Read about the things that happen throughout the Chiba
先日、母の実家にて箪笥の整理と掃除を手伝った。
主に来客用の布団を仕舞っている所なのだが、我が母が自発的に作業を始めたところ、箪笥の仕切り部分に緩衝材として敷いてある新聞やチラシが出て来た。日付を見ると、何と1979年の1月3日である。この家は1~2度大幅なリフォームが行われているのだが、その時も手付かずのままであったという事だ。
1979年というと、日本サッカーにとっての“黄金世代”はこの年に生まれた選手を指すのだが、まだ1月のために小野伸二も稲本潤一も高原直泰も生まれていない。わざわざこのような例を出すまでもないが、ともかく遥か昔の話であるという事だ。
物持ちが良い、という事は何かを保管出来るスペースをふんだんに持っている、ある意味で恵まれた人だと思っている。私は多くの思い出の品を事あるごとに処分してきた(というより、させられた)ので、いくら時代をダイレクトに記した貴重な資料とはいえ、さすがにこれらを個人的に保管しようと思うほど物好きでもない。よって、素早く写真に収め、データとして持っておく事にした。
多分、茂原の農工具店のもの。詳しく(もないけど)はブログで。 pic.twitter.com/sI5xZBtm1x
— ミカ・ラウド (@MicaLaud) 2018年7月29日
上記ツイートのチラシの裏面(まさにチラ裏)。昔は社員旅行(慰安旅行)が魅力的な勤務条件のうちの一つだったのだろうか。今の若者だと逆の印象を受けるであろう。私も若者ではないが御免蒙りたいタイプ。
若干勤務開始時間は早いが、17:30に終わるのはなかなか魅力的…ちなみに「早いもの勝ちお早目にどうぞ」というのは社員募集の事ではなく、正月の買い物客への抽選くじの事。昔はお正月に農機具を買ったりしたのだろうか。
千葉日報テレビ欄から。王氏が再婚したというニュースが流れたばかりだったので、思わず写真を撮った。現代のサッカーにアダプトすれば中村俊輔・小野伸二・槙野智章あたりで正月に対談番組をやるようなものだろうか。普通にその手の番組なら毎年放送していそうだ。
千葉日報 1979年1月3日 pic.twitter.com/mMl8plLGf5
— ミカ・ラウド (@MicaLaud) 2018年7月29日
ツイートの全体図。この年に行われる衆院選の勢力図をイラスト化したものだと思われる(文章は読んでいない)。現外務大臣の父の姿も。
外房中心に、一時は県内にチェーン店を多く出していたスーパーのチラシ。これは茂原市内の3店舗の広告だった。盛り沢山の正月の開催イベントなどに、往時の活気を感じて切なくなる。現在では倒産、全ての店舗が閉店しているはず。検索しても詳しい情報が出てこないので、ネット時代になってからのこの店は殆ど話題になっていなかったと思われる。
このチラシで気になったのは『ジャッカー電撃隊』。戦隊シリーズ2作目らしいが、後追いでチェックした世代の私は全く知らない。今回調べてみて、初めて戦隊シリーズにナンバリングされている事を知った。実家近辺の理容店に『秘密戦隊ゴレンジャー』のムックが置いてあったし、『バトルフィーバーJ』は「戦隊シリーズ第1作」とケイブンシャ大百科か何かに書いてあった記憶があるので(このページにその辺りの事情が記してある)この2作は幼少時から知ってはいたが、『ジャッカー電撃隊』だけは本当に全く知らなかった。
Wikipediaの作品ページによればシリアスでハードな展開が子供達に受けず、視聴率低迷の末に打ち切りになってしまった戦隊シリーズで最も短命の作品らしい。後世からの印象だと、見た目が『ゴレンジャー』に似すぎている気もするのだが…。
この作品の放送は1977年内で終わっているようで、3作目『バトルフィーバーJ』のスタートはこのチラシが配られた1ヶ月後の1979年2月となっている。つまり、1978年は戦隊シリーズが放映されていなかったようだが、1年のブランクがあっても当時の茂原近辺の子供達はこのヒーローの事を覚えていたのだろうか? 子供にとって1年間というのはかなり長い空白期間だと思うのだが。
テレビ欄。テレビ東京が「東京12チャンネル」である事や、当時の某家電量販店の隆盛を物語る県内の店舗数に目が行くが、注目は9:30からのテレビ朝日『翔べ! モスクワへ ~オリンピックスペシャル~』。翌年に開催される1980年のモスクワ五輪の特集が既に1年以上前から組まれていたわけだが、その後の歴史は多くの人が知る通り。ソ連のアフガニスタン侵攻は、この年の12月に起きている。
この番組に出演した選手達も、当然ながらこの番組放映時点では翌年に迫る五輪に向け胸を高鳴らせていたはずだろう。政治とスポーツは切り離されるべきだが、なかなか現実はそうはいかない。悲しい事である。
ちなみに、これらの新聞やチラシは写真を撮った数分後には全て処分された。40年近く箪笥と布団を守ってくれてありがとう。
大音量のFIFAアンセムをBGMに代表マグマ戦士が入場
かつての日本サッカー協会(JFA)は、私にとってはツッコミ所満載の、ダメ組織の象徴でした。多くのサッカーファンも、私と同じように考える人が多いと思われます。
ファルカン監督の短期間での解任、加茂監督就任後の人選、ネルシーニョ氏の「腐ったミカン」発言に至る混乱、アトランタ五輪で結果を残した西野監督への冷遇、結果を出し続けていたトルシエ監督への度重なる解任の画策、それまでの路線を無視したジーコ監督の就任(及びドイツ大会での惨敗)、その4年後のオシム監督のJクラブからの徴用、路線の継続なき代表監督の人選、アンダーカテゴリーの監督を若手指導者のテストの場にする…等々、今浮かんだだけでもファンの反発を受けるような判断は枚挙に暇がありません。
それが、2010年ワールドカップでは戦前の予想を裏切るまさかのグループステージ突破、及び翌年のなでしこジャパン世界一という歴史に残る快挙を果たしたあたりから、多数のスポンサー獲得を背景に様々なプロジェクトを実行。
サッカー人気の隆盛を確かなものとし、4年前のブラジル大会での惨敗を含めて考えても、JFAは安定した組織運営をしていると考えられており、批判も大きな流れにはなりませんでした。
しかし、先月の衝撃的な一報から、この評価も一転する事となります。
政情の不安定な国などでは大会直前に監督が交代する事も稀ではなく、いつもそのようなニュースを他人事のように見ていましたが、まさか自分が属する国がそのような事態を迎えるとは思えず、久々にJFAに対して冷たい怒りが沸き上がってきました。
ハリルホジッチ監督に対する選手の造反、スポンサーからの特定選手の起用要請など、とても健全とは思えない理由が噂レベルで囁かれています。これらがどこまで真実かはわかりませんし、今後明かされるかどうかも不透明ですが(ハリルホジッチ氏の訴訟に真相の究明を期待したい)、確かなのは非常に愚かな選択をしたという事です。
ハリルホジッチ監督は、確かに親善試合では不可解な選手起用や試合運びが目立ち、疑問を呈する機会が多くありました。しかし、少なくとも私はそれを本大会に向けての壮大な実験場としての試合の有効活用であり、あくまで過程でしかないと思っていました。
氏のそれまでの評判を伝え聞くに、本番までにじっくり時間をかけてチームを熟成するタイプの指揮官であったという事。それを何より証明するのが、アジア最終予選の最大の山場であったオーストラリア戦での大胆な若手選手の起用、及び相手の戦術に対処した戦い方の選択でしょう。
あの試合はそれまでの主力の多くをベンチに置き、自身が抜擢した選手の活躍でそれまで苦戦してきた相手に完勝するという、画期的な試合内容と結果でした(オーストラリアが何故かポゼッションサッカーに愚直に拘り続けたという幸運もあったが)。ああいった本番と定めた試合においての臨み方こそ、ハリルホジッチ監督の真骨頂だったのではないでしょうか。
直前で氏を解任するという事は、この数年間(アギーレ氏の就任期間を除く)を雲散させ、無意味な期間を作ってしまうという事を意味しています。
少なくとも、「ハリルホジッチ監督のサッカーを遂行し、本大会でどのような結果を残せたか?」という問いに対し、回答を得る事のないまま未来へと進んでいく事になってしまうのです。
先日、後任の西野監督はテストマッチに臨むメンバーを発表。概ねこの中からロシア大会に挑む選手が選出されるのではないかと思われますが、その顔ぶれを見る限り、4年前のコピーのような、何の進展も感じられないサッカーを行うとしか思えません。
ブラジルの地で、既に一つの答えは出ています。
「本田圭佑や香川真司を中心にしたポゼッションサッカー、いわゆる“自分たちのサッカー”は世界で結果を残す事が出来るのか?」という問いには、「全く通用せず、何もかも足りない。将来的にはわからないが、現時点ではあまりにも時期尚早」という回答を多くのファンが受け取ったはず。
それでもあのサッカーを繰り返す事の意味は? 既に答えは出ているのに、同じ事を繰り返す意図が私には理解しかねます。代表チームを、自分達が気持ち良く過ごすためだけに利用しないでほしい。
後任の西野監督は、Jリーグをよく知るファンにはお馴染みですが、柔軟性に欠けるきらいがあり、自らの意にそぐわない者を徹底的に冷遇します。ガンバ時代、彼に出番を奪われ、移籍を余儀なくされた選手は多数でした。
アトランタ五輪のナイジェリア戦で、中田英寿に意見された事に怒りを露わにし、次のハンガリー戦でスタメンから外した事でもわかるように、造反される事も嫌っている印象。
強化委員長だったため、火中の栗を拾わされる羽目になった西野氏。既に後任には(ジェフサポにはお馴染みの)関塚隆氏が就いており、大会の結果如何にかかわらず協会を去るのは決定的でしょう。
だからこそ、西野氏に一縷の望みを抱いている事があります。それは、協会の直接的な影響の及びにくいロシアの地で、デュエルやカウンターを重視したハリルホジッチ戦術を受け継ぐ事。
仮に長谷部や本田といった選手の造反でハリルホジッチ氏が解任されたのならば、往時の西野氏は絶対にそういった事を許さないはず。長くJリーグで指揮を執り、実績を積み重ねてきた彼の監督としての意地と矜持が、協会からの傀儡政権のような現状を許さないのではないか…私はそう考えています。あくまで希望的観測でしかありませんが。
JFAの今回の判断は、2010年の「直前で方向転換した事が上手くいってしまった」という成功体験に拠るものだという事は明らか。ならば、西野氏もテストマッチまでは“自分達のサッカー”を容認し、大会に入った途端豹変するような“方向転換”を期待したいところです。勿論、その可能性は極めて低いでしょうが。
続きを読む
Now River vs New River
日本史ファンの多くは、戦国ファンと幕末ファンに分けられる事が多い。私は勿論後者なのだが、当然歴史ファンになったばかりの小学生低学年の頃は戦国時代の歴史にも熱狂していた。ちょうど、この本を買ってもらった直後くらいの事だ。
blog.goo.ne.jp 幼少時の辛い視力矯正訓練の最中、必死に頭の中で自由なストーリーを組み立てて気を紛らわせていた私は、主に「織田軍が豊臣軍と連合し、SF的マシンを駆使して徳川軍と宇宙にて天下分け目の合戦をする」という荒唐無稽な物語をいつも想像していた。
こんな妄想で現実逃避をするほど、織田信長と豊臣秀吉という武将に憧れを抱いていたあの頃。それは今でも変わらず、「好きな戦国武将は?」と問われれば迷わずこの2人の名を挙げる。
一応私がそれなりに日本史を愛好している人間だという前提で質問者はこういった問いを投げかけてくるので、恐らく肩透かしを食らわせている事になっていると思うのだが、結局この2人に徳川家康を加えた大きな流れにしか興味がなく、未だに戦国時代に関しては知らない事だらけである。
そんな不勉強な私なので、昨年の『おんな城主 直虎』を観るまで、今川家の事を省みる事などなかった。
織田信長の名を全国に轟かせ、天下布武への第一歩となった戦国時代有数のアップセット「桶狭間の合戦」。その劇的なストーリーの敗者に目を向ける事がないのは、仕方がない面もある。
しかし済し崩し的に滅んだとばかり思っていた(それこそ武田家のように)今川家は、どっこいしぶとく生き残っていた。その主役となったのが今川義元の嫡男、氏真。
武家としての無駄なプライドを捨て、無様に見えつつも強かに立ち回り、文化人・趣味人として一生を全う。その上で今川家をしっかりと残す事にも成功。
当時の価値観からすればどう思われたかは大体想像がついてしまうが、後世から見るとこれもまた一家の当主としての大仕事を成し遂げた大人物、と見る事も出来るのではないだろうか。
大河ドラマにて俄然興味を持った氏真だが、まさにその放送中、偶然訪れた場所がその彼が晩年を過ごした地であり、江戸時代以降の知行地となった場所。
これも何かの巡り合わせだと考え、今年に入ってから改めて訪れる事にした。
夕方の早い段階で閉門してしまうこのお寺は、それだけで(義元・氏真親子が憧れ続けた)京都のそれを想起させる。
義元はここに眠っていないようだが、氏真以降の当主の墓地はこの観泉寺にあるそう。通りから一本入った道で車通りが少ないせいか、お寺の前がアイドリング状態のタクシーの溜まり場になっているのは少々残念に思えるが…。
その名を地名にも残す今川家。その歴史の希有な複雑さを思うと大変興味深く、もう少しじっくりと調べてみたくもある。
【追記】この記事は3月にアップ(訪れたのは2月)したものであるが、4月に再訪。その日は天候も良く陽射しも強かったため、写真をこの時撮影したものに全て差し替え、再構成した。
Twitter and the Monkey Man Winter, Spring & Summer 2017
ツイート自体が非常に少ないので、取り上げられるものも殆どありませんでした。昨年1年間を丸ごとまとめてしまっても良いくらいのツイート数減少。
眼科の方の担当医がまた変わっていた。しかも恐らく今までで最年少だろう。時代は変わる。昨日は横須賀線の遅れが千葉県北東部にまで大きく影響を与えていて大変難儀した。ただでさえ本数が少ないのに、大幅に遅れが出るのは辛い。
— ミカ・ラウド (@MicaLaud) January 14, 2017
おくすり手帳を見たら、1年ごとに医者が変わっている。それだけ人がいないのだろう。小中学生の頃、担当医が変わるだけで結構ストレスがあったんだけどな(カルテだけでは伝わらない事もあるので)。もはやそれが当たり前の事になってしまった。
— ミカ・ラウド (@MicaLaud) January 14, 2017
これだけ変化が激しいと、もはやここに通い続ける理由も無いような気もする。だが点数稼ぎしようとするこっちの病院もあまり好みではないので、これからも通い続けるつもりでいる。
— ミカ・ラウド (@MicaLaud) January 14, 2017
乗換駅で地震があった日でした。電車の遅延はそれとは関係がなかったと思います。
目の症状が特殊なので、担当の医師が変われば煩雑な事態は避けられません。それが最も熱心に通院していた(させられていた)小学~中学生時ならば、それをストレスに感じるのは避けようが無い事実です。
しかしこの日を含め、2017年はもう1度この病院で診察を受けましたが、昨今の例にしては珍しく担当医師が変わっていませんでした。病院の公式サイトを見てもその方が載っており、久々に(10年ぶりくらい)同じ医師の下で継続した診察を受けられるのではないかと期待しています。
丁寧でありながらくだけた感じの話しやすい女性医師の方で、個人的には好感の持てるお医者様です。今夏の診察も、彼女が引き続き勤務してくれていればストレスも軽減出来るはず。
前回のMadness日本公演の事を思い出すと、ライブ自体の素晴らしさと同時に、過酷だった当時の勤務形態と暑さの事が脳裏に蘇る。楽しいだけの記憶でないのが少し残念なところ。
— ミカ・ラウド (@MicaLaud) April 2, 2017
11年前といえば、マッドネス公演の約2ヶ月前に巻のサプライズ代表選出という事件があった。当日は勤務中だったが、あまりの嬉しさで休憩時間中に巻の応援歌(エリーゼのために)を弾き語り、更にギターを重ねてその音声ファイルを巻ファンの熊本の友人に送った。もう今ではそんな行動力は無い。
— ミカ・ラウド (@MicaLaud) April 2, 2017
ここでは2017年のMadness来日公演を控え、2006年次の公演を振り返っています。
下ツイートの逸話、旧ブログに書いた記憶もありますが、記事検索しても見つからないのでどうやら初披露だったようですね。
昔とあるサッカーサイトにて知り合った人々の中に、巻が熊本出身だからとジェフサポになってくれた方がいた。今頃、郷土の英雄の帰還に喜んでおられるのだろうか。長らく連絡を取っていないが、久々にお話してみたいものだ
— ミカ・ラウド (@MicaLaud) January 15, 2014
フクアリ10周年か。それこそあの頃は2人の祖父が同時に倒れ、何度か緊急の呼び出しもされていたので、オープニング・マッチの最中も病院からの連絡があるかどうかを常に気にしながらの観戦だった。
— ミカ・ラウド (@MicaLaud) August 13, 2015
試合中に地震があったと熊本在住のジェフサポ氏(巻の大ファン)からメールがあったが、私がそれを受信したのはスタジアムを後にしてからだった。今より電波状況が悪かったのだろうか。彼とは翌年のホーム浦和戦を共に観戦し大いに盛り上がったが、それ以降一度も連絡を取っていない。元気だろうか。
— ミカ・ラウド (@MicaLaud) August 13, 2015
以前ツイートもした事のあるN氏との思い出です。彼とは2006年ホーム浦和戦を共に観戦し(巻のゴール時の喜び方ときたら半端ではなかった)、その後秋葉原を徘徊(当時、ツイート内で触れているサッカーサイトにて話題になっていたFCバルセロナを中心としたグッズショップ“ピチーチ”来訪のため)し、食事をして彼とは別れたのですが、その時が直接お会いした最後の機会となりました。また是非お会いしたいです。現在はロアッソのサポーターに転身されたのでしょうか。
とある動物を住宅街で飼育する事で、近隣住民と常に摩擦を起こしてきた家庭。ここ十数年はその件に関しては落ち着いていたようだが、新たに飼育環境を整えて再開したという話。孤立を恐れないのか、それとも周辺の人間を軽侮しているのか…。
— ミカ・ラウド (@MicaLaud) June 20, 2017
恐らく後者でしょうね。誰か本気で裁判でも起こせばいいのにと思っています。
原爆関連の行事で、何故か海の家に泊まった事がある。波の音が怖くて眠れなかった記憶しかない。
— ミカ・ラウド (@MicaLaud) August 5, 2017
すいか割りで見事成功し、商品をもらった事も覚えています。プラスチックのキャリングバッグで、実家のカセットテープ入れ→ミニ四駆関連ケース→実家のカセットテープ入れと変遷を辿り、現在は我が部屋にて引き続きカセットテープ(かつてのバンド練習を録音したもの)収納ボックスとして任を続けています。
奇跡の入荷!エレックレコードの輸送ダンボール付!【朗読中古レコード】徳川夢声/朗読 吉川英治/原作『宮本武蔵』全100枚組!!!!! じっくりアナログで聴くべし!: https://t.co/iBxJhvb0az #du入荷 #宮本武蔵 #吉川英治 pic.twitter.com/fc5YFzBuqA
— ディスクユニオン神保町店 (@diskunion_dkg) October 22, 2016
これがエレックの経営を傾かせるきっかけになった伝説のブツか。1年近く前のツイートだけど、まだ残ってるのかな。
— ミカ・ラウド (@MicaLaud) September 19, 2017
このツイートを見てから二度ほどこの店舗を訪れていますが、いつも確認を忘れてしまいますね。都心のユニオンでは珍しくクラシック中心のラインナップなので、あまり数の多くないロック系を適当に見たら出てしまう事が多いせいでしょう。
ハジアル
今までも繰り返し取り上げてきた“ハジレコ”的な企画。
思えば、“ハジビー”(初めて買ったThe Beatles作品)や“ハジニュー”(初めてリアルタイムで接したミュージシャン毎のニューアルバム)は取り上げてきたが、「初めて買ったミュージシャン毎の作品」というのはまだ書いていなかった。
とはいえ、このブログではTM Network, Pet Shop Boys, Oasisなどの該当作品は繰り返し紹介しているので、それらに関しては触れない。まだブログで書いていないもの、もしくは旧ブログにて過去に書いたものを振り返る形でまとめておこうと思う。ネタ切れ企画もいいところだが、個人的記録のためなので読み飛ばして頂ければ幸い。
以下、続きから。
続きを読む
これ(おわり)なんですか
長い歴史を持つラジオ番組から、急な別れの言葉。
昨日の #ビートルズから始まる。 は残りの20分くらいだけを聴いたが、エンディングトークにてDJスネークマンの「今日でこの番組は終わりますが…」と別れの挨拶。突然の告知に大いに狼狽していたが、ツイート検索によれば既に先週予告されていたらしい。 #bayfm
— ミカ・ラウド (@MicaLaud) 2018年3月26日
DJ小林克也『ビートルズから始まる。』 が、19年の歴史に幕を閉じました。ツイート通り私にとっては突然の事で、全く予期せぬ発表。当日一緒に聴いていた親も大いに困惑しており、肝心の小林氏の声が聞き取れない事態に。
新番組の開始日が4月1日とされていたので、もしかするとジョークなのではないかという疑念がありましたが、近年の企業や官公庁のような悪ノリな嘘ではなく、本当に番組は終了してしまいました。
以下、続きから。
続きを読む
All through the day, all through the night, all through my life...
去る3月上旬、会期終了が迫る中で『ジョージ・ハリスン アイ・ミー・マイン展』を観るため渋谷ヒカリエを訪れた。
ジョージの著書である自伝及び歌詞をまとめた豪華本『I Me Mine』の増補版発売を記念し、開催されたものだ。
ちなみに、ヒカリエを訪れたのは2度目であり、前回はThe Beatlesのシアトリカルなライヴ・ショーであった『Let it Be』を観たのであった。
KOSE presents LET IT BE ~レット・イット・ビー~ | ラインナップ | 東急シアターオーブ|TOKYU THEATRE Orb
一応、両方ともThe Beatles絡みという事になる。
近年観た展覧会は美術館を丸々使ってのものばかりだったので、会場では少し迷ってしまった。
1フロアの中にギャラリーが複数あり、そのうちの1つを使って今回のジョージ展は開催されていた。こういうスタイルの会場は初めてだが、この控えめな感じも実にジョージらしい。
前述通り会場はさほど広くなく、入場してすぐの部屋に販売用の写真(何故かポールとリンゴだけが写ったものも)や、撮影可能な写真と「I Me Mine」の歌詞がディスプレイされていた。
すぐ隣の部屋に、「Taxman」から「Brainwashed」までの22曲のジョージの直筆歌詞カード、プライヴェートな家族写真、メモラビリアなどが展示されている。
写真はAnthology等でよく見るものや、初めて見るものが半々くらい。特に1980年代以降のものはメディアへの登場回数はあまり多くないので、新鮮な印象を受けた。
ハワイやオーストラリアでの休暇中とおぼしき写真では、どうしてもスコセッシ作品『Living in the Material World』の終盤を思い出し、感慨に耽ってしまう。
展示物の目玉といえば、やはりジョージがルーフトップ・ライヴで着た黒のフェイクファーのコートだろう。
The Beatles - Don't Let Me Down
あの伝説的なライヴでジョージが着た服が、まさに今目の前にある。圧倒的な説得力と迫力。オールローズのテレキャスを弾きながら、軽快にリズムを取っていた「Get Back」の演奏シーンが脳内に蘇る(動画は「Don't Let Me Down」だが)。
冬のロンドン、ライヴ当日の屋上のあまりの寒さに耐えかね、ジョージ・ジョン・リンゴはそれぞれの婦人達からアウターを借りた(ポールは寒さに強いのかジャケットのみ)、という情報をどこかで見たが、そうするとこのフェイクファー・コートは元々パティの持ち物だという事なのだろうか。
間近で観るコートで一番印象に残ったのは、Mary Quantのロゴが入ったタグが想像以上に自己主張していた点である。あれほどブランド名がはっきり書かれているとは思わなかった。
私が入ったばかりの時はなかなかの人だかりで、自分のペースで歌詞カードを鑑賞するのが難しいくらい。
しばらく歌詞カードから離れて写真やコートを何度も見直したりしているうちに、フロア内に流れるBGMが展示されている歌詞カードと同じ曲を年代順に流しているのだと気付く。
せっかく大好きなジョージの名曲の数々が流れているのに、これを楽しまない手はない。BGMと歌詞カードを同時に堪能する。何しろジョージの歌声を聴きながら、歌詞を作者本人の直筆で脳内にインプットする事が出来るのだ。何とも贅沢な時間ではないか。
歌詞を書いている時のジョージの心境にまで想いを馳せる事は出来なかったが、私なりの鑑賞法でこのイベントを心行くまで楽しんだ。
唯一、会場内で音源が流れていない歌詞があった。
ジョージ・ハリスン、リンゴ・スターに向けて書いた幻の楽曲が見つかる https://t.co/txLBPUFq2W
— ミカ・ラウド (@MicaLaud) 2017年6月20日
仲が良いいいのも勿論だけど,やっぱりプレイヤーとして信頼していたんだなと。
— ミカ・ラウド (@MicaLaud) 2017年6月20日
その曲こそまさに、先日発表があった幻の未発表曲「Hey Ringo」であった。このような形で日の目を見せるとは、何とも心憎い。
内容は、ジョージとリンゴがお互いを褒めあうかわいらしい内容。だが、これをジョージが1人で書いていると思うと微笑ましい。オリヴィアが「本当にスウィートなのよ」と語るのも、さもありなん。
歌詞のラスト、「死ぬまで君と一緒にギターを弾くよ」と言う熱烈なジョージに対し、「嬉しいね、Mr.G...でも倒れるときはあっちに倒れてくれよ」とジョークで返すリンゴが本人以上に本人らしく、感動的な詞でもしっかりオチを付けるのが実にジョージ(とリンゴ)だな、と思わずにやけてしまった。
この歌詞を観て思い出したのは、またしても映画『Living in the Material World』での1シーン。2人の最期の面会時にジョージが飛ばしたジョーク、そしてそれを振り返るリンゴの姿。
後からプロモーションの文を読んだところ、ここに展示されていた歌詞カードはあくまで「忠実に復刻された原寸大の」レプリカらしい。
だが、ジョージに関するイベント自体が非常に貴重だし、こういった機会がある事に心から感謝しなければならない。私は感謝の気持ちしか持っていないし、日本での開催を決定してくれた関係者の尽力には頭が下がる。不満などあろうはずがない。
そして、願わくば再びこういった機会があると幸いである。