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先々週に訪れた、太田道灌の古戦場跡。
この日は江古田に用事があり、あくまでそのおまけとしての来訪でした。
しかし、ナビが示したのは西武新宿線の江古田駅からはかなり離れた場所。いざ着いてみれば史跡の管理自治体は練馬区ではなく中野区。この近辺の地名も「えこだ」「えごた」と読むようで、辺りの地理に明るくない者としてはちんぷんかんぷんの状態。
帰ってからWikipediaに助けを求めると、こんな記述がありました。
西武池袋線には江古田駅が存在し、駅周辺一帯も江古田と呼ばれることが多い。現在、江古田駅は練馬区旭丘にあり中野区江古田からは離れている。これは、練馬区旭丘が1960年(昭和35年)の町名変更まで江古田町であったことに由来する。もともと、江戸時代に多摩郡江古田村の新田として開発されたものである。
さすがにこれは調べなければわからない…千葉県の過疎地域出身者の付け焼き刃の知識では太刀打ち出来ません。
確かなのは、「江古田」という地名の発祥にも太田道灌が関わっているらしい事。彼の足跡を巡る旅を行うのなら、避けては通れない土地だったという事です。
この日は自転車移動であり、このような未知の土地でも移動にさほど苦労を感じずに済みました。いつものように電車と徒歩を駆使した訪問では、こうスムーズには運ばなかったと思われます。
仮に江古田駅から歩いた場合、マップ通りで2kmの道のり。大した距離ではありませんが、勝手のわからない土地や暑さという減点ポイントを考えれば、往復がそれほど楽ではなかった事は容易に想像出来ます。
古戦場跡に向かう途中に見つけた施設。
私が上京後初めて行ったアルバイトの同僚に、半年休み無しで働いて残りの半年を世界各国の旅に費やすというロマン溢れる人がいました。彼が訪れたばかりのチベットの風景の素晴らしさを語っても他の仲間には暖簾に腕押しの中、『Seven Years in Tibet』を観ていた私だけが話題に付いていく事が出来、しばし心を通わせ合った事があります。
そんな昔の記憶を思い出させるこの施設。もう名前も忘れてしまいましたが、彼は今でも旅を続けているのでしょうか。
この日は数日前からの天気予報が外れ、15時過ぎから雨の予想。とにかく早く用事を済ませなければならず、Google Mapが割り出した最短距離で移動しましたが、大通りを通るので歩道が狭く、交通量も非常に多い。本来なら人気の少ない裏道を通りながらじっくりサイクリングを味わいたかったのですが、天気には勝てません。神経を尖らせながら、南とか往復してきました。
それでも、見知らぬ土地を自転車で訪れるというのは楽しいものです。「田圃と急な坂道しか知らなかった田舎者が、今東京を自転車で走ってるよ!」と妙な感激に打ち震えていました。普段は、もっと都心を走行しているのにも関わらず。
その田園風景を走りながら高校に通っていた時代、訪れた事のある江古田駅。
よくある「大学のある街の私鉄の駅」そのものの佇まいです。さすがに前回訪れたのがあまりに昔の事なので、もはやどんな外観だったのかすら覚えていません。
こちらは、明らかに変化している事がわかりましたが。
私の知っている校舎の面影は、もはや全く存在しませんでした。
帰りに立ち寄った駅の近くの古本店や、商店街の入り口にあった喫茶店などを覚えているのですが、それらしき店は見つかりませんでした。もしかすると、喫茶店の方は爆笑問題の話を聞いて勝手に想像していただけなのかもしれません。
この日の昼食にと狙いを定めていた蕎麦店に入るも、ネット上の口コミに記されていたトリッキーなメニューは期間外。目当てが外れ、少々がっくりしながら頼んだカレー蕎麦は、想像以上にガッツのある量でした。例えば10年前だったら余裕で平らげていたのでしょうが、あれからの年月で老いた分、胃袋はかなりギリギリ…しかし非常においしかったので、いずれ再訪します。