(Revenge of the) United Minds

Talkin' 'bout Music, Football(JEF United Chiba) and More.

10 Years

 10年という歳月は、一つの区切りであると思う。
 東北と関東地方に、いや、日本に住んでいる人々なら忘れようのない記憶。10年前のあの日に私も当事者になり、いくつかの強烈な出来事との遭遇を余儀なくされた。喉元過ぎれば…という諺があるが、今年もこの災害を起因とする大きな余震があったばかり。「熱さ」は「忘れ」ようにも忘れられそうにない。
 それだけ人生を揺さぶる経験だったし、あの日からこういう考え方を常にせざるを得なかったのだ。元々災害には敏感な方だと思っていたが、あの日あの瞬間まで自分はまだまだ甘かったと痛感した。

 

 あの日は、とある友人と午前中に千葉県内で短時間ながら顔を合わせた。前々から約束していた事であり、「それでは、3月11日の午前中に会いましょう」というやりとりもTwitterのDMに残っていた。現在はTwitterのルールが変わり、過去のDMは閲覧出来なくなってしまったが、たまにそれを見返しては現実の恐ろしさを再認識していたものだ。その友人とは互いに生活環境等が変わったこともあり、あの日以来一度も顔を合わせていない。
 予定では翌日に別の友人達と楽しい集まりがあり、翌々日に大きめの仕事が入っていた。もしかしたら自分の人生を変えるのではないか、とまで意気込んでいたものであり、当然準備は周到に進めていたものだ。

 

 その瞬間は、帰路だった。自室から近くのとあるオフィスの前を通っている時だ。そこの庭にある観葉植物が、激しく横に揺れているのを確認したものの、実はまだその時点では何が起きたかに気付いていない。
 私が揺れを体感したのは、その数秒後。先ほどのオフィスから家1軒を超えたところだった。ただ事ではない揺れ。走行中の乗用車が次々に路肩に駐車し、空いた道の先の橋が、いや道路全体が水飴のようにグニャグニャと曲がって見えた。
「掴まりましょう」
 自分が言ったのか、いつの間にか傍らにいた女性が言ったのかはわからない。お年を召したその方と私は街頭の柱に掴まり、揺れを凌いだ。
「大きいですね」
「震度いくつくらいでしょう」
「長いですね」
 揺れの間中、そんな声を掛け合いながら耐えた。地震の多い千葉県に生まれた私だが、だからこそこの災害には昔から過剰なまでに反応し、恐れる性質だった。この会話のお陰で、何とか正気を保てたと言っても過言ではない。
震源は、東北みたいです。宮城が凄く揺れたみたいですよ」
 携帯電話で災害の状況を調べ、こんな事を言った記憶があるので、揺れが収まった後もしばらく会話を交わしたのかもしれない。ただしこの私の認識は間違っていて、この時の揺れは直後に起きた茨城県沖の余震であったはずだ。その震度がまだ表示されていなかったのだろう。
 この時声を掛け合ったこの女性とも、この日以来遭遇した事はない。お互い近所に住んでいるはずなのだが、何とも不思議な縁だと思う。

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 この時でも、まだ事の重大さには気付いていなかった。日本が未曾有の危機に突入したと実感するのは、崩壊した棚から飛び出たCDで埋め尽くされた自室の惨状、そしてすぐさまスイッチを入れたTVに映し出された、尋常ではない自然の猛威を見てからであった。

 

 事態が深刻になるのは、むしろここからであった。今更ここで書き連ねるまでもないだろう。度重なる巨大余震、そして全く制御出来ない原発…日々襲い来る衝撃的な現実に、毎日呆然と、かつ緊張に体を強張らせて生きていた。
 日々、想定通りに過ぎていく生活。それが、たった1分程度で粉々に砕かれてしまう。事実、自分はあの瞬間準備してきたものが全て水泡に帰したのだ。日常というものの脆さは認識してはいたものの、いざ目の前でそれが現実になると、狼狽えるしかない自分の弱さを実感した。
 ここまでは何とか凌いできた、でも5分後はわからない。少なくとも2011年の6月までは、30分おきに各地の地震状況をチェックしていたと思う。故郷が心配だったからだ。

 

 災害の2日後、「ここから復興すればいい、日本人は礼儀正しい」と既に次の展望を語っているラジオ番組に違和感を覚えた。勿論言っている内容に間違いはないが、まだ始まったばかりではないのか。事実、そこから毎日起こる巨大余震、そして切迫する原発の状況、そしてもっと身近なところでは品不足や買い占めへの対応に神経をすり減らす日々が始まったのだ。
 そして、未だ復興の道半ばであり、原発もコントローラブルであるとは言えない現状を考えれば、10年経った今でもまだ終わっていないのではないかと思う。

 

 当時、精神的に余裕はなく、ブログは12月まで更新しなかった。よって、こういった形で振り返ったのは初めてかもしれない。勿論、今回とて全ての体験を書いたわけではないが、一つの区切りだと思って文章にしてみた。
 10年一昔。変わったもの、変わらないもの、両方存在する。だが確かなのは、あの体験を今後も忘れることはないであろうという事だ。

 

 東日本大震災で被災された全ての方にお見舞い申し上げます。