(Revenge of the) United Minds

Talkin' 'bout Music, Football(JEF United Chiba) and More.

Zabrak Slayer

 この広告が何をパロディ化しているかわかるのだから、幾つかのラジオ番組を聴いている意義はあった。

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 正月にこのようなツイートを一旦はしたのだが、気分が変わり数秒後に削除した(最近こういう事が非常に多い)。代わりにブログで取り上げようと思う。

 

 昨年、爆発的ヒットを記録し、今なお多くの人々の話題に挙がっている、あの作品。

www.huffingtonpost.jp

 近年どんどん減っている人との交流がほぼ断絶してしまう状況だったため、昨年は特にこの作品の鑑賞を強要されるような事はなかったが、それでも周囲で話題に挙がる回数やメディアでの報道を目にする機会は非常に多く、ここ20年の漫画・アニメ作品では飛び抜けたパワーを感じた。

 例によって私は観ていないが、親しい友人の多くは鑑賞済みらしく(別に親しくなくともツイッターTL上では毎日必ず誰かが行った関連ツイートを見かける)、我が両親ですら話題にしてくる事もあって、尋常でない事態であることはさすがに理解している。

 かつての多感な時期、とあるアニメ作品及びそのファンに対して複雑な感情を抱いた事もある私。しかし、この作品に対しては特に思うところはない。未知のウィルスに対する恐怖や、それによって生じた閉塞感。そんなネガティヴな感情を、若者をはじめとした多くの人々が一時でもこの作品によって忘れ、一体となって楽しみ、マネーの流れを生み出してくれたのならば、それは大いに有意義な事であったと思う。

 

 そんな中、タイムライン上で見かけたツイートが目に留まった。

「今の小学生で、この作品を知らなかったらかなりハードな毎日になるだろうな」(大意)

 先程確認したら、その方は当該ツイートを削除しておられたが、小学校を卒業してからかなりの時間が経過した私の心にも妙に響いた。何故なら、私自身の小学生時代にこのような一大ヒット作品が存在したとしたら、上記ツイートに該当する少年であった事は間違いないからだ。

 断っておくが、小学生時代は今のように捻くれた性格・嗜好だったわけではない。少なくとも小学校6年生の秋にポップ・ミュージックと出逢うまでは素直に流行に従っていて、周囲の子供達と歩みを共にしていた。

 ただし、ミニ四駆ビックリマンなど、商品を購入する事によってフォローできる流行はまだいい(勿論小遣いの厳しい制約はあったが)。こと継続的なTV鑑賞を必須とするアニメ・特撮作品、もしくは家庭用ゲーム機を必要とするものとなると、まるで付いていけなかった。

 

 多くの家庭がそうだったと思うが、我が実家にはTVが1台しかなく(現在でも同様)、気が弱い私のチャンネル権は家庭内でも最下層に位置していた。父と妹の覇権争いに参戦出来るほどの強いメンタルを持っていなかった私は、当時ゴールデンタイムに放送されていたアニメの継続的な視聴は不可能だったのだ。

 とはいえ、『ドラゴンボール(Z)』も『聖闘士星矢』も『キャプテン翼』も『キン肉マン』も、今回のブームほどではなく、最低限の知識さえあればさほど会話に困る事もなかったと記憶している。

 あえて私の年代での世間を巻き込んだヒット作を挙げるとすれば、『ドラゴンクエスト』シリーズがそれにあたるだろうか。メディアでの取り上げられ方についてはさすがに覚えていないが(後追いで当時の報道を見た程度)、明らかに周囲のクラスメイト達の反応が今までとは違った。沸騰、まさにそんな感じだった。

 過去に何度かブログにも書いたが、ただでさえ目に疾患を抱えている私の視力低下を懸念した親の方針で、ファミコンは我が実家に存在する事を許されなかった。当然、『ドラゴンクエスト』のプレイ経験はないのである。

 私は小学校への登校班の班長だったので、近所の小学生達を先導して歩く立場にあった。下級生及び同級生の喧しいドラクエ話を毎日背後に感じながら、「今、自分は明確に流行に取り残されているのだな」と強く実感した事が忘れられない。それくらい、他のヒットゲームとは周囲の過熱ぶりに明確な違いがあった。社会現象として扱われたのも納得だ。

 

 では、実際に友人達との会話に困り果て、疎外感を覚えるほどに取り残されてしまったのか。決してそんな事はなかったはずである。もしかすると、前述の登校班以外にも心に痛みを負うような経験もあったのかもしれないが、全く記憶にない。仮にあったとしても、楽しかった思い出で上書きされているのだろう。

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 今よりも興味の対象が分散しにくい社会、ただでさえ情報を得る手段が少ない小学生の立場だ。私自身、ファミコンを所有していない事やジブリ映画及びTV番組を観られない(観ない)事でこういう事態には慣れており、上手くやり過ごす手段を見つけていたのだろう。

 何より、友人達が気を遣ってくれたのではないかと思う。親しい連中は皆私の眼の事を認識してくれていたし、帰宅後に様々な視力訓練・食事療法を行っている事も知っていた。それでいて腫れ物に触るような扱い方でなく、最低限の配慮をしながらも当たり前のように接してくれたのだ。小中学生時代は、本当に友人に恵まれていたと今更ながら実感している。

 

 だが、時代は変わった。ツールやメディアの進化は、決して無視できない。

 現在、私が小学生だったら。TVでアニメは観られないまでも、ECサイト等で何とか原作単行本を買うなり、友人に借りるなりの事はしているだろう。それに、現在は安価でストリーミングサービスを利用出来るのである。あの時代より、遥かに選択肢は多い。何とかやり過ごせているような気もするのだ。