(Revenge of the) United Minds

Talkin' 'bout Music, Football(JEF United Chiba) and More.

Attack of the Dohkan's

 以前、当ブログでも繰り返し取り上げた太田道灌の足跡。

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 今までは彼がその名を歴史に刻み付けた「江古田・沼袋原の合戦」の本陣、及び敵方である豊島氏に対する追撃戦の史跡を巡りました。
 この度機会があり、合戦のメインの戦場跡を訪れる事が出来たので、簡単に報告します。

 

  元々、源頼朝登場以前からの源氏の家人だった豊島氏。その歴史は平安時代まで遡り、前九年の役保元の乱にも源氏方として参戦したというから驚き。
 石橋山の戦い以後に従った千葉、上総といった武将の比ではなく、まさにナチュラル・ボーン・御家人。源氏再興を期して挙兵した頼朝に重用されるのも当然でしょう。その勢力を室町時代まで維持し、武蔵野の支配と開発を一手に担っていたとの事。

 その豊島氏が古河公方足利成氏に、道灌擁する太田氏が関東管領の上杉氏に付き、それぞれが対立した事で乱が勃発する事になります。

 練馬城周辺に放火した道灌に対し、全軍で迎え撃つ豊島氏。その激突の舞台がこの江古田原でした。

 道灌は予めこの合戦場近辺に兵を忍ばせ、挑発を繰り返しながら豊島軍を戦いやすい(相手方に地の利の少ない)平場に誘き寄せる。その策は奏功し、道灌は大勝。豊島氏は居城の石神井城に敗走し、最期の時を迎える事となります。

 

 徳川家康以前の江戸、武蔵国の趨勢を決定的に変える事となったこの合戦。

 その後、力を持ちすぎた事で主人の上杉氏に疎まれ、道灌自身も討たれるという結末を迎えてしまう。この合戦で争った両者とも、ハッピーエンドは訪れなかったわけです。

 

 現在、この古戦場碑は哲学堂公園という憩いの場に置いてあります。

 かなり広い敷地。交通工事関係の方が、ベンチでスポーツ新聞を広げながら休んでおられました。

 

 すぐ側を流れる妙正寺川の流れも、なかなか雰囲気があります。都内の川らしく、特有の臭いがありますが。

 古戦場碑の背後には江古田川との合流地点があり、治水施設もかなり大がかりなもの。どちらの川も大きなカーブを描いており、それこそ太田道灌の時代よりも前から氾濫が頻繁に起こっていたであろう事は容易に想像出来ます。すぐ傍に整地碑が置かれていたのにも納得。

 

 夏らしく、碑に止まる蝉の姿も。

 実は、ここに来るのも一苦労でした。いずれ、改めて顛末をブログに記します。

GOOD, BYE (Can you dig it)

 2004年リマスター版が突如として再プレス、及びその売れ行きの好調さで、デビュー40周年のアニバーサリー・イヤーを前に盛り上がりを見せつつあるThe Good-Bye周辺。

 その流れを更に決定的なものとすべく、バンドのプロデューサーである川原伸司氏がトーク・イベントを約3年ぶりに開催。当然ながら、私も参加した。

 

 

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I will do what I must.

 EP3と4の間、タトゥイーンで過ごしたオビワンの人生が、いよいよ明らかに。

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  オビワン役のユアン・マクレガー、アナキン役のヘイデン・クリステンセンの再登場により、ディズニーによるスピンオフ作品の中でも大本命といった感があります。既に公開から数日が経過しましたが、厳しいSWファンの評価は如何に。

 

 絶賛された『マンダロリアン』、特に評判を聞かない『ボバ・フェット』と、特に視聴者の感想を探る事もなく作品評が把握出来てしまいます。これだけ注目を集める『オビワン・ケノービ』の事、出来の如何を問わず何かしらのレビューは目にする事でしょう。
 個人的にはプリクエルをリアルタイムで体感した世代であり、自分の中でのSW最高傑作はEP3だという事を何度もこのブログで書いてきました。当然、ユアンやヘイデンが登場したEP1~3への思い入れは非常に強い。今はただ、シークエルのように過去の作品を否定する悲惨な内容にならない事を願うだけです。

 

 今回の『オビワン』に関するプロモーションの中で、一際目を引いたのが森川智之浪川大輔両氏のメディア露出の多さでした。


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 『鬼滅の刃』等アニメ作品のメガ・ヒットで、声優をクローズアップする方向に世間の趨勢も変わった事を示しているように感じました。両氏のファンを、SWに呼び込むプロモーションも兼ねているのでしょう。

 プリクエルから『クローン・ウォーズ』『反乱者たち』と、約20年間オビワンとアナキンの吹替を継続して担当してきた両氏。当然、2人の声にはポジティヴな印象しかありません。ずっと2人がどうSWに向き合い、取り組んできたのかを知りたいと思っていたので、今回このように脚光を浴びているのは歓迎すべき事態です。

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 90年代までのように、各TV局が独自の吹替キャストを揃えるという方式も勿論素晴らしいのですが、この2人はルーカス・フィルムが直々に選んだキャスト。葵の御紋のような説得力があり、事実それだけの演技を聞かせて続けているのは凄い事。

 

 オビワン、ヴェイダー、オーウェン・ラーズなど旧作キャストがそのまま出演したキャラクターが白眉なのは当然として、個人的には大尋問官が初の実写化でどのように描かれるのかに注目しています。

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 アニメ『反乱者たち』にて、生き残りのジェダイ(パダワン)であるケイナンと、その弟子であり主人公であるエズラを情け容赦なく追い詰める男。シーズン1は、彼との決闘がストーリーのクライマックスとなっています。

 身を隠したジェダイを捜し出し、粛正を行う尋問官という銀河帝国のシステム。当然ながら、EP3以降にSWがルーカスの手を離れてから生まれた設定。

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 オーダー66を逃れたジェダイの数は少なくないようで(スピンオフが生まれる度に増えるし、今後もこの流れは続くだろう)、それらを全てヴェイダー1人に任せるのはさすがに無理があります。いくら人材を使い捨てし、関わる者の殆どに過酷な労働環境を強いている帝国とはいえ、それくらいは弁えているでしょう(そう言い切れないのが帝国の恐ろしさでもあるのだが)。合理的な存在として、尋問官が生まれるのは必然であったと思います。

 そんな尋問官達を束ねるこの大尋問官、その種族はパウアン。オビワンがオーダー66に遭難した惑星・ウータパウの出身であり、元々はジェダイ聖堂を警備するテンプル・ガードでした。彼が実はフォースの探求を行う思慮に満ちた人物であった事は、『反乱者たち』にてケイナンが幻視したヴィジョンの中で示唆されています。
 ゲーム『フォールン・オーダー』では、尋問官の多くが元ジェダイの離反者、もしくは捕らえられて拷問により洗脳されたパダワンである事が明らかになっています。
 実写で描かれる事で、未だに謎の多い尋問官達の詳細が明らかになるかもしれません。

 ティザー映像を観る限りでは、ちょっとコスプレ感が強い気もしますが…。

 

 他にもアソーカ、キャプテン・レックス、コマンダー・コーディなど、アニメ作品も欠かさず観てきたファンへのサービス的なカメオ出演がある可能性も。
 モールの登場は『反乱者たち』でのオビワンとの再会が台無しになるので、出来れば避けて欲しいところですが。

 

 ユアン自身は、今後もこのシリーズを続けたい意向があるようです。全ては、現在公開されているシリーズの評価次第でしょう。
 リーアム・ニーソンは劇場公開作品ならばクワイガンを再演しても良いと言っているらしいので、是非今回のドラマをステップにそこまで繋げて欲しいと願います。
 EP3の最後でヨーダがオビワンに告げた、クワイガンとの霊体化のためのトレーニングは是非映像化して頂きたい。

 

 こうやって続々と気になるスピンオフ・ドラマが制作され、拡張を続けるSWユニヴァース。なかなか逃れる事は出来ません。

Good-bye, good-bye, good-bye, good buy?

 先月、ツイッターのTL上にて表示されたこのニュースに度肝を抜かれた。

The Good-Byeデビュー40周年を控え、生産中止により長らく入手困難だったThe Good-Byeと野村義男の作品11タイトルが、待望の再入荷!

The Good-Byeデビュー40周年を控え、生産中止により長らく入手困難だったThe Good-Byeと野村義男の作品11タイトルが、待望の再入荷!

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 何の前触れもなく、電撃的に行われたThe-Good-Bye作品の再発。まさかこのタイミング(デビュー40周年の来年ならばまだ理解出来るが)でこのようなプロジェクトが動くとは思わず、ただただ驚くばかりだ。タワーレコードは独自にこのような再発プロジェクトを動かす印象があり、非常に頼もしい。今後も、要望がありながら埋もれたままの作品に是非陽の目を当てて頂きたいものである。

 今回のためにリマスターや曲目の再構成等が行われたわけではないので、正確には2004年リイシュー盤の再プレスである。だが、この時の再発はボーナス・トラックもほぼ完璧に網羅した決定版であったので、これ以上付け加える音源もないのではないかと思う。再プレスされただけでも非常に有意義な事だ。

 2020年代の音にリミックスされたThe Good-Byeの音(それこそThe Beatlesの50周年プロジェクトのような)も聴いてみたくもあるが、この再プレスだけでもかなりミラクルな出来事なのだ。ファンの端くれとして、この状況を喜びたい。

 今回のプロジェクトのために動いて下さったThe Good-Byeメンバー・スタッフ、タワーレコードやビクターの関係者に、改めて感謝致します。

 

 以前、“The Good-Byeのジョージ・マーティン”である川原氏のトーク・イベントにて、僅かな時間ながら直接言葉を交わした私。

 そこで受けた感銘の深さについては、このブログでも当時触れた通りだ。少しでもこの時の恩に報いたく、購入報告ツイートなぞしてみたが…。

 拡散力無し、無念。せめてこうしてブログ記事を書く事により、ネット上での検索に僅かでも引っ掛かる事を願うとする。

 

 私がこのアルバム購入のためにタワーレコード秋葉原店を訪れたのは、同店舗による告知ツイートから5~6日程度経ってからだった。

 既に、この時点でツイート中の写真にある特設コーナーは見当たらなかった。それはおおよそ想定内であったが、どこを探してもThe Good-Byeのアルバムが見付けられないのだ。邦楽「く」「さ」の棚は勿論、J事務所のコーナーや昭和アイドルの企画棚にも1枚も存在しなかった。本当に、私が買った野村氏のソロ『待たせてSorry』1枚のみしか置いていなかったのだ。

 他に置き場所があったのかもしれないが、ここは本田圭佑並みのポジティブさで「この時点で店舗在庫は全て売り切れていた」と捉えたい。

 事実、とある方に教えて頂いた情報によれば、再プレス盤のインストア日にはタワレコのデイリー・チャート上位に4枚がランク・インするという快挙を成し遂げたらしい。

 私の秋葉原店来訪日の時点でも、上記ランキングのBest10にチャート・インした4枚

(ベスト『Ready! Steady!! The Good-Bye!!!』、1st『Hello! The Good-Bye』、2nd『Good Vibrations』、4th『4 Sale』)に加え、最高傑作と名高い5th『Fifth Dimention』がタワレコECサイト上で品切れ状態だった。それだけのセールスがあった事は疑いようのない事実であり、またそれだけ今回の再プレスにニーズがあった事を示している。

 こうなれば、残り5枚のセールス・ポイントを私が文章にし、少しでも販促に助力出来れば…と考えていたが、この記事を書き始めた際に再びチェックしたところ、全作品の在庫が復活していた(2022年5月14日時点)。タワレコの並々ならぬ気合が感じられ、嬉しく思う。

 

 こうして、ようやくThe Good-Byeの全アルバムが高額なプレミア価格設定等で不当に搾取される事なく、正規価格で入手出来るようになった。素晴らしい事だ。

 アイドルというフィールドに集められた4人の若者がプロデューサーに導かれ、音楽を好きだという気持ちを屈託なく前面に押し出して作ったポップ・ミュージック。1980年代の厳然たる体制であった歌謡界に怯む事なく食らい付き、先人達へのリスペクトや遊び心を味方にして続けた挑戦の軌跡が、残された10枚のアルバムへと刻まれている。

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 1960~80年代のロック、ポップ好きなら、騙されたと思ってベストだけでも聴いて頂きたい。本秀康先生入魂のジャケも素晴らしいこの2枚組アルバムを、半信半疑ながらも現住所近くのCDショップ(12年以上前に閉店済み)で購入したあの日。ここから、私の中でのThe Goo-Bye史が始まった。

 

 今回の再プレスを知った時、思い出したのは前述の川原Pトーク会で発言されていた若者の事だ。

 何と彼女は、高額なプレミアが付いている2004年のリマスター盤を買い集めているのだという。しかし、あまりにも入手困難であるため、まだコンプリートには至っていないらしい。

(中略)

 そういった苦難の道に挑んでいる彼女が出したからこそ、「興味を持った若者がThe Good-Byeの音源に触れられるよう、CDでも配信でも気軽に聴けるようになってくれると嬉しいです」という要望は弥が上にも説得力を増した。

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 この方だけでなく、今回の再プレスをきっかけに多くの方がThe Good-Byeの音楽に触れ、アルバム全作をコンプリートする勢いで購入して下さる事を祈る。勿論、最新作である『Special ThanX』も1980年代の作品に勝るとも劣らない名盤なので、そちらも是非チェック願いたい。

All those years ago

 かつて、このブログで新バンドの結成を発表した事があります。

blog.goo.ne.jp

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 覆面バンドではないけれど、Traveling Wilburysに倣ってメンバーはWilbury姓を名乗ろうというルール。誰が決めたわけでもなく、それぞれが敬愛する人物のファースト・ネームを拝借する事となり、私は"Ivica Wilbury"という名を設定しました。
 Georgeと名付けてはあまりにストレートすぎるため、哲学者のようなボスニア・ヘルツェゴヴィナ出身のサッカー指導者の名を借りました。この時、自分にとってイヴィツァ・オシムという人は、ジョージに匹敵するほどの敬愛、尊敬の対象だったのだと自らの行動で気付かされたわけです。

 余談ですが、この「敬愛する人物のファースト・ネーム+Wilbury姓」という名付けルールは、このバンド結成の翌年にジョージの息子ダニーが"Ayrton Wilbury"(F1ファンであるハリスン父子のアイドルの1人、アイルトン・セナからの引用である事は明白)を名乗ってTraveling Wilburys再発プロジェクトのスタッフ欄に名を連ねるに至り、本家に逆輸入されることになるわけです(単なる偶然ですが)。

 

 閑話休題。かつて残留争いを繰り返すだけだったジェフユナイテッド市原(・千葉)を、どん底から引き上げ(前任者ベングローシュ、前々任者ベルデニックの功績も忘れてはならない)、日本サッカーにエポックを起こすほど革命的な指導でサッカーの可能性を示した存在。

 「日本らしいサッカー」という見果てぬ目標を提示し、「考えて走るサッカー」は競技自体の見方すらも変えてくれました。     
 私自身、理想のサッカーは彼が率いていた時代のジェフであり、未だにその時代の事を物差しとして見てしまっている事は否定出来ません。

 

 2005年と2006年、私にとっては怒濤の日々でしたが、それは彼が率いていたジェフにとっても同じだったでしょう。
 就任4年目、いよいよオシム・サッカーの集大成として期待された2006年シーズン。ワールドカップによる中断前まで、躓きがありながらも明らかに完成度が他シーズンとは別格だったジェフ。今年こそ、いよいよ…と思った矢先、待っていたのはあの茶番でした。

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 あまりにも偉大な指導者を失ったクラブのその後は、ここに書くまでもないでしょう。

 

 サッカー指導者としては勿論ですが、私が心酔し、共感していたのはこの人の人間性でした。

mainichi.jp 平和の希求、民族主義の台頭への危惧、民族融和による共生の重要性、差別への断固たる態度、自身をコスモポリタンだとする姿勢。
 彼の発言に影響されたわけではなく、私自身ずっと考えていた事ですが、彼が語るからこそその言葉には説得力が生まれ、多くの人に届いたわけです。
 それは、自身がユーゴスラヴィア紛争の戦火に巻き込まれ、過酷な日々を過ごしたからこそ至った考え方なのでしょう。「分裂前のユーゴは、民族が融和した国家だった」と語っていた事が記憶に残っています。
 しかし、世界は彼の理想とはどんどんかけ離れた方向に向かっている。非常に残念な事だけど、生きている我々がそれを諦めてはいけないと思っています。

 

 こんなLINEニュースが着信した時は、本当に目を疑いました。
 誰にだって、いつかこの時は来る。それでも、あまりにも大きな存在を失ったのも事実。

 当然、あまりのショックでしばし動く事すら出来なかったのですが、私にはいくつか向き合わなければならない問題があり、悲しみに浸っているわけにもいきません。
 今回もツイッターでは触れず、ブログのみで想いを表明する事も考えましたが、時間も夜更けだった事もあり、TLにさして影響も与えないだろうとさりげなくツイートする事にしました。

 しかし、眠る前に表示されたこのツイートの写真で、一気に視界が雲って…。

 かつてよく目にしていたこのジャージと笑顔が、帰らない日々を実感させ、喪失感を募らせるのでしょう。今こうして文章を書いているだけでも、鼻や目に力を込めてやり過ごさなければならない始末。

 しばらくは写真を見たり、エピソードを読んだりする度、こんな事が続くのでしょう。忘れる事はありませんが、慣れるしかないのです。
 正直、自分自身がこの反応にかなり驚いています。それだけ思い出は美しく、存在は大きかったのだな、と。

 

 現在、世界にも、私自身にも問題は山積しており、いつまでも過ぎ去りし日々に想いを馳せているわけにはいきません。

 この世に生きた確かな証を残すため、私は歩み続けます。自分の想いに迷いが生じた時、残してくれた言葉を道標にさせて下さい。


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 イヴィツァ・オシムさん、今まで本当にありがとうございました。

From this day on you are comic artist with an "A"

 自分にとって、小学校2年から6年生の途中までの将来の夢は漫画家だった。
 勿論、漫画家を将来の職業として自分の根幹に定めたところで、これといった専門教育を受けたわけではない。ペンタブレットClip Studio PaintPhotoshopも当然存在せず、現在の子供達のようにTwitterやPixivなどで腕試しが出来たわけでもない。ただ、自分の中に漠然とそういった夢を抱いていただけだ。

 

 私は仲間内では週刊少年ジャンプを読み始めたのは早い方であったが、マンガを愛好したのはその手の少年マンガがきっかけではない。それよりも前に『ドラえもん』を入り口にして、藤子不二雄作品に強い憧れを抱いたからである。
 御大を範とした漫画道を歩むためには、まずは形から。当時もっとも親しく、私以上に藤子不二雄作品に造詣の深かった親友と組み、2人組の漫画家ユニットを結成するところから遙かな道のりをスタートしようと考えた。
 この“藤子不二雄”の活動内容は、残念ながら殆ど創作活動には結び付かなかった。夏休みの午前中に“妖怪退治”と称して愚にも付かない小学生らしい行動をしたり、下校時にドラえもんの秘密道具の使い方を考えて互いにクイズを出し合ったり、田舎ではまだまだ知られていない藤子不二雄作品を紹介し合ったりと、そのような他愛のないものでしかなかった。
 ただし夏休みの工作では学校側のルールを完全に無視し、毎年合同で作品を作り上げた。自慢ではないが、金賞をとらなかった年はなかったと記憶している。一応クリエイティブな共作も行ってはいたのだ。
 他にも、オリジナルの漫画シナリオを互いにドラマ形式で朗読し、カセットテープに録音するという活動も行っていた、らしい。これに関しては、記憶が殆どない。このテープを最後に聴いたのは中学生の頃で、それ以降散逸してしまったせいで詳細を確認出来ないからだ。

 

 彼とはクラスが分かれてからも、私は新聞委員などを率先して引き受け、無理矢理にでも漫画やイラストを描く機会を設けていた。元が雑で自堕落で不器用なので、当然良いものが描けるはずはないのだが、心ない人間からの揶揄を受けながらも創作活動を止めようとはしなかった。
 だが、TM Networkをきっかけにポップ・ミュージックと出逢った事で、全ては変わってしまう事になる。既にこの時点で本家の藤子不二雄先生もコンビを解消して数年が経過しており、それぞれの道を歩み始めた頃。我々も、特に何かを話し合ったわけではないが、互いの道が分かたれる時が来ていた。少しずつではあるが、年齢を重ね現実と向き合い始めていたのだ。

 

 今回の訃報を知った時、すぐにツイートしようかとも思ったが、何となくそれも憚られる気分であり、特に何も触れなかった。

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 安孫子先生も藤本先生も、活動をくまなく追ったわけではない。その後ろめたさもあったのは事実。それでも自分にとってはあまりにも大きな影響を与えてくれた存在で、その重大さをツイートだけで表現する自信がなかった。感傷的なツイートでTLを汚すのも気が引けたので、こうしてブログに想いを記す事が出来て本当に良かったと思う。

 もう数年前の話だが、“トキワ荘通り協働プロジェクト“”(現在稼働中の“トキワ荘プロジェクト”ではない)の現場を前述の友人と何度か訪れた。

www.toshima-mirai.jp

 この時お邪魔したのは“豊島区トキワ荘通りお休み処”という施設で、2020年にオープンして話題になった“豊島区立トキワ荘マンガミュージアム”はまだ存在していなかった事を付記しておく(当時も現地の方から建設計画のお話は伺った)。

 閑話休題。現在でも漫画ファンである元相棒は、館員の方に興奮気味に思いの丈をまくしたてていたが、私も含めて話題に上がったのは「最近A先生がメディアに登場する機会が少なく、体調が心配だ」という事だった。
 ウイルス禍をきっかけに彼ともすっかり疎遠になってしまったが、いつかこの事をじっくり話し合いたい。かつてコンビを組んでいた者同士、1度くらいそういう機会があっても罰は当たるまい。

 

 安孫子素雄先生、素晴らしい作品を残して下さり、本当にありがとうございました。昭和末期の田舎に蔓延る理不尽なマッチョイズムと日々格闘していた私のような小学生にとって、先生の描かれた作品がどれほど救いとなってくれたか。少なからず毒を注入して下さった事も、自分にとって計り知れない程の大きな影響を与えています。改めて、深く深く感謝致します。合掌。

Twitter and the Monkey Man Spring 2021

 最近は常に余裕がない日々が続いており、これといってブログで取り上げるようなネタもありません。よって、そろそろTwitter振り返り記事を解禁したいと思います。

 近年はツイート数も減少の一途を辿り、内容的にも取り上げるべきものが少なく、この記事も6ヵ月のツイートの中から何とか使えそうなものをピックアップしている有様でした。しかし今回、昨年の4~6月分のツイートを振り返ってみたところ、印象的なものや記事に残しておきたいものが意外に多く、急遽3ヵ月分のみまとめる形に変更しました。

 もっとも、これはこの3ヵ月が稀有な例である事は明白で、恐らく次回からは再び6カ月スパンに戻す事は間違いないでしょう。

 

 

 成田空港近くの道沿いにちょっとしたスペースがあり、そこでドラムを乱れ打ちする謎の男性。気温が高い日によく見かけたので、体調が心配になりました。

 80年代の終わり、空港周辺で少しでも怪しい行動をすればすぐに機動隊等に職務質問されたもの。我が実家のマイカーも停車させられた…と親から聞いた事があります。その時代から考えると、ストリート・ドラマーがパフォーマンス出来るくらいには警戒が緩んでいるという事でしょうか。

 しかし、昨年の晩秋あたりからこのドラマーの姿を見かけなくなりました。今でもどこかにドラムセットを持ち込み、ひたすらに乱打しているのでしょうか。元気にしていればいいのですが。

 

 問題が山積しているのに、山登りだけではストレスが発散出来ません。

 

 私がインタビュー等を読んでいないせいか、クリスピアン・ミルズがジョージに関して直接言及している文章を見た事がありません。勿論、彼の音楽や思想が何よりもジョージからの影響を雄弁に物語っていますが、この映像のようにさり気なくアピールしている所も格好良いと感じました。

 そんな彼が率いるKula Shakerも、再来月新譜を発表します。

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 再結成後はブリティッシュ・フォークに歩み寄った作品が続いていましたが、前作『K 2.0』で遂にインドへと原点回帰。今作も楽しみです。しかしアルバムの間隔が6年も空いていた事に驚き。そんなに前の話だとは思えず、相変わらず時間の流れの速さに驚くばかりです。

 

 ただし、アソーカのネーミングにルーカスが関わっているかどうかはわかりません。一応、『クローン・ウォーズ』は彼の監修で作られた作品ではありますが。

 キャラクターの名前にも、異様なほどこだわりを見せていたルーカス。その名の持つ意味、由来、響き、かなり研究を重ねていた事が明らかになっています。この点に関しても、シークエルはとことん駄目だったなと。

 

 この試合のTV中継は勿論、2005年シーズンのレビューDVDにも私が映り込んでいます。

 千葉駅の総武・横須賀線快速のホーム近くのトイレ近くに、フクアリの様子を写した写真を使用した広告がありました。間違いなく杮落しの試合中の客席を写したもので、そこでも私がどこにいるかわかります。この事は、昔とあるサッカー・サイトで仲間に話したことがありました。現在、この広告がまだ残っているかは不明ですが。

 勿論、どれも私本人が見なければ確認出来ないはずです。記念すべき試合の映像に自分が映っている、その事が私だけにわかれば良いのです。