Day)

You are My Everything

One Step Beyond

House of Fun

Baggy Trousers

Our House

It Must Be Love

 

enc.

Mr. Apples

Madness

Night Boat to Cairo

Battle of 新生活

 年を取ると昔の記憶が蘇りやすくなるといいますが、先日ふとしたきっかけで約20年越しの謎が解けてしまいました。

 

 いつか何かの本にまとめたいとまで思っているのが、私と新聞拡張員との激しい戦いの日々。
 未だに居留守を使う癖が付いたのは、この甘えの許されぬナイフを持っての切り合いを当時毎日続けたからであり、最後に最も屈辱的な方法で敗北を喫したという点で、自分の中ではある意味で後悔の歴史となっています。

 田舎から出てきた学生しか住んでいないアパートは、新聞拡張員からすれば入れ食いの釣り堀のようなものだったのでしょう。いともたやすく純朴な青年達から契約を勝ち取ることが出来る、ボーナスステージ。
 そこで最後までレジスタンス活動を続けた私が集中砲火に遭うのは、避けられない事態でした。

 

 引越し後から最初の秋くらいまでは馬鹿正直に相手をしていた私でしたが(新聞に限らず宗教も)、さすがに無駄な時間を嫌うようになります。彼らは平気で2~3時間は粘るので、これを無駄な時間と言わずして何と言えばいいのでしょうか。その分は、当時耽溺していたゲームにでも使った方が明らかに有意義でした。
 以降、徐々に居留守にシフトしていくのですが、携帯電話を持っていない友人もいた当時、来客を事前に知る事が出来ないケースも多々ありました。上京2年半以降の新聞拡張員とのエンカウントは、友人の来訪だと思ってドアを開けた時のものが殆ど。

 恐らく、周辺の新聞販売店もムキになっていたのだと思います。何とかしてドアを開けさせようと、躍起になって攻勢を仕掛けてきました。


 最初は「町内会の者です!」とドアを叩いてくる者。ドアを開けさせてしまえばもうこっちのもの、と言わんばかりにその男は一切「町内会」の事には触れず、新聞勧誘を始めました。その時は「嘘ですか?そんな事されて取るわけないですよ」と最後に言ったと思います。それでも、1時間近く粘られた記憶がありますが…。

 そんなある日、「古新聞・古雑誌を回収しています」という来訪者。引越し時に使用した段ボールの処理に困っていた私は、素直にドアを開けました。さすが東京、古紙回収もわざわざ各家庭を回るのだな…と感心したのです。
 私が差し出した段ボールを受け取ったその気の弱そうな男、本当に古紙回収が目的ならばすぐに立ち去るはずなのですが、何故か話を始めました。訝しがる私の嫌な予感通り、徐々に話の方向は妙な方向へと展開していき…そして、やはり新聞勧誘へと話はすり替わっていたのです。
 結局このパターンか、恐らく古紙回収も並行して行っている新聞販売店なのだろう…と半ば呆れてその新聞拡張員を追い払った私。その先入観が刷り込まれたせいか、翌日我がアパートの集合ポストに件の段ボールが無造作に置いてあっても、特に疑問には思わず資源ゴミの日に自分で出した記憶があります。

 

 さて、ここで冒頭の文に戻ります。今更ながら謎が解けてしまったのですね、あまりにも単純すぎる謎が…。
 先日、帰宅後ふと居留守について思いを馳せ、昨年起きた「深夜2時の謎のドアノック音」を思い出し(まるで小室哲哉「Running to Horizon」の冒頭の歌詞のような出来事だった)、更に考えを巡らせていました。居留守を使う人間には、ある程度嘘でも吐かなければ引きずり出す事は出来ないのではないか。相変わらず上向かない体調の中、そんな事をぼんやり考えていたのですが…。
 前述の古紙回収業者兼新聞拡張員、あれは古紙回収は単なるドアを開けさせるための嘘で、本当はただ単にアパート最後の砦であった私を陥落させるために送り込まれた新聞販売店の回し者だったのではないか、と。
 大方、先輩職員から「あそこは普通にドアを叩いても出てこない。かといって単純な嘘をついても容易には反応しないだろう。あっちにメリットがありそうな嘘で誘い出せ」とでも吹き込まれていたのではないでしょうか。
 その証拠に、私が託した段ボールはぞんざいに放置されていた。何故かあの時は先入観のせいで不審には思いませんでしたが、今考えればどう考えてもおかしい。

 

 あまりにも鈍すぎる私の直感、そして勝手な先入観で鈍る判断力、加えて今更そんな事を思い出す老いた記憶力。春の夜、もっと有意義な事を考える能力がほしいと思うのでありました。

Don't call me Scardisc

 歴代の「Get Wild」をまとめたアルバムが出るらしい。

natalie.mu

 個人的には全く興味がないが、TM Networkを代表するこの曲が、30周年を迎えたという事にはそれなりの感慨がある。
 私は1994年のプロジェクト終了時は学生で、1999年の活動再開後はさほど熱心なファンではなかった。よって、私が持っているバージョンはあまり多くない。上記リンクの収録予定曲を参考に抜粋してみる(出典が明記されていないものは映像ソフトのみでの所有)。

Get Wild Original Single

Get Wild (“Fanks Cry-Max” Version)

Get Wild '89 Reproduction Single / 『Dress』

Get Wild (“Colosseum I”Version) 『Colosseum  1』

Get Wild (techno overdub mix) 『Classix 1』

Get Wild (Ver.0) TMN Groove Gear 1』

Get Wild (“Rhythm Red TMN Tour” Version) TMN Groove Gear 2』

Get Wild (“tour TMN Expo Arena Final” Version)

Get Wild Decade Run Reunion Single

Get Wild Decade Run - 112 Club Mix Get Wild Decade Run」

 

 この程度のものだ。やはり『City Hunter』の思い出と共に刻まれたオリジナルの出来は超えられないし、これに匹敵するバージョンはこれまた思い入れの強い(私が生まれて初めて買ってもらったアルバム『Dress』に収録)「Get Wild '89」だけだ。

 

 これだけ数多くのバージョンが存在し、繰り返し聴く機会が多ければ、お気に入りの曲という認識も薄れてくる。
 だが私がTMに興味を持ったのは間違いなくこの曲を『City Hunter』の印象的なエンディングで聞いた時のインパクトそのものであり、ひいてはTMをきっかけに自ら音楽に興味を持ち、楽器を手にしてソングライティングを始めたわけだから、私にとっても原点の一曲である事は否定しようのない事実だ。
 The Beatlesに興味を持ったのが「Twist and Shout」で、初めてギターで弾いたのが「I Should Have Known Better」なので、何かの機会に音楽を始めるきっかけを問われたらこちらを答えた方が履歴書としては見栄えするだろうが、残念ながら事実を変える事は出来ない。私はビートル・チルドレンであると同時に、TMチルドレンでもあるのだ。

 

 そして、これだけ付き合いが長い曲であれば、良い思い出だけではなく苦い記憶も存在する。
 小学校の終わり頃、まだCDプレーヤーを持っていないのに私はこの曲のシングルCDを買った。それはオリジナルバージョンを早く聴きたいという欲求の現れであり、手元に持っておきたいという所有欲の具現化でもあった。

 当時私には、良き仲間が多くいた。私が発信したTM Networkの音楽の良さを感じ取り共感し、共に行動してくれた仲間だ。小学生にとって、CDなどという高い買い物をするのにはかなりの覚悟を要する。私は、先生に怒られるのを覚悟でこっそりと学校にそれを持っていき、仲間達に購入した事を“報告”するという“義務”を果たしたのだ。
 当時の私は、TMと出会うまではワンオブゼムの一人で、運動神経及び要領の悪さでスクールカーストでもかなり下位に属していた(それを補うためというわけでもないが、目立ったり積極的に発言したりと、おどけ者のポジションは得ていたが)。
 だが、ビックリマンシールミニ四駆、ジャンプ漫画など周囲に追随していくだけだった私が、TMを“発見”した事によって先頭の人間を追おうとしなくなった。

 天使と悪魔のヘッドのシールがない?どれだけ軽量化したりシャフトを強化したりしても自慢のダンシングドールが速くならない?それがどうした、俺には今夢中になれる音楽という新たな興味の対象があり、そして仲間がいる。何の関係もないさ。
 クラス全員が一つの流行を追う必要はない、それぞれが興味のある事を突き詰めればいい。少なくとも、当時の私はそう思っていた。ネット世代の現在の子供達からすれば「そんなの、当たり前だろう」と思われるだろうが、情報から隔絶された平成初頭の田舎の小学生には、それは当然の認識ではなかった。


 あくまで今考えればの話だが、そういった異分子を疎ましく思う人間は確かに存在したのだろう。体育の授業を終えて教室に帰ってきた私が見たものは、読み取り面を一分の隙も無いほど傷だらけにされた「Get Wild」のシングルCDだった。
 勿論、犯人は私が困る姿が見たくて犯行に及んだのだろうが、傷で覆い尽くされたCDを見ると暗い情念と執念がひしひしと感じられ、小学生ながらも愉快犯にしては性質が悪すぎると感じた。

 当然、CDなどという勉学に関係ない物を学校には持って来てはならない。よって担任教師に相談も出来ず泣き寝入りしたわけだが、この件をきっかけに私は更に音楽へとのめり込んでいく事となる。

 

 今回の「Get Wild」アルバム発売のニュースで、実にどうでもいい事を思い出してしまった。30周年おめでとうございます。