Soft-Hearted Narashino (Part.2)
暦も師走半ば、いよいよ『西郷どん』も残すところ1回。西南戦争もほぼ大勢は決し、日本史上最後の内乱も残り僅か。次回は進退窮まる西郷が鹿児島へと退却し、城山の戦いにて幕が引かれる事となるだろう。
個人的には維新後から西南戦争までをじっくり観たかったのだが、暗い話にしかならないので駆け足になってしまうのは仕方ないのかもしれない。
個人的には征韓論~西南戦争をじっくり観たかったので、このペースで間に合うのかなと思ってしまいます。薩摩時代に時間をかけすぎた感が強いですね。#西郷どん
— ミカ・ラウド (@MicaLaud) 2018年10月7日
それでも、実質2回しか描かれない西南戦争の分量はいくらなんでも少なすぎるとは思っているが、ネットの某所(大河ドラマとも日本史とも一切関係がない場所)での分析が面白かった。曰く、「史実がどうあれ“西郷どん格好良い”という見方は崩せない、何故ならこの脚本が描きたい最大のポイントがそこであるから。よって、自然と西郷が格好良く描けない西南戦争は短くなってしまう」と。なるほど、特に『龍馬伝』以降顕著な「主人公を必要以上に万能の存在にし、美化する」という大河ドラマの流れを考えれば、この描き方にも納得がいく。
この大河ドラマだと西南戦争がオマケ扱いなので、谷干城の熊本城防衛戦が観たかった私の願いはスルーされるわけですね。乃木希典の連隊旗喪失事件も当然そこに含まれるわけです。 #西郷どん
— ミカ・ラウド (@MicaLaud) 2018年12月9日
勿論、私のような人間にはそこが非常に不満のある点ではある。私が卒論絡みで(長すぎる“余話”に苦戦しながら)読破した『翔ぶが如く』(司馬遼太郎著)においてメインに据えられていたのが征韓論争から西南戦争の流れであり、個人的に思い入れも強い。今回ようやく映像として観られる事を、個人的に楽しみにしていたのだ。
一応、大久保の最期の瞬間(紀尾井坂の変)は取り上げてくれるらしい。既にかなり前に紀尾井坂は訪れているし、数年前に歴博での大久保利通展も訪れているので、その記事へのリンクを張ろうと思ったのだが、どうやらどちらも記事を書いていなかったようだ。
これはとんだ失態だった。紀尾井坂はまた改めて訪れたいと思う。
さて、そんな今年の大河ドラマ『西郷どん』、「紀行」コーナーで取り上げられた千葉県のスポットは3箇所(アクセスなどのテロップが表示されたのは2箇所)で、そのうちの2箇所を訪れた事は既に書いた。
残るはあと1箇所、前回の来訪からちょうど1週間後にすぐさま訪れた。お陰で、『西郷どん』最終回前にすべての決着を付けることが出来たわけだ。
以下、続きから。
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Soft-Hearted Narashino (Part.1)
今年の大河ドラマ『西郷どん』も、残り1ヶ月を切った。恐らく今週から西南戦争が勃発し、維新の元勲の人生もクライマックスへと向かうであろう。
近年の大河の例に漏れず、演出やストーリーが見え見えすぎるというか、デフォルメしすぎて漫画的な面が目に付くのは確かだが、一番好きな時代なのだから興味が湧かないはずがない。毎回楽しんで観ている。
さて、そんな今年の大河ドラマだが、作品に関係する地を毎回紹介する「紀行」コーナーにて、千葉県の史跡が紹介された回があった。詳しいロケーションがテロップとして表示されたのは2箇所だが、画面では合計3箇所が取り上げられたのである。
幕末~明治期に限った事ではないが、なかなか日本史のメインストリームに登場しない我が郷土・千葉。せっかくなので訪れてみようと思い立ち、先日それを実行した。
今回移動手段として利用したのは、滅多に利用する機会のない新京成線。小中学校の一時期に通院で、上京後の一時期に実家から東京に戻る際の無意味な時間潰しのため、という理由で利用していた路線だが、専ら京成津田沼~新津田沼の1駅しか利用していなかったため、本格的に乗るのは今回が初めてである。
以下、続きから。
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High Line, Hard Days
2018年のジェフユナイテッド市原・千葉の戦いが終わりました。毎年似たような記事しか書けないのが遺憾であるとしか言いようがないのですが、今年は14位と過去最低順位を更新。一度たりとも昇格をイメージ出来ないまま、苦しみと共に迎えた終戦でした。
今季最後のフクアリにて。勝ちたい。 pic.twitter.com/nlckXdkVfy
— ミカ・ラウド (@MicaLaud) November 17, 2018
夏からの猛チャージ、僅かな望みを繋いでの連勝、そして昇格PO出場。矢田、為田といったシーズン途中からの補強も見事に噛み合い、躍動感溢れるサッカーを見せてくれた昨年のジェフ。
POでシーズン2連勝だった名古屋にここ一番で敗れたとはいえ、「To be continued...」とエンドカードに表示されるような、更なる物語の続きを予感させる2017年の終わり。多くのジェフサポが「来年こそは」の想いを強くしたはずでしょうし、今季の補強が上手くいったのも、新加入の選手達が昨年のサッカーに魅力を感じたからではないかと思われます。
私も勿論、昨年終盤の戦いぶりには共感していましたし、楽しみな気持ちで今季開幕を迎えたのですが、反面「そんなにトントン拍子に上手くいくはずがない」という強い不安を抱えていました。それは、J2降格後の戦いを繰り返し見ていれば、いやが上にも捨てきれない感情で、そう思っていたのは恐らく私だけではないでしょう。
しかし、2018年のジェフは、その不安が的中したというよりも、さらに予想を下回る成績だったと言うのが正直な感想です。まさか、ここまで勝利が遠いとは。PO出場圏内すらままならない戦いぶりで、これほどの選手達を有しながら敗戦を重ねる現状には、毎週末非常に精神をすり減らされました。
当然ながら、エスナイデル監督に批判は集中。守備構築に具体的な打開策を欠き、場当たり的に見える選手の入れ替えで結果を残そうとする姿勢。更に効果的とは言い難かった中断期間の補強(昨年とは対照的)など、フロントにも責を求める声も多数上がりました。
最終節、最早恒例行事となった社長スピーチをかき消すブーイングを聞きながら、様々な想いが私の胸中に去来しました。
エスナイデル監督は、確かに戦術面で無策であるのは事実。どこが相手でもハイライン・ハイプレスで、特に守備面で柔軟な対応は見られません。微調整していたのは、恐らく選手主導のものでしょう。
昨シーズン序盤に、興味本位で我がクラブの試合をチェックしていた(何しろトンデモ戦術なので)サッカー系アルファツイッタラー達も、「もはや見るべき所はない」と結論付けており、その手のツイートをいくつも見かけたものでした。そういった論調に反発を感じていた反面、少なくとも今年のサッカーに関してはそう言われても仕方がないという諦念もありました。昨年は終盤の大攻勢があったお陰で、前述のような厳しい指摘に関して有耶無耶になってしまった感もあります。
ここでエスナイデル監督を代えるのは簡単で、実際にそうなっても私はそれを受け入れるでしょう。多くのサポーターも、それを望んでいると思われます。
しかし、例えば守備を確実に固める戦術を採り、カウンター戦術を売りにして万が一昇格出来たとしても、個人的にはその先のビジョンが見えません。実際に、J2で堅牢なディフェンスを前面に押し出していたクラブは、殆どが昇格後はJ1の攻撃に耐えきれず崩壊。1年で降格の憂き目に遭うか、なかなか定着出来ずに昇降格を繰り返す例を多く知っています。
目の前の結果を出し、昇格をいち早く手にするには、やはり守備の強化。それは間違いない。しかし、J2降格後はそういった目先の結果を追い、毎年似たような結果を繰り返してきたわけで、根本的なクラブのフィロソフィーの確立をそろそろ試みてもいいのではないか、と思います。つまり、一貫した強化方針、柱となる戦術が必要なのではないかと。
この先、秀でた監督や選手に巡り会える僥倖があったとしても、彼らが離れた途端にクラブが弱体化したのでは話にならない。まさに、イヴィツァ・オシムを失った後のジェフがそれに当たります。
そう思ったのは、鹿島のACL優勝でした。もはや比較するのも烏滸がましいのは重々承知していますが、クラブ創設から苦しい時期も一貫した鹿島のサッカー哲学で乗り切り、常に代表クラスの選手を排出する名門となっている。CWCでのレアル・マドリー相手の善戦でもそう感じましたが、今回のACL制覇で再びそう思いました。
“ジェフのサッカー”とは何か。非常に希薄なものに感じられ、それはJ2降格後に顕著です。J開幕初期の東欧選手中心の補強、オシム期の”走るサッカー”、それくらいしかイメージ出来ません。
勿論、エスナイデル監督のハイライン・ハイプレスが、今後のジェフの哲学たりうるか、とは断言出来ません。むしろ、現状を鑑みれば、その可能性は低いようにも感じます。しかし、ここで彼と道を分かって新たな方向性を探るのがベストかどうか。残念ながら、それに答えを出せるほど私はサッカー識者ではありません。
常々、私は一刻も早い昇格を目指すべきだ、と降格当初に繰り返し主張してきました。それは貴重なスポンサー各社が下部カテゴリーに長年甘んじているような状況に満足しているわけではないからで、財政的な規模の縮小を恐れてのこうした発言でした。
そんな中でスポンサーが増え続けている(最終節試合後の社長スピーチでも言及)のは驚異的で、その点において現在のフロントは素晴らしい仕事ぶりだと思います(私がブーイングに与する気になれない最大の理由)。この状況が続くうちに、何とか昇格したいと思っているのもまた事実なのですが…。
とりとめもなくない文章になってしまいましたが、それだけ様々な感情が渦巻いた今季最終戦でした。
帰ります。シーズンお疲れ様でした。 pic.twitter.com/hOHpY12UJU
— ミカ・ラウド (@MicaLaud) November 17, 2018
現状に私はイエスともノーとも言えませんが、一つ確かなのは今後も変わらずこのジェフユナイテッド市原・千葉を見守っていくであろうという事です。
See Your Bookshelf (Part.1)
今までも折に触れ行ってきた古文書発掘企画。今後は更新ネタに困った際のため、定期的に行ってみたいと思う。ちなみにタイトルはジョージの「See Yourself」のもじりなのだが、説明しなければ誰にも気付いてもらえないだろう。
日本史に興味を持ったのは小学校の授業で取り上げられるよりずっと前、小学2年の時だという事は覚えているが、そのきっかけが何だったのかは最早判然としない。だが、始まりの一冊だけははっきりと覚えているし、物の入れ替わりの激しい我が実家でもそれは奇跡的に現存している。
『日本の偉人 まんが伝記辞典』(学研)
80'sキッズのマストアイテム、学研発行の学習まんがシリーズだ。この一冊が、私を日本史の世界へと誘った出発点となった。今年の大河ドラマの主人公が、かなりの大きさで自己主張している上、昨今では常に別格の扱いでスポットライトを浴び続ける土佐出身の脱藩浪士がいないのも今となっては珍しい。
長い年月の経過、そして繰り返し繰り返し読んだ事によるダメージが、確かに本全体に色濃く刻まれている。
補修テープを貼り、タイトルまで書いてくれた親に感謝。
ちなみに私にとっての日本史関連本2冊目が、以前紹介した年号暗記本だ。
漫画から考えるとなかなかの飛躍だが、自分の中ではどちらも面白い読み物という点は共通しており、全く違和感はなかった。
閑話休題。数年後、この漫画の世界史編も買ってもらい、そちらも愛読していたはずなのだが、何故か手元にはもう存在しない。引っ越しの際に紛失してしまったのだと思われるが、今更ながら再読してみたいと思っている。
さて内容だが、「歴史に残る人びと」「文化を広めた人びと」の2項に別れており、大まかに政治・軍事で功績を挙げた人々と、学問・芸術で功績を残した人々でページを二分している。
人物のチョイスも良い。真の意味で、現在の歴史に直結する人材が紹介されている。歴史ドラマ等の創作物は勿論、教科書でも扱いが何故か軽い偉人ばかり。
光明皇后、本阿弥光悦、玉川兄弟、関孝和、本居宣長、間宮林蔵、高峰譲吉、白瀬矗、岡倉天心などの名前を憶える事が出来たのは、この漫画のお陰である(と同時に、これ以降詳しく調べる事もしていないのだが…)。現在の本だったら、近藤勇や武智半平太、直江兼続などにページを取られているかもしれない、というのは穿った見方だろうか。
やはり最初に読んだ歴史本だけあって、受けた影響はあまりにも大きい。
木戸の最期の瞬間、と聞いて真っ先にイメージするのは、未だにこのコマである。いつぞや歴博での木戸孝允展を訪れた際も、勿論この絵が頭の中に浮かんでいた。
かつてこの記事で、思い入れ過剰な文章を書いたのは、まさにこの写真と全く同じ姿を見る事が出来たからだ。
しかし、小学校2年生の時に何度も繰り返し読んだ『日本の偉人まんが伝記辞典』に載っていたその墓を、遂に自分自身の目で見る事が出来たのだ。
沈鬱に佇む墓塔を写した、薄暗い写真。“源頼朝”の頁の最後に載っていた写真だ。忘れようもない。
時を超え、自分の歴史好きとしてのルーツに立ち返ったようなある種の達成感を感じて、しばし感慨に耽った。
こうやって見てみると、白黒ながら写真はそれなりに明るく、「沈鬱な墓塔」という表現は大袈裟だ。訪問当日に受けた印象が記憶にバイアスをかけてしまったのだろう。
そういえば、伝承や創作めいた説を多く取り上げているのもこの本の特徴で、弟の義経のページの最後はチンギスハン説を基にしたイラストで〆られていた。これが許されたのも、今より大らかな時代だったからなのだろうか。
そういった意味では、間違いなく、の本では書けない文言。
この人物のWikipediaを見てみると、同じくこの漫画で取り上げられている高峰譲吉とNYで会った事があるらしい。
この作家を題材に卒論を執筆する事になろうとは、当然この本を読んでいる時に想像出来るはずもなく。
私もこの女子と同じように、「大人になったら、鴎外の作品を読んでみ」たわけだ。今この鴎外のページを読み返してみると、やけに淡々とした内容でいまいち話をまとめ切れていないのが気になる。ネタ切れだったのだろうか。
余談だが、この作者先生は早稲田大学出身らしく、大隈重信のページでは冒頭と最終コマに自身を登場させ、「バカ田大学校歌」を歌う主人公たちを「そんな歌詞で歌ったら大隈先生が悲しむぞ!」と叱り飛ばしたりと、強い思い入れを露にしている。
やはり幼少時に繰り返し繰り返し読み込んだ本の記憶は消えず、その後の人生の指標に少なからず関わりを及ぼしていると実感する。
Twitter and the Monkey Man Autumn 2017 & Winter 2018
昨年のツイートを確認してみたら、11月は全くツイートをしていなかったようです。
どこかに書いた記憶もありますが、自分にとってツイッターは息抜きであり、ちょっとした楽しみのうちの一つでしかないので、誰かと本気で論議したり、自分を売り込むためのツールとしては利用していません。
よって、息抜きのためのSNSでストレスを感じるのは本末転倒なので、気が向かなければツイートしないという形を取るのは自然な事です。
朝ニュースを見た際には「誤報」という記述もあったので、その時はツイートしなかったのですが、突然の事で本当にショックです。40周年のツアー中だった事は知っていたので、変わらず活動を続けていたように見えただけに残念の一言。R.I.P. https://t.co/h038YDmGwn
— ミカ・ラウド (@MicaLaud) October 3, 2017
Wilburysと『Full Moon Fever』しか持っていないけど、ジョージの親友の1人だったし、イベントごとにはよく顔を出してくれていたから、親近感があるんだよなぁ。
— ミカ・ラウド (@MicaLaud) October 3, 2017
またしてもロック界のスーパースターが一人 、別れを告げ旅立っていきました。
トム・ペティ、本国USAでは国民的人気を誇るミュージシャン。勿論、ジョージとの親密ぶりで私は彼を知っています。『Living in the Material World』では比較的若い出演者だったのに、この一報には本当に驚き、ショックを受けました。
Traveling Wilburysも、これで残りは2人。ディランとリンにはこれからも走り続けてほしいと切に願うのみです。
快速ホームに警備員を立たせて人力ホームドアを形成する某駅。さすがに各駅ホーム、しかも駅から数100メートル離れた所で事故が起きてしまっては打つ手無しか。警備が厳重になった分、それを掻い潜ろうとする者もいるようだ。
— ミカ・ラウド (@MicaLaud) October 20, 2017
ホームドア設置工事開始を知らせたのが今年の2月。思わず乗降客が立ち止まってその告知に釘付けになってしまうほど画期的なニュースだったが、その後これといった進展は無し。果たして予定工期内に終わるんでしょうか。
— ミカ・ラウド (@MicaLaud) October 20, 2017
そして、ここからまさかの展開。永遠に終わらないと思われていた工事ですが、遂に先月中旬、快速上りホームにホームドアが姿を見せたのです。
そして、次の週末には快速下りホームにも出現。驚くべき展開を駅の利用者は固唾を飲んで見守っているはずですが、そこから一ヶ月近く経過した今でも、これらのドアは未だに稼動していません…今年中に動けば御の字ですかね。
東名高速の事故、残念ながらああいった手合いが我が地元には多く、身近なところでも似たような事例を聞くため心が痛む。以前どこかの工務店の名を記した車が追い抜き後に急減速してきた事があったが、所属団体の名を背負った上でつまらない争いをするつもりだったのだろうか。未だに真意がわからない。
— ミカ・ラウド (@MicaLaud) October 20, 2017
追い抜きという行為に異常に怒りを沸騰させる人が意外に多いこの世の中、この手の人種が存在するのも確かに事実です。ハンドルを握るという事が、正常な判断力を失わせるのでしょうか。ドライブレコーダーを購入したという話を周囲でもよく耳にしますが、これだけ余裕がなかったり、はたまた危険運転に悦びを感じてしまう人間が多いと、その判断も決して行き過ぎではないのだろうと感じてしまいます。
今年の大河、自分なりに楽しんでいるのですが、いかにもな漫画的に誇張された演技指導があまり肌に合わず。杉本哲太の過剰なまでの驚き演技のみでオチを付けたような回があった序盤に比べれば、ストレスなく観られるようになりましたが。
— ミカ・ラウド (@MicaLaud) October 28, 2017
『おんな城主 直虎』の感想を書いていませんでしたが、一応は一年間観たので十分楽しんだという事になるのでしょうか。
過剰演技やドタバタ演出で笑いを生み出したかったのでしょうが、個人的にはその全てが効果を挙げていたようには思えず、観ていてストレスを感じる事が多々ありました(特に子役で引っ張った序盤)。視聴率の面で苦戦が続く大河ドラマ、反面常に20%近くの高い数字を取り続ける朝の連続小説。そこにあやかるため、大河もどんどん朝ドラ化しているのではないか…と分析しておられる方もいらっしゃいましたが、個人的にも同感です。
SWEP8同様、付いていけない方が守旧派で悪しきものとされるのかもしれませんが、率直に言えば好みではありません。
正月に行った寺が、今日の大河ドラマのロケ地に使われていたようです(住職談)。そこに行くのは初めての事だったので特段詳しいわけでもなく、実際に観てもそんなものかな、という感じでしたが。
— ミカ・ラウド (@MicaLaud) January 28, 2018
そして、正月に訪れたあの寺が再び今日の大河ドラマに登場。前回の登場と似たようなシーン(赤山靭負の墓参り)でしたが、住職は「全2回、どちらも違う場面」みたいな事を言っていたので、当初の予定より登場回数が増えたのでしょうか。
— ミカ・ラウド (@MicaLaud) February 11, 2018
毎週しつこいですが、正月に行った寺が今日も大河ドラマに登場しました。本堂?の屋根らしきものが見えたのが、今までの登場回との違いでしょうか。薩摩での墓地のシーンがある限り、今後も登場しそうですね。住職もここまで何度も登場するとは思わなかったのでは。
— ミカ・ラウド (@MicaLaud) February 18, 2018
先週の『西郷どん』、「拙僧が鈴木亮平さんに直接指導致しました」と住職が誇らしげに語った祈祷シーンがいよいよ登場。しかし想像していたより遥かに時間が短く、あのお寺の関係者も肩透かしだったのでは。むしろ、墓参シーンの方が3回も登場した上に時間も長かったという結末に。
— ミカ・ラウド (@MicaLaud) March 20, 2018
この記事に書いた御寺の事です。
全4回登場したという事になりますが、特にこの御寺らしい特徴的な画というわけでもなかったので、予め伝えられていないとわからなかったと思います。とはいえ、個人的には厄除けをお願いしたお寺がこれだけ何度も画面に登場するとは思わず、なかなか楽しい体験でした。
故郷の風景によく似た長閑な田舎道を歩いたが、恐らくもう一度訪れる事はないだろう。そう考えると、妙に感傷的になる。やけに猫の多い道でした。
— ミカ・ラウド (@MicaLaud) March 30, 2018
酒々井です。訪れようと思えばいつでも行ける場所ですが、アップダウンが激しすぎてもう一度歩こうとは思わない道です。
近くには、こんな名所がありました。
【酒々井町】飯積の大杉/千葉県公式観光情報サイト-まるごとe! ちば-
こういう偶然の出会いにこそロマンがあるというものです。
『空海』、過去に北大路欣也が演じたような伝記的映画かと思いきや、ファンタジー映画でした。当然、期待していた最澄の登場もゼロ。周囲で首を捻っていたおじさん・お爺さん達も私と同じ感想だったと思います。映像と楊貴妃役のチャン・ロンロンは大変綺麗でした。
— ミカ・ラウド (@MicaLaud) March 5, 2018
事前に全く知識がない状態で行ったせいか、正直驚きの内容でした。予想していたものとは大きく違いましたし、正直お金のかけ方を間違った方向に振り切っていた作品という感もありますが、個人的には楽しめました。
中国での公開タイトルは『妖猫伝』という事で、空海を前面に押し出した事が日本の鑑賞者の認識に齟齬を生んでいたように思います。前述の『おんな城主 直虎』でも人気を博した高橋一生がメインキャスト(白楽天=ホアン・シュアン)の吹替えを担当していましたが、なかなか自然な演技で上手いなと思いました。後から彼が参加していた事を知ったくらいです。
単なる八月日記
2018年大河ドラマ『西郷どん』。西郷隆盛が主人公である事も含め、当然ながら興味深く観ている。
いつもならば敬愛する中岡慎太郎の登場回数や時間でやきもきするところだが、『龍馬伝』以降はもう何も期待しない事にしている。今作では嫌がらせの如く龍馬の使い走り役に甘んじているが、もうそういうものだと思って受け入れるしかない。
さて、大河ドラマでは歴史の勝者である西郷の生涯を振り返るわけだが(征韓論以降の人生はひとまず置いておく)、敗者の側にも目を向けねばならないのは歴史を学ぶ上で不可欠である。そこで、新政府軍に上野で惨敗を喫した彰義隊の足跡を辿ってみる事にした。
というのは後付けで、本当は近場の歴史散歩ルートを巡ってみたかっただけである。
内容は、この記事を参考にした。ほぼ丸パクリとも言うが。
まずは、上野恩賜公園からスタート。
いつも西郷の銅像に目を奪われてしまうが、すぐ近くにあるここが彰義隊の墓碑とは知らなかった。不勉強と洞察力のなさを恥じるばかりである。
余談だが、松田優作主演『探偵物語』第5話「夜汽車で来たあいつ」にて、水谷豊と原田美枝子の兄妹が一時の再会を果たすラストシーンのロケ地は、恐らく西郷隆盛銅像の前だと思われる。
今回は予定ルートに入っていなかった(前述記事に含まれていないため)寛永寺。
道を間違えたせいで寄ってしまう事になったが、彰義隊創始の地であり、終焉の地でもある。まるで吸い寄せられるようにここへ来てしまったので、当然寄るべき場所であったという事だろう。
前回訪れたのはこの記事の時だから、何と9年ぶり。時代は流れる。
前回は夕方の来訪だったせいか門が閉まっていたが、今回は中に入る事が出来た。
とはいえ、境内まで入る事は叶わない。そこから先は檀家の方以外入れないのは、前回来た時と同じである。
徳川綱吉の霊廟であり、天璋院篤姫の墓地でもある、という内容の案内板を確認しつつ、次の場所へと向かった。
その目的地である羽二重団子本店だが、Google Mapが示す場所をうろついても全く見つからない。思わず自分の方向感覚の無さや、まともに作動しないスマートフォンを買い換える余裕の無さを呪いかけるが、何という事はない。この店は現在改装工事中で、白い壁に覆われていたのであった。さすがにこれでは気付かない。
工事を知らせる案内に別店舗の利用を勧める文言があったので、そちらに向かう事にした。本来ならば上野戦争にて使用された砲弾が展示されているという事だが、これを確認するのは残念ながら次の機会という事になる。
日暮里駅前にあるカフェ風の店舗にて、団子セットを頂く。餡子の団子を食べるのが久方ぶりという事もあり、大変おいしかった。
前述の記事によれば、生き残った隊士達は本店の羽二重団子の店舗で慌しく着替え、日光・会津方面へと逃走して行ったらしい。その際に団子を食べる余裕は無かっただろうが、開戦前にはきっとここで舌鼓を打つ機会もあったに違いない。
夏目漱石や正岡子規といった明治の文豪達にもここの団子は取り上げられているようで、そういった関連の資料も置いてあった。写真のピントが合っていなかったので今回は掲載しないが、いずれまた行ってみたい。
日暮里駅を降り、JRの線路を眼下に望む高架橋を渡る。更に谷中銀座方面へと御殿坂を少し歩いた先に、経王寺という御寺がある。
街歩き番組の影響か、観光客は多いものの殆どが通り過ぎていたこの御寺。ここにも敗走中の彰義隊隊士が逃げ込んだようだ。
それを生々しく物語るのが、山門に残る無数の弾痕。
これだけはっきりと残っているのは貴重である。京都にて、三条大橋の新撰組によるとされる刀傷や、蛤御門の弾痕も見つけられなかった私だが、このくらい無数に残っていればさすがに発見出来る。戦闘の激しさを雄弁に物語る痕跡だ。
この日も気温はどんどん上昇中で、さすがにこれ以上は危険と判断した。
御参りしてから、山手線に飛び乗り思い出の地である池袋へと向かう。充実した一日であった。