(Revenge of the) United Minds

Talkin' 'bout Music, Football(JEF United Chiba) and More.

時代遅れの城があったら殴って壊す。近代的な城がなければこの手で造る。

 夏の始めに行った場所は、出来るだけ夏のうちに記事にしておきたい。

 

 本田忠勝が関東に入城した際、最初に拠点としたのが根古屋城。元々は武田氏が里見氏の来襲に備えるため、重要な防御拠点として築城されたとされています。
 そもそも忠勝がこの地に移封されたのも、里見氏の脅威に対する抑えとするための意図があったから。譜代大名として家康からの絶対的な信頼が窺える人事ですが、それだけ里見氏というのはこの地を納める歴代武将にとっては頭の痛い存在だったのでしょう。やるじゃないか、里見氏。

  この城址は、千葉テレビで紹介される度に気になっていました。広い高台から眺める大多喜城天守や周囲の風景は、さぞ気分が良いものだろうと思い、いつか自分の足で訪れてみたいと思っていたのです。今夏は機会があり、遅い梅雨明けの暑い盛りに徒歩で目的地を目指しました。

 

 道を間違え、体力を消耗しながら到着。水田の中にある高台の端に、それらしきものがあります。

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 周囲は民家に囲まれており、高校野球中継の音が大きめに漏れ聞こえてきます。しかもこの史跡の前には、堂々と路上駐車されている始末。不恰好になるため、路上の車の影が入らないように工夫する必要性がありました。

 このスペース自体が私有地なのかもしれませんが、せっかくの歴史的な場所がこんなぞんざいな扱いで大丈夫なのか…。

 

 期待に胸を高鳴らせ、階段を上った先に待っていた風景は…。

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 こちらの勝手な想像とは大きく異なる、小さな敷地。しかも雑草が処理されているのかいないのか、爬虫類が跋扈する夏場に入るには少々勇気のいる状態。

 

 千葉テレビで見た風景は何だったのか…と困惑しつつ石碑を見る。

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 どうやら、根古屋城はここで間違いないようです。

 

 自分の中で想像だけが勝手に膨張していたようで、実際の城址は非常に小規模なものでした。

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 とはいえ、申し訳程度に置いてあるベンチから大多喜城を臨む事も可能です。

 

 忠勝は入場した際、ここが近代戦には向かず、拠点としては貧弱であると判断して新たに山の上に築城。これが大多喜城となります。この時点で根古屋城はお役御免となり、廃城となったとの事。
 中世の作りで当然天守や堀もなく、建物としても小さいものだったのではないでしょうか。それは周辺の土地の広さを見ても、容易に当時からの状況がわかります。
 そう考えれば、こうして史跡として残してもらえているだけでも御の字なのかもしれません。さすがに前に路上駐車しているのはどうかと思いますが。

 

 あまりの暑さと予想とかけ離れた面積、そして雑草に気を取られたせいで特にこれといった思索を巡らせるわけでもなく、さっさと退散。大多喜城を横目に、街中のコンビニへと涼を求めて行軍を続けるのでした。