25 or 10
3月という事で、どうしても5年前の事を意識せざるをえません。11日が金曜日、下がった気温など、どうしてもあの日を思い起こさせる要素が重なっており、色々と当時の事に想いを巡らせていました。
その数日前、2人の人物が亡くなりました。
The Beatlesを支えたサー、ジョージ・マーティン。彼なくしてビートルズの世界的な成功はあり得なかった、と断言しても良いでしょう。そもそも、メジャーの舞台でデビュー出来ていたかすらも怪しい。それだけ偉大な人物。
才能は間違いなく不世出の天才揃い、しかしそれを理論的に表現する知識は欠けていたビートルズの4人。そんな彼らの発想を具現化し、時には手助け以上の貢献をして名盤の数々を生み出した。クラシックをベースにしながらも、実験意欲と反骨精神の塊。ビートルズとサー・マーティンは出会うべくして出会った存在なのかもしれません。
情報の不足した田舎の少年だった私でも、マーティンの存在はかなり早い時期から意識していました。
この記事の青い本はファンになった初年度に、赤い本は2年後に読んでいたので、当然ながらマーティンの名は頻出。一般的に音楽プロデューサーという職業がどういった役割であるのか、既にこの時点で理解出来ました。そして、サーの貢献度が大きかった事も。
前にこのブログで書いたブートレグにて、いまいち覇気が感じられずミスを連発するメンバーにトークバックで「Take 24!!」と怒鳴り散らしていたのは可笑しかった(実際、完成テイクでもポールが空回り気味な「Hold Me Tight」セッションでの出来事)。
今回の話題とは関係ないですが、ホワイトアルバムのセッションでポテトチップス(多分)を貪り食いながら喋るジョージが何ともお茶目でした。彼が食いしん坊とファンの間で認識されていることを知ったのは、つい最近の話ですが。
ソロになってからのポールとの関係は有名ですが、ジョージのソロ・キャリアとは結局関わりがないままでしたね。ジョージの死後、『Love』にて「While My Guitar Gently Weeps」のストリングス・スコアを書き下ろした事くらいでしょうか。
ジョージとサー・マーティン。両ジョージの関係性は、何だかんだで最初のやり取りに集約されているのかもしれません。
「何か気に入らない事はあるかね?」
「そうだな……まず、あんたのネクタイが気に入らない」
生意気な少年のきつい冗談、サーは逆にこの一件でビートルズを気に入ったという有名な話。皮肉屋ジョージとジョーク好きのサー・マーティン、2人の個性がよく表れたエピソードです。いくつかのビートル本では、何故かジョンが言った事になってたりしますが。ちゃんと調べてから書きましょうね。
ビートルズ以後は特に意識して彼の音楽を聴いた事はありませんでしたが、Gerry & the Pacemakers「You'll Never Walk Alone」, Cheap Trick『All Shook Up』, Ultravox 『Quartet』などプロデュース作だと知らずに作品を買った時は、そのサウンドに説得力を感じたものです。
死因は不明ですが、90歳。ここまで長きに渡りありがとうございました、という言葉しか出ません。スコセッシ監督作品『Living in the Material World』特典映像での笑顔がとても印象的でした。
シンガー・ソングライター村田和人さんがんのため死去、62歳 : スポーツ報知 https://t.co/eWqoNawEqq 朝から大きなショックを受けたニュース。ご冥福をお祈りします。
— ミカ・ラウド (@MicaLaud) 2016年2月23日
村田和人氏とは、前職時代に何度もお話する機会があった。私の無知ゆえに無礼な発言もしてしまったと思うが、いつも笑顔を絶やさないナイスガイだった印象しかない。自身のアルバムの紙ジャケ再発の際も、わざわざ私を探してまで伝えに来てくれた事もあった。
— ミカ・ラウド (@MicaLaud) 2016年2月23日
最終的に心身のバランスを崩して辞する事になった前職の、数少ない良い思い出の一つ。私程度がこれほど打ちのめされるくらいだから、氏のレッスンを当時受けていた生徒達はもっともっとショックなんだろうな。
— ミカ・ラウド (@MicaLaud) 2016年2月23日
既にツイッターで書いた通りです。僅かではありますが、直接私の人生と関わった人の死はショックでした。
村田氏は、私の勤務先の練習スタジオで個人レッスンを行っておられました。私のスタジオ勤務は数ヶ月で終わりを告げましたが、その後も人の少ない夕方だけサポートで入る事もあり、その時期に毎週村田氏の姿を見ていました。
同僚が氏の経歴を把握していたかまでは知りませんが、個人的に調べてみてびっくり。鈴木茂、山下達郎と肩を並べて演奏しているバリバリの現役ギタリスト/シンガー・ソング・ライターだと知って急に畏まった記憶があります。
その事についてお話した時、失礼な事も言ってしまいましたが、少しは話が出来る人間だと思ってもらえたのかもしれません。自身の作品の紙ジャケ再発のニュースを、別のフロアで働いていた私の所までわざわざ伝えに来てくれた事には感激しました。
いつしか氏が来訪する時間とも合わなくなり、私もストレスが限界を超えて退職。それ以降は「杉真理とコンビを組んで活動している」という情報を聞いたきり、かつて会話を交わした事すら遠い過去の記憶へと移ろっていました。そして、再びその名を聞いたのが今回の訃報。ショックは大きかったです。
前職時代は辛い思い出ばかりでしたが、それでも無駄ではなかったと思うのは、多くの友人と出会えた事(殆ど疎遠になってしまった人ばかりだけど…)、そして村田和人氏や加藤和彦氏とほんの少しだけでも会話出来た事が大きいです。
両名のご冥福をお祈りします。
実はジョージ・マーティンの動く姿も早い時期に見ています。中2の頃、(当時ビートルズのコピーバンドを組んでいた)友人が録ってくれたNHKの特番を何度も鑑賞したから。
わざわざタイトルまで書いてくれたけど、スペルが間違ってる…でもありがとう。
試しに久々に再生してみましたが、画像が表示されず。写真でも少しわかるかもしれませんが、テープにカビが生えているのが原因のようです。本当にビデオテープは脆いですな。
内容は記憶を辿るしかありませんが、覚えている事項を箇条書き。
- スタジオ司会は財津和夫、岡部まり。ゲストに浅井慎平。当然ながら来日時の事を話していたと思われる
- 映像のナレーションは江守徹
- ジョージ・マーティンの吹き替えは柳生博
- 『Revolver』のジャケットを嘗め回すように接写したり激しく動かしたりしながら、「Tomorrow Never Knows」がほぼフルで流れる(映像に変化がなく、退屈なのでいつも飛ばしていた)
- ビリー・プレストンが白いグランド・ピアノで「Get Back」を弾く
- エンディングに財津が浅井に1曲リクエストを訊き、浅井が「じゃあ夜だから、あんまりうるさいのはあれだから…『Something』を」と回答。「ああ、ジョージ・ハリスンの…」と何故か若干残念そうな財津。ポールの曲じゃないから?
検索してみたところ、この映像はかの有名な『The Complete Beatles』をほぼ半分近くまで短縮編集し、NHKが財津・岡部・浅井3氏のトークを加えて番組化したものだそう。道理で内容に物足りなさを感じたわけです。
私は世代的に『Anthology』がビートルズの映像ヒストリーとしての決定版となった時代のファンなので、『The Complete Beatles』は未だにフルで観た事がない、という事になります。まさかカットされていたとは、20年以上経った今まで知りませんでした。
映像内で随所に登場するサー・マーティンは、ビートルズの活動していた時代から殆ど見た目が変わっておらず、若々しいままだなぁと思った事を思い出します。
どの写真にも自信に満ち溢れた表情で写っているサーは、英国紳士然としたルックスもFAB4の先生役として引けを取らないフォトジェニックでしたね。